3.似蛭命の微笑──暴かれる過去
似蛭命の部屋の前に着くと、マムは静かに手をかざした。その瞬間、ドアの向こうから男の声が響く。
「お入りなさい」
のぞみとゆうは思わず顔を見合わせた。
「のぞみさん、今、マムは何も喋ってなかったのに……僕は何も聞こえなかったよ」
「ゆう君、私も聞こえなかった……なのになんでわかるの?」
マムは答えず、ただ静かに手をかざし続ける。すると、まるで意思を持ったかのように引き戸がスッ……と音を立てて開いた。
のぞみとゆうは、心臓がドクンと跳ねるのを感じた。
部屋の奥には、一人の男が立っていた。
細身で長身。背筋はピンと伸び、立ち姿に隙がない。黒いシャツのボタンを二つほど外し、ゆるく巻かれたスカーフが揺れている。まるで二枚目俳優のような身のこなし。
年齢は30代後半だろうか。鋭い眼差しと整った顔立ちに、どこか危険な雰囲気を漂わせていた。
似蛭命――。
彼は、薄く微笑むと、片手を優雅に広げた。
「さあ……」
低く響く声が、二人を誘う。
「のぞみ、ようこそ私の部屋へ」
流れるような動作で、椅子を指し示す。
「占いとは、心の迷宮を歩く旅……。貴方たちの未来はもちろん、過去さえも、私の前では隠しようがない。どうぞ、お座りください」
ゆうは、違和感を覚えた。
(……のぞみさんを、呼び捨て……?)
初対面の男に、いきなりそんな呼ばれ方をするのは、正直、不快だった。
(それに、何なんだこのキザな感じ……? 余裕ぶってるっていうか、胡散臭いっていうか……)
ゆうは思わずのぞみの顔を見たが、彼女は少し驚いた表情をしているものの、特に気にしている様子はない。むしろ、似蛭の言葉に引き込まれているようだった。
「さて……」
似蛭は二人を見つめながら、指を組む。
「貴方たちは、何を占ってほしい?」
のぞみは、少し考えてから尋ねた。
「私たちのこと……過去も未来も、全部わかるんですか?」
似蛭は口元に笑みを浮かべ、静かに頷いた。
「もちろん。全て、お見通しです」
まるで当然のことのように言うと、彼はのぞみの目をじっと覗き込んだ。
「まずは、貴方の過去を言い当ててみましょうか?」
その瞬間、のぞみはゾクリと寒気を覚えた。
(え……?)
似蛭の視線が鋭く、まるで心の奥を覗き込まれているような錯覚を覚える。
(この人、キザでちょっと怪しいけど……でも……本当に何でも言い当てるのかもしれない……)
怖い。だけど、気になる。
どこまで当てられるのか、知りたい。
のぞみは唾を飲み込みながら、ゆうの方を見た。
ゆうもまた、戸惑いの表情を浮かべている。
「……どうする?」
小声で尋ねると、ゆうは眉をひそめた。
「いや……正直、僕はあんまり乗り気じゃない。占いって言っても、どこまで本当かわからないし」
「でも、ここまで言い当てるって自信満々に言われると……ちょっと興味湧かない?」
のぞみの目は輝いている。
ゆうは少し困ったように視線を落とした。
「うーん……まあ、興味がないわけじゃないけど……」
「ねえ、ゆう君、せっかくだし……少しだけ、聞いてみようよ」
「……のぞみさんがそこまで言うなら……」
ゆうは渋々頷いた。
似蛭は、そんな二人の様子を静かに見つめていた。
まるで、すべてを見透かしているかのような目で――。
似蛭は、薄く微笑んだまま、静かに口を開いた。
「君は、のぞみを愛している」
ゆうは、一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐにフッと鼻で笑った。
「……そんなの、当たり前じゃないですか」
似蛭は微笑を崩さず、ゆうの反応をじっと見つめている。
「受付のところで、ふわりさんも同じようなことを言ってましたよ。僕たちの雰囲気を見れば、誰だってわかることです。そんなの、特殊能力でも何でもない」
ゆうは椅子から立ち上がり、のぞみの手をそっと引いた。
「のぞみさん、帰ろう」
のぞみも戸惑いながら立ち上がる。二人は出口へ向かった。
だが、その時——
「待ちなさい」
似蛭の声が、静かに響いた。
二人の足が止まる。
「今のは、君を試したんだよ」
ゆうは振り返り、似蛭を睨むように見た。
「試した?」
似蛭は薄く笑ったまま、足を組み直した。
「そう。君の言う通り、それは誰にでも言い当てられることだった。しかし——君は、それがなぜ言い当てられるのか、しっかり理由を説明できた。さらに、私と口論になることを恐れずに、堂々と指摘した」
似蛭の視線が、鋭くゆうを射抜く。
「君は冷静で、物事の本質を見抜こうとする。なかなか面白い」
ゆうは少し表情を緩めた。
「……すみません。失礼なことを言いました」
似蛭はフッと笑い、「構わない」と片手を軽く上げた。
「それで? 続けるか?」
のぞみとゆうは顔を見合わせた。
そして——二人は、再び席に戻った。
(まぁ……もうちょっと付き合ってみるか)
(せっかくだし、どこまで言い当てられるのか気になる……)
似蛭は二人を見渡し、ゆっくりと目を細めた。
「では、続けようか」
そして、じっと二人の目を覗き込みながら、ゆっくりと口を開いた。
「——去年のスノボ旅行は、楽しかったか?」
——ドクン。
のぞみとゆうの心臓が、大きく跳ねた。
(……えっ!?)
二人は、一瞬呼吸を忘れた。
「え……?」
のぞみは、思わず小さく声を漏らす。
「どうした?」
似蛭は、不敵な笑みを浮かべたまま二人を見つめている。
——なぜ、スノボ旅行のことを?
これは、ただの雰囲気では分かるはずがない。
(そんなはず……ないよな? ふわりさんやマムが、僕たちの雰囲気を見て”ラブラブ”だと気付くのは分かる。でも、スキー旅行のことなんて、誰も知らないはずだろ……?)
(そうよ……スキー旅行のことなんて、私とゆう君しか知らない。もちろん、占いの館の人たちと関わったこともない……なのに……)
のぞみは、自分の手のひらをギュッと握った。
(この人……全部知ってるの……?)
ゆうは、鋭い視線で似蛭を見た。
「どうして、そんなことを?」
似蛭は肩をすくめた。
「それが、私の能力だからさ」
余裕たっぷりの微笑み。
この男——ペテン師なのか、それとも本当にすべてを見透かしているのか?
似蛭のキザな振る舞いは、どこまでも胡散臭い。だが、同時に——不気味だった。
その微笑みを見た瞬間、ゆうの背筋に冷たいものが走った。
(……この人、危ない)
理由は分からない。ただ、そう確信した。




