最下層民 ~ 嫌よ嫌よも好きのうち ~
※当作品はいじめ問題を取り扱っておりますが、被害者に報復等を推奨するものではありません。
【私選有害図書指定】
当作品は読者に対し、知識、思想、嗜好などにおいて、悪影響を及ぼす可能性があります。ご注意下さい。なお、当方と致しましては、一切の責任を負いませんので、読者様方の自己責任にてお読み下さい。
いじめ問題。
偶に言われることがある。
やられる側が悪い。
実は私はこれの支持者……とはいわないまでも一定の理解を示す者。
いや、だってね、嫌ならば反抗すればよい話でしょう。
どうがんばっても敵わない?
それは自身が傷つくことと受け入れることを秤にかけて受け入れることを選んだだけに過ぎない。本当に嫌ならば相手と玉砕すればよい。高い対価を払わせれば安く買い叩こうとは思わないはずだ。どうせ破滅するのならば道連れこそが意地というもの。
まあ、世間ではこれを秩序に背くテロ思想というのではありますが……。
しかしそれでも、敗れたとしても多分尊厳は守られる。踏み躙られたとしてもきっと理解者は現れる。仇を討つ者は現れる。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというものだ。
──などと、些か物騒なことを述べたわけだが、つまりこれは秩序の問題である。
もしこの理屈を否定するというのならば、それは相手と同化することを否定して秩序に屈するという一面もあるというわけだ。
……本当に法は被害者に寄り添っているのだろうか。法に従う者が法に縛られ、逸脱した者に蹂躙されるとあればいったい何のための法なのやら。
それに加えての問題は──。
学生時代、私にはどうしようもない悪友がいた。俗にいじめっ子という存在だが、それでもやはり私にとっては友人であった。
彼の質の悪いところ、それは笑顔で友好的に冗談としてそれをやるところ。周囲からすればお互いが戯れ合うコントの類いに見えたことであろう。
多分世間で問題となっているいじめもこんな感じか。目の前で見る級友たちがこの認識であれば学校側が気付くのはまず無理というもの。何よりも被害者本人がどう反応してよいか戸惑っている場合もあるのだから余計にである。
なぜこんなことが起こるのか?
加害者のそれは明らかに漫画やコント等の影響だろう。それらは人間関係の精神的格差を滑稽な笑いへと昇華しているわけだが、それに憧れる子どもへの影響は配慮されていないのだから。ボケへのツッコミというのならばまだしも、他者を自然と貶める格差を作り出し、擬似的階級世界に身を浸すことを悦楽とするのは問題。「○○のくせにナマイキだ」は漫画の中だからこそ許される価値観なのである。
まあ、これも昭和では普通に罷り通っていたのではあるが。私の父の小学生時代だと、教師に呼び出され赴いてみれば、ストレス発散のため頭をしばくためだったなどと言っていたし。なお、当時を振り返り語っていた父は子どものうちに世の中の不条理を学ぶ機会であったなどと笑っていたりする。
いじめる側はなんとも無邪気で明るいものである。
続いては被害者の側。
これは偏に寛容と協調の教育、問題を起こさない秩序重視の社会への忖度義務だろう。
つまるところ、他者を理解し赦すこと、そして乱暴な言動をしないこと、そんなモラルを価値観として刷り込まれ抗うことに思考が向かなくなっているのだ。謙虚、謙譲、他者尊重、それらに特化したため自己保存の仕方を見失ってしまったといえる。
結果、何をされても相手を憎むことができず、モラルに抵抗することも封じられ。こんな出口のない葛藤の迷路では精神を病むのも仕方なし。愚かな社会的道化師のできあがりである。
とはいえ、世の中はこういう強者と弱者で回っているのも確かなわけで、これも社会的適応力というものなのでしょう。
我慢できる者が耐え、できない者が世界を動かす。そんな適材適所のディストピア。
これが秩序の正体のようです。(苦笑)
嫌よ嫌よも好きのうち。
嫌なことさえも憎みきれない。
そんな人の好さは人間の致命的欠点なのか……。




