6.突然の陛下襲来
皇宮に帰ってきたビビアンは、執務室に寄り、今日の成果を振り返っていた。
(覚えていることは、早めに書いておかないと)
孤児院が必要としている物資と、ビビアンが必要と思った物、気が付いた問題点などを分けて書いていく。
防犯の魔法陣があった食料庫には食べ物はほとんど備蓄されておらず、食料は急いだ方がいいだろう。
それに、これから寒くなるので暖かな洋服や毛布類も必須だ。
これらはノエミにも差し入れると約束している。
(孤児院を出ても困らないように、文字や計算も教えたいわね)
一番上の子は、十二歳だった。
あと三年したら孤児院を出なければいけないということを考えると、急いだ方がいいだろう。
(あとは、孤児院を運営する資金の問題かしら)
そこが一番の問題だ。
一旦、今回の支援については嫁ぐ前に作ったドレスを売って、資金を作ろうと思っているが、それもいつまでも続くものではない。
思案に耽っている時だった。
「ビビアン! 無事か!」
突然、扉が開いて、ユリウスが入ってくる。
「陛下……?」
無作法を咎めるよりも、今までユリウスが見せたことがない慌てように、ビビアンは目を見開いた。
「孤児院に出かけ、そこで襲われたと聞いた。怪我はしていないか?」
「大げさです。私は安全な場所にいましたし、傷一つ負っておりません」
「だが、怖かったのではないか……?」
「防犯の魔法陣が起動しておりましたので。そうだ。護衛についてはブルトン卿が手配してくれたのです。無事だったのは彼のおかげもあると思うので、どうか陛下からもねぎらってあげてください」
「なっ――」
目を見開き絶句するユリウスに、ビビアンは何か悪いことを言っただろうかと首を傾ける。
ブルトン伯爵令息マクシムは、学生時代からのユリウスの側近だ。
きっと、側近を褒められてユリウスも嬉しいはずだ。
「――は、私より、……が、いいと言うのか……?」
「陛下? どうなさったのですか?」
ユリウスが小声で何か言っているが、残念ながらビビアンには聞き取れなかった。
怪訝な表情を浮かべるビビアンに、ユリウスは無表情に尋ねる。
「……そもそも、どうしてビビアンがスラムの孤児院の視察に向かったのだ」
「故イベール伯爵が設立された孤児院なのだそうですが、その後の支援者が見つからずお困りのようでしたので私が面倒を見ることにしました」
「だが、ビビアンは公務をしたくないと……」
「確かに、そのようなことを思っていた時期もありましたが、思うところがあって、心を入れ替えたのです」
「思うところ……?」
「その、……乙女の秘密ですわ」
ビビアンの言葉に、今度こそユリウスが固まった。
(あら? 私が言うと、キャラ違いだったかしら……?)
しかし前世を思い出し、このまま仕事をせずに贅沢に耽るだけでは、近い将来聖女アイリを溺愛するユリウスに処刑されてしまうからとは言えない。
(それに、困っている子達を見て、私も助けてあげたいと思ったから)
実際に孤児院の状況を目にしたことで、ビビアンの意識にも少し変化が起こっていた。
(いずれは、あのスラムになっている区画一帯をなんとかしたいけど、まずはできるところからよね……)
そんな考えに沈んでいたからだろう。
ビビアンは低い声で呟いたユリウスの言葉を聞き漏らしていた。
「そんなに……の方がいいというのか……」
「陛下? 今、なんと……?」
先日の初夜の時のように、ユリウスから冷気が伝わってくる。
(何か怒らせることを言ってしまったかしら……?)
考えて、思い至る。
今まで公務さえまともに行ってこなかったビビアンが急に孤児院の支援をするなどと言っているのだ。
ふざけていると思われたのかもしれない。
「ビビアン。お前は私の妻だということが、わかっているのか?」
「もちろんです。これまで公務から逃げていた私に説得力はないかもしれませんが、帝国の臣民は皆、陛下のもの。彼らのつつがない毎日のために、心を砕き身を削られている陛下のお手伝いを、私もしたいと思ったのです」
「私の手伝い……?」
「だって、私は陛下の妻ですもの。妻が夫に協力するのは当たり前だと思うのです」
ビビアンの答えが気に入ったのか、気が付くと冷気は収まっていた。
目を見開いたまま固まっているユリウスに、ビビアンはすかさず言う。
「そうですわ。折角、こちらまで来ていただいたのです。一緒にお茶をいただきませんか? チョコレートがあるのです。陛下といただきたいと思っていたのですが、あっ、今はお時間がないかしら……?」
本来なら、今は未だユリウスも執務時間のはずだ。
「……時間は、少しなら問題ない」
「では、急いで仕度させましょう!」
ビビアンの言葉に、すかさず侍女がお茶の仕度を始める。
その間に、ビビアンは場所を移動しようと立ち上がった。
ビビアンの目の前には、湯気の立つ紅茶とチョコレートが載った小皿が並べられている。
テーブルを挟んだ反対側には、ユリウスが無表情で座っていた。
「これは、どうしたのだ?」
「公爵家の菓子職人に言って作らせたのです」
「どうしてわざわざ? 菓子職人は、皇宮にもいるだろう」
「皇宮のデザートも大変美味しいですが、公爵家の菓子職人は私が幼い頃から仕えてくれていて、味が好みなのですわ」
「……私がもらってよかったのか?」
「もちろんです。だって、陛下にも味わっていただきたいと思って持ち込んだのですもの」
「そうか」
「――っ」
ほんの微かに、ユリウスの目元が緩む。
それだけのことなのに、美貌のユリウスが表情を和らげると、まるで空気が色づいたように華やいだ。
息を呑んだビビアンに気が付いていないのか、ユリウスが尋ねる。
「ビビアンはチョコレートが好きなのか?」
「はい。甘い物はなんでも好きですが、その中でもチョコレートは特別好きです」
婚約が決まった後、公爵家に遊びに来たユリウスがお土産にと持って来てくれた時に初めて食べたのだが、ユリウスは覚えているだろうか。
尋ねようとした時だった。
申し訳なさそうに、陛下の侍従が近づいてくる。
「ご歓談中に失礼いたします。陛下を宰相様がお探しのようです……」
「すぐに向かう。しばし待てと伝えろ」
侍従に言付けると、ユリウスがビビアンの方に向き直る。
「すまない。折角ビビアンがお茶に誘ってくれたのに、もう行かなければならないようだ」
「いえ。執務の途中と存じていながら、お茶にお誘いしたのは私ですから。お引き留めして、申し訳ありません」
「いや、いい気分転換になった。また晩餐の時に会おう」
ユリウスはそう言い残すと、立ち上がる。
その背を見送って、ビビアンも執務机に戻った。
(そういえば、陛下のご用事はなんだったのかしら……?)
まさか、ビビアンが孤児院を襲った者達と対面したと聞いて、様子を見に来たのだろうか。
執務室にやってきた時は、慌てた様子だった。
(まさか、私を心配して……?)
そうだったら嬉しいと思うが、それはビビアンの希望的観測に過ぎるだろう。
(まずは、私も結果を残さないとね。食品の手配は、本日中にしておきましょう)
ビビアンは気分を入れ替えると、再び孤児院のためにできることを考えるのだった。




