30.ノークス伯爵領に向かうわよ!
翌日。
ビビアンはまず、執務室に置いた薬草の鉢の確認に向かった。
(やはり、状態は変わらないわね)
むしろ、水切れが進み、葉の先端が薄い茶色に染まっている。
枯れかけているのだろう。
この状態を専門家に見てもらえれば、薬草が枯れてしまう原因がわかるのではないだろうか。
(いえ、期待しすぎはよくないわ。けれど、この薬草が枯れてしまう前にはノークス伯爵領に行きたいところね)
ユリウスには、朝一でアポイントを取ってある。
自分が運ぶという侍女の申し出を断り、ビビアンは一鉢抱えるとユリウスの執務室に向かった。
「本日は、時間を取ってくれて感謝するわ」
「ビビのためならいつでも時間を空けるが……。私に相談とは珍しいな」
ビビアンは頷くと、単刀直入に話題を切り出した。
「ノークス伯爵領への許可がほしいの。理由はこれよ」
抱えている鉢を掲げると、ユリウスは怪訝な表情でビビを見つめる。
「それは……?」
「これは、回復薬の材料になる薬草よ。今、私は帝都の郊外に畑を作って育てようとしているの。これは昨日、畑からもらってきた株なのだけれど、畑にある薬草は全てこの状態だった。もちろん、お世話はさせているわ。土も水たまりができるくらいに湿っていた。でも、水をあげても、薬草はこんな風に枯れてしまうの」
「それで?」
「原因を知りたいわ。そのために、専門家の話が聞きたい。帝国で唯一、薬草の栽培と、回復薬の製造に成功しているノークス伯爵領の視察をして、できることなら薬草がこの状態になってしまったことへのアドバイスをもらいたいわ。だから、視察の許可がほしいのよ」
昨日、散々頭を悩ませたものの、ビビアンは結局正面から事実を告げる方法を採ることにした。
(私が回復薬を作りたがっていることは宰相から伝わっているでしょうし、隠すことでもないもの)
ユリウスは、真剣な表情でビビアンの話を聞いてくれている。
そして少しの沈黙の後、口を開いた。
「……伯爵領まで片道何日かかるか知っているのか」
「馬車で三日ね。でも、私は、公務もほとんど持っていないし、ユーリの許可があれば行けるわよね」
「滞在日数は?」
「用事が終わればすぐに帰るわ」
「…………はぁ」
先程よりも長い沈黙の後、ユリウスは息を吐いた。
「解決するまで帰ってこないつもりか」
「…………」
沈黙するビビアンに、ユリウスは言う。
「だが、タイミングがいいのか、悪いのか……。あちらでの滞在期間は、長くても五日だ」
「えっ」
「それと、私も共に行く。それなら許可を出そう」
「ユーリも来るの!?」
まさかの発言に、驚くのはビビアンの方だった。
「ビビアンが孤児院に通い始めた頃、魔術師に襲われたのを覚えているか?」
「ええ。三人組と一緒に居た『兄貴』と呼ばれていた方ね」
「その者が、ノークス伯爵の私生児ということがわかった。魔術師協会への照会を行っていたが、ようやく調査が終わり結果が返ってきたのだ」
そして、資料を渡してくれる。
彼の名はクロビス。
母親はノークス伯爵家に務めていたメイドで、妊娠を機に職場を辞めて帝都に来たようだ。
母子家庭としてクロビスを育てていたようだが、彼女は帝都に来て数年後に亡くなってしまい、父の名もわからず、他に身寄りがない彼は孤児院に引き取られたそうだ。
そしてそこで魔力があることがわかり、魔術師協会が建てた魔術師を育成する学校に奨学生として入学。
卒業後は魔術協会に所属し、孤児院への援助をするため、危険の大きい仕事も引き受けていたようだ。
そして、その仕事の最中事故に遭い、記憶をなくし、あのスラムに流れ着いたのだろうということだった。
ちなみに、クロビス自身は、自分がノークス伯爵の縁者ということは知らないと思われる。
今回の調査で彼の血筋が判明したということだった。
「読んだわよ。結果がどう落ち着いても、彼にあまり重い罪は求めないわ」
「裁判長に伝えておこう」
クロビスについては、身分が確定してから刑が決められることになっていた。
魔術師は、貴族の縁者が多い。
後々トラブルにならないよう、詳しい調査が行われたようだ。
ただ、ビビアンが減刑を願ったのは、血筋のためではない。
クロビスは、単に運が悪かっただけに思えるのだ。
調査書によると、彼は記憶をなくし、誰にも保護されることなくスラムに辿り着いたと書いてあった。
魔術師だともっと早くにわかっていたら、きちんとした機関に保護されていたかもしれない。だが、魔術が使えるとわかったのも、スラムで三人組にからまれてから。
そして、その三人組は、ビビアンの警告を無視して、孤児院を奪おうと彼をけしかけた。
(スラムに辿り着き、拾われたのがあの三人組だなんて……。少々ではなく、とてつもなく運が悪いのではないかしら……?)
もちろん人に魔術を向けるのはよくない。
その罪は償ってもらいたいが、常識などが欠乏した状態であれば、情状酌量の余地はあると思う。
それに、記憶を無くす前に、彼は自分の出身の孤児院に給料のほとんどをつぎ込んでいたとも書いてある。
それを読んでしまうと、減刑を求めたいと思ってしまった。
「クロビスがノークス伯爵家の縁者とわかったので、伯爵にも一言伝えておく必要が出てきた。本来なら当主を呼びつければ済むことだが、あの家は回復薬を作り、普段は社交も免除されている。帝都に呼びつければいらぬ耳目を集めすぎるため、どうしようかと考えていたところだった。それに、気になることもあるからな。ビビが視察に行くのなら丁度いい」
ユリウスが気になることとは何だろうか。
だが、聞いても教えてくれるつもりはないようだった。
「あまり待てないわよ。私はこの株が完全に枯れる前に見てもらいたいもの」
「問題ない。スケジュールを調整後、出立日を知らせよう」
「お願いね。それまでに、私も準備をしておくわ」
ビビアンはそう言うと、執務室を後にした。
その翌々日。
ビビアンはノークス伯爵家に向かう馬車に乗っていた。
隣には、ユリウスが座っている。
(結婚後に二人で遠出をするなんて、新婚旅行みたいね)
ただ、お互いの手には持っているのは、それぞれ仕事に関わる書類である。
ビビアンはノークス伯爵領についての調査資料と、薬草の育て方についての論文をまとめたものを持ってきていた。
ユリウスについては、彼の執務の中で、持ち出しても問題ないものを準備してきたようだった。
彼の目の下にはくっきりとした隈が浮いており、この視察のためにかなりの無理をさせてしまったようだ。
だが、正直、早めの出立はありがたい。
ビビアンの畑から持ってきた薬草は、相変わらず水を吸えずにいる。
(どうか、対処法が見つかりますように……)
そう思いながら書類に視線を落としたのだった。
ふと、肩に軽い衝撃を感じ、ビビアンは顔を上げた。
隣を見ると、ユリウスは目を閉じていて、眠ってしまったようだ。
馬車の揺れで、ビビアンにぶつかったらしい。
「……ユーリ?」
小さく声をかけてみるが、返事はない。
手はしっかり書類を握っているが、眠りは深そうだ。
(寝顔を見るのは初めてね……)
ビビアン達は未だに寝室は別だった。
初夜に離婚を告げた後、植物園でのデートを経て嫌われていないとは察したものの、まだ何も告げられていない。
その状態で、ビビアンは夫婦の寝室で眠るつもりはなかった。
(それにしても、美しい顔ね)
あまりじろじろ見てはいけないと思いつつ、銀色のまつげが影をつくる様子をつい眺めてしまう。
クマのせいで目の下の影が濃く、そのせいでどこか退廃的な色気も漂っていた。
(疲れて寝ているだけなのにセクシーって、どういうことかしら……?)
ユリウスが起きているときは、ここまでじっくりと見る機会はない。
折角の機会を、ビビアンは心ゆくまで堪能するのだった。




