2.陛下離婚してください+陛下視点
結婚式と披露宴が終わったら、次に待っているのは初夜である。
侍女達にこれでもかという程に磨かれて、薄い夜着を身に付けると夫婦の寝室に向かった。
恥ずかしいからと主張して、夜着の上からはしっかりとローブを羽織って着込んでいる。
ビビアンには本当の意味での初夜を迎えるつもりはないし、しっかりと「お話し合い」をする予定だ。
(話し合うつもりだったけれど、陛下がいらっしゃらない可能性もあるのよね……)
考えていたところで扉が開いた。
ユリウスが来たようだ。
立ち上がって出迎えると、ユリウスはビビアンを見て固まっている。
「陛下……? どうかなさいましたか?」
「……何でもない」
相変わらず、表情の変化がない。
もともと感情表現が薄い方ではあったが、三年前、ユリウスの両親が事故で亡くなってからは、さらにその傾向が強くなった。
学園を卒業する直前のことで、その時のことをビビアンもよく覚えている。
(あの事件があったから、喪に服するために結婚が今まで伸ばされたのよね)
当時まだ皇太子だったユリウスは、学園を卒業後、ゆっくりと公務の量を増やしていくはずだった。
しかし皇帝の崩御で一気に皇帝の仕事を背負うことになった。
その上、両親の死が本当に事故だったのか、どこかの国の陰謀ではないかと、公務と並行して事件の調査も行っていたようだ。
調査の結果は何の痕跡も発見されず、結果的には不幸な事故だったと結論づけられている。
ビビアンも婚約者としてできることはないかと一応は申し出たが、ユリウスには断られてしまった。
(断られたからと一度で諦めたのは、よくなかったのかもしれないわね)
婚約者ならば、もっと両親を亡くしたばかりのユリウスに寄り添い、支えになるべきだったのかもしれない。
今更だが、そんなことを思う。
「先に少し、お話をしてもよろしいですか?」
微かに頷くユリウスに、ビビアンは単刀直入に告げる。
「本日結婚したばかりではありますが、私、陛下に離婚していただきたいのです」
「……どういうことだ?」
最高級のサファイアの瞳が一瞬、驚きで見開かれ、次の瞬間、不機嫌そうに歪む。
(あれ……?)
無表情で頷くだけと思っていたのに、想像していた反応とは異なる。
意外に思いながらも、ビビアンは考えてきた言葉を述べる。
「私では、皇妃に相応しくないと気が付いてしまいましたの」
「……ならば、そう思ったところを直せばいいだけだろう。どうして離婚になる」
ユリウスは聞いたこともない程に低い声を出す。
けれど、ビビアンも誤魔化されるつもりはなかった。
「だって、陛下のお心には真に愛するお方がいらっしゃるでしょう?」
「……は? 誰だそれは」
「聖女のアイリ様です」
怒りからかユリウスの魔力が漏れ、足下が冷えてくる。
アイリは、婚約者のビビアンが皇宮から遠ざけられている間も足繁く皇宮に通い、ユリウスと愛を深めていたと言われていた。
「誰がそんなことをお前に吹き込んだ」
「いいえ、誰に聞いたことでもありません。アイリ様と陛下が在学中から親しくされていたことも、学園を卒業後も皇宮に通われていたことも、知っております」
「だからといって、私があの聖女を愛しているなどというのは誤った憶測だ。必要があるから皇宮に通っていたにすぎない」
「ですが……っ、くしゅん」
言い返そうとしたビビアンは、こらえきれずにくしゃみをする。
寝室はすっかり冷え切り、ビビアンの体も凍えていた。
ユリウスはビビアンの吐く息が白く変わっているのを見て、眉を寄せる。
「……日を改めて話し合う必要があるようだ。もう一度言っておくが、私に離婚の意思はない」
それだけ言うと、ユリウスは夫婦の寝室を出て行く。
その背を見送って、ビビアンも扉で繋がっている自分の部屋に戻ったのだった。
皇妃の私室は、ビビアンのためだけに整えられている。
侍女に暖かなお茶を淹れてもらうと、冷えていた指先も徐々に温もりを取り戻していった。
体の震えが止まると、思い出すのはユリウスの言動についてである。
(何故、陛下は離婚を嫌がったのかしら……?)
考えても、理由はわからない。
それに他に愛する人がいるのではないかって聞いた時も全く心辺りがなさそうだったし、アイリの名前を出した時の反応も本当に怒っているようだった。
不貞と思われたくないだけかもしれないけれど、アイリと愛し合っているなら、離婚はユリウスにとっても嬉しい提案のはずだ。
(……ひとまずこの件は置いておいて、明日からのことを考えましょう)
話し合いにどれくらい時間がかかるかわからないが、皇妃として暮らしていく必要があるなら、やらないといけないことが増えるのだ。
ビビアンの断罪理由は、わがままな上に際限なく贅沢をし、仕事をしないという三点だ。
わがままや贅沢は控えるように気を付ければいいだけだが、皇妃の公務をサボってしまえば、断罪フラグが立ってしまう。
(明日、早速執務室に行ってみましょう)
教育は受けたものの、今までろくに公務に携わってこなかったビビアンにできることはあるだろうか。
心配はあるが、とにかくやってみるしかない。
今後の方針を決めて気持ちが落ち着いたところで、就寝するのだった。
◇◇◇
ユリウスがビビアンとの結婚を決めたのは、六歳の時だった。
高位貴族の令嬢を集めた茶会で、一目惚れした。
(彼女しかいない)
そう訴えたユリウスに、両親の反応も上々だった。
なんといっても、ビビアンは筆頭公爵家のエリュアール公爵家のご令嬢で、身分には問題ない。
婚約の打診までは順調に進んだ。
問題があったとすれば、ビビアンの両親が彼女を目に入れても痛くないほど溺愛していたことだろう。
「将来、私と結婚してほしい」
お茶会の後、ビビアンだけを呼び出したお茶会で、ユリウスはそう求婚した。
「わたし、ユリウスでんかのおひめ様になるの?」
蜂蜜を溶かしたような金髪が緩く巻き、バラ色の瞳をキラキラと輝かせながら微笑んだビビアンは、見たことがない程に可愛らしい少女だった。
ユリウスは迷いなくビビアンの問いに頷いたが、ビビアンはそれでは満足できなかったようだ。
「なら、わたしのおねがい、なんでもかなえてくれる? おしごともあんまりしたくないの。それでもいいかしら」
「もちろんだよ。ビビアンの願いは、なんでも私が叶えよう」
エリュアール公爵家は、娘が皇室に嫁ぐことを積極的には望んでいなかっただろう。
公爵令嬢という立場はありながら、蝶よ花よと育てられてきた少女は、お世辞にも皇妃に向いているとは思えなかった。
それでも、ユリウスはビビアンが側にいてくれるならばそれでよかった。
どんな我が儘を許容しても、手放したくないと思える程に、ビビアンは大切だった。
婚約は無事結ばれたものの、ユリウスの両親はこの段階で婚約させてしまったことを後悔しているようだった。
ビビアンはやればできる子だったのか、皇太子妃教育は無事に終えることができたが、意識は婚約を結んだ時のまま、ユリウスの庇護に依存するような形で成長してしまった。
そこを糺そうとしても、最初の約束もあり、ユリウスは際限なくビビアンの望みを叶えようとしてしまう。
そんなビビアンの態度は、ユリウスにも悪影響を及ぼした。
ビビアンもユリウスのことは自分の婚約者とは認識があるようだが、基本的にはユリウスのことをただわがままを聞いてくれる人くらいにしか思っていない。そのことを無意識に感じているのか、ユリウスはビビアンが他の者と接することを極度に嫌がるようになってしまった。
だから、当時の皇帝――ユリウスの父は苦渋の決断を下した。
一つは、ユリウスは成人するまで、感情を抑える魔術を施すこと。
これは、過去にユリウスと同じように婚約者に振り回された皇族がいたために、皇族に伝わっている魔術だ。
そして、もう一つは、ビビアンにいずれは皇妃となる自覚を促すために、さらに皇宮で教育を施すこと。
その魔術の影響でユリウスは感情を表に出すことがなくなった。
さらにビビアンも教育が追加された影響で、ユリウスと会う時間が少なくなり、学園に入ったあとはさらに会う頻度が減っていく。
ただ、ビビアンの気持ちは命令で変えられるものでもない。
相変わらずのビビアンの態度に、ユリウスの心の奥では一切表出されることがないビビアンへの執着が着実に育っていった。
ただ、それも学園を卒業し成人を迎えるタイミングで、一旦解放されるはずだった。
問題だったのは、魔術を解く術を知っている両親が同時に亡くなってしまったこと。
事故が故意による可能性もあったため、ビビアンに万が一危険があってはいけないと、原因が判明するまではと皇宮からは遠ざけた。
そして魔術を解くために、聖女アイリの協力を必要としたことだ。
聖女は学園時代からユリウスに必要以上にまとわりつき、ビビアンに変な誤解を与える可能性を懸念していたというのに、卒業後まで関わることになってしまった。
当然、王宮に仕える魔術師達にも解呪の方法を探させたが、長い時間をかけていながら、ユリウスの心にかかった魔術は解ける兆しがない。
そのせいか、ビビアンには聖女との仲を誤解され、折角結婚までしたというのに初夜の場で離婚を切り出されてしまった。
感情を抑える魔術をかけていてさえ、抑えきれない怒りが魔力という形で出てしまった。
ビビアンを凍えさせ寒い思いをさせてしまったことは反省しているが、どんなに彼女が望もうと離婚の願いだけは叶えるつもりはない。
(私から逃げられると思うなよ……)
夫婦となったのに、夫として意識されていない今の状況に甘んじるつもりはない。
気持ちを得られないのならば、せめて夫という立場だけは死守するつもりだ。
今までどれだけ深い嫉妬を抱こうと行動に繋げることができなかったユリウスは、怒りが表出しているという今この状況の異常さに気が付かない。
ユリウスを中心に冷気が生まれ、皇帝の私室は内側から静かに凍り付いていった。




