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鳥の飛ばない天地の挟間  作者: 御厨つかさ


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23/52

「鳥の飛ばない天地の挟間」23


21 月に人の住む世界で




 それは簡単に事実でしかないことに違いなかった。

「月が落ちた」

 世界が終わるときに、よく想定されるシチュエーションだ。あきれるくらい使い古された世界を滅ぼす際の。

 とても単純でありがちなのは、それだけ世界で月が空に浮いて見えるという事実に、違和感と不安を持つひとが多いということだろう。

 あるいは、夜空を動く月というものが、動くからにはそれが空を落ちてきていても、有り得ることだとおもえるからだろう。違和感なく。

 月に人が住む世界で。

 人は、月に基地を造り、その空洞の中に生存の為に必要な施設を造った。月に行く為の方法も発達し月で生存する為の装置も当り前のように売られるようなったのだ。

 事故が、当り前に起こるほどに。

 当り前に造られるようになり、月へ人が行くということが、珍しくなくなりかけていたときに。

 経済効率という罠が、月へ人を運ぶ装置に、あるいは、そう。

 月で人の生存に必要な装置にさえ、慎重で貴重な生存の道具を宇宙開発初期の人類が経済効率ということにまったく目を向けず、黄金を扱うように大切に造り上げていた時期とは違って。

 効率という罠が、其処に潜り込んだ。

 経済の為、経費を削減する、という魔法。

 その魔法が、月に生きる為の装置を製作する過程にすら、潜り込んだのだ。単純に、利益というものをあげる為に。

 利益はそうして、あがっただろう。

 おそらく、株主は、あるいは、単純にその利益をあげたことで儲けた立場の者がいたのは違いない。それだけのことだ。

 装置は、事故を起こした。

 月の空隙に造られた基地。

 その深部で爆発が起こり、事故は取り返しのつかない現実を生み出した。

 ――世界は、壊れた。

 月は爆発により軌道を逸れ、人類の、この世界の人類の科学や何かの力でその逸れた軌道をもとに戻すことは不可能だった。…

 世界が、終わりを迎えたのが、二月十一日。

 地球上へ衛星の月が落下したのは、その九日後。

 軌道上を落ちる月により、落下しおわる迄に、既に大気は擾乱され、地表から吹き飛ばされていた。

 そう、鳥の飛ぶ為に必要な翼を支える大気は残りはしなかったのだ。

 月が現実に、地表を抉り落ちるまでもなく。

 大気圏という絶妙なバランスに保たれていた地球の薄い皮が、重力の異常に吹き飛んでいたのだ。

 衛星の月が、大気を撫ぜてかすめていく。それだけで充分に。

 大気は吹き飛ばされ、地表の人類は滅びた。

 地表に生きていた生命は、例外もなく滅びたのだ。

 世界は、滅んだ。…―――

 月が現実に地表へ落下するその前に。

 地球上には、生命を維持する為の大気が吹き飛ばされ失われ。

 生命を保つことができる能力は、残されてはいなかったのだ。

  藤堂が。

 月の空隙に生き残ったのは、単なる偶然でしかなかっただろう。

 世界がそのとき、かれに優しかったのかどうかは定かではない。

 衛星の月がバランスを崩した爆発の際に月基地内でも当然生命維持は危機にさらされた。最悪なのは、―――。

 藤堂が、―――…。

 そのとき、医師藤原真奈歩の医療面談を受けていたことだったろう。





22 月に人の住む世界で 2




 一ヶ月面談を行うかについては、医師が決定する。

 月基地に勤務を始めて一週間の医療面談で特に問題ないと診断を告げられた藤堂は、ある提案を受けて戸惑っていた。

「きみは、とても宇宙空間に生活する為の適性がある。是非、一ヶ月診断も受けてくれないかな?勿論、ルーティンに入ってもいるが、…――」

藤原がいうには、藤堂の心理適性はとても興味深いものであるそうで、是非研究の対象にしたいのだという。

「…――――」

研究対象として興味がある、といわれて複雑ではあったが、ひまなのは確かだった。通常の一ヶ月面談に加えて、診療の際に心理試験を是非多めに受けてほしいといわれて、藤堂が思ったのは。

 ――ひまつぶしになるな、…。

と、いうことだったのだ。

 藤原のいう心理適性があるというのも興味深い。

 月でどうせひまですることがないのなら、その結果や研究過程をきくことも、暇つぶしにはいいのではないかと、…。随分、流されて思っていたのだが。

 そうして、藤堂は藤原真奈歩が行う、ちょっと多目――実際には、手間もかかり、かなり大がかりで時間がかかる代物だったのだが、――を受けていた。

 カプセルに入り、体温等を測定して脈拍なども測りながら、心理試験を受ける。

 動くことは出来ない上に、質問への反応は計測されているから、あまり他のことを考えることもできない。さらに、鎮静をはかる為に、周囲から隔離された室内は通常よりも音を遮る為の防護設備が充実していた。

 クッションのような壁は、無音を造り出す為のもので、それが衝撃を或る程度は吸収もしてしまったのだろうとは、後に考えたことだが。

 藤堂はカプセルに横たわり、外の影響を排除する為に無音にされた部屋の中で、リラックスする為に流されている自然音を聞きながら、ねむりそうになっていた。

 そのときだった。

 後に、部屋を出た藤堂は、推測するしかない事実と向き合うこととなる。

 おそらくは、と。

 過程はわからない。

 藤堂には、知らされなかった。

 唯、――。


 月が地球に落ちる軌道を。

 衝撃で破壊された月基地に、初期に生存した者達は絶望の中で確信したのだろう。地球上に生命が生き残る可能性が低いことも。

 月が激突したとき、―――。

 地表に渡る衝撃波。

 破壊される地殻。

 生存する生命があるとしたら、それは、―――。

 月の空隙に残された隙間にいま生きている生命。


 月基地に生存する可能性しか、残されてはいないだろうということに。


 残酷な結論を。


 そして、―――。

 生存に必要な酸素、食糧、その他。

 生き残る為に、生命維持に際して必要な最低限。

 それが残されれば、…―――。

 藤堂が藤原真奈歩の医療診断を受けていたことが、幸いした。

 否。

 禍いしたのか。


 それが幸いか、禍つ神の為すことであったのかは、後に計る方法もないであろう。


 人類で生存する可能性があるのは、…――。

 地表に月が激突した際、生き延びる可能性があるのは。

 大気が吹き飛ばされた地表で、…――だが、もし、飛ばされた大気が少しでも。それは、希望だったのか、絶望がみせた幻であったのか?

 あるいは、何れにしても。

 月基地に生存を許す生命体は、一名に限られた。

 唯一人だ。

 生存し、月がもし地表に激突した後も、生き残っていることができれば。

 その微かというにも笑うしかない非情な可能性が。

 愚かでもあるかもしれない、施された相手にとって、それ以上に悲劇を生みはしない、勝手な期待と。

 生存適性という。

 宇宙空間での生活にかなり適性を示した、藤堂の心的負担に対するストレス耐性。

 カプセルの中で、鎮静剤を注入することも容易だった。

 部屋を取り巻く防音の為に敷かれた緩衝剤は、とても優秀でかなりな衝撃にも内部を護る代物だった。

 奇跡を。

 奇跡を期待されて。

 カプセルを出た藤堂は、絶望の中に知ることになる、…―――。

 生きているのが、月基地にかれひとりであり。

 月は地球に落下しつつあり、…――。

 藤堂ひとりを生き残らせる為に、他のものは誰一人基地に。

 誰一人、残らず。


 状況を伝えるビデオレターと。

 生存が可能なら、行うべき生き残る為の方法を。

 地表に激突するまでの九日間。


 藤堂は、…―――。


 唯一人、残されて。

 まるで、心理試験の為の冗談じゃないかと、最初は疑って。

 …うたがって、…――――。

 けれど、事実はかわらなかった。

 誰もいない月に。

 

 藤堂は取り残されて、…―――。


 そして、世界は死を迎えた。





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