閉店後のマスターのひととき ──水槽食堂の夜のしじま
カランコロン。
最後のお客さんを見送って、ドアの鍵を閉める音が響きました。
深夜三時。もう、路地裏には猫一匹通らない時間です。
トラ猫のマスターは、「ふぅ」と大きく一つ伸びをしました。
前足をぐーっと伸ばし、背中を丸め、尻尾をピーンと立てて、一日の疲れをほぐします。
パチン。
店内の明かりを消すと、残るは壁の水槽の青白い光だけになりました。
マスターは、カウンターの片付けを始めます。
シュッ、シュッ。布巾でテーブルを拭く音。
カチャ、コト。洗ったグラスを棚に戻す音。
静かな店内に、小さな生活音だけが心地よく響きます。
片付けを終えると、マスターは自分だけのための最後の一杯を用意しました。
温めたミルクを、小さなお皿にたっぷりと。
彼はそれをペロ、ペロ、とゆっくり味わいます。
今日来店したお客さんたちの顔を思い出しながら。
寂しさを抱えた人、疲れ切った人、不安に震えていた人。
ふと水槽を見上げると、魚たちはもう泳ぐのをやめ、水草のベッドや岩の上で、静かに眠りについていました。
青い魚も、灰色の魚も、虹色の魚も。
みんな、今日という一日を懸命に泳ぎ切ったのです。
『……お疲れさま』
マスターは心の中でそう呟くと、カウンターの奥にある、お気に入りのクッションに向かいました。
ふかふかのビロードのクッション。一度沈み込んだら、もう起き上がりたくなくなるような極上の寝床です。
マスターはその上でくるりと丸まり、自分の尻尾を枕にしました。
コポポ、コポポ……。
水槽の水の音が、一定のリズムで響いています。
それは、まるで世界そのものの寝息のようです。
琥珀色の瞳が、ゆっくりと閉じられていきます。
意識が、温かいミルクの中に溶けていくように、トロトロと微睡みの底へ沈んでいきます。
今日はおしまい。
また明日、誰かが扉を開けるその時まで。
水槽の青い光が、眠る猫の背中を優しく照らしていました。
……さあ、あなたも。
もう、頑張らなくていい時間です。
目を閉じて、この静かな水音に身を委ねてください。
おやすみなさい。
素敵な夢を。




