この世界は捨てたもんじゃない
殺す、お前をトラックで轢いて殺す。
(黙れ)
お前の親も殺す、絶対に殺す。
(やめろ)
────殺されるくらいなら、いっそ……!
◇
気付けばボクは白い天井を見ていた。動けない。身体に力が入らない。何とか首を動かして腕を見る。注射器のようなものが刺さっている。もともと青白い肌だから青い部分が目立つ。
(ゾンビみたいだな)
そうか、わかったぞ。
もう『煩い奴の声』は聴こえないけど、ボクをこの白い独房の中で処刑するつもりだな。或いは有りもしない罪状をでっち上げて逮捕するつもりなんだ。
「……終わった」
どうして、こうなっちゃったんだろう。
ボクはネットで書いてある記事を真実だと思い正義感を出した。その事はもしかしたら良くなかったかもしれない。大勢の人に無視された。とてもショックだった。
この国を守らなきゃって思っただけなんだ。それが悪い奴らに目をつけられるとは。
「……終わった」
ボクは口封じのために殺されるんだろうな。考えていると、白い服を着た女の人が大きな金属のカートを押して独房に入ってきた。
「矢野原巽さんですね?」
「……」
ボクは返事をしなかった。得体のしれない人に返す言葉なんてない。
「ここがどこだか、分かりますか?」
「……」
「お名前に間違いはないですか?」
「……」
白い服の女性の表情を見た。この人は味方か敵か。輩の差し金ではないか。ボクはカートの上を見た。
(水と薬……?)
なるほど、毒殺か!
ボクは点滴の管を抜こうと抵抗したが、白い服の女性が止めてボクの名前を呼ぶ。暗殺者なのか慣れた手つきだ。
「矢野原巽さん、あなたは矢野原巽さんですね」
「そうだよ、だったらなんだ!?」
「確認しましたよ。お薬の時間です」
……、
抵抗して殺されるよりも、毒殺のほうが楽かもしれない。トラックで轢かれるか。毒殺か。それにボクが死んだら親も解放されるかもしれない。
「……いいよ。飲む。最後に良いかい」
「何でしょう」
白い服の女性が薬を袋から取り出してボクの手に乗せる。それを一気に水で流し込んで、
「こんな世界、クソですね」
皮肉を込めて言った。女性は無言のままカートを押して独房を去っていく。
◇
精神病棟だということを理解したのは、ボクが何度か死を決意してそれでも生きていることを不思議に感じたときからだ。毎日母親が会いに来るのもよく分からなかった。
親はボクを見捨てたのではないのか。
ボクの中で情報がまとめられない。しかし、誰もボクのことについて触れてこない。
(誰かに追われていて、殺されそうになったところをこの施設が助けてくれた?)
朝のパンが温かい。
スパゲッティは吸えなくなった。ミキサーで不味くなったのを食べたくなくて、栄養ドリンクみたいなのを飲まされた。鉄臭かった。
そんな日々を過ごす。
これからボクはどうなってしまうんだ。ずっとこのままなのか?
◇
退院の日は来た。3カ月、施設に居たらしい。太陽の光を浴びた時は、よく分からない涙が出た。
車の音が怖い。
満員電車の中で刺されるんじゃないか。
そんな事を考えるボクは、家の周辺の静かな景色が好きだ。この範囲の早朝だけは一人で歩ける。
チャリンコの止まる音がした。
「あ。おーい、巽!」
「……?」
◇
「俺だよ、隼人。世代隼人! 忘れたのか?」
「……あぁ、隼人くんか。中学の同級生の」
隼人は、あの組織に染まった奴なのか。それとも関わったらコイツも巻き込まれるのか。
(ボクはどうすれば良い)
隼人はボクを見て「太ったなぁ」と笑う。無邪気な顔だった。たぶん隼人は、ボクの事情を知らない。関わったらいけない。そう思った。
「あ、巽。どこ行くんだよ!」
「隼人くんには関係ないよ」
家に向かうボクに隼人は付いてきた。わざわざ遠回りしたのに。悪い奴らに狙われるかもしれない。でもその事を言うと、隼人は仲間を引き連れて組織と戦うかもしれない。
(隼人くんには友達がたくさんいたからね)
ボクが角を曲がろうとしたら、隼人はボクの腕を引っ張った。よろめいたボクを隼人が支える。
「お前、なんかおかしい。大学行ってからよそよそしくなってさ。なんか変なこと言ってたと思ったら急に居なくなって。何があったんだよ」
「隼人くん……」
ボクは迷った。
隼人を巻き込みたくない。でも、一人で抱える悩みにしては大きすぎる。すべて吐き出したかった。
ボクは……、
「あのね。隼人くん。実は──」
病気のことを話した。
◇
「……そっか」
隼人は横槍も茶々も入れず全て聞いてくれていた。正直訳がわからないことを言っていると思う。ボク自身うまく情報整理ができていないのだから。
でも、
「話してくれてありがとう。俺は巽の味方だそ」
このひとことで凄く安心できた。溢れた気持ちは全部涙になってアスファルトに落ちる。
「巽。イトナミヤ行こうぜ。2階のラーメン好きだったろ」
「……うん」
隼人と一緒なら、車の音や電車の中も怖くなくなった。イトナミヤのラーメンも美味しかった。
◇
「お前さ」
「……?」
隼人が夕日を見つめながら言った。
「憶えてるか。初めて俺と出会った時のこと」
「……」
ボクが苦し紛れに笑うと、「憶えてないのかよ!」とツッコミを入れられた。隼人はため息を付いてからボクに話してくれた。
◇
「お前、昔から正義感があってさ。余計なこと言ってイジメられそうになってた俺を仲間に入れてくれたんだぞ」
「……そんなことあったっけ?」
「お前な〜」
隼人がジトッとこちらを見る。夕日の位置が変わったなぁと思いながら、隼人の影を見た。影の口元が静かに動く。
「俺は憶えてるからな。お前がお人好しで、後先考えず何かを助けてしまう性格だってこと」
「……今は精神障碍者だけど」
「うるせーな、俺がお前に助けられた事実は変わらねぇし。素直に受け取れよ」
「……」
隼人は、ゆっくり振り返ってボクの肩を掴むとこう言った。
「昔の……イトナミヤのラーメン食ってヘラヘラ笑ってたお前を憶えてるからな。だからお前も、思い出せよ。俺だけの記憶にすんなよな」
「隼人くん……」
正直、どんな顔をしていたか思い出せない。でも、こういう事を言ってくれる友達がボクに居てくれた。
「ボク、もう少しこの世界に居ても良いかな」
心あるがままに、口を開いた。
「当たり前の事を訊くなよ」
ボクの口角が痙攣する。しばらく使っていなかった筋肉を刺激したからだろう。目頭が熱くなって、鼻の先がツーンとした。
(あぁ、ボクはなんて勘違いをしていたんだ)
「まだこの世界は捨てたもんじゃないね」
隼人はボクの肩を小突いて、夕日を眺めながら、
「あぁ、お前も居るからな」
そう言ってくれた。
◇
作業所に通い、社会復帰を考えられるようになった。迷い悩んだ時はイトナミヤのラーメンを食べることにしている。隼人は最近家庭を持ったらしい。それでも、時々携帯でやり取りしている。
少しずつ。
あの頃の笑顔を思い出しつつある。
「ありがとう。隼人くん」
おしまい
最後まで読んでくれてありがとうございます。




