六十六話 いろいろ思うよ
「ふぅ~、怪我はかすり傷程度だけど精神的に疲れたな」
あの後マキアに血まみれのローブを取り上げられ、あれよあれよという間に本部の大浴場へ連れてこられた。そんなものがあると知っていたら帰ってきて直ぐに入りたかったのだが、大量の水と高価な魔道具を使うらしく週に一度しか入れないそうだ。
そんなことを聞かされては、俺一人の為に準備されたこの状況に悪い気がしてくる。
なにせ学校のプールの半分ほどの広さの大浴場で、タイル張りの床や体を擦る垢すりでさえその作りから高価だとわかるのだからよりいっそう罪悪感に苛まれるというものだ。
『その割には随分くつろいでいるよう僕は見えるのだけど……』
「風呂は日本人の癒しの場なんだよフィラン♪」
風呂場でも勿論フィランと一緒だ。さすがに風呂の湯に直接つけることは躊躇われたので壁に立てかけている。
『随分くつろいでいる所に水を差すようですが、何か重要なことを忘れていませんか?』
「……ああっ!? そういえばユーリィにただいまのキスをしてないっ!!」
『そんなこと今まで一度もなかったでしょう? そして今それをやると確実に殺されますよ』
「ハハッ、ジョークだよ……」
そんなことは自分自身がよく知っている。食事中もあの冷たい視線をまともに受けるだけで心が悲鳴をあげるのだ。
べ、別に落ち込んでなんかいないんだからねっ!
『私がいいたいのはマスターの師匠、カナゼ様への挨拶です』
「それは明日でもいいよ。だって疲れたし」
『言い切った!? 言い切ったよこの人!』
『忌々しいですがクソ槍と同じことを考えていました。さすがに師へのその態度はどうかと思われますよ』
一応師匠には感謝してるんだよ、本当に。
だが普段の言動やら何やらを総合的に判断すると、尊敬に値しない人間なのは明白。
槍の腕だけは尊敬していいがそれ以外となると……本当、何故あんな人がメイハ教の司教をやっているんだろう。よっぽどメイハ教は人材が足りてないと見た!
それに一応建前として殺し合いをした後の、血の匂いが染み付いた状態で師匠に会いに行くのは大変失礼なことだ。そして現在疲れ切った体では教会に着くと同時に倒れてしまうかもしれず、迷惑をかけるわけにはいかない。
こうして理論武装……もとい合理的判断から日が暮れかけた今、師匠に会いに行くのは正しくないという結果が導きだされたところでしばし風呂を楽しむことにするとしよう。
しばらく風呂の中を泳ぎまわったりと幼稚な行動を楽しんでいると、脱衣所の方で誰かが服を脱ぎ始める音がする。今はマキアが俺専用の時間として大浴場を開けてくれているので、人はここに来ないはずなんだが……
曇りガラスの向こうで人影が一つにまとめた長い髪を色っぽく解いて、その細長く綺麗な足で大浴場へ近づいてくる。
あの長い髪はまさかユーリィか?
……べ、別に、にょ、女体に興味などないが変態扱いされてはたまらんので湯船の中に隠れるとしよう。
『そういうのを変態っていうんだよ』
『マスター。不潔です』
外野の声を無視して湯船の中に沈む。湯は乳白色なので沈めば外からは見えないはずだ。
そうしてしばらく湯船の中で我慢していたが、ついに息が持たなくなり湯船から勢いよく飛び出した俺を迎えた光景とは…………クロトのあられもない姿だった。
「うわっ!? ビックリさせるなイツキ!」
「……わかってはいたよ。わかってはいたけど少しぐらい夢見てもいいじゃないの!!」
「いきなり何を言ってるんだ?」
そう言って再び体を洗い始めたクロト。体を洗う動作ですら一つ一つが洗練されていて、正に肉体美という体つきのクロトを見ているとなんだか胸の中で一つの感情がこみ上げる。
ああ、これが嫉妬ってやつか……
「ちょっ!? 何でいきなり俺の腰を後ろから掴むんだ? 俺にはそんな趣味は全く無いぞ!」
「俺にも無いわボケぇー!!!」
クロトの腰を両側から持ち上げ、そのまま湯船の中にバックドロップの要領で投げ入れる。
クロトが状況を掴めずに水中で暴れていたがこれはイケメンへの正当な制裁だ。諦めて消えて欲しい
だがさすがにギルドランクA、直ぐに体勢を取り戻し荒い息で抗議を上げる
「ぶはっ、こう…いうのはナーガの仕事じゃないか?」
「若い内にたくさんの経験をすることはいいことだよ」
「ほう、ならばイツキもその経験を積んだほうがいいな。俺よりも若いから二、三回はやっておくべきだろう」
は? 何を言っているので?
そして何故俺の腰を掴むんだ? や、止めなさい!
「喰らえ~!!」
浴場の天井が凄まじいスピードで前に流れていき、目の前が泡で真っ白になった。すぐさま水の上へ顔を出したが、鼻に水が詰まったようでひどくむせる。自慢じゃないが俺は全くの金槌なのでこういう攻撃にはかなり弱いのだ。
目の前でケラケラ笑うクロトになんとか仕返しをしてやりたいと考えていたところ、再び大浴場への扉が開かれ、こんな時でも目に包帯を巻いたナーガが入ってきた。
「なんだか随分賑やかだな。ひょっとしてお邪魔だったか?」
「んな訳ないだろっ!」
「そうか、それならいいが。後から他の男連中も入ってくるから尊厳を失うようなことだけはするなよ」
なんだかナーガが酷く生意気だ。
ふと横を見るとクロトがいい悪戯でも思いついたかのように目配せする。男の俺はなんとも無いが女性はこいつのウインクなんて受けたら卒倒するんだろうな、とどうでもいいことを考えながらクロトの作戦を聞く。
そんな俺達の思惑を知らないナーガは垢すりでゴシゴシ汚れを落としている。
正にこれは最大のチャンスじゃないだろうか?
「なぁ、ナーガ頭を洗ってやるよ」
「……どうしたんだ急に?」
「ナーガ。イツキの気持ちを察してやれ。きっと今まで五年間迷惑をかけたナーガに恩を少しでも返したいのだろう」
ナーガはそれまでは半信半疑だったが、クロトのその説得に促され無抵抗になる。
「どうだナーガ? 痒いところはないか?」
「いや、ちょうどいいぞ」
ナーガの頭を石鹸のようなもので泡立てながら、俺はナーガの座っている湯椅子の足を蔓でしっかり固定してゆっくり頭上へと上げていく。目の見えないナーガは感覚が敏感なので繊細な動きが必要だ。途中何度か違和感を感じたようだが、それはクロトの適切な話題変更によってなんとか未だ気づかれないでいる。
そして湯船の上まで移動させたところで、
「よし、泡を流さないとな。少し一気にお湯をかけるけど驚かないでくれよ」
と、目の見えないナーガに気を利かしているような発言をする。
「ああ。……すまない。これでユレイア様の記憶が戻られたらまた昔のように楽しくやっていけるだろうにな」
大丈夫だよ。ユーリィのことは俺がなんとかするから……
だから今は…………楽しんでくれ!!
蔓を使ってナーガの乗っていた湯椅子をひっくり返した。するとナーガは頭を下にして湯船の中にダイブする。結構な高さから落としたせいか、湯船の底にぶつかってゴンッという鈍い音がしたがきっとナーガなら大丈夫だろう。
喜びをクロトとハイタッチすることによって分かち合っていると蘇ったナーガに俺だけ袋叩きにされた。企画担当はクロトだというのに結局本人にお咎めなしというのは納得できない。この世の不条理を嘆く思いだ
その後3人で湯船に浸かっているとナーガの言った通り、男が大浴場に集まりだした。
知っているのはランスと変わり者吸血鬼のルクイエ君、それともう一人俺の知らない大柄でスキンヘッドの男。筋肉美という点ではナーガといい勝負をしている。
眼光も鋭く、これでグラサンをかければマフィアの幹部にいてもおかしくない。
後それと背中に鱗のようなものが張り付いているので人間ではないだろう。竜人ってやつなのか?
ランスとルクイエ君は年が近いこともあり(実際は長命種であるルクイエ君のほうが大分年上だろうが、見た目は同い年なので気にしない)、仲良く話していたが、スキンヘッドの人はナーガとクロトに軽く頭を下げただけで全く話さないし、無表情だ。
なんとなく嫌われていそうな気配がしたが、ここでチャンスを逃すともうこれから話せそうにないので勇気をもって話しかけてみる。
「いい湯だとは思わないかい?」
「…………」
完全に無視だ。いや、まだ諦めるわけにはいかない!
「知っているとは思うけど俺は人間でイツキというんだ。よろしく」
「…………」
「君の名前は?」
「…………」
今度はその鋭い眼光でギロッと睨まれた。さすがにもう無理だと思い、俺は大浴場の外へ出た。怖くなんてなかったよ全然……だから俺の膝よ静まれっ!!
翌日本部から出て、流石に何も持たずに行くのは悪いかなと思い近くのお菓子屋で売っていた焼き饅頭のようなものを片手にメイハ教の教会へと足を進めた。
大教会には目立つ尖塔があるし、それでも分からないときはメイハ教の修道服を着た集団についていけばいいのでしごくあっさり教会へとたどり着くことが出来た。
全体的に荘厳なつくりをしているメイハ教の教会には日本人がよくイメージする天使像などは無く、幾何学模様が柱や天井に描かれていているだけのものだがそれがよりいっそう宗教色を高めている。
広い聖堂にはたくさんの修道士たちと信者が円形に集まり、その中心で五年前よりいっそう老けた師匠が柱などに描かれている幾何学模様と同じ模様が刺繍された修道服を着て、周囲の人へと語りかけている。
なんだか邪魔をしてはいけない雰囲気だったので、見つからないよう聖堂の柱の陰へと身を潜め、その集会が終わるまでまっていることにした。
ほどなく信者達が帰り、修道士が仕事で何処かへ行ってしまったが師匠だけはその場で未だ天に祈りを捧げている。これはちょうどいいと柱の陰から出ようとすると、
「そこの柱の陰に隠れている奴、先日私はここに大罪人がいないと確かに言ったはずだがどうやら記憶違いだったようかな? ついに教団直々に暗殺者を差し向けてくるとは、再び戦争がやりたいのかね? そう上司に伝えたまえ」
まるっきり話が読めないが、どうやら何か師匠が勘違いをしていることだけは分かる。
とりあえず誤解を解こうと柱の陰から出て師匠に自らの姿を見せると、師匠の顔が固まった。
さすがに五年ぶりの弟子の姿に驚いたのだろう。
「ははぁ、成るほど。終に馬鹿弟子の偽者を用意してこちらの発言を嘘にしようとする考えか。確かにいい案かもしれないが、馬鹿弟子は赤いローブをいつも着ているんだ。騙されはせんぞ!」
あれ? なぜかより勘違いが広がった気がする。確かに今は赤いローブは着てないが、それはジャッカルナイフの返り血によって汚れたから今は洗濯中なだけであって、俺はカナゼ師匠の本物の弟子だ。数年のうちに痴呆症が進行したのか?
「ちょっ!? 師匠何を勘違いして――つっ!」
師匠がどこから取り出したか、自前の黄金の槍で俺の体を圧し折ろうと横払う。
なんとかそれを身を屈めることによってかわしたが、背後の柱は真っ二つに砕けた。
事情は分からないが緊急事態らしい。【ミサゴ】を両手で真正面に構え、両肩の上に自動防御の【天沼矛】と自動攻撃の【地虚矛】をミサゴの能力で浮かして固定する。
これが長年の妄想で手に入れた最も理想のフォーメーションだ。
『それにしてもイツキのお師匠さんは凄いね。あの年で五年前より腕を上げているよ』
『師匠だからということでその理由が説明できるのが怖いとこだよな』
『マスター、私の力で植物を生やせばカナゼ様の誤解が解けると思うのですが…』
『いや、こんな敵意バンバンの師匠と闘えるチャンスなんて中々ないから少しだけ頑張るよ』
『マスターに危険が及ぶようなら植物を生やしますからね』
『それはこっちからもお願いするよ』
師匠の槍は速く、重く、そして鋭い。槍使いとしての理想形だと対峙してみて分かる。
確か師匠は俺の三槍流をあまりみたことが無いはずだから俺だと気づかないのだろう。だが見てないということは対処も出来ないということでもある。それに付け加え俺は四年もずっと脳内シュミレーションで師匠の槍を見てきた。ならば少しは通用するはずだ。
師匠の連突きは背中が地面に付くぐらい背を逸らしてその大部分を避け、当りそうなのは【天沼矛】の自動防御に任せ、ミサゴの四本の穂で師匠の槍を絡めとろうとしたが師匠はそれに気づき咄嗟に槍を引き抜く。
攻めに転じる時と見極めた俺は、【ミサゴ】と【地虚矛】で二槍流の構えに変え、振り下ろしの直ぐ後にもう一方の槍で突きが飛んでくるというトリッキーな技を使ったがあっさり受け流され、逆に反撃の隙を与えてしまった。
「お前は技に頼りすぎている。技とは出そうと思って出すものではない、その刹那の攻防において生まれるものなのだ」
もはやこれ俺だと気づいて闘ってるよな?
「だったら師匠みたいに槍の間合いを伸ばす方法を教えてくださいよ。間合いがたりないから技で補わなくちゃいけなくなるんです!」
俺の恨みの篭った突きと寸分違わず槍の穂先をぶつけてくる師匠。今は完全に俺と師匠の間で鋭い穂先同士がぶつかり合って制止した状態だ。
「自分の腕のなさを他に押し付けるなと言ってるんだバカ弟子めっ!!」
師匠がこれまでとは段違いの速さで三本の槍全てをいなし、俺の首元へ鋭い穂先を突きつける。……やはり敵わないなこの人には