5. 自由と権力と引き換えに
ヨーランとの面会を終えた皇后デシレアは、息子の愚かさを思い知って深い溜め息をついた。
急に会いたいと言い出すから、戦勝報告で言っていた財宝でも贈ってくれるのかと思えば、用件は例の王女のことだった。
「……捕虜の女になんか入れ込んで、やっぱり不出来な子だわ」
ヨーランは幼い頃から全てにおいて兄に劣り、期待外れの息子だった。だから愛情が湧かないのも仕方のないこと。
ヨーランのことは正直どうでもいいから、さっきの頼み事も許すことにした。それに、自分の目的のためにも良い方法だと思った。
「愚かな息子にも使い道があってよかったわ」
自分にとって大事な家族は皇太子であるアンドレアスだけだ。あの子さえいてくれれば、それでいい。
だから、アンドレアスのために、一刻も早く神宝花を見つけなければ。
「……王女を懐柔すれば、手掛かりについて何か聞き出せるかもしれないわね」
皇后がヨーランと同じ金色の瞳を細めて微笑んだ。
◇◇◇
「えっ……それは一体どういうことですか……?」
翌日、礼法書を携えてやって来たヨーランが話し始めた内容に、ルツィエは驚きを禁じ得なかった。
「私と殿下が結婚……?」
思いがけない急展開に頭が追いつかない。
せめて嫌悪感だけは見せないよう努めていると、ヨーランが自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ああ、母上も了承している」
「皇后陛下が……? 皇帝陛下も許可されているのですか?」
「皇帝陛下は……お前には教えてやるが、父上は今ご病気で昏睡状態でな。全権を握っているのは母上だから、母上の許可さえあれば問題ない」
「そうですか……」
ヨーランが距離を詰め、ルツィエはもう自分のものとでも言うように薄桃色の髪を掬い上げて口づけた。
「僕と結婚すれば、この牢からも出られる。帝国の皇子の妃として相応しい待遇にしてやろう」
ヨーランに肩を抱かれ、ルツィエは背中に冷や汗が流れるのを感じた。
(私が結婚? 家族の仇のこの男と?)
祖国を滅ぼし大切な家族を殺した、絶対に許すことのできない男。そんな男と結婚し、初夜を迎えなければならないなんて、悍ましいとしか言いようがない。
(でも、彼の妃になれば自由と権力が手に入る……)
それは復讐を果たすためにルツィエが望んでいたものだ。こんな機会は二度と訪れないかもしれない。
ルツィエは肩を抱くヨーランの手に、自身の手をそっと重ねた。
「……ありがとうございます。嬉しいです」
「そうか、お前なら喜ぶと思った」
「はい。ですが、ひとつだけ心配事がございます」
「心配事?」
怪訝そうに尋ねるヨーランにルツィエが上目遣いで訴えかける。
「私は家族を失ったばかりです。フローレンシアでは身内を亡くした者は一年間の喪に服すことになっています。フローレンシアの王族として、その決まりを破ることはできません」
「だがここはフローレンシアではない。ノルデンフェルト帝国には喪に服す風習はない」
「はい、それは存じています。ですから、その一年間を婚約期間とするのはいかがでしょうか。そうしていただければ、私は殿下との将来を約束しながら喪に服すことができます。家族を亡くした私を哀れと思ってくださるなら、どうかお願いいたします」
神宝花を隠すために泣くことはできないが、その代わりにヨーランの胸元に顔を埋めて涙を拭うふりをする。彼にルツィエの家族を殺した自覚があるなら、この訴えを拒否することはできないはずだ。
「帝国の人々も、きっと殿下のお心の深さを讃えることでしょう」
最後に駄目押しで彼の自尊心を刺激すると、ヨーランは案の定、ルツィエの提案を飲んでくれた。
「……婚約でも僕のものであるのに違いはない。明日婚約式をするから待っていろ」
「かしこまりました。お待ちしております」
ルツィエはヨーランに頭を撫でられるのを無心でやり過ごしながら、結婚だけは回避できたことに心から安堵した。
◇◇◇
それからヨーランとの婚約式を終えたルツィエは、貴族牢から別の場所に移ることになった。まだ妃ではないため皇宮には入らせてもらえず、少し距離のある離宮を居所として与えられることになった。
(ひとまず一歩前進ね)
皇宮の内情を探りにくくはあるが、皇后やヨーランと多少離れているほうが四六時中気を張る必要がなくていいかもしれない。
(とはいえ、お目付け役はいるみたいだけれど……)
ヨーランはルツィエに新しく二人の侍女をつけた。
片方が何かするたびに、もう片方がじっと様子を観察しているので、おそらく互いに互いを監視するよう命じられているのだろう。
「ルツィエ様、このあと皇后陛下との晩餐の予定がございますので、お召し替えをいたします」
「分かりました。よろしくお願いします」
この侍女たちにも復讐心を悟られないよう気をつけなくてはならない。フローレンシアで侍女に支度をしてもらったときのことを思い出し、柔らかな笑顔を浮かべる。
案外手際のいい侍女たちによって身支度が終わると、フローレンシア風の装いとは違い、帝国風にドレスアップされた姿が鏡に映された。
肩や背中などが大きく露出されており、化粧も今までのような淡い雰囲気ではなく、よりはっきりとした印象だ。
あまりの変わりように驚いていると、いつのまにか迎えに来ていたヨーランがルツィエの肩に触れて満足げな笑みを浮かべた。
「今夜のお前は妖艶だな。帝国一の美しさだ」
「お褒めいただいてありがとうございます。……私にもこのような一面があったのですね」
「お前は何を着ても似合うだろう。これから色々贈ってやる」
ヨーランがルツィエの手を取り、当然のように口づけを落とす。
「ほら、行くぞ。母上が待っている」
「はい、参りましょう」
ルツィエは偽りの笑顔を保ったまま、ヨーランとともに皇宮へと向かった。