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30. 凱旋(エピローグ)

 テオドルの即位式は、ノルデンフェルト帝国皇帝のものとしては非常に質素なものだった。

 前皇后が亡くなってすぐということもあるが、やはり複雑な事情が絡んでの即位であったため、盛大な式は憚られたのだった。


 そして、その「複雑な事情」が全て明らかにされたことで、帝国の首都は騒然となった。


 皇太子アンドレアスは1年以上前に亡くなっていたこと。

 側妃の離宮を猟犬が襲ったのは事故ではなく、皇后の差し金だったこと。

 皇后は禁術によってテオドルの身体をアンドレアスに乗っ取らせようとしていたこと。

 そのためにフローレンシア聖花国に戦争を仕掛けたこと。

 ノルデンフェルト前皇帝が罹った謎の病も皇后の呪術によるものであったこと。


 このうちひとつだけでも大事であるのに、これだけの陰謀が重なって騒ぎにならないわけがなかった。


 そのせいでテオドルの即位も国民の反感を買うのではないかと思われたが、彼の不幸な生い立ちが知られたことで同情のほうが大きくなり、むしろ歓迎される流れとなった。



◇◇◇



 即位後、テオドルは連日さまざまな対応に追われることになった皇宮の使用人たちを慰労するために、ささやかなパーティーを開催した。


 皇族からそんな風に労われることが初めてだった使用人たちは皆感激し、乾杯をしながら新皇帝への忠誠を誓い合った。


 このパーティーに特別に招待されていたルツィエは、使用人たちとひと通り会話を交わしたあと、バルコニーに出て夜風に当たっていた。


(これで全て終わったわ……)


 諸悪の根源だった皇后、そして彼女の暴走の原因だったアンドレアスはこの世を去った。


(──そしてヨーランも亡くなった)


 ヨーランはテオドルの即位式のあと、デシレアの棺の横で息絶えているのが発見された。


 デシレアの身体に残っていた星鈴蘭の毒を吸い込んでしまったのかもしれないし、精神的なショックのせいで心臓発作を起こしたのかもしれない。あるいは、自ら命を絶った可能性もある。


 詳しい原因は明らかにならなかったが、ルツィエにとってはどうでもいいことだった。


 これでルツィエの復讐は終わったのだから。


(次はフローレンシアを復興させなければ)


 満月からずいぶん欠けた月を見上げて誓っていると、カツンと誰かの足音が聞こえて、ルツィエはハッとして振り返った。


「……テオドル陛下」


 慌ててお辞儀をしたルツィエに、テオドルが苦笑を浮かべながら近寄る。


「その呼び方はよそよそしくて寂しいな」

「では……テオドル様?」

「様も要らないよ、ルツィエ」

「……いいのですか? テオドル、なんてお呼びしても」

「もちろんだ。こうして二人きりのときは、そう呼んでほしい」


 テオドルに愛おしげに微笑まれ、ルツィエが赤面しながら「はい」と小声で答える。


 そんなルツィエの様子を嬉しそうに眺めたあと、テオドルは少し真面目な顔つきになってルツィエの手を握った。


「ルツィエにはいつも助けられてばかりだったが、皇帝に即位した今、ようやくそなたの力になれる。──ルツィエ、フローレンシアの女王にならないか?」

「えっ……フローレンシアの女王……?」

「ああ、デシレアが起こした戦争によってフローレンシアは帝国に併合されたが、俺はこの併合を撤回するつもりだ」

「……!」


 ルツィエもフローレンシアの復興について考えていた。

 でもそれは重税の廃止や、平等な治世をテオドルにお願いするつもりだった。彼ならきっとこの願いを聞き届けてくれるだろうと思ったから。


 ところがまさかテオドルが併合の撤回を考えてくれていたなんて思いもしなかった。


「もちろん、戦争と悪政で疲弊したフローレンシアが復興できるよう、ノルデンフェルトも支援する。どうだろうか?」

「本当に、いいのですか……? 併合の撤回だけでなく、復興支援まで約束してくださるなんて……」

「フローレンシアにしたことを考えれば当然のことだ」

「ありがとうございます……」

「泣かなくていい、笑ってくれ。ここで神宝花(ディラ・フロール)が顕現したら大変だろう?」

「……そうですね。本当にありがとうございます」


 ルツィエがにっこり微笑むと、テオドルも目を細めて微笑み返した。



◇◇◇



 フローレンシアへの旅立ちの日。

 ルツィエは出発前に離宮の庭を歩きながら、ここで暮らした日々のことを思い出していた。


 辛く苦しいことばかりだったが、夜の庭でテオドルと過ごした時間はかけがえのない思い出だ。


(また祖国に戻れるのは嬉しいけれど、テオドルと離れるのは寂しいわ……)


 ルツィエの胸がちくりと痛む。

 でも、こんなことを思っているのはルツィエだけかもしれない。なぜなら、フローレンシアの女王になることを提案してくれたのはテオドルだからだ。


 普通に考えて、一国の皇帝と女王が結ばれるのは難しい。

 どちらも国を守り、継承していかないといけないのだから。

 それぞれ別の相手を伴侶に持ち、子を成さなくてはならない。それが現実だ。


(……テオドルとのことは一時(いっとき)の想い出として胸にしまっておこう。たまに思い返して懐かしむ、過去の美しい想い出として──)


 そう決めて、そろそろ出発しようと踵を返すと、振り向いた先にはテオドルがいた。


「テオドル……?」

「ルツィエ、まさか手紙だけ残して旅立とうとしていたんじゃないよな?」

「それは……」


 図星を指されてルツィエが言い淀む。

 テオドルへの未練を残さないよう、別れの挨拶は手紙に書いて、ルツィエが出発したら彼に届けてもらうつもりだった。


「まさかと思って来てみてよかった」

「……わざわざ直接お別れを言いに来てくださったのですか?」

「そのとおりだが、それだけじゃない」

「どういうことですか?」


 言われている意味が分からずにルツィエが首を傾げる。

 すると突然テオドルがその場にひざまずいた。


「テオドル……!? 一体何を──」

「ルツィエ、どうか俺と結婚してくれないか?」

「……え?」


 ルツィエが大きな水色の瞳をぱちぱちと瞬く。

 衝撃が大きすぎて声も出せず、頭の中に疑問符ばかりが浮かぶ。


(今、テオドルからプロポーズされたの……? 一体なぜ……?)

 

 魔法にかけられたように固まったままのルツィエに、テオドルが不安そうに問いかけた。


「もしや、嬉しくなかっただろうか……?」


 テオドルの声の悲しそうな響きを聞いて、ルツィエはようやく我に返り、慌てて首を横に振った。


「そんなことありません! ただ、皇帝と女王の結婚なんて無理だと思っていたので……」


 ルツィエの反応を見て、テオドルが安心したように頬を緩めた。


「俺も悩んだが、どうしても諦められなかったんだ。ルツィエに祖国を取り戻してやりたかった。でも、ルツィエを手放すのは考えられなかった。今まで我慢することには慣れていたのに、これだけは無理だった」

「テオドル……」

「どうすれば上手くいくか、これから二人で考えていきたいと思っている。こんな俺でよければ、ルツィエの夫にしてくれないか?」

「……はい、もちろんです」


 ルツィエがテオドルの手を取ると、テオドルはルツィエは引き寄せて大切そうに抱きしめた。


「ルツィエ、俺を救ってくれてありがとう。生きることがこれほど幸せで希望に満ちているなんて、そなたに会うまで知らなかった」

「私も、戦争で全てを失ったあと、また心から笑える日が来るなんて思いもしませんでした。あなたが私に笑顔を取り戻してくれました」

「ルツィエに出会えてよかった。何よりも誰よりも愛している」

「私も愛しています、テオドル」


 二人の距離がさらに近くなり、ふたつの唇が重なり合う。

 あの満月の夜以来の口づけは、もっと深くて甘かった。



◇◇◇



 フローレンシアへと向かう馬車の中、ルツィエは希望に満ちた瞳で窓の景色を眺めていた。


 王宮に帰って、神宝花(ディラ・フロール)を元の場所に戻したら、家族を想って少しだけ泣こう。

 でも、そのあとはまた顔を上げて、笑顔を浮かべよう。


 国の復興にテオドルとの結婚など、考えること、やることがたくさんあるのだから。


 悲しみの中でも、幸せはやって来てくれる。


(あのとき、お母様が「泣かないで、笑っていなさい」と言っていたのは、訪れた幸せにちゃんと気づけるようにさせるためだったのかもしれない)


 泣いてばかりいては、何も目に入らず、何も聞こえなくなってしまうから。


「さあ、これから忙しくなるわね」


 ルツィエが笑顔で呟くと、雲から顔を出した太陽がきらりと眩しく輝いた。




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