3. 皇后と皇太子
ヨーランが戦争での勝利を携えてノルデンフェルト帝国に帰還したあと、ルツィエは戦利品として皇宮に連れて来られた。
謁見の間の奥に座す皇后の前で、ヨーランが意気揚々と戦勝の報告をする。
「我が国の圧倒的な勝利でした。財宝も押収してあります。後ほど母上にもお目にかけ──」
「そんなものはどうでもいいわ」
皇后は勝利をもたらした我が子に労りの言葉ひとつかけることなく、ヨーランに厳しい眼差しを向けた。
「私は神宝花を持ち帰るよう命じたはずよ。早く出しなさい」
皇后に催促されると、ヨーランが気まずそうに視線を落として頭を下げた。
「……申し訳ございません。彼の国の者たちはみな口が堅く、神宝花の在処を吐かなかったのです。ですが騎士たちに捜索させていますので、今しばらくお待ちいただければと……」
「まったく……お前は本当に使えないわね。指揮を任せた私が馬鹿だったわ」
皇后に深い溜め息を吐かれ、ヨーランが頭を下げたまま固まる。皇后はそんな息子から少しだけ視線をずらすと、今度は隣に控えていたルツィエを睨みつけた。
「それで、その娘は誰なのかしら」
「あ……この女はフローレンシア聖花国の王女です。戦利品──捕虜として連れてまいりました」
「捕虜ですって? 拷問して神宝花の隠し場所を吐かせようということかしら」
「いえ……彼女は神宝花の在処を知らないようです」
「ではなぜ連れて来たの。王族を中途半端に生かしておけば禍根を残すことになるわ」
皇后に叱責され、ヨーランが薄い唇を引き結ぶ。
本当に、この残酷な第二皇子がなぜルツィエだけ生かして連れて来たのだろう。
ヨーランの横で沈黙を保ったまま、ルツィエは思った。もし、あのとき母もろとも剣で貫いてくれれば、一滴の涙もこぼさず生き絶え、神宝花を守り抜いたのに。こんな復讐心を抱えることなく、気高く生涯を終えたのに。
母の最期を思い出して、また胸の痛みを覚えていると、ヨーランがようやく皇后に言葉を返した。
「……王女を捕虜にしたほうが民衆も素直に言うことを聞くと思ったのです。今後の統治もしやすくなるかと」
「まあ、それは一理あるかもしれないわね」
皇后が理解を示したことに安堵したのか、さっきまで青褪めていたヨーランの顔色に血の気が戻った。
その様子の変化に、ルツィエは何とも言えない気持ちになる。
(第二皇子は皇后の言いなりなのね)
祖国ではあれだけ傍若無人に振る舞っていた男が、皇后の前ではまるで飼い主を恐れる気弱な犬だ。褒めてもらえると思った戦勝報告で逆に怒りを買い、動揺しているように見える。
(こんな男に家族や臣下が惨たらしく殺されたなんて……)
悔しくて仕方ないが、この場に同席できたことで得られた情報もある。
(戦争を仕掛けたのは皇后だったのね……)
そして、神宝花を欲しがっているのも皇后のようだ。
さらに戦勝報告の場だというのに、この場に皇帝の姿はない。上座にいるのは皇后と第一皇子である皇太子のみだ。
皇后はヨーランと同じ金色の瞳だが、こちらのほうがより鋭く冷たい色に見える。艶やかな黒髪と相まって、まるで金色の棘を持つ黒薔薇のようだった。
(それから皇太子のほうは……空っぽの宝珠のようだわ)
金色の髪に赤い瞳を持つ皇太子の外見は、華やかで誰もが目を奪われる美しさだ。しかし、その顔は作り物のように無表情で、ルツィエに向ける眼差しにも光がない。
(とても残虐な性格だと聞いていたけれど、残虐というよりも全てに無関心なように見える……)
皇太子はルツィエのことにも興味を引かれなかったのか、やがてふいと視線を外してしまった。
「──では、その捕虜の王女の処遇だけれど、ひとまず別棟の貴族牢に入れることにしましょう」
皇后の声で、ルツィエが我に返る。
貴族牢ということは、おそらく一面鉄格子のような牢獄ではなく、ある程度の設備のある独房なのだろう。少しだけほっとする。
「さあ、さっさと王女を連れていきなさい」
皇后に追い払われるように手を払われ、ヨーランが何か言いたげに口を開く。
しかし結局何も意見することなく、ルツィエの手を乱暴に掴んだ。
「……行くぞ」
ルツィエはヨーランに腕を引かれるまま、無言で謁見の間を後にした。
◇◇◇
それからルツィエは、皇宮別棟の貴族牢に入れられた。思ったとおり、ちょっとした小部屋のような独房だ。脱走防止のためか高い階にあり、窓には鉄格子がはめられている。
(窓があるのは助かるわね)
朝夕の時間が分かりやすいし、外の景色を眺められれば気が滅入らずに済む。
今だって、夜空を眺めて流れ星に願いを込めていたところだ。
(一刻も早く復讐を果たし、祖国を取り戻すことができますように……)
昔の自分であれば、もっとささやかで愛らしい願い事をしただろう。そう思うと苦しい気持ちになるが、この復讐心のおかげで正気を保って生きていられるとも言える。
(そうよ、願いを叶えるために生き続けなくては)
そう決意して星空から視線を落とすと、離れた場所で何かがきらりと輝いた。なんとなく気になって目を凝らして見る。するとそこには、見覚えのある人物の姿があった。
「あれは、皇太子……?」
おそらく、彼の金髪が月に照らされて輝いて見えたのだろう。皇太子は、塔の上からルツィエに見られていることも知らずに、足早にどこかへと向かっていく。
(皇太子が夜中に護衛もつけずに一人歩き……? 一体どうしたのかしら)
彼の目的を知りたくて目で追っていると、やがて皇太子は大きな木の前で足を止めた。
そして、突然その木に頭を打ちつけ始めた。