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25. 崩壊

 皇子宮に到着し、ヨーランへの面会を求めると、彼はすぐにルツィエを部屋に通してくれた。


「ルツィエから会いに来るのは初めてだな」


 ヨーランはいつものように尊大に振る舞っていたが、その瞳には喜びと安堵の感情がにじみ出ていた。

 おそらくルツィエとの婚約解消を恐れていたのだろう。


 今までヨーランのことをプライドが高く自信家だと思っていたが、落馬事故の一件で彼の本性がすっかり分かってしまった。


 きっと彼はデシレア皇后が言っていたとおり、劣等感の塊で、それを周囲に悟られないよう虚勢を張っていたのだろう。

 彼が恐れる残虐な人格の「皇太子アンドレアス」を手本にして。


 そう考えると、ヨーランが前よりもずっと取るに足りない哀れな男に思えた。


「ヨーラン殿下、あなたに聞きたいことがあって来ました。皇太子殿下のことです」

「は……? なぜ兄上のことを……? お前も、僕ではなく兄上を選ぶのか……?」


 ヨーランの声に震えが混じる。

 ルツィエは小さく嘆息して首を横に振った。


あの人(・・・)を選ぶなんてあり得ません」

「そうか、そうだよな……」


 ルツィエの口から皇太子は選ばないと聞けたことがよほど嬉しかったのか、強張っていたヨーランの顔が少し緩んだ。


「そういうことなら許してやろう。兄上について何を聞きたいんだ?」

「お伺いしたいのは落馬事故のあとのことです。落馬したあと、アンドレアス殿下は急に態度が変わられましたよね。そしてあなたは今までとは違い、極端にアンドレアス殿下を恐れるようになった」

「そ、そんなことは……」

「あのとき、アンドレアス殿下は別人格に入れ替わったのではないですか? あなたはそのことに気づいたのではありませんか?」


 ルツィエが問い詰めると、ヨーランは血の気の引いた顔で視線をさまよわせた。


「い、言えない。僕の口からは……」


 酷く怯えた様子で、これに答えれば破滅するとでも思っているようだ。こうなれば、逆に答えたほうが身のためだと仕向けなければならないだろう。


 ルツィエはヨーランの手を握り、気遣うような眼差しでヨーランを見つめた。


「ヨーラン殿下、私は心配なのです。実は先ほど皇后陛下とアンドレアス殿下の晩餐に呼ばれて出席しました。お二人はヨーラン殿下がアンドレアス殿下を暗殺しようとしたことに酷くご立腹の様子でした。おそらくアンドレアス殿下は報復としてあなたを殺すつもりです。一度裏切りを見せた者を見逃す人には見えませんし、皇后陛下もきっとそれを許すでしょう」

「……あ……ああ……」


 ヨーランがさっきとは別の怯え方を見せ始めた。

 これ以上ないほど顔色を失い、ルツィエが握った手もぶるぶると震えている。アンドレアスと皇后ならやりかねないと、命の危機を感じているのだろう。


「あなたが知っているアンドレアス殿下の秘密を教えてください。そうしたら、あなたを助けてあげられるかもしれません。アンドレアス殿下も皇后陛下も神宝花(ディラ・フロール)を手に入れるために、私の願いを聞いて恩を売ろうとするはずですから」

「ルツィエ……」


 ヨーランは希望の星を見出したかのようにルツィエを見つめ、ようやく意を決してうなずいた。


「分かった、お前に兄上の秘密を明かそう」



◇◇◇



「──これで僕が知っていることは全て話した。このことは誰にも言うなよ……?」

「……ええ、もちろんです」


 ルツィエが呟くように返事する。

 ヨーランが語った話はルツィエにとって、あまりにも衝撃的で、まだ頭と心の整理がつかなかったのだ。


 そんなルツィエにヨーランが愛おしげな眼差しを向けた。


「それにしても、お前の僕への愛が本物だと分かって嬉しかった」

「あなたへの愛……?」

「ああ、こうして僕を助けようとしてくれているじゃないか。兄上に気に入られたのに、お前は僕を選んだ。僕を見捨てなかった。それは僕を心から愛しているからだろう……!?」


 真実の愛に酔いしれたヨーランがルツィエに抱きつく。

 しかしルツィエはヨーランの身体を押しのけると、氷よりも冷たい目をヨーランに向けた。


「誤解しないでください。あなたを愛したことなんて、ただの一度もありません」

「え……?」


 ルツィエが何を言っているのか分からないとでも言うように、ヨーランが口を開けて間の抜けた声を漏らす。


「な、何を言っているんだ、ルツィエ……。お前はこうして僕を助けるために来てくれたじゃないか。それに僕との婚約だって承諾してくれた……!」

「あなたに会いには来ましたが、あなたのために来たわけではありません。婚約を承諾したのも自分の立場を守るためです。私があなたを本心で受け入れるはずないでしょう? あなたは私の家族の仇なのに」


 ルツィエが正論を返しても、ヨーランはまだ信じられないようだった。「嘘だ、そんなはずない、違う……」と何度も繰り返し、幻の愛を取り戻そうと必死に縋った。


「だって、その家族を殺した僕にお前はいつだって微笑みかけてくれただろう!? 舞踏会でも僕をかけがえのない人だと言っていたじゃないか! それは僕を許して受け入れてくれたということじゃないのか……!?」


 信じがたい妄言を吐くヨーランに、ルツィエは呆れ果てた。

 彼は驚くほど自分に都合のいい白昼夢の中で生きていたようだ。


「あの日から泣かないために、生き抜くために、私は微笑むしかありませんでした。かけがえのない人というのは、あなた以上に憎い人はいないという意味です。目の前で愛する家族を殺して笑った男を許せる人間がどこにいるというのですか? あなたは私にとって、顔を見ることすら厭わしい醜悪な怪物です」


 ルツィエが鋭く言い放つと、ヨーランは呻き声をあげて膝から崩れ落ちた。


「あ……ああぁああ……」


 ルツィエは、床にぼたぼたと涙を落として項垂れたままのヨーランを冷え切った目で見下ろしたあと、静かに部屋を出ていった。


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