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15、弟思いの兄

 今後の予定についてせつ子と二人で話すから、と清那に追い出さた侃爾は奥座敷で火鉢にあたっていた。いつの間にか侃爾の存在に気付いたルカが紅茶を淹れてきて「あれ、侃爾様は紅茶飲めましたっけ?」を立ったまま首を捻る。

 

「最近飲めるようになった」

「そりゃあ大人になりましたね」

「三つしか違わないんだから子ども扱いするなよ」

「と言われても、子どもの頃から知ってますからねえ。あの柿の木に上って下りられなくなったときは腹がよじれるほど笑ったものですよ」

「お前は本当に物覚えだけはいいな」

「それくらいしか自慢できることないですけどね」

 あはは、と大きな口を開けて笑うルカを見ながら、侃爾は繊細な絵が描かれたティーカップを呷る。


「母さんは?」

「旦那様と一緒にお出掛けですよ」

「暇だなあの人たちも」

「仲が良くていいじゃないですか」

 ルカが陽だまりのような笑顔を浮かべる。

 そんな彼女の目をじっと見ながら、侃爾は声を顰めて問うた。


「……清那のこと、何か言っていないか?」

 突然問われたルカはうーんと人差し指を唇に当て、ほんのりと声を小さくして、

「『勉学が必要な子のお世話をしているなんて偉いわ』、と仰られていましたよ。旦那様も鼻高々といったご様子で」

 と思い出すように答えた。

「そうか。であれば、いい」

「侃爾さんがご心配なされるのも分かりますけどね。あまりにおかしいですよ。だってどの子もすぐにやめちゃうんだから」

「だから、それは相手のほうがおかしいんだ。本来、神経衰弱や知恵遅れの者がまともに学習出来るはずないんだよ。感情の制御を放棄している奴らなんだ。清那が真面目に教えてもじっとしていることさえままならないんだろうさ」

 そうですかねえ、とルカが唇を尖らせたのと同時に襖が開いた。


 せつ子が僅かに空いた隙間から頭を下げる。機嫌のよさそうな顔で帰ろうとする彼女に、ルカが洋菓子屋の紙袋を渡した。羽が生えたように軽い足取りのせつ子を家まで送り届けた侃爾は、そのままバスに乗って寮へ帰った。




「おかえり。また実家に行って来たのか」

 まだ夕方だというのに布団を敷いて本を読んでいた透一がからかうように笑う。

「『また』とは何だ」

 侃爾が嫌そうに眉根を寄せる。

「いや、家族思いなんだと思って」

「悪いか」

「いいや悪くない。しかしいつも不機嫌そうに帰ってくるからそれは気になる」

「別に何も無い」

「ならいいんだけど。しかし最近ずっと難しい顔してるぞ。後輩が怯えてる」

 そうだろうか。侃爾には身に覚えがない。


「まあ、たまには美味いもん食ったり酒飲んだり、気晴らしになることでもするんだな。お前は真面目過ぎるから」

 透一の淀みの無い声を聞いていたら眠気が襲ってきて、侃爾も布団を引っ張り出して横になった。背中から敷布団、そして畳に向かって疲労が滲み出ていく感じがする。すでに瞼が重い。

「なあ」

 侃爾の呼びかけに、ランプの明かりの下で本を捲る透一が指を止める。


「もし……自分の、弟、が…………」


 瞼だけで無く頬も唇も舌も重かった。

 うん、と透一が答える声を聞いて、そこで意識が途切れた。

 朝になったら自分の言いかけたことなど忘れていた。


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