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第六幕

 瞼が重い。声も出ない。体が痛い。

「……」

 のどがいたい。口のなかもべたべたする。気持ち悪い。

 うう。まぶしい。あたり一面が白い。頭だけ動かそう。右側にだれかいる気がする。

 ……痛い。少し傾けただけなのに。

「あ。……おはようございます」

 その人と目が合った。


 ああああ。

 本物の優しい笑顔。優しい声。この人だ。この人のいる場所に私もいるんだ。


「聞こえますか」

 瞬きを一回。

「僕がだれかわかりますか」

 一回。

「自分がだれかわかりますか」

 一回。

「ここがどこかわかりますか」

 二回。

「声はでますか」

 二回。

「ずっと眠っていましたからそのせいですかね。何か飲みますか」

 一回。

「では体を起こしますね」

 スイッチを押して、上体が上がっていく。

「はい。ゆっくり飲んでくださいね」

 口元に水を持ってきてくれて。少しずつ口に含んではのどを通していく……ふう。

 のどの痛みはなくなった。

「あ。……あ。ありが。……ありがとう。ござ。います」

 かすれているけれど出た。

「いえ。無理に声を出さないほうがいいかもしれませんね。ゆっくりで構いません。体はどうでしょうか。どこか痛いところはありますか」

 二回。

「ならよかったです。先生をお呼びします。このままで大丈夫ですか」

 一回。


 より笑顔が深まって。はあ……。


 地区長さん。

 

 白い天井。白い壁。白い布団。真っ黒い服。庁舎の一室なのかな。何も思わなかったけど。自分たちのこの服はすごく浮く。庁舎はどこもかしこも白くて。なのに自分たちは黒い服を身にまとって。

 自分たちが異質であることを示していた。この世界で。私たち死神はそういうものなのだとちゃんと示していたのに。こんな状態になって気づくなんて。


【お前は疑問をそもそも持ちにくいからな。受け入れてしまう。それが今は違う。よく見えるようになって、気づいたから俺もこうして残っている。本来なら同化して消えてなくなってしまうのに】


 ゆうとさんのいう通りだ。本当に私は何も見えてなかったのね。ありがとう。この世界をちゃんと生きていける。私はひとりじゃない。


「少しお話しましょうか」

 戻ってきて、横に座られて。

 いつもの穏やかな笑みを私に向けてくださった。

「はい。私も聞きたいことがあります」

 水を飲んでだいぶ声が出るようになって、自分の声に違和感がないことにホッとした。

「はい。一つ一つ丁寧に整理していきましょう」

「ここはどこですか」

「ここは庁舎の一室です。救護室ですね」

「どれくらい私はここにいますか」

「三週間ほどでしょうか」

「その間ずっと?」

「眠っていましたよ。入れ替わり立ち代わり他のものも様子を見に来ていました。眼を覚まされたことを後で連絡しておいてもいいですか」

「ありがとうございます。ご迷惑をおかけいたしました」

「いえ。あなたのように記憶を戻すものもいますから」

 ……。


 知っているのか。

 どこまで?

 何を?


「出社時間になってもあなたがいないと言われまして。様子を見に行った職員が倒れているあなたを発見しました」

 そっか。私倒れたんだった。

 数日前から頭痛がひどくて、体調悪すぎたのは覚えている。それで倒れたのかな。

 ……そのぐらいの時から変な夢も見た気がする。

「そこからずっと眠っていて。体調が悪いことは気づいていました」

 気づかれていたのか。

 本当にこの人は私をよく見てくださっている。

「……記憶ってどういうことですか」

 まっすぐ見る私に、視線をそらされた。

 話しにくいことではあるのだろうけれど、そっちが記憶という単語を出してきたんだから。と思って振ったけれど。正直聞いていいか迷っているところではあった。一つ一つ確かめたいのは本心だけれど、どうしていいかわからないのと、どこまで知っているのか。

「我々死神の生前。というと正しくはありませんが、死神になる前は人間でした。人間としての生が終わり、死神としての生を得て今に至ります。人間だった時の記憶は、厳重にしまわれ、本人は何も覚えていません。それが死神としての第二の生の引き換えです」

 穏やかな声に、伏せられた目。

「記憶の回復はそれぞれで、一度もそういった兆しが起きないものもいます。記憶を戻すことを拒むものもいます。そもそも死神に選ばれるという時点で何かしらあるのが前提です。我々の仕事である、あるべきものとあるべき場所へ」

 そうだ。

 私が今している仕事。

 それが、死者をあるべき場所へ送ること。

「魂に応じで、死者は行く場所が変わります。そのための調査をしているのが僕たちが所属する管理課です。そして、あるべきところに連れていくのが連行課です。……どこにもいけないものを連れていくのが回収課です」

「はい」

 魂によって行くところが変わる。

 父や母であればきっと高台で、風景のキレイな場所だろうな。

「管理課で調査した内容をもとに、連行課が連れていきますので、どこにも行けない、連れていかれないということは起きません。回収課が動くことはほとんどありません」

 回収課。

 聞いたことはある課だけれど、かかわったことはない。というか別の課とかかわること自体がない。多分上の方たちでつながって、情報をやり取りしているって聞いている。

「我々死神は、回収課によってこちらに連れてこられます。どこにも行くことができないものが死神です。先ほど何かしらあるとお伝えしましたが」

 そっと目を背けた。


 何かしらある。


 私のそれは、この目のことで。

 そういうのがこの人にもあるってこと?

「何かしらについてはそれぞれ異なります。共通していることは、命にかかわっていることです。僕もあなたも命にかかわる何かしらが人間の時にあったため、死神になっています。他の職員もそうです」

 命にかかわる……。

 私は何度か命を救ってきた。救うというと大げさに聞こえるけれど、ただ単純に可能性を下げただけ。


 まあそれがダメだったんだけど。

 ああ。思い出した。

 スルスルと浮かんでくる。


「たいていのものが記憶の回復を拒みます。それは、人間の時の記憶が、悪いものであるものほど死神となっていると言われています。かくいう私もその一人です。あまりよい記憶ではなかったのですが、今の私があるのも人間だった私がいたから。それを受け入れないのは、人間だった私が可愛そうに思えてしまって。まあ。これは私個人の感想ですから。記憶を再び箱にしまうものの気持ちもわかります。……記憶の回復は気分のいいものではなかったでしょう」

 とても優しく、穏やかで、静かで。

 それでいて、悲しい色がゆらゆらと舞っている。

「あなたは記憶を受け入れたようですが、気分はどうですか。体調の変化はどうでしょうか」

 私を気遣われるこの方は、本当に。

本当に。

「体調は問題ありません」

 これ以上、心配をかけたくない。

「記憶を戻されたのはどうしてか、きいてもいいですか?」

 目をそらしてしまった。

 どう答えようか。

「……私は自分がどういう人間だったのか思い出した時、とても安心したんです」

 素直な気持ちが出てきた。

「死神になったとき、そうであることになんの疑問もありませんでした。それもそのはずです。記憶がなく、死神として生きることが決まっていたんですから。とても楽しくて、今の私が私は好きです。……でも、体調を崩し始めたとき、漠然と怖くなっていったんです。仕事に不満はないのに。生活に嫌なこともないのに。どうしてか。そんな私にどんどん怖くなっていって。悪循環だったなって今ならわかります」

 怖くなった理由。

「怖くなった理由。それは、記憶が入りだしていたからなんですね」

 静かにうなづいて、相槌を打ってくださる。

「死神の私に人間の私。どちらも私のことなのだから怖くなるのは違うんですけど。ありえないと思っていた記憶は実際あり得ることで。おかしな感覚が私を怖がらせたのかなって」

「記憶がないことも、人間であったことも、死神になったことも。だれも覚えていないですから。恐怖は間違いではないですよ。物事に対するとらえ方は人それぞれですから」

 この方はどこまでも受け入れてくださる。

「記憶をしまったからといってもそれで、私が私でなくなるわけではないのですが。思い出してしまったものをなかったことにはできないと思って。大切なものですから。……なかったことにできなくなってしまって」

 ここでふと。

 優しい人の声がした気がした。

 ……この方はご存じだろうか。

「私の事をどこまで知っていますか」

 ためらいなくきいていた。

「あなたのことはあなたのご両親のころから知っていますよ」

 ……。


 ああ。そうか。

 ストンと落ちた。


 私がなつかしさを覚えたのも、私に優しくしてくださるのも。

 全部全部。私の感じていたものがどうしてか納得した。

「だから私はあなたが好きなんですね」

 心からの自然な笑みを浮かべることができた。

「死神として初めてお会いした日も、人間だった時の記憶も。どちらも私はとても懐かしくて。とても心が落ち着きました。怖いと感じた事はありませんでした」

そっと手をとった。

 それに対して、受け入れて手の中に入ってくれた

「一度たりとも」

「……なれとは怖いですね」

「いつも見ていてくださったから。それを私は当たり前になっていたから、なんの疑問にも持たなかった」

「見えすぎるというのは本当に問題ですね」

「見えることが嫌だったこともありますよ」

 そのまま額にあてた。

「でも今は、嫌だったなんて。そう思った自分を嫌います」


 この目のおかげで今の私があるんだ。

この目があるからあなたに出会えたんだから。


「死神としての時間がとても楽しいものだから」

 思ったことは言わない。

 この感情はこの方に伝えてはいけない。

 この方にとって私を見ていたのはただの仕事なのだから。

 思いあがるな。

 それこそ、親戚の姪っ子ぐらいなんだろうから。

 笑えているかな?

 嘘ではないのだから。

 きっと笑えているだろう。

「いいものと捉えられるようになったのはいいことですね」


 ……。

 …………。

 ………………。

 ああ。

 だめだ。

 そんな風に笑いかけないで。

 初恋は実らないのが相場なんでしょう?

 期待させないでよ。

 手を放したくなくなるけれど、はなさないと。

 私は部下だ。

 この方は上司だ。

 ちゃんと。

 ちゃんと社会人しないと。


【あの時俺があの男のふりをしたのは、お前が望んだからだ。お前が望む姿で俺は現れた。だから、お前にとって一番会いたくて。信じていて。すがりたい相手は】

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