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第五幕

 これは夢……なの。うましかさんと地区長さんの声がする。……もめてる。うましかさんの声が大きくなってる。とぎれとぎれ聞こえてくる。

「おれは……きて……。な……い……つけ……るん……。り……な……か」

 だめだ。なにもわからない。ドアの前で立ち止まる。

 私の部屋のドアだ。廊下にいるのかな。ドアノブに手をかける。

 ゆっくりドアをひいた。……そこにはだれもいなかった。

 あれ。


 目がさめた。

 横をむくと寝顔。起こさないようにゆっくり部屋をでる。ドアの前にたつ。ドアをゆっくりと押した。……うん。やっぱりあれは夢だったんだ。

「ふーっ」

 息をはく。うん。大丈夫。落ち着いた。

 なんであんな夢みたんだろう。気になってるから出てきたんだろうか。あの夢はいいものじゃない。会話の内容なんてわかんなかったけど、二人が話をしていた感じはいいものじゃなかった。夢なのに、それだけは鮮明に覚えてる。夢でここまで覚えてることなんてない。夢だったのかもふしぎなぐらい覚えている。

 気持ち悪い。

 身震いした。両手で抱きしめてる。

「大丈夫」

 声にだす。うん。大丈夫。言い聞かせる。


「おはよ」

 半分寝ぼけているのかな。返事はかえってこなかった。

「はいコーヒー」

 ソファに座る彼女の前におく。

「ありがとう」

 ふにゃけた声。

 苦味を抑えてすっきりとした飲み味のにしたけど大丈夫かな。

「おいし」

 ふにゃっと笑った。

 よし。心の中でガッツボーズ。朝はこれにしている。目が覚めるし、味が残ることもない。

「適当に朝ご飯作ったから」

 夜にセットしておいたご飯に味噌汁だけだけど。

「ほんと何からなにまでごめんね」

 目が覚めたのだろう。シュンとしている。

「いいよ。私がしたいからしてるだけ」

 味噌汁をすする。うん。おいしい。二人でゆっくり朝ご飯をたべる。アナウンサーのニュースの音声だけが響く。講義は二限目から。ゆっくりできる。

「片付けする」

 という言葉に甘えて。私は部屋にもどった。少しだけ窓あけて。布団を抱えて。私の部屋はベッドだから。布団はもう一室の押し入れにしまっている。ときどき死神さんたちが毛布とか、使っているみたい。それもあってしまいっぱなしってわけじゃない。

「どこー」

 私を呼ぶ声が聞こえた。

「ほーい」

 駆け足で戻る。リビングにもどると出れる用意がされていた。

「はや」

 さっきまでジャージだったのに。着替えて化粧まですんでる。

「まあね」

 どや顔。

 私も準備しよっと。化粧っと。ポーチをひっくり返して。これとこれ。あとこれで。ふんふーん。

 軽く鼻歌。よっし。できた。

「はや」私と全く同じトーンでかえされた。

「まあね」

 どや顔でかえした。

「あははは。ふふっ」

 二人で笑ってしまった。楽しい。

 家の中に笑い声があるのが楽しい。


 講義は二コマだけ。2と4。お昼はお出かけ。

「ここ。どうかな」

 寝る前に話をしていたお店。最近近くにできたカフェらしい。外観すっごい好み。黒一色。お店の前に黒板でメニューがだされている。手書きかな。かわいらしい丸っこい字。内観は白一色。急に明るくなった気がして、びっくりした。

「スパゲティにしよっかな」

 メニューを見ながら悩む。どれもおいしそう。

 食後のコーヒーで一息ついて大学にもどった。いい席を確保するためにも早めにいかないと。……見慣れた景色のなかに、異物をとらえた。


 なんで。


 声にでそうになるのをおさえた。足が止まりそうになるのをどうにかごまかして。

 大学付近で一度もみたことなかったのに。なんでいるの。死神が。

 ちがう……。あれは、死神だけど死神さんたちとは違う。

 見えているモノは同じだけど、感じるものがちがう。毒々しくて、ぞっとする。あまり見たくないタイプだ。たぶん死神さんたちとは部署がちがうんだろう。死神さんたちを見る場面と、あれをみる場面は違う。


 あれは。よくないときにでてくるやつだ。


「ふー」

 息をはく。会話はとぎらせない。私が気づいたことに向こうも気づいているだろうけど。それでも精いっぱい無視をする。見なかったことにしよう。あれと目を合わせたらだめだ。気づかれるな。私の異変を。この子には。

「そういえば。このあとの講義さ」

 そばを通る瞬間。体ごと彼女にむけて歩く。

 ……。何もなかった。私に何かしてきたことはあの日までなかったし。関わってくるのも死神さんたちだけだったし。なにもないのが当たり前なのに。すごくこわい。なんで。なんでいるの。それを顔に出してはいけない。私にしかわからないことだから。講義が終わったらそく帰ろう。

 校内まで入ってくる様子はなかったけれど、講義中も頭から離れなかった。いっこも頭にはいらない。ただ意味もなく聞こえてくる教授の声を書き起こすだけ。あいさつもそこそこにして門にいそいだ。まだいるのか。

「……いない」

 よし。帰るぞ。いつもの倍速で家に帰った。


 うましかさんも地区長さんもあの日からまともにあってない。でも。この気配だけは時折近くにあった。

「おいしい紅茶あるからホットケーキでも焼こうかな」

 あいつがいた学校でも感じていた気配。この気配なら来てくれる。会ってくれる。よし。たしか前に作った残りがあったから。牛乳も。冷蔵庫を開ける。気分を上げて。無理やりでもあげていかないと。あれが頭にうかんでくるから。

「うん。焼けてる」

 調子よく焦げることなく焼けた。ジャムがあるからトッピングはそれでいっか。いつものコーヒーショップにあった紅茶。ミルクティーがおススメってあったから。

「いい香りね」

 ソファに花さんの姿があった。久しぶりだ。そこに死神さんが座っていることが。この景色が。好きだったことに気づいた。

「ホットケーキ焼いたんです」

 コトン。紅茶も。

「いい香り」

 カップを手に。花さんの口元が緩む。よかった買っておいて。私も座る。

「花さんの好きそうなのだなって思って」

 私も笑いかける。穏やかな空気が流れた。

 よかった。大丈夫だ。ちゃんと話せる。変わっていない。なにも変わってない。

「花さん。話せる範囲でいいです。教えてください」

 ホットケーキを食べながらする話ではないだろうけど。この話をするために呼び出したのならきっと来てくれないだろうから。これは世間話の延長線上であることにしないと。そうしないと花さんまであえなくなってしまうかもしれない。そんな気がした。

「話せることなんてないかもよ。それに」

 カップを口に運ぶしぐさがとてもきれいだ。

「私よりも地区長の方が話せること多いと思うけど」

 平ではわからないことだらけだからと付け加える。

「平だから話せることもあるのでは」

 私の言葉に笑う。

「そうかもね」

 とても楽しそうな声色だ。

「で。なにかしら」

 声色は変わらない。

 試されている。どう聞けば答えてもらえるのか。ポイントを押さえないと。

「死神さんってみなさん同じ格好ですけど。感じるものが違うんです。きっとそれって、仕事によって違うのかなって思ってます」

「あなたが私たちから感じているものがなにかわかないけど。いろんな業務があることは確かよ」

「なら。違う業務の死神には会わない方がいいですか」

 私の言葉に、花さんの手が一瞬止まった。少しだけ口元をゆるめて紅茶を口に含む。ゆっくりと飲み込む。返事はない。肯定も否定もない。

「……花さん。私は死神さんのことしりたいと思っています」

 私の言葉に反応はない。

「でも。知らない方がいいってことわかってます」 

 まだ反応がない。

「私は。どうしたらいいですか」

 この言葉には応えてくれた。

「知らないままの方がいい。何も知らなくて、何もしなければ、あなたに何かが起きることはないのだから」

 その言葉が答えだ。花さんから聞ける唯一の答え。充分だ。応えてくれただけいい。そう思わないと。

 ……そうしないと花さんのこの答えに応えられない。

「ありがとうございます」


 心とは裏腹に。笑顔を浮かべて。


 そのあとはあまり覚えていない。たわいのない話をしたはずだ。さしさわりのないこと。頭の中には花さんの言葉がまわっていた。知らなければ。何もしなければ。何もない。……確かにそうだ。はじめに私が思ったこと。最低限だけ理解しておいて、自分に被害がないことを願って。今のままならそれが叶う。言われた通り、これ以上見ても動かなければいい。なにもしなければいい。何も知らなければいい……でも。

 それが嫌だ。知らないことが嫌。わからないことが嫌。知りたい。……思ってはいけないことなのに。願ってはいけないことなのに。

「なんで知りたいって思っちゃったんだろう」

 むなしく響いた。


 その夜。

 夢を見た。

 夢というにはあまりにも鮮明なもので。


ここは……。あれ。

どうしてここに? この服……?

真っ白な場所。

ゆっくりと……おそるおそる立ち上がる。

ああ大丈夫。足に力が入る。

ふぅ……。

ええっと。

とりあえずここがどこかをまず確認……。

……なんでそんなことするんだろう。

まあいいや。

両手を前にだして、なにか当たらないか動かしてみたけど。何にも触れない。

床? 下は?

足を浮かせずに、滑らせるようにすすめた。

ああよかったある。

真っ白すぎて先があるのかも床があるのかもわからなくて。

それを確認する必要……。

ん? 

どうしてそんなこと気にするんだろう。

ここがどこであっても。そんなことどうでもいいはずなのに。

だって。これは。


……あれ。そもそも私……。


考えがまとまらない。


え。

音がした気がして顔をあげたら。

ふわっと目の前に額縁がうかんでいた。

ふらふらと足どりが悪いけれど、額縁に近づいていくと。

浮かんできたときにはなかった額縁の中身がはっきり見えてきて。


絵だ。


……水彩画っていうのかな。淡い感じ。


絵は若い男女が笑みをうかべて向かい合っている。

季節は……夏かな。アスチルベの花が咲いている。


ポン。次は音がした。


あっえぁ。また額縁……。


次はなんの絵が。

ふらふらと。

でもこれは絵に引き寄せられるように。

さっきと同じ二人が金木犀を眺めている。

またポンって音がした。

なら額縁がどこかに。


探している自分がいた。


次はどんな絵なの?

真っ白い中にいる二人。

その中で目立つのは葉牡丹の緑色。

でも変な主張はない。とても穏やかな空間。

幸せそう。

次は?


くるっと向きを変えたら目の前に額縁があって。

ポポポポンと立て続けて額縁が浮かびあがってきた。


私は駆け寄っていた。

一枚一枚しっかりと見て。

思わず触れそうになった絵があった。

あわてて引っ込めたけれど。

その絵は、二人が赤ちゃんを抱きかかえている絵で。

青いカーネーションで三人を囲んでいる。


……。この赤ちゃん。


まだ絵がある。

ここまでは二人の絵で。

ここからは?

次の絵。


ああああああ。


三人であることは変わらないけれど、一人成長していってる。

これは、何才だろう?

スノードロップが咲いているから季節が変わっているのは確かなんだけれど。


続きの絵は成長していく少女と老いていく二人。

三人が楽しそうにしている絵が続いていくなかで。

足を止めたのは少女が一人まっすぐ、暗い中にいた。

シラーの花が胸元にあって。

そこからは少女一人の絵になって。

二人が出てくることはなくなった。

時折季節がわかる花があったから、時間がたったんだなぁと眺めながら。

少女が一番最初の女性によく似てきて。老婆と楽しく笑っている絵が続いたのに。

次に私が足を止めたのは、少女の背景が三色にわけられていた絵。

それまでは一色の濃淡だけだったのに。

この絵でも胸元に花があって、ゼラニウムかな。

ここで何か起きたのかな。

ここまでの絵を見てきて、一組の男女とその子の時間の流れや何かあったことが絵に描かれているみたいだけれど。

背景に何か書かれているわけじゃないからなぁ。

あるのは花と表情の違う彼らだけ。

何を表しているんだろう……。

相変らずわからないまま。

あれが最後?

結構見てきた気がする。

その絵の前に立ち止まって、向き合った。


瞬間。

そこには少女はいなくて。


黒一色の中に、一輪のトリカブト。


これは知ってる。

毒のある花だ。

どうしてそんな花が?

これまでも花はたくさん出てきたけれど、どれもそんな花はなかった……いや。


他の絵!


さっきまで見ていた絵を見ようと来た道をふりかえった。

え……。

さっきまでまぶしいくらいに真っ白だったのに。

自分の手元も見えないくらいになって。

浮かんでた絵画もなんにもみえなくなって。

……怖い。

こんな真っ暗嫌だ。やだ。だれか。


思わず声にだした。


暗いのはいや。

でも。耳にはそんな声入ってこなかった。

どうして。

なんで。声が出ない?

いや。怖い。やだ。

私はしゃがみ込んでしまった。

動けない。

どうしよう。さっきまで歩いていたのに。

何にも見えない。

どうして。

どこにいったの?


「どうしたの」


えっ……。


「大丈夫ですか」


……この声……。


どこにいるの?

どこからか声がして。

見渡したけれど、暗闇なのは変わらなくて、何も見えなくて。

両手を前に出したけど、何にも当たらなくて…‥。


「僕はここですよ」


今度は耳元でした。

パンって振り返ったけど、結局見えなくて。

でも。手の震えは収まっていた。

この声は大丈夫な声だ。

知っている。

私はこの声を知っている。


「やっぱり」

私の感覚は正しかった。懐かしいと感じた事。あの時のあの感覚。うましかさんじゃなくて。花さんじゃなくて。死神じゃなくて。

「地区長さんなんですね」

私の言葉にゆっくりと姿を現した。

「どうして思い出してしまったんですか」

その声はとても苦しく、かなしいものだった。


 気が付いたら見えていた。顔を見た人が死ぬ一時間のカウントダウン。死に際の映像。なんどそれでお父さんとお母さんを引き留めたか。

 気が付いたらすぐそばにいた。真っ黒い服を着て、白いお面をつけたそれが。それがお父さんとお母さんをつれていった。


「お父さんとお母さんを、ちゃんとつれていってくれたんですか」

私の言葉に苦しそうな声で答えてくれた。

「ああ。大丈夫」

この答えに私は微笑んだ。

よかった。お父さんとお母さんは大丈夫だったんだ。私はいくことができない。私にはいく場所がない。二人には会えない。

「あなたはそこにはいくことはできません」

この言葉は苦しさも悲しさもなかった。

ただただ。真実。それがひどく優しく聞こえた。

「わかっています。だって。それが私のペナルティー」

笑いながら。もう笑ってしまう。地区長さんが私に会いにきた時点で。ペナルティーの話をした時点で。

……ちがう。私が見えた時点で決まっていたんだ。私の終わりはそこで。

「本当は、私に接触することすらいけないことのはず。私は、監視対象。視られているだけのはずだった」

私の言葉にただ黙っている。促してくれていると解釈して、私は止まらない。

「全部つくり話だったんですよね。ぺナルティーなんてなくて。地区長さんが私を守るために無理やりしてくれたことで。……私は、ずっとあなたに護られていた。ずっとそばにいてくれた。少しでも、私がここに来るのを遅らせてくれた。私に、人間としての人生を歩ませてくれた。死神になっても、私をそばにおいて。護ってくれた。ちゃんとこの世界で生きていけるように。みんな私を。私を……」


膝から崩れ落ちた。


あの絵は私たち家族だ。


そのことを私は。


「さあ。すべてを箱にしまいましょう」

目の前に箱が差し出された。ゆっくり顔を上げる。優しいいつもの笑みを浮かべている。

「記憶をしまいこみ、眼を覚ましましょう。いつもの日常に戻りましょう」

優しい声。

体がその声に従ってしまう。

箱に手が伸びる。浮かんでいる写真が箱に吸い込まれていく。ああ。これは私の記憶。パコン。箱のふたが閉まる音が響き渡る。鍵が手の中で光っていた。

「鍵をかけて。それで終わりです。日常にもどります」

私のうしろから手を重ねてくる。

「さあ」

耳元に聞こえる声に手がとまった。

ゆっくり振り返る。そこには、いつもと変わらない優しい笑顔。地区長さんだ。朔部長だ。


姿形はそう。


「ちがう」

つぶやいていた。

その言葉に笑顔がゆがんだ。

ガタ。箱がひらいた。

記憶が私の中に飛び込んでくる。

頭が痛い。苦しい。頭を抱え、膝をつく。

「どうしたんですか。出てきてしまっていますよ」

焦る声。

しまいたい。また箱に入れたい。痛い気持ち悪い苦しい箱に戻せばまた落ち着く楽になる。……でも。

「違う。違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうち……」

苦しい。のどが痛い。息を吸うのもつらい。でも。言い続けないと。言い続けないとこの声に従ってしまう。

「なぜです。なにも悪いことではありません。落ち着いて」


優しい。この声に何度救われてきたことか。何度護られてきたことか。この声に従いたい。信じたい。

なのにっ。拒絶する私がいる。こんがらがってわけがわからない。あああああ。手が。どろどろと崩れていく。服が黒く染まっていく。鍵が消えた。もうだめだ。何もわからない。

わからないのに。わからないはずなのに。なにも理解できていないのに。ただ。いろんな感情があふれて。追いつかない。一番大きい思いが拒絶だなんて。漠然と違うことだけがわかる。何もかも拒みたい。


「ダメです。記憶に飲み込まれては。あなたの形を保てなくなる」

私の体を強くつかむその手を振り払った。

「やめて! 触れないで!」

私の拒絶にそれは形をかえていった。どろどろと。くずれていく。

【どうしてきづいた。きみはこいつをしんじているのではないのか】

ひくく。あたまにひびく。それはもう。まったくちがうものになっていた。

「ああ……そっか。あなたは」

つながった。


しまった箱から飛び出してきた私の記憶と感情。


私の人間としての最後の記憶。最後に見たもの。最後の感情。


トリカブトだ。


「私があなたを連れて行った」

私の眼にはあの時の姿が見えている。


【お前はまた命をまもった。いくべきものをとどめた。その罪はお前の命で償うべきである。だから私はお前をつれていこうとした】


もう声も形も全くちがう。死神は私を見下ろし、にらみつけている。こんなにも感情をむき出されたのははじめてだ。

黒く。ゆがんで。


とても純粋な色。


「私はあなたの手をつかんでしまった」


最後に私が変えた命は、あの子の命だ。

駅であの子を見送って。

電車内で無差別の殺傷の景色が見えて。

犯人が誰かも見えた。

その人を捕まえて。

駅員に引き渡して。

その帰りだ。

階段で私を待っていた死神。

それが、この人だ。


【死神が人に触れられるなどありえないことだ。あの時点でお前はすでに人ではなかった。それに私は気が付かなかった。そのせいで私は禁忌を犯した。我々は、互いの命に干渉してはならない。同族の命を人の命の補いに使うなどありえん】


地区長さんは私に触れていた。その時点で私はもう……。


「だからあなたは私と一緒に。……ちがう。私になった」


【お前の命と私の命。一つになることが私の罰。お前は決められていたようにこちら側にきた。けれど。お前は特例中の特例。その記憶は厳重に堅くしまわれた。なのになぜだ】


闇が私を見つめている。私を映し出すこともなく。吸い込むわけでもなく。拒絶している。私を否定している。


【記憶をしまうことでお前は楽になる。おまえは、私からすれば赦されたのだ。私と違って。お前は私と一つになり、そのこと自体をしまい、なにごともなかったように死神としての命を生きる。それのなにが嫌なのだ】

「それは……」


言葉がでなかった。

その通りだ。私はなにも知らないまま。赤子同然にもどって死神として生き始めた。とても楽しくて。朔部長も碧さんも向日葵さんも。みんな優しい。


【お前を受け入れた。お前という人間を。我々は誰一人として罪のないものなどいない。罪を犯したからこそここにいる。死神としての命を与えられ、人間の命を監視し、刈り取り、連れていく。我々は行くことのできない場所に。人間だった時の記憶をしまい込まれ、もしかしたら一生思い出すことなく過ごすかもしれない。この悠久の時を。それが我々に与えられた罰】


「私は、覚えていたいっ」


私に手を伸ばす。私の一部の死神をそっと抱きしめる。そうだ。私は覚えていたいんだ。忘れたくないんだ。箱にしまいたくないんだ。この人の事を。私が人間であったことは覚えていた。何をしていたのか。どんな人間だったのか。友人がいたのか。何もわからない。だからこそ。思い出した今そう思う。失いたくない。


「確かに。今までのほうが楽だよ」


穏やかな声。自分のものとは思えないくらい。落ち着いている。


ああ。自分の気持ちをちゃんとわかって。それができるってこんなにも心が満たされるんだ。


そりゃあ楽しい思い出がたくさんあるんだもの。……確かに見えてしまった今までの命の散る瞬間も記憶している。それも一緒に戻ってくるけれど。

だけど。


「今の私があるのは、人間だった時の私があるから。ほんの一部でも私は隠したくないの。なかったことにしたくない。私のすべてをそのまま、死神としての私に。私は、もう痛くない。苦しくない。気持ち悪くない」


そうだよ。

私は。


「とっても。満たされている」


腕の中にいる彼が私の中に入っていく。


【それでお前がいいのなら。私はお前なのだから。私もお前を受け入れよう】


とてもきれいな声。地区長さんとはまた違う温かさのある声。きっとこの声がこの人の本当の声。

やっと聞けた。この人自身に触れることができた。


「名前を聞いてもいい?」


私だけの空間で。私の声だけが響く。


「そう。はじめまして。これからもよろしくお願いします。ゆうと」


その名前の通り優しい人。

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