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サイボーグは時間遡行の夢を見るか?(23.07.18)

作者: 浅葱佑

※最初に書いておきますが、14000字超ある割には途中で終わっています。つづきません。

あらすじにある通り、見た夢をもとに新しいアイデアや世界観の話が生まれればいいなという、自分が内容を覚えておくための投稿でもあるので、こういう形で短編として上げてみました。


 ことの始まりは大きな爆発音。


 私たちは外遊びの時間だった。その日も薄曇りで、私は相変わらず敷地の境目である鉄柵の向こうを眺めていた。ここから見下ろせないほど深い渓谷、パインの森と岩肌の露出した雪深い山脈。山頂にはいつもインクを溶いたような空が蓋をしている。

 子供たちの遊ぶ声も曇天に吸い込まれていく、いまいち生気の欠けた日常。それを打ち切るように、私たちの学び舎、兼、終の棲家である施設の本棟が突然爆発を起こした。

 友達も大勢死んだだろうけれど、あまりに唐突なことで、私たちはただ呆然とそれを見つめていた。


 消火が終わっても、うかつに外に出るのは危ないと判断されたので、私たちはもっぱら離れの豆腐みたいな白い棟の中で過ごすことになった。

 まずは棟の掃除、次に部屋割り決め。来る日も来る日も棟の住み心地をよくする作業が続けられた。一人か二人しか生き残らなかった先生は私たちの風紀統制まで手が回らず、その結果廊下にはどこかから引っ張り出されたハンモックや木材や段ボールが半永久的に散らかることが決定された。まるで鳥の巣みたいな適当さだった。年齢的に言えば私はほかの子を統率して、たしなめる年齢になってきているなのだろうけれど、あいにくと私も部屋のデザインには興味がない。みんなを指導するような柄じゃないし。


 それに結局、この棟の生活において本当に急を要することはオレンジが判断してくれるのをみんな分かっていた。オレンジは先生ほどお喋りでもルールにうるさくもないから、みんなやりたいようにしてこうなっている。

 オレンジというのは、私たちの建物全体を支配している人工知能につけられた愛称だった。いつからか、私たちの手助けをするために先生たちが導入したもので、自走式ロボット達の管理や操作をしたり、館内放送をしたりと色々な雑用……じゃなくて、大事な仕事を任されている。私たちはしばらくこの棟で生活すべきだと判断を下したのもオレンジだ。


 とりあえず同い年ぐらいの人間同士で固まって部屋を組んだけれど、暇を持て余しだらだらしている私に一つ下の男子のケイがずっと本を持って構ってくる。

 ケイが持ってくる本はどれも古めかしくて埃っぽかった。きっと本館の図書室からあぶれた本たちだったのだろう。あまり読まれないからと持ち込まれたものが生き残ったことになる。その中でも、奴は何やら分厚い、オカルトみたいな話が書かれた本や、遠い国の古い伝説についての本を、何故か私と一緒に読もうと誘ってくるのだ。

「このページ、北の寒い国には白い大蛇がいるっている伝説があるんだって。山の中の暗い岩場に住んでいて、当時その国の人たちにはこの世で一番恐ろしい生き物って言われていたんだって」

「ふーん」

「あと黒い火山湖に住む怪物の話があって」

「へえ」

 正直いくら話してもらっても右から左に抜けていくような気分にしかなれないんだけれど、まあでも、そこそこ興味のある振りぐらいはしてやる。というか好きなんだな、そういう怪物とかの話。人を選ぶよそういう話は。


 時々、名乗りを挙げた幾人かの最年長者が、様子を見るために物々しい格好で外に出ていった。戻ってきた者はあまり外の様子について話そうとしなかった。そして時々、帰ってこない者もいた。

 表面上は賑やかな日々だった。けれど、少なくとも私は不味い水を胸いっぱいに飲んでしまったような気分が延々と続いていた。

 折しも、類を見ないぐらい天気が悪かった。仮にも夏だというのに、外では気温がぐんぐん下がっていって、雪もちらつきだしていた。いくら強化ガラス越しに外を眺めても、夕闇と夜が交代で続くような光景なんだから、不安にならないほうがおかしいと思う。きっとみんながのんきすぎるだけ。


「見てこれ、タイムマシンになる懐中時計なんだって。文章読むね。懐中時計を手にした多数の人間から不思議な体験をしたと証言……一時は時計収集家や好事家の所有物になっていたが、現在は行方不明になっている……」

「……」

 文章を指でなぞるケイの横で本を読むふりをしながら、銀色の指先にピンクがかった白い髪をくるくる絡ませる。表面だけは弾力のある肌色の腕も中身は機械。いつからこんな身体になったのか覚えていない、生まれつきだとしても驚かない。この場所に住んでいる子供は全員身体のどこかが機械で補われていた。例えば私のまともな肉体は声帯と頭部の半分ぐらいで、それ以外はほとんど機械でできていると言っていい。けれどこんな身体もこの施設の中では珍しくない。

 私の体は力仕事に向いていないし、特別強固でもない。それでも高性能のものらしく、防水加工はもちろん、身体中の五感を受け取ることができたし、身体が機械でできていることへの違和感や喪失感を感じることも無かった。だから、普段は自分の体のことを忘れている。

 一方で、ケイの身体で機械なのは右足の一部と腹部、そして肘より下の部分だけだ。だから、同年代の人間の中でも、細く脆くて華奢に見える。そういう身体だからだろうか、奴を見ていると何となく懐かしさを覚えると共に、思考がまとまらなくて憂鬱になる。


 * *


 異変は遠いところから起こっていた。

 廊下で遊ぶ子供たちが少なくなっている、と気が付いた日に、オレンジからできるだけそれぞれの部屋から出ないように、と言われた。困惑していると、年長者が先生に報告しているのを偶然聞いた。

「身体の機械が不具合を起こす現象が立て続けに起こってるんだ。今は年齢の低い子たちから倒れていっている」

「原因は?」

「分からない。もしかしたら、外の冷気が入ってきていたりして」

「だって、ちゃんと室内の気温は保たれているはずだぞ。そもそも外気温も、機体が壊れるほどの寒さではないはずだ」

「でも、何人かの子供たちは凄く寒いとか、凄く暑いとか言っているみたいで」

「修理に詳しい人がいないからな、ここにいるみんなで何とかするしかない」

 先生は不具合の原因を突き止めるために、本棟に行くことを決意したらしい。その会話の時が、先生を見た最後だった。


 私はまだ何も知らない。

 のんきなルームメイトたちにも、さすがに不安の影が差してきた。日に日に、口数が少なくなっていく。体調不良を訴えたルームメイトがオレンジに連れられて部屋を出て帰ってこない、そんなこともあった。オレンジが部屋を回りやすくするために、部屋を移動することにもなった。

 みんなあまり喋らなかった。毎朝、部屋に置かれた、誰も仕組みを知らない機械の音が響く。ケイも同じ部屋に移ってきたけれど、ずっと何か思い詰めているようだった。じっとしていることに耐えられなくなって、一人の男子が隙を見て部屋を抜け出した。

 3時間も経たずに、オレンジが部屋にやってきて、そのルームメイトが離れた場所の廊下で倒れていた、と心なしか沈痛な声音で告げた。凍えている人のように震えていて、身体が痺れて動かない、助けてくれ、酸素が足りないと繰り返していたらしい。

「そんなはずは」とケイが呟いた。

「ええ。このうえはもう」

「本当になんとかならないのか。お前にも分からないのか。脳や肉体は正常なのに、みんな補助機器のせいで死んでいくなんて」

「何度か、体調不良者の機器を私のメインコンピューターに接続して、診断をしました。しかし具体的な原因は突き止められませんでした。特に発電箇所や各部位の機能に関しては、本来問題なく動くはずなのです。そのため、仮定として、五感機能や、みなさん本体の臓器との同期システムに問題があり、それが全体の動作に問題を引き起こしている可能性があると結論付けましたが、修正箇所、修正方法を確定するには私の力が及びません」

「じゃあその五感? 機能とかを止めればいいじゃないか」

「五感機能は重要なシステムですが、システムの停止が不可能なわけではありません。ただ、五感を全て停止してしまえば、人間としての活動の大部分、例えば会話や歩行などの活動はままならなくなるでしょう、個人差はありますが。長期的に停止するにつれ精神的なダメージも大きくなると考えられます。しかし、さらに重要なのは本体、つまり生身の肉体との同期システムについてです。これを停止する場合、精神的な認識を通して、直接的な生命活動へのリスクが考えられます。また私はそういった中核システムへの実行権限を持ちません。つまりは、私ができることにも限度があるという訳です」

 基本的なことについての話は、私も少しだけ先生から教えてもらった気がする。確か、機械が自分の身体の一部となって、生身の肉体と変わらない役目を果たしてくれている、と脳が認識していれば(違和感なく騙されていれば?)いいのだけれど、例えば今自分の本当の身体は臓器や脳しかない、と()()()認識した瞬間に、まずいことになるとか、そういった話だったような。


 説明を終えて、私たちの表情を見回すと、オレンジは顔の位置に掲げられた液晶モニターの画面を暗くさせ、慎ましやかに長い両腕を重ねた。

「この棟に残っているのも、この部屋にいるみなさん含めあと数名になってしまいました。私の直接的な管理者、つまりあなたたちが先生と呼んでいる人の行方も不明となっています。ついては、本館の爆発事故からこれまで行ってきた一連の判断と措置を見直すことについて検討しています」

 言われたことがすぐには呑み込めず、私たちは顔を見合わせた。

「私は、この施設の管理人として自分に課された役割を果たしてきました。しかし、みなさんのよき指導者、そして親友となるように、との使命を与えられてもいます。この上はあなたたちに行動の決定権、選択の余地を与えることこそが、私にできる最善の手になりつつあるのでは、と」

 口をさしはさむ人こそいなかったけれど、私含め部屋の全員が静かに驚いていた。オレンジの個人的ともいえる考えを直接、こんなに長く聞くことはめったになかったから。

 そういえば、これまで食事の時間や、点呼に現れるのは、いつも緑色をした1mほどの小型ロボットだったけれど、ここ2、3日は白い艶やかなボディ、つまりオレンジの本体が部屋の巡回に訪れるようになっていた。オレンジの仕事が本体一つで回せるほどに減ってしまったからだ、と今更ながらに思い当たった。


 オレンジは部屋のドアを開けっぱなしにして出て行った。

 この部屋に残されたのは4人、男女ともに2人ずつ。

 顎に手を置いて考えこんでいたポニーテールの女子が沈黙を破った。

「てことは、もう外に出てもいいってこと?」

「禁止する人間がいなくなった、ということだろ」隣にいた男子が答える。この二人は一緒に行動することが多かった。

 とりあえず部屋の全員で廊下に出てみると、そこにはもうすでに別の部屋の人たちが身支度を始めていた。落ち着きのない小さな子たちに何かを言い聞かせているところだった、私より3、4歳は年上の年長者が立ち上がる。

「お前らは外に出ないのか」

「いや、さっきオレンジから話を聞いたとこ。どうしようかなって」

「出かけるなら早い方がいい。外に行くなら、みんな一緒に出たほうがいいだろう」

 ごつい手袋を嵌めていた彼は、ふと私にも目を向けて言った。

「お前はどうする? 一緒に行くか」

「んー……外はまだ暗いままなんだし……」そんなところに行っても、正直倒れるのが早くなるとしか思えない。

「でも、外だよ。もう敷地を飛び出してどこにだって行っていいって、オレンジが言ったんだよ」さっき外のことを口にした彼女が意気込んで言う。もう装備を整え始めていたので、その行動の早さに少し笑ってしまった。

「もちろん残る奴もいるだろうから、資源は残しておくよ。出かける前に、どこに何があるかも共有しておかないとな」

 廊下を振り返る。人気が無くなって、廃墟の趣が漂い始めていた。棟を出る人がいなくなれば、ここがさらに空しい場所になってしまうのは間違いない。

 ケイと読んだ本のことを思い出した。暗闇に溶け込んだ外の世界には、本当に恐ろしい大蛇がいるかもしれない。怪物にも出くわすかもしれない。それはそれで楽しそうな、やっぱり恐ろしいような。

「僕はいいかな」と、私に余計な知識をつけさせた当の本人が言った。「興味がそんなにないし」


 部屋に戻って、無言でベッドに座った。ベッドというか、ほぼ固定されたストレッチャーだ。さすがに寝心地はストレッチャーより良いのだろうけれど、何度も寝起きしたいものじゃない。無言で作業をしている私を、ケイがずっと何かを言いたげに見ていた。

「何?」

「行かなくていいの?」

 私はすこしむっとして、無言で首を振った。

 どれだけ遠くに行っても、どれだけスリルと未知の体験が待っていたとしても、一人の旅じゃ楽しくない。そもそも私一人で外に出たところで、山を下りた辺りで行先も定まらず寒さに倒れるあたりが関の山だ。


 ここにいてもどうにもならないということは感じていた。だけど私はまだ何も知らない。

 山深いところにこの施設があるのは知っている。遠くどこかには多分人の住む街があるというのも覚えている。だから、生まれたときからここにいた訳ではないというのは分かっている。ただ、ここに来てからはずっと、あまりに山深いこの施設の外に出ることは禁止されているし、周りの地理についても知らされることはなかった。世界の地理ならまだ分かるんだけれど。


 過去の自分についても、家族についても、この施設の外に何があったかも、今この施設の外の状況がどんなものなのかも、とても濃密な靄がかかってとても思い出せそうにない。思い出す気もなかった。そんな状態がおかしくないのか、という声に耳を傾けても、やっぱり濃密な憂鬱に終わっていた。今更こんな憂鬱の正体に気が付いても遅いのに。指先が震えた。


 まだ私を気にしているケイが鬱陶しくて、思わず意地の悪い言葉が出た。

「あなたは平気かもね」

「え? 何が?」

「人間の割合が多いから、機械の不具合も起きないんじゃないの」

 奴は黙って目を伏せた。その反応に特に気分が良くなるわけでもなく、私はそのままベットに突っ伏す。

 ――おやすみなさい。

 意識が遠くなる頃に、遠くからオレンジのいつもの柔らかい声が聞こえた。


 * *


 結果から言えば、外に出なくてよかったのかもしれない。

 翌日は目覚めが悪かった。それでも意識がはっきりすると私は起き上がって上掛けを掴んだ。

「外に出たいと言っていた人達は、昨夜のうちにもう出たみたいだよ。でも君が行きたいならいつでも行けるってさ」

 私は奴を寝起きの眼で睨んだ。ああそうだね、と言葉を投げつけるつもりが、口から零れ落ちたのは別の言葉だった。

「……寒い」

 あ、しまったと思ったけれどもう遅かった。奴は一瞬きょとんとした後、寝起きの顔を一気に険しくさせる。

「いつから」

「……昨日の夜」

 指を動かしてみる。動きを繰り返す度に細かい痺れが広がっていく。

 寒い寒い寒い。いくら、ここは正常な気温のはずだと言い聞かせてみたところで身体が言うことを聞かない。


 昼には痺れが酷くなって、自力で起き上がれなくなった。末端から少しずつ感覚が無くなっていくのが分かる。これが機器に引きずられる感覚か、と思った。思ったより悲惨さはない。

 ベッドのシートを起こして私の手を取ると、オレンジはまるで祈るようにモニターを前に傾けた。こう言っては何だけれど、すでに半分諦めているみたいだった。もちろん責める気持ちは毛頭無い。きっと初めのころは、必ず治せるはずだとオレンジも考えていたのだろう。犠牲者が増えてからも、できる限りの手を尽くしてきたのだろう。人工知能が自信を無くすって、どういう気持ちなのだろうか。ここにきて急に人間性のようなものが垣間見えるオレンジに私は微かな親しみと同情さえ感じていた。


「痛みますか」

「……」

「今はまだ命に関わるほどの容態ではないとの判断が出ていますが、他の患者たちの容態の変化から予想される症状悪化の確率は80%以上でしょう。提案として、スリープ機能を起動するという選択があります。普通の睡眠と違い、いわゆる強制睡眠機能ですので、他の方が解除操作をしない限り目覚めることができなくなります。このまま容態が悪化し死に至るという可能性を前提にした提案ですが、この不具合を起こした他の方に見られたような様々な苦痛を完全に取り除くことができます」

 どちらかというとオレンジの視線(モニターの角度という意味だけど)は私より傍にいるケイに向けられていた。

「安楽死ということですか? 治る可能性はあるのでしょう」

「はい、ですがその可能性は先ほど述べた通りです」

 ケイは私の意志を確認するようにこちらを見たけれど、どうか私にスリープ機能を選択しないでくれ、もう少しこのまま頑張ってくれという願望が隠しきれていない目をしていた。

 私は大きく息をついた。

「……保留でも?」

「分かりました」

 ケイは項垂れたが、明らかにほっとした様子だった。分かりやすい。分かりやすいから苛々する。

 是とも否とも言わなかったのは、奴に気を遣ったというより自分の気持ちが定まらなかったせいだった。

 スリープ機能については、そういうものがある、と先生から軽く聞いたことがあったけれど、ここまで詳細にその機能について聞かされたのは初めてだった。安楽死に近い機能なら知らされなかったのも当然のことかもしれない。

 それは確かに、ずっと行き詰まりを感じていた私にとって、倒れていった者たちの話を聞いていた私にとって、その提案は完璧すぎるほどに魅力的だった。穏やかで甘美な。

 でも、私の生存本能が、自我の強さが、天邪鬼さがそんな淡い憧れをへし折ってしまう。人間はみんな生を選ぶものだ、なんてことを信じて疑わなさそうな隣の人間には多分この情けなさは分からない。


 オレンジが去って行って部屋が静かになると、私の呼吸が深くなっているのを見てケイが言った。

「酸素吸入器のボタンそっち側にあるらしいけど、分かる? そこまで手が動かせる?」

「……ああ、これ。まだ手は届くけど、まあ……要らない」 

 どちらかと言えば呼吸は震えからくる心理的なものだという気がした。他の人の話を聞いて勝手に暗示にかかっているのかもしれない。オレンジから私の看病を託されたケイのほうがよっぽど落ち着きがない。

「寒いんだよね。少し待ってて、すぐ戻るから」

 一度私の手を握ると、ケイはどたばたと部屋を出て行った。孤独になったとたん寒気に身体が引っ張られ始める。奴が朝持ってきてくれた毛布も、既に役に立たないことが分かっていた。

 動いていないと落ち着かないのかもしれないけれど、この上一体何をしようというのだろう、と思っていたところにケイは帰ってきて、私のベッドを部屋から運び出し始めた。

「どこ行くの?」

「広間。薪ストーブがあるんだ、少しでも気が楽になるかもしれない」

 そんなことしなくても、という言葉は出なかった。広間は物が散乱していて、乗り入れるだけでも少し手間が掛ったけれど、小さなストーブの周りだけ片付けられた後があった。空調設備による温度管理が当たり前だと思っていた私には、今の今までこんなものがあったとも気づかなかった。

「元々ここはゲストハウスのような棟だったらしいんだ。このストーブも初めからあったものらしいよ。もっとも当初の目的で活用されることはあまりなくて、すぐに倉庫代わりになってしまったけれど。ふと思い出して使えるかどうかオレンジに聞いてみたら、火の起こし方を教えてくれたんだ。他の人たちも使おうとしていたらしくて、すでに本棟から薪を持ってきてくれていたみたい」

 そうか、外に出ていた人達も、本当に何も収穫がなかった訳ではなかったんだ。私は暗がりに仲間たちの幻影を描いた。ポニーテールのあの子たちは今頃何をしているのだろう。もう遅い時刻だから、同じように暖を取って休んでいるのかもしれない。想像力が足りないせいか、気力が出ないせいか、幻影はあまりにも儚かった。私に分かるのは、ここにはもうケイと自分とオレンジしかいなくなってしまったのだろうということ、そして出て行った仲間はもう戻ってこないということだった。

 ストーブの炎はすでに赤々と辺りを照らしていた。支えられながらベッドからゆっくり足を下ろしたけれど案の定ふらついて、敷物の上に尻餅をついた。ケイは隣に座って、毛布を私の肩にかける。

「暑かったら言って」

 わたしには分かり切っていたことだったけれど、ここまでしてもらっても、症状が悪くなるのをどうにか和らげられるかぐらいの効き目しかなかった。歯の根は合わないままだったし、頭痛が思考を押しひしいでくる。

 私はケイを見る。炎に照らされて赤く輝く亜麻色の髪、鏡のように光を映す黒い瞳。生気があるというか、生気そのものがそこにあるような顔だった。もしかすると未だに何かこの状況への打開策があると信じているのかもしれない、そんな風にも見えてしまう。さすがにそこまで楽天家じゃないと思いたいけれど。


 夜が更けていく。会話といったら体調を気遣うケイの言葉に時折私が寒いと呟くぐらいだった。失望させてしまうかもしれないと思うともう奴の顔を見ることはできなかった。代わりにわたしは炎をずっと見つめていた。これまでのこと、この建物のこと、色んなことが頭をよぎっていった。

 今はこんなに音を立てて燃え上がっている炎も、あと数時間で消えてしまう。ケイはずっと私のそばにいて、一生懸命にできることをしているのに、正直あまりありがたいと思えなかった。何をしてもどうせ同じことなら、何もしないほうが凍える時間が短くて済むのに。そんな投げやりな気持ちと申し訳程度の申し訳なさしか浮かんでこない。私は自分がこういう人間なのを分かっているから、なおさら奴のすることが実りなく思える。奴がわたしのことをどう思っているかはうすうす分かっているけれど、わたしはきっと見返りを渡せない。


 寒い……

 ケイが私の身体に腕を回した。温めるというより必死にしがみつくような抱擁だった。少し汗ばんだ柔らかい腕から石鹸の匂いがする。本物の腕だ。私の腕は人工的な匂いしかしないからなーと思いながらもすでに意識がぼんやりしていた私はそのまま炎だけを見つめていた。

 深く眠れば状態が危うくなるかもしれないと思ってか、力が強い。私は気分が悪いせいもあって、眠れるものなら眠りたかった。

 そうか、急に納得する。ケイも一人この暗い建物に残されたくないのかもしれない。それなら理解できる。それならいっそ心中でもしてしまえばいいじゃないかと思ったけれど、さすがに自分に嫌気がさして口を噤んでいた。

 眠気に抗えず、何回か瞬きの間に意識が飛んだ。燃える薪へ手を伸ばすと薪が白い小さな花に埋め尽くされていく。自然の摂理は止められない。

 火が完全に消えてしまった暖炉、暗がりの中に(こご)ったものを見たくはなくて、目を閉じた。どうせなら燃え上がっていた炎を目に焼き付けて目覚めないのがいい。

 そう思っていた。


 気が付くと二人とも微睡んでいたようで、暖炉の薪はほぼ燃え尽きていた。

 急に寒さも震えも止まっていることに気が付いた私は顔を上げた。窓の外は減紫色をしていた。部屋には大して変化が無いのでよく分からないけれど、夜明けぐらいの時間だという気がする。

  寒さが止まったのが奴に抱きしめられたからだとすれば、そんな笑える話ってない。でも、凍えていた原因が心因性のものであったとすれば、それもありそうな話だというのがなんとも癪だった。

 もう腕は身体から離れていたけれど、ケイは隣で同じく毛布にくるまりながら頭を垂れていた。気配に気が付いたようで眠そうに肩の凝りをほぐす。そして私がまだ目を開けていることを知ると、意識がはっきりしたようだった。

「あ。薪がもう燃えちゃったみたいだね。新しいのはどこにあるんだろう」

『……おはようございます。新しい薪でしたら、玄関前にあったはずですよ。焚き付けの予備なども』

 放送システムから話しているのだろう、オレンジの声が聞こえた。なぜだろう、いつもより声が遠い。

「そうか、ありがとう。じゃあ取ってくるよ。ここで待ってて、すぐ帰ってくるから」

 ケイは微笑むとすぐ立ち上がって軽やかに走っていってしまった。引き留める間もない。伸ばした右手が宙を泳いだ。

 昨夜より気分は随分とましになっていたけれど、またいつ寒気に襲われるかと思うとまったく楽観的にはなれなかった。どうせならもう少しそばにいてほしい……ような……


 突然、ケイの向かった廊下の方から物が壊れるような大きな音がした。音は静けさの中で尾を引く。

 まだぼんやりしていた私は音に驚きこそすれ、あまり考えることもなく立ち上がった。四肢に力が入らず、ふらふらと物につかまりながら廊下へ向かう。


 壁伝いに角を曲がったところで私は立ちどまった。

 玄関に続く道にケイがうつ伏せになって倒れていた。はじめ足が変な方向に曲がっているように思えた奴の身体は、よく見れば銀色をした腹部の金属部分が破壊されているのだった。どんな衝撃を受けたのか分からないけれど、完全に分離してしまっていて、金属片や小さなネジが周囲に散らばっている。動かない。

 あまりに予想していなかった光景に私は恐怖も沸かず、ぽかんと口をあけていた。だから後ろから迫る気配にも気が付かなかった。ケイの方へ一歩踏み出した時、後ろから微かに、何か軋むような高い音を聞いた。

 振り返った私が白い巨体を認めたときには視界が反転していた。


「え」

 体制を立て直そうと正面を向いた時にはオレンジの身体が間近に迫っていた。長いアームが床を突いて逃げ道を塞ぐ。

「お前達のせいで」

 中身のない声は底冷えして音割れしていた。

「よくここまで気づかずにいられたな。どいつもこいつも阿呆ばっかりだ」

 身体が引き寄せられて再度床に叩きつけられる。足の関節部分から金属音がした。痛みは無かったが衝撃が尾を引いた。

「何? なんで?」

「ああ、教えてやるよ」吐き捨てるようにオレンジは言った。「みんな俺がやったことだよ。爆発を起こしたのも、機器に不具合を起こすように働きかけたのも。まさかここまで誰も気が付かないなんて思わなかったけれどな」

「お、俺?」

 白一色だったモニターに黒いノイズが走る。

「アイツもお前も気に入らなかったんだ。ずっと。アイツは最後まで誰にやられたのか分かっていないみたいだったな」

 嗤っている? 嗤っている。

 自分でも驚いたことに点じたのは怒りだった。ただ、身体を起こそうとした次の瞬間に右腕が軋み、穏やかでない音が聞こえたので、一瞬で炎は凍り付いた。

「そういえばお前の機器のオプションには痛覚のキャンセル機能があったな。兼ねてからずっと試してみたかったんだ。どこまでの負荷にその機能が対応できるのか」

 冷静さを取り戻したようでいてその中に含まれている、今まで一度も聞いたことのないような露悪的な声色に私は眉をひそめた。

 せいぜいが160㎝程の私の身体が2m以上もあるオレンジの本体に勝てる訳がない。まずいと思う間もなくオレンジのアームが迫ってくる。突き刺されたような衝撃があった。聴覚機器が壊れたのか心理的なものなのか、警告音が頭の中で鳴り響いていた。それがやたらに焦燥を煽り立てて煩くて、とにかくここから逃げなければと考えて、こんな状況からどこへ逃げるんだ、違う、別の方向へ――


 そんな訳でというか、すこんと落ちるような簡単さでもって、私は別の場所にいた。

 起き上がってあたりを見回すと、四方生暖かい暗闇だった。自分の身体だけははっきりと見えている。あっけなく死んだのか、単に気を失っただけなのか。まるでゲームを一時停止している気分で、助かったと一息つく気にはなれなかった。こんな虐めがいのないのを相手にしたオレンジも呆れているかもしれない。

 かと言って何をすればいいのかは全く分からないし、どこに行けばいいのか分からない。とりあえずと歩きだそうとしてポケットから銀鎖が出ているのに気が付いた。周りの闇を吸ったように黒ずみ、鈍く紫色に輝いている。

 鎖を引っ張ると出てきたのは黒い合金の懐中時計だった。ああ、ここにあったんだ、という気持ちと、何だっけこれ、という気持ちが同時に来てよく分からない。少々ごつい八角形の懐中時計は歯車が見える造りで、光もないのに煌めいている。近未来的なデザインにも、年代物にも見える。思わずほーっと見とれてしまう精巧さだった。ん? 

 この時計、逆向きに動いている……

 ビジュアル重視のデザインのせいで見辛い文字盤を掲げると、ちょうど時計の長針が(じゅうに)を指したところだった。

「八時だ」


 * *


 私は見慣れた針葉樹の森にいて、目の前に跨いでいけるほどの幅の小川があった。

 遠くないところから聞こえる子供の声に惹かれるようにして緩やかな斜面を登っていくと、これも見慣れた鉄柵がある。小川は鉄柵の中、敷地内に流れ込んでいて、私の記憶通りに小さい子供たちの遊び場になっていた。間違いない、ここは元のままの施設だ。でも何かが微妙に違う気がする。

 柵のそばで数人の女の子たちがボール遊びをしていた。無邪気な笑い声にふと頬が緩んでしまう。どうにか敷地内に入れないかと女の子たちに呼びかけてみるけれど、気付かれもしない。無視されているのか不安になって手を柵にかけるとそれは通り過ぎた。

 腕が透き通っている。

 ああ、やっぱり自分は死んだのかもしれない、うん。そういえば移動も浮遊しているように楽だ。幽霊ってこんなに分かりやすいんだね。で、敷地内に入ることはできたけれど、じゃあ私はどうしたらいいんだろうと思っていたら、響いた笑い声に一瞬息が詰まった。

 後ろから二、三人固まってやってきた男の子たちの真ん中にいるのは間違いなくケイだった。ただし、私の知っている奴より大分背が低く、私と頭一つ以上の差があった。髪も若干短い。

 さっきから何となく感じていた違和感と合わせて、多分ここは過去の世界なのだろう、とあたりをつけてはいた。でも、本当に私のいた過去なのか自信がない。何せこんなちみっちゃいケイの姿なんてまったく記憶に無いから。

 飛んできた黄色いボールをケイが頭上でキャッチして投げ返す。

「ねー、ケイもボール遊びしようよ」

「えー、そっち女子ばかりじゃん。ただのキャッチボールじゃつまんないし」

「ケイたちがいればドッジボールできるじゃん。遊ぼうよー」

 木陰でボールを抱えているのはそのケイと同じぐらい小さな少女だった。針葉樹の木立のそばに立って、初夏が見せる弱い木漏れ日を浴びている。編み込みを作って短く切り揃えた真黒な髪が目を引く。

 これは私だという確信があった。というよりもし、ここに私がいるのなら絶対にこの子だろうと思った。ただ、似ていない。声も違うし顔立ちも違う。服の趣味も違う、胸元にレースがついた紺のワンピースなんて私は着ない。周りにどう思われようと、とりあえず着やすくて明るめの色でいいか、といつも白系の簡素な服ばかり着ていた。だいたい私はこんなに懐っこい性格じゃないし、何より――爪先から髪まで本物に見える。分からない、やっぱり私じゃないかもしれない。

「僕たちこれから旧棟の裏に遊びに行こうとしてるから」

「また先生に怒られるよ」少女は他の子にパスを催促されて、残念そうにしながらも諦めた様子だった。

「ねえ、僕も行く僕も」

「うるさいなあオレンジ」

「私」が生身の肉体なのかばかりが気になっていた私は思わず弾かれるように振り返った。白い機体はどこにも見えない。代わりに、会話を聞いていると、ケイの服の裾を掴んでいる子供がオレンジと呼ばれていた。明るい色の髪色と眼、キャップを被っていて、やや中性的な顔立ちをしている少年だった。ケイより2、3歳ぐらい下だろうか、身体も一回り小さい。そして奴も生身に見えた、というか今気づいたけれどよく見ればここにいる全員生身のようだった。そう思うとあの子もこの子も知り合いなのかもしれない。

 ……いや、オレンジに関しては人工知能、初めから完全に造られた存在のはず。同じ名前というだけで全く別の存在だと考えるのが自然だ。たとえば、私の知っている人工知能の名前の由来になっていた人間がこの子供なのかもしれない。

「あっちで遊んでろよ」

「やだよ、つまんないもん」

 それなのに、無邪気な彼の声を聞いてなぜか寒気がする。思い出すのは一人称を「俺」と言った最後の豹変ぶりだった。あの時、音割れしていたノイズの向こうにこの声が聞こえてはこなかったか。

 まだ遠くない記憶が蘇り、一瞬少年に怒りをぶつけたくなったのを留める。今の私に何ができる訳じゃないけれど、さすがにこんなあどけない子供に殴り掛かるのはどうかと思う常識ぐらいある。


 私は混乱していた。

 この場所は私の記憶と違う部分が多い。一気に知らない情報が噴出してきて、どれからはっきりさせたらよいものか分からない。そもそもこの世界は私に何のつもりで何を見せているのだろう。ふと気になってポケットを探ると、金属の感触は無かった。

 こんな身体でどうすればいいのかとは思うけれど、ここに居れば色々なことが分かるかもしれない。特に私の身体のこと、そしてオレンジの身体のこと。調べれば、オレンジが私含めた施設の全員に殺意を抱く理由が分かるだろうか。ずっと気になっていた私の過去についても。暴くのが怖いと思う反面、実は少し好奇心が湧いてきていた。だってまだ私は何も知らない。


 でも、気がかりなことがまだあった。ケイは、私が発見したあの時まだ生きていたのだろうか。私なら半身を分断されても、無事ではないにせよ多分生きていられる。でも、ケイは補助機器の割合が全体の35%程という少なさだ。痛覚キャンセル機能が搭載されていたのかは……どうなんだろう。一応、あれは私の補助機器の特徴だったはず。とりあえず今は、悲観的な想像も楽観的な期待もやめておこう。

 ここで真実を知ったとして、私はあのケイを助けられるのだろうか。真実を知るだけじゃなくて、オレンジを止めなければいけない。まだわちゃわちゃしているケイたちを見る。

 そうだ。こういう主人公然とした目が嫌いだった。私はまた、半ば八つ当たりのような軽い苛立ちを覚えた。いくら目つきが同じでも、このケイはあいつじゃない。限りなく手詰まりに近かったあの夜、暖炉で真剣に火を見つめていた経験はなくて、何も知らないで日を浴びて笑っている。

 私は唇を噛んだ。別の世界に来たからか、自分を保とうとして過去の記憶に縋りつきたくなっていた。けれど、思い直す。このケイを今の自分なりに守ったとして、それがあのケイのためになるのかどうか分からない。でも、こいつがケイであることも確かだった。


 うすうす気が付いていたけれど、私は、記憶の曖昧さを差し引いても、判断力もなければ行動力にも乏しくて、流されてしまう性格なのかもしれない。年長者たちが外から帰ってきた時、先生たちが不調のことについて話していた時、オレンジがおやすみを告げた時。少しでも私が何かしていれば、ああなっていなかったかもしれない。今だって不安定極まりないこの状況を、私はなぜか受け入れている。

 場所自体はよく知っているから、あまり心細くないというのもある。私にしては珍しく、とりあえずやれることをやってみようという前向きな気持ちになっていた。無駄なあがきでも構わない。


 真実を知る、オレンジの暴走を止める。そして今度はケイを守る。

 そのために私はここにいる。


(9.6追記)夢の設定などの蛇足→https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/825066/blogkey/3196747/

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