-19-「私をグレッチで殴って。」
池袋駅。
最終目的地に着いたというのに、白川はこれといったアクションを起こさなかった。ただ駅前で、ははぁーと勝手に納得していた。
乙葉
「……あの。
なんの旅だったの……?」
本当だよ。何一つ得たもの無くないか、この旅程。
しかし、白川はため息をついて乙葉に向き合う。
白川
「ここまで来ても分かんないんだ。この旅の意味。
へぇー。ジロちゃんって、へぇーーーー。」
逆に責め立てられて一気に顔が青ざめる乙葉。身に覚えがないのだが、きっと自分に非があるのだろうと必死に思い出そうとしている。
乙葉
「えっ、あっ、えっと、えっ?」
白川
「失望していい?」
乙葉
「失望しちゃやだ!!!ご、ごめんなさい、きっと覚えてるよ!し、白川ちゃんとの思い出だもんね、絶対忘れてないよ!今はその、ほら、あ、あはは!暑くて頭がぼーっとしてて!?」
白川
「それは、水飲んだら?」
そんな、乙葉からしたら切羽詰まる展開を迎える傍らのこと。
裏路地の方から、大きな笑い声が聞こえてきた。
おぉ。もう夕方か。居酒屋も賑わい始めているようだ。
その男たちはすでにだいぶ酔っ払っていて、自分たちの声が常軌を逸していることに気づいていない。
乙葉は、必死に思い返そうと集中していた。だからか、どうしてもその大声が気になってしまっていた。
ちらちらと、その様子をうかがっていた。白川と酔っ払いと地面を順番に見るように。
それが、どうも酔っ払いの癪に触ったようである。不幸にも、酒癖の悪い連中だったようだ。
「おい!!!」
乙葉はビックリして地面に目をふせた。
逆に、白川が気怠そうに振り返る。
「おいお前だよガキ!!!」
乙葉
「ヒィッ。」
白川
「なんすか。声おっきいよ。」
「チラチラ見てんじゃねぇよ!こっち来いや!」
「やめなよーみっともなーい、キャハハ!」
「いいんだよガキなんざ、ぶん殴られねぇと分かんねぇんだからよ!!!」
白川
「あー……。
まぁいいや。行こ、ジロちゃん。少年少女の青春が浪費されちゃうっす。」
乙葉
「あ、う……。」
ぎゃあぎゃあと騒がしく責め立ててくる酔っ払い。しかし、白川には効かない。興味の無い人間にはとことん興味がない人種だ。対して乙葉は完全に身体が強張って、白川が手を引いてくれないと動けないくらいになっているが。
それでいい。酔っ払いなんか相手にしちゃならん。駅の中へ逃げ込んでいけ、そこまでは追ってこないだろう。駅員もいるし。
しかし。
「ケッ、あの男のガキ、女に手ぇ引かれて逃げやがった!最近のガキはなよなよしたヤツばっかだな、えぇ!?」
かったるそうだった白川の目に、急に炎が宿った。スマホいじりながら踵を返す。セミロングの髪が軌道を描き、その背には殺気。
お、おいおい、Uターンするな、そっち行くな!!!
乙葉
「やっ、し、白川ちゃん!?も、戻っちゃダメ!危ないって!」
白川
「軽くね、軽く。」
乙葉
「絶対に軽くならないからぁ!ご、ごめんなさ、僕が謝るからぁ!」
無論、乙葉が謝っても意味はない。
白川はついに酔いどれどもに接近し、しかし怒り狂うわけではなく、嘲るように笑ってみせた。
白川
「あのさぁ。うるさいんすけどさっきから。迷惑だなぁ。」
「は……?」
白川
「迷惑。あ、わかんないか。みんな困ってるよー?おっきい声こわいなーってなってるよー?ってこと。」
園児に向けるような解説をして挑発し、へらへらしてる白川。顔面蒼白で手を組み祈りを捧げる乙葉。
無論、躍起になる酔っ払い。あ、これはもう衝突不可避だ。
ど、どうする、仲裁に入るか。私、肉弾戦とか絶対できないぞ。壁にくらいはなれるか、いやなれない!相手は4人だぞ!?私が1人に殺害されてる間に、他の3人でひっ捕えられるのがオチだ!
け、警察、あぁ!交番すぐそこなのに遠い!デモリ!主人がピンチなんだぞ!エドガー!河川敷から出撃してこい!いっそ呪いのヤギでもいいから!
しかし、ここには誰にも……。
……え、ええい、どうにでもなれ!
私は間に飛び出て、白川を庇う。相手は味方の大人が出てきたことに激昂して、拳を鎖骨に当ててきた。痛い、が、デモリの尻尾ビンタに比べればまだ……。
乙葉
「あ……あぁ、アンプさん!?アンプしゃぁ……!!!」
白川
「え。こりゃ偶然、なにしてんすかここで。遊びたくてきたの?ツンデレ?はっはっは!」
アンプ
「バカ、は、早く逃げ……!」
私は振り返り、白川を抱えるように守る。背中に二発目、三発目と拳が叩きつけられていく。流石に回数重ねられるとキツすぎる。意識が遠のく。不幸中の幸いか、他の酔っ払いは暴力行為にドン引きしているようで、多数からのリンチは受けずに済んでるが……。
そんな私の耳元で、白川が囁く。
白川
「感謝してるっす。でも、助けなくてもよかったんだよ。
私とて、策も無しに突っ込まないって。」
白川は私の脇から手を通して、何かをした。
それはどうやらスマホ。明るいライトを当て、一瞬視界をくらませた。
その瞬間、白川は私の胸倉を掴んで引き、前傾姿勢を取らせる。殴られた背中の上に、跳び箱のように手で乗った。そのまま逆立って、思い切り腰を捻ってのスピンキック。
ものの見事につま先が酔いどれの頬骨に食い込み、ヤツは吹き飛んで壁に激突した。
乙葉
「わ……か、かっ、かっこいい。」
白川
「け。私から手出すつもりなんかなかったのに。
あ、来た。」
そこに現れたのは、スーツ姿の胡散くさい優男。神戸であった。
白川
「遅いっすよー。」
神戸
「えー。グループLINEに『すぐ池袋来れる人』ってあったから急いで来たのになぁ。なんて、近くにたまたまいただけー。
絡まれてるの。あーあー、かわいそうに。」
白川
「じゃ、この前の投資話のツケってことで。」
神戸
「あぁ、あれねー!かなり美味しい思いさせてもらったよ……それをこんなんで返せるなら安いもんさ!
よし。君ら、こっちおいで。うちの子に粗相した分はがんばってもらわなきゃさぁ……うんうん。」
いつの間にか回収していた彼らの免許を見ながら、スマホに映った絶対に違法なデータを参照して頷く。
神戸
「みんな家族いるねー。よしよし、売れる素体は多いほど良い!あ、君の妻は身籠ってるんだねぇ。よかったよかった、新生児は欲しがる人多くてねー。
あと足りない分は、そうだねー。蟹工船にでも乗ってきてよ!ダム工事でもいいよ!まっかせてよ、すぐ工面してあげるー。」
神戸は決して語調を強めたり圧をかけたりしているわけじゃない。淡々と闇の世界から手を伸ばしてきている。
だからこそ恐ろしい。この男の毒牙にかかったら、情状酌量の余地もなく人生終わらせられると、酔っ払ってても分かるのだろう。
ポイと投げ捨てられた免許を急いで広い、酔っ払いどもは必死になって逃げていった。
神戸
「あはは、ちょっと怖がらせたらコレだ。」
アンプ
「ダーティなヤツだな……。」
神戸
「まぁー、そうでもしないとお金たくさん集められないですからねぇ。
アンプさん、それにしても見直しましたー!子どもたちのために殴られて、偉いですねー!どうです、僕の懇意にしてる医者にかかりません?お安くしますよ?」
アンプ
「絶対やだね。」
それに続けて、小童どももわらわらする。
乙葉
「アンプさんっ……助けに来てくれて、本当に……本当に、ぐすっ。こ、怖かったですよぉ。助けに来てくれなかったら、死んじゃったかもだからぁ、ひっく。ありがとござましゅ……。」
アンプ
「泣くな、乙葉……。白川についていくというのはそういうことなのだ。
で、貴様。一体なにしてたのだ、乙葉を連れ回して。」
白川
「え。丸の内サディスティックめぐり。」
いや、小学生。貴様やっぱ小学生じゃないって。
アンプ
「はぁ……で?なんで喧嘩買っちゃったわけ。貴様なら喧嘩買わないで立ち去ると思ってたが。」
白川
「んー。ムカついたから。」
白川は泣きべそかいてる乙葉をチラッと見た。
そして、ふーと一息ついて、つぶやく。
白川
「……ジロちゃんの悪口言ったから。」
……ふっ。
白川。貴様もなんだかんだ、な。