-15-「狩られる側。」
アンプ
「そろそろお先に失礼します。」
「うーす、今日も早いな。」
アンプ
「まさかこれ以上仕事追加するつもりですか?」
「はは、いいや。これ以上は俺らのすることまで無くなっちまうよ。お疲れさん。」
仕事を切り上げて、河川敷へ向かう。
私は勤務時間中、馬車馬のように仕事をしている。それはなぜか。定時帰宅を厳守していることに一片たりとも文句を言わせないためである。おかげで人事においては常に優秀評価、出世街道の上を悠々自適に歩いている。
まぁ、それでも文句言ってくる者はいるのだが。こちらは辞めても結構の精神で構えているのでダメージはない。
悪いが、私は引く手数多だぞ。そもそも違法行為であるために断っているが、競合他社からもいくつか引き抜きの話をもらっている。
見た目の分を取り返すために血の滲むような努力をしてきたのだ。自分の持てるスキルには相応の自信がある。
しかし、そうやって生きてきたため、私には他の取り柄が見当たらない。
現に、私に趣味はない。無論、恋人も友人もいない。故に、私は何のために生きてるのか、老いてしまう前に自己に問わねばならない。
そのための思考の場が河川敷なのだ。わりとここに訪れるのも死活問題なのである。
さて。河川敷最寄りの国府台駅より降りて数分。いつもの定位置へ向かう……。
……いや。今日は小童どもとエンカウントしたくないな。一人で考える時間が欲しい。できればずっとそうでありたい。ということで、0.5kmほど離れた地点に向かおう。
少々歩いて、土手を上る。よし、今日はここでいい。斜面に身体を横たえて、と。
「そこに寝転がるな!」
いきなり叫ばれて、たまげる。え、なにかしたか。芝生育成中とか?
目の前を、金髪の筋肉マッチョメンが過ぎていく。私が横たわろうとしていた着地点には、ヨモギが群生していた。
「ヨモギは日本古来から親しまれる万能の薬草だ。塗れば止血、飲めば整腸。貴重な資源を失うわけにはいかない。」
アンプ
「……えぇと。よく分からないが、すまない。
じゃあ隣りに寝転がって、と。」
「いかん!そこにはオオバコが生えている!解熱鎮咳効果のある薬草だ!」
アンプ
「はぁ。じゃあこの隅っこでいいか……。」
「そっちにはドクダミがあるだろう!炎症や化膿の治療に有益なのを知らないのか!」
アンプ
「んもう!なんなのだ!どこに居ても薬草だらけではないか!」
「その通りだ。この地は天然の薬箱だ。お前はそういう視点を持って河川敷を見たことがないのだろう。
俺にとっては死活問題だ。ここで生き延びねばならん。全てが薬となり、全てが食事となり、全てが……武器となる。」
アンプ
「あ、貴方の事情は知り得ない。わざわざ河川敷でサバイバルをする理由など……ランボーかなにか?」
「ランボーか。ふっ、よく言われる。『江戸川ランボー』と巷では囁かれているようだ。」
アンプ
「小説家か。」
「よって、俺はそこから『エドガー』という名を自らに課した。無論、本名だとは思わんことだ。お前は?」
勝手に自己紹介が始まったぞ。自己紹介は少なからず縁を作り出してしまう恐ろしい儀式である。一人にしてくれって言っただろう。
だが……流石に、この筋骨隆々の大男を前に、うだうだと物申すほどの度胸はなかった。ストリートファイターⅢの主人公みたいな図体の輩だぞ。一発でも殴られたら二度と立ち上がれないだろう。
アンプ
「……巷ではアンプという蔑称で呼ばれている。」
エドガー
「あぁ、知っている。一応聞いただけだ。」
アンプ
「知られている……。
と、ともかく。私は一人の時間が欲しいのだ、放っといてくれ。というか貴様は……不法入国者じゃあるまいな。ここに住んでいるようだが。」
エドガー
「ふっ、さぁな。」
さぁなで済ましていい問題じゃあないんだよ。通報した方がいいのか、これ。
だが、こんなあからさまなの通報されてないわけがない。なのにも関わらず捕まっていないということは、やはり不法入国者ではないのか、あるいは捕獲者たちを迎撃してるのか……?
い、いいや、気にしてはならない。この人物、深入りしていいことなどない。
エドガー
「一人になりたいのなら、あそこがいいだろう。あの地点は薬草に乏しい。
ではな。あぁ、念の為に足元に気を付けるがいい。『罠』にかからんようにな。」
法もへったくれもないな、この男。急にこの河川敷がジャングルの戦場に見えてきたわ。
何の罠なのか分からないが、とにかく足元を注視して移動する。地中に埋めるタイプの地雷だったらもう注視さえ意味がないが、クレイモアだったらまだ避けられる……はずだ。
どうにか目標地点に到達し、横たわる。
はぁ。疲れたわもう。さて、ようやく一人の時間だぞ。久しぶりに江戸川と一対一で語り合える。川の波の音に耳を傾けて、私は自己の心象世界へと旅立っていくのだ。
「こんにちは。」
……今日はやたら声をかけられるな。何のために小童から離れてきたのか。
視界の上端から覗き込むように現れたのは、糸目のスーツ男。さらさらとした長く色素の薄い髪が、重力によって私の顔先へ向けられていた。
アンプ
「……関わらないでほしい。今、瞑想をしているところだ。」
「瞑想料をお支払いください。」
アンプ
「無茶苦茶言うな!何だ貴様、詐欺師か!?」
「『神戸』です。詐欺師かと言われれば、なんとも言えませんねぇ。」
アンプ
「カンベ……。では、準詐欺師が何の用だ。」
神戸
「1000円でも貸してくれませんか。どうです?僕に恩を売れると思って。」
アンプ
「恩なんか売っても得なことなどないだろう。」
神戸
「あなたは奇跡の上を歩いてここに辿り着いたことをご存知ない?」
……へ?
神戸
「まぁ、帰り道に足の甲を骨折したいのでしたらいいんですけど。ほら。」
神戸はとあるところに石を投げた。
するとどうだ、バチンと激しく叩きつける音が鳴り響いたではないか!あ、あんなところに強力な鼠取りが!?歩いてきたすぐ真横に……き、気づかなかった!
神戸
「しっ、動かないで。
あなたの股下にも……ほうら。鼠取り。危なかったですねぇ。少しでも腰を下ろすところを間違えてたら……もう男でいられなくなってましたよ?」
ヒュヒューーーーン。イメージしただけで縮み上がる思いだ。
神戸
「じゃ、さよならー。」
アンプ
「ま、待て!1000円だな、それでいいんだろう!?貸すよ、貸すって!」
神戸
「あ、ついさっき円安の影響で値段が上がりました。1200円です。」
アンプ
「円安ァ!?て、適当言って、ナメるなぁ!!!」
神戸
「あ、また小麦高騰の影響で値段が上がりました。1500円です。」
アンプ
「小麦の高騰は関係ないだろ流石に!
わ、分かった、1500円でいいから……!」
神戸
「ふふ、毎度ありです。すでにお財布から頂戴してありますよ。」
その手には約束の料金が握られていた。い、いつの間に!?
神戸
「じゃあお伝えしますね。南へ3歩、東に7歩、北へ2歩、さらに3m北へ跳躍して、東側へ斜め25度に11歩。そこでなみのりを使い、陸へ降りたらさらに東へ200歩、南に256歩、西に63歩。たんけんセットを使います。」
アンプ
「待て待て待て待て!!!
おい!嘘つけ!途中からダークライのバグ入手方法になってるじゃろがい!」
神戸
「おっと、これは失礼。
ところで、もうちょっとお借りできませんか?」
あ、足元を見過ぎだ、このペテン師め……!!!
許さん!
私は覚悟の上で立ち上がり、その男の肩を掴んだ。であるというのに、神戸は変わらずにっこりと笑っていた。
神戸
「もうちょっとだけ。」
アンプ
「返さなそうな面をしてよく言うわ。これ以上貸すものか!早く帰りのルートを教えるのだ、さもなくば貴様を転がしながら罠を撤去する!」
神戸
「おやおや、怖いことを言いますねぇ。じゃあ、今回のところはここまでにしましょっか。
罠、ここには無いですよ。」
アンプ
「へ。」
神戸
「というか、鼠取りは僕の私物です。演技でしたー。」
ふつふつふつふつ。
プッツン。
アンプ
「殺。」
神戸
「おや、攻撃ですかぁ?」
ムッカりときて、無意識に胸ぐらを掴んだ。
その瞬間。世界が逆転する。背中から地面に落ち、キンッと耳鳴りがして、呼吸が……ッ!?
神戸
「ダメですよぉ、手を出したら。そーれーは、マネーゲーム上の反則ですねぇ。
知略には知略で返しましょー。じゃあ、この教訓を1500円として、さっきのお金は返却不要ってことにしますねぇ。」
エドガー
「む。合気道か。上手いな。」
神戸
「あぁ、エドガーさん。どうも。お金、あります?」
エドガー
「1円もない。」
神戸
「ですよねー。お金無いって最強のセキュリティですねぇ。」
私は……。
小童から逃れてきたのに……。
なぜ、余計に魔境へ来てしまったのだろう……。
翌日。私は大人しくいつものところに戻るのだった。やるせない。強くなりたい。