04:猫とみんな
「ベス、散歩行こう」
玄関に立った良助が声を掛ければ、廊下の奥からチャッチャッチャと軽やかな足音が聞こえてきた。
黒毛の子犬ベスだ。その後ろを二本足で着いてくるのはルゥちゃん。自分用のハーネスを器用に前足で持っている。
『ルゥちゃんもお散歩行く』
「ハーネス着けれる?」
『ルゥちゃん器用だから自分で着けっ……、ベス!!』
散歩と聞いて興奮したベスにタックルされ、ハーネスを着けようとしていたルゥちゃんがコロンと転がる。
次の瞬間にベスのマズル目掛けて繰り出される猫パンチは見事なものだ。スパァンと音がしそうなほど。
そんな両者をまぁまぁと宥めて、良助は手早くベスのハーネスを着けた。ついでにルゥちゃんのハーネスも外れないか軽く確認しておく。
そうして、ベスとルゥちゃんを連れて家を出る。
ルゥちゃんは二足歩行が出来るようになったとはいえ歩みは遅いため、散歩の時は殆ど四足歩行だ。もしくは歩くのに飽きて良助に抱っこしてもらうか。
周囲の話を聞いても、SNSを見ても、殆どの猫は二足歩行と四足歩行を時と場合によって使い分けているようだ。
だが二足歩行をしたい時もあるようで、家を出てしばらくは二足でトテトテと歩く。ベスもマンション内では静かにするよう躾ているため、マンションの通路を歩く時は大人しくルゥちゃんの隣を歩いている。
『琥珀、今日いるかな』
「天気が良いし、もしかしたら居るかもな。……お、」
噂をすれば、と良助が通路の先を見た。
マンションゆえ同じ扉と窓が並ぶ。
だが窓は各々多少の変化があり、とりわけ天気の良い日はどの家も窓を開けているため、カーテンの色や観葉植物が置かれていたりと違いが顕著だ。
そんな並ぶ窓の一番端、網戸越しにゆったりと寝そべりながら外を眺めるのはふわふわの長毛の猫。
良助がルゥちゃんを抱き上げて近付けば、ルゥちゃんが『琥珀!』と猫を呼んだ。
『琥珀、こんにちは』
『ルゥちゃん、こんにちは。お散歩?』
網戸越しに鼻を合わせながらも言葉でも挨拶をするルゥちゃんと琥珀。
二匹の会話が聞こえてきたのか、窓の奥から「琥珀?」と呼ぶ声が聞こえてきた。
その声に良助が僅かにドキリとし、咄嗟に髪を手で整え上着にヨレや皺はないかと軽く引っ張る。
「琥珀、誰と喋ってるの? あ、こんにちは!」
窓の向こう、家の中、琥珀越しに一人の女性が顔を出した。
琥珀の飼い主。もっとも、2月22日に猫から直々に共存を求められて以降、猫飼いはもちろん犬や兎、鳥、爬虫類等々、生き物を飼育する者達は『飼い主』や『主人』と言った表現を避け『家族』『ルームメイト』と自分達を呼んでいる。
彼女は琥珀の家族。名前は秋坂茜。
「こんにちは井波さん、お散歩ですか?」
「は、はい。今日は天気が良いから、ショッピングモールの中にある公園に行こうかなと思って。この時間はベスの友達も多いんで」
「あそこの公園、晴れてるとワンちゃんでいっぱいですもんね」
茜が溌剌とした笑顔で話す。対して良助は少し緊張しながらも、はにかむような笑顔で返した。
そんな会話の中、茜がふと何かを思い出したように「そういえば」と話しだした。
「あの公園に隣接してるモールのペットショップ、今セールやってるんですよ。知ってますか?」
「本当ですか?」
「昨日、仕事帰りに覗いてみたんです。新シーズンの商品を並べるためのセールらしくて、だいぶ安くなってましたよ」
「ちょうど水用の皿を増やそうと思ってたんで覗いてみます。ありがとうございます」
二人が会話をしていると、ワフッという鳴き声と呼吸の合間のような声が聞こえてきた。
ベスだ。ここまで我慢していたが、痺れを切らしてしまったのだろう。跳ねるような動きで、人語こそ使わないが『早く公園行こうよ!』と訴えている。
そんな子犬の愛らしさと分かりやすさに茜が苦笑し、琥珀と声を揃えて「『いってらっしゃい』」と告げてきた。
茜と琥珀に見送られ、マンションを出て公園へと向かう。
定番コースではあるが動物の嗅覚には新鮮なものや情報で溢れているのだろう、ベスはあちこちふんふんと嗅いで回り、ルゥちゃんも時折『ベス、それなぁに?』と横から顔を突っ込んで嗅いでいる。
『ルゥちゃん、琥珀にお花持って帰ってあげるの』
「花?」
『琥珀はお外に出ないから、時々琥珀のお姉さんがお花とか葉っぱとか持って帰ってあげるんだって。だからルゥちゃん公園のお花持って帰るねってさっきお話したの』
「そっか、じゃぁ綺麗な花を選ぼうな」
良助が話せば、ルゥちゃんが『うん』と返す。
次いでベスのもとへとちょこちょこと歩いていくと、ベスが嗅いでいる看板を一緒に嗅ぎだした。
ふんふんと鼻を近付けるところはやはり猫だ。それでいて二足歩行で立って嗅いでいるので不思議だが、そろそろ見慣れてきた。
「そっか、持って帰る約束したのか……。そそれなら秋坂さんにもまた会えるかな」
ルゥちゃんとベスが話し合いながら看板を嗅いでいる間、良助が期待と照れ臭さを交えた声で独り言ちる。
秋坂茜と話すようになったのはここ数ヵ月の事だ。それ以前はだいぶ多忙だったようで、通路側の窓は殆ど閉めっぱなしで、エントランスや近所で会う事も無かった。
だが仕事を変えたのか、最近は休みの日は通路側の窓を開けており、日中や夕方仕事帰りにエントランスホールで遭遇する事もある。
そこから知り合うようになりまだ月日は浅いが、最近では彼女から声を掛けてくれるようにもなった。溌剌とした笑顔の可愛い女性だ。
「そういえば、秋坂さん、モールの公園にも行くような感じの話し方だったよな。ツクシさんの家も知ってるかな?」
『ツクシ!』
良助が話すのとほぼ同時にルゥちゃんが声をあげた。
道の先にある一軒の家屋。出窓にはふわふわの猫が数匹固まっている。遠目からだと大きなクッションかぬいぐるみとでも思われかねない固まり具合だ。
絡み合うように眠る三匹の猫と、その横で一匹一匹愛おしいと言いたげに舐めてやる母猫。
綺麗な花柄のシートが敷かれた出窓で眠る猫達の光景は微笑ましい。
『ツクシのおうち今日も皆で一緒に寝てる』
「窓が開いてるから、ルゥちゃん挨拶する?」
『する』
ルゥちゃんを抱っこして出窓へと近付く。
子猫達はぐっすりと熟睡しているようでルゥちゃんには気付いておらず、母猫のツクシだけが『こんにちは』と品良く挨拶をし、網戸越しに鼻を寄せてきた。
『こんにちは、ルゥちゃんは今からお散歩です』
『今日は天気が良いですから、お散歩日和ですね。車には気を付けて』
暖かな日差しを受けているからかツクシは普段よりもふかふかとして見え、上品な喋り方と良く似合っている。
ゆったりと横になる彼女の腹部では子猫達が固まって眠っており、一匹が母の話し声に気付いたのかゆっくりと顔を上げ……、そして眠気に負けて母の腹部に顔をポスンと埋めて夢の中に戻ってしまった。
その仕草が愛おしいと言いたげにツクシが子猫の頭を優しく舐める。
『ルゥちゃん、後で公園のお花を持ってきます』
『本当ですか? 子供達が喜びます』
ツクシの声に嬉しそうな色合いが混ざる。
ツクシは元野良猫で野良時代に子猫達を産んだという。この家、美作家の先代猫が縁を繋いで今ここに居るらしいが、野良時代に相応に苦労したらしい。
以前にその話を聞いて労ったところ、穏やかに『今が幸せですから』と返してきた。
そんなツクシに挨拶をし歩き出してすぐ、一人の女子高校生とすれ違った。活発で若さ溢れんばかりの笑顔が眩しい少女だ。
彼女とすれ違って直後、背後から「ツクシ、ただいま!」と弾んだ声が聞こえてきた。反射的に降り返るもすでに女子高校生の姿は家の中へと入ってしまった。
マンションを出て、ツクシの家の前を通り、ショッピングモールの中央にある公園に入る。それが散歩の定番コースだ。
天気が良いだけあり公園には人が多い。
子連れで遊びに来ている近隣住民はシートを引いて楽しそうに話しており、本格的なウェアを着て外周をランニングする者や、遊具を使って遊んでいる者もいる。ベンチに座って軽食を取っている者達の横には紙袋が置いてあるあたり、モールの買い物客だろうか。モールにはフードコートもあるが、天気の良い日はテイクアウトにして外で食べる客も多い。
犬を連れている者も多く、公園に入るや活気あふれる空気に当てられたのかベスがあっちに行きたいこっちに行きたいとくるくると回り始めた。ここまで大人しく着いてきたのだから、よく我慢した方だ。
「よし、とりあえずベスを少し走らせるか。ルゥちゃんは一緒に走る?」
『抱っこ!!』
「……はいはい」
二本足で立って前足を伸ばしてルゥちゃんが抱っこを強請ってくる。
それに応えるために良助が屈んで手を伸ばし抱き上げようとした瞬間、待ちきれないと言いたげにその場で回っていたベスがルゥちゃんを誘うために勢いよく駆け寄った。
「ベス!」
良助の静止の声が空しく響き、ルゥちゃんがタックルをくらって転がり……、はせず、ベスに飛びかかられる前にぴょんと飛んで良助に抱きついた。
哀れターゲットに逃げられたベスは勢いのままにその場にべちゃと転がった。もちろん今回は一匹で。
『ルゥちゃん凄いでしょ!』
良助にしがみつき、ルゥちゃんが得意げに誇る。
もっともベスはこれぐらいでは懲りることも落ち込むこともなく、すぐさま立ち上がると何事も無かったかのように散歩の続きを強請りだした。
黒毛の尻尾をこれでもかと振って、『早くい行こう! 早く!!』と人語ではなくとも瞳と仕草で訴えてくる。
「それじゃ、行こうか」
ルゥちゃんを抱っこし、ベスのリードを手に、良助は晴天の公園を走り出した。
進化と衝撃の2月22日を経て、猫も、人も、犬も、今日も平和だ。
……END……
猫の日のオムニバス、これにて完結です!
楽しんでかつ猫への愛を感じて頂けたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました!




