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03:ヨモギと家族


※猫の老衰描写があります。

苦手な方はご注意ください。

今回の話は読み飛ばして次話に飛んでも平気です。


※猫の老衰描写があります。

繰り返しになりますが、苦手な方はご注意ください。



 世界中で猫が立ち上がり人語を話している。

 そんなニュースがテレビから流れたのを見て、美作舞子(みまさかまいこ)はそっとチャンネルを変えた。

 今は元気な猫の映像を見るのが辛い。


 舞子の目の前では、柔らかなシーツの上に横たわる老猫。

 愛猫のヨモギ。錆柄の大人しい猫だ。

 年齢は既に猫の平均寿命を超えており、今日か明日にでも虹の橋を渡ってもおかしくない。昨日の朝から顔を上げることも出来なくなり、スポイトで水を飲ませても殆どがシーツに落ちている。

 数日前に掛かり付けの動物病院に母が連れて行ったところ、先生はヨモギの体を撫でながら「後はもうおうちで過ごそうね」と言っていたという。学校があったため舞子は詳しい話は聞いていないが、つまりはそういう事だ。


 世界中の猫が立ち上がろうが喋ろうが浮かれる気分にはならず、騒ぐ世間を他所に美作家は静かにヨモギを囲んで座っていた。

 父も母も、舞子も、ヨモギに声を掛けながら体を撫で、時折思い出話をする。


 そんな中、横たわっていたヨモギが少しだけ顔を上げた。

 微かに開いた口からヒュゥと小さな音が漏れる。舞子はもちろん父も母も「ヨモギ!」と名を呼んで覗き込んだ。


『ママ、パパ、舞子ちゃん……』


 掠れるような声でヨモギが呼ぶ。

 もはや猫が喋っているという事に驚いている場合ではない、それよりもヨモギが名前を呼んでくれた事が嬉しく、舞子の頬を涙が伝った。母も手にしたハンカチを握りしめている。


『良かった……最後にちょっと、お話できて……』

「ヨモギ、大好きだよ。ヨモギ」

『ありがとう。ヨモギも大好きだよ、幸せだったよ……。それは伝えたかったから……』


 間に合って良かった、とヨモギが掠れる声で話す。

 だがそれ以上はもう伝えたいことはないという。すぐさま『もうじゅうぶん』と満足の言葉を口にした。


『人の言葉は話せないけど、伝えたいことは全部分かってくれたから』


 ヨモギのその言葉に、舞子はもちろん父も母も深く何度も頷いた。


 ヨモギは子猫の頃、アレルギーを発症して飼えなくなった知人から譲り受けた子だ。

 その後、舞子が生まれ、共に育ってきた。今ではヨモギは家族の誰よりも年上の扱いだが、昔はヨモギが美作家の第一子で舞子が第二子のような扱いだった。

 それだけ一緒に生きてきたのだ、たとえ言語は違っていても伝えたいことは分かる。『お腹空いた』『遊ぼう』『お気に入りの玩具はどこ?』『おやつ欲しい』『もう寝ようよ』と……、僅かな鳴き声の違いや顔、仕草、纏う空気、全てで伝わってくる。

 そして同時に、舞子達が伝えたいこともヨモギは理解してくれていた。「もう寝ようか」と話しかけると寝室へと行き、「ご飯食べる?」と聞けば皿のところへ行き、「大好きよ」と告げると嬉しそうに目を瞑って返してくれていたのだ。


「そうだね、伝えたいこと、全部伝わってるもんね」

『だから、もうなにも……、でも、最後にお願いが……』


 虚ろになりつつある喋り方でヨモギが何かを願おうとしている。これを断る理由など無く、舞子達は一言足りとて聞き逃すまいと身を寄せて「何でも言って」と先を促した。



 ヨモギが望んだのは、ヨモギの死後、毛を抜いて丸めたものを玄関の外に飾ってというものだった。

 それもどこかに飛ばされないよう、だけど風に当たるように……と、内容からは意図までは分からない。

 だが分からなくともヨモギが最期に望んだ事だ。誰もが必ず守ると約束すれば、それを聞くとヨモギは安心するように目を閉じて『大好き』という言葉と共に深い眠りについた。



 ◆◆◆



 ヨモギが虹の橋を渡って数日経った。ペット霊園での葬儀と火葬を済ませると沈んでいた気持ちも少しだけ落ち着きを取り戻し、学校では友人達と笑い合うまでに気持ちは回復していた。

 ふとした瞬間に思い出しては泣き、とりわけ立ちあがり喋りだす猫の話題になると悲しみと寂しさが湧き上がるが、いつかは乗り越えなければならないだろう。


「ただいま、ヨモギ」


 学校から帰り自宅に入る前、玄関に置かれたヨモギの毛の玉に声を掛ける。

 ヨモギが最期に願った事だ。毛で作った小さなボールは風に当たる場所に、それでも飛ばされないよう、可愛らしいカゴの中に入れてある。もちろん雨に濡れない場所だ。出掛ける時と帰る時に声を掛けるのが日課になっている。


 そうして夜、コンコンと玄関が叩かれた。インターフォンではなく扉を叩く音だ。


「何……?」


 舞子が疑問を抱けば、母と父も不思議そうな表情で、各々モニターフォンを点けたり窓から外を覗いている。

 母曰くモニターフォンには何も映っていないらしい。対して父は窓の外を凝視し……、「猫?」と呟いた。


『ごめんくださいまし』


 と、そんな声が聞こえたのはちょうどその時だ。

 鈴の音のような品の良い声。父が「とりあえず出てみる」と玄関へと向かって扉を開けた。


 そこに居たのは三毛猫だ。

 後ろ足でちょこんと立ち、扉が開くと『夜分遅くに失礼します』と丁寧な挨拶を告げてきた。

 そんな三毛猫の後ろには子猫が計三匹。三毛が一匹、茶虎が二匹、生後三ヵ月前後ぐらいだろうか、興味深そうにあちこちを嗅いでいる。


『こちら、ヨモギさんのお宅でよろしかったでしょうか』

「ヨモギ……。はい、ですがヨモギは」


 もう……、と父が言葉を濁せば、三毛猫も僅かに俯いて『知っています』と返してきた。

 そんな三毛猫を寒い外に立たせたままでは忍びないと考えたのか、父が「どうぞ中へ」と案内した。

 母が「猫のお客様に出すのはお茶じゃ駄目よね。お湯?ミルク?」と首を傾げている。舞子もヨモギのおやつが残っていたことを思い出し、キッチンの棚へと向かった。



 テーブルには舞子と両親、それと三毛猫。子猫たちはミルクとおやつを堪能して今はクッションの上で眠っている。

 何から聞けば良いのか分からない中、家族を代表するように父が口を開いた。


「ヨモギとはどんな関係で?」

『ヨモギさんとは会ったことはありません。でも、ヨモギさんが虹の橋を渡る前に、この家に来るように教えてくれたんです』


 自分はもう居なくなる。だから子猫を連れて美作家に行けば、きっと一緒に暮らしてくれる。

 そうヨモギの声が聞こえたという。

 次いで漂ってくるのは嗅いだことのない匂い。それでも不思議とヨモギのものだと分かり、辿って美作家までやってきたのだという。


 この話に舞子と両親は目を丸くさせて顔を見合わせた。


 信じられない。

 だけど、そもそも猫が二足で立って人語を話すこと自体、最初は自分達も信じられなかったではないか。

 それならヨモギが死ぬ直前にこの三毛猫家族に美作家に来るよう伝えていても不思議ではない。


『この子猫たちは私の子供です。父親は飼い猫で、家を抜け出した時に逢いました。だけど子供が生まれる前に家に戻されてしまったんです』

「そうですか。それは大変でしたね」

『野良の世界ではよくあることです。でもまだ寒い日があるし今年は水もご飯も見つかりにくくて、この子達を育てきれるのか……』


 話す三毛猫の声には不安が込められている。それが野良の世界では仕方ないことだと分かっていても、母猫として辛いのだろう。

 そんな苛酷な中で聞こえてきたヨモギの声はきっと救いの声に思えたに違いない。藁にも縋るような思いで美作家まで来たのだ。

 この話に舞子は居ても立っても居られず「お父さん、お母さん!」と両親を呼んだ。願うような気持ちで二人を見れば、同じ気持ちだったのだろう彼等も頷いて返してくれた。

 舞子の胸に安堵が湧き、三毛猫にぐっと身を寄せる。


「ヨモギが繋いでくれた縁です。ぜひうちに来てください!」

『ほ、本当に良いんですか……? あぁ、良かった。どうぞ子供をお願いします。どの子も良い子ですから』


 三毛猫が子猫達の方へと向けば、三匹の子猫はまるで一つの塊のように身を寄せ合って眠っている。

 三毛猫はお淑やかな女の子で、茶虎はやんちゃな男の子としっかり者の女の子。どの子でも気に入った子猫を選んでくれと三毛猫が告げる。

 その話し方に、母が「選べません」と返した。三毛猫が不思議そうに今度は母を見る。


「ヨモギが連れてきてくれた子を選ぶことは出来ません」

『それは……』

「家族は一緒じゃないと。だからみんなうちに来てください」


 母の言葉に、三毛猫が元々大きな目をより丸くさせた。

 そうして嬉しそうに、そして少し悲しそうに、『子供達をお願いします』と託してくる。

 そんな三毛猫の前足を舞子は掴んだ。小さくふわふわの前足だ。ヨモギに比べて肉球は少し硬いが、この前足もまた愛おしい。


「ヨモギはずっと一緒に居て、猫の愛しさを教えてくれました。遊び盛りの猫の愛らしさも、大人になった猫が甘えてくる可愛さも、老猫が寄り添ってくれる愛おしさも。全部教えてくれました」


 舞子が話せば、両親が同意だと頷く。「子猫の成長を見守る幸せもね」と付け足すのは、ヨモギの子猫時代を残念ながら舞子は覚えていないからだ。

 ヨモギと舞子の成長を同時に見守る時間は暖かく尊いものだったのだろう、思い出す両親の表情は穏やかだ。


「だから、皆でうちに来てください。お母さんももちろん一緒に。これからは私達もお母さんも子猫達も皆で家族です」


 そう舞子が告げれば三毛猫が繋いだ前足に力を入れた。


 小さな手が舞子の指をきゅっと掴む。

 嬉しそうに目を瞑り額を寄せてくる三毛猫を、舞子はそっと優しく抱きしめた。




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― 新着の感想 ―
うちの猫が死んだのはもう10年以上前だし大丈夫だと思ったがやっぱり無理だった 途中からいくら拭っても涙が出続けてしまった。この世界の愛猫家たちが羨ましい
[一言] 猫が死んだら猫を飼え!とは先達の尊い教え。新しい猫ともまたいつか別れるけれども、飼える環境にある人はいつまでも猫を飼うとよいですな!人生でめぐり合えるネコはそんなに多くないですからね~。 犬…
[一言] 心にキュンときましたW
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