01:ルゥちゃんとベスとお兄さん
2月22日、2が並ぶこの日は猫の日と呼ばれており、とりわけ2022年の猫の日は猫好き達がそれはそれは盛り上がっていた。
そんな中、一人の生物学者がとある説を発表した。
『2022年2月22日を迎え、猫達は新たな進化を遂げた。
そして翌年2月22日、進化から一年の時を経て、世界の猫達は二足で立ち上がり人語を話すだろう』
猫についてのこの報告は荒唐無稽も良いところ。
誰もが笑い飛ばし、中には立場ある身で冗談が過ぎると怒り出す者や、研究のしすぎで頭がおかしくなったのではと心配する者もいた。
だが翌週、遺伝子学の第一人者がこの説に同意し、更に翌週は別の分野の学者が「あり得ない話ではない」と信憑性を説く。
翌日もまた一人、その後は数人、数十人、更に学会全体が……と続き、来る2月22日を目前に控えた2月初旬には、猫は立って人語を話すという考えは世界共通のものとなっていた。
2月22日、井波良助宅。
逸る気持ちを押さえつつ、良助はその瞬間を心待ちにしていた。
その瞬間とは言わずもがな、猫が立ち上がり話し出す瞬間だ。良助も最初は夢物語だと仲間内で笑っていたこの話だが、一年が経った今は誰もが信じ切っている。
「ルゥちゃん、いつでも立って良いからな」
そう良助が話しながら、膝の上でごろんと寝転がる猫を撫でた。
井波ルル、通称ルゥちゃん。今月で生後七ヶ月を迎える、クリームカラーが暖かみを感じさせる可愛い猫だ。少し手足が短いのでスコティッシュフォールドの血筋かと思ったが、動物病院の先生に「ちょっとおててとあんよが短いだけですね」と告げられたのは記憶に新しい。
ルゥちゃんは親戚の家で飼っている猫が産んだ子だ。一匹どうかと声を掛けられたのが縁で良助の家にやってきた。
ちょうど世間は猫が立ち上がる瞬間をと考え猫を飼い始める者が増えていた頃合いで、そんな中での「生半可な好奇心で動物を飼う人には渡さない」という親戚の言葉に胸を打たれたのだ。……あと、一目見て可愛さに虜になったというのもある。
「ルゥちゃんが話すようになったら五月蠅いかもなぁ。でも何を言ってるのかわかるのは嬉しいし、俺も助かるから……、ルゥちゃん?」
膝の上で丸くなっていたルゥちゃんがおもむろに立ち上がり、ぴょんと膝から降り立った。
そのままふかふかのラグの上を四つ足でスタスタと歩く。
かと思えばくるりとこちらを向き、アーモンドのような茶色い瞳でじっと良助を見据えた。甘えん坊で我が儘なルゥちゃんらしからぬ、真剣な顔だ。
「まさか……」
ついにその瞬間なのか。
本当に猫が立って喋るのか。
期待と緊張が良助の胸の内に一気に沸き上がる。
「ルゥちゃん」と呼ぶ声は上擦っている。
そんな中、ルゥちゃんはニャーンと高く一度鳴き……、
後ろ足で立ち上がった。
遊んでいる時にたまたま立ち上がった時とも違う、抱っこやおやつを強請って前足を引っかける為に立ち上がる時とも違う。
ふわふわの毛で覆われた後ろ足で器用に体を支え、よろつくことなくすくと立ち上がったのだ。
そのうえ『我々は……』と人語で喋りだすではいか。
「ル……ルゥちゃん……!」
『我々は新たな進化を遂げっ……!!!」
と、流暢に喋っていた。……途中までは。
喋っている途中で黒い子犬にタックルをされて哀れラグの上に転がって、喋るどころではなくなったのだ。
子犬の名前は井波ベスティアーヌ、通称ベス。ルゥちゃんより三ヶ月早くこの家にきた子犬である。ルゥちゃんの事が好きで、常に好きが溢れてたまに飛びかかってしまう。
「ベス、ちょっと待ってあげて、今せっかくルゥちゃんが立ち上がったから」
『われ……我々、は、あらたなっ……!!』
立ち上がったルゥちゃんが仕切り直しだと喋りだすも、再びベスがタックルをした。
きっとルゥちゃんが普段とは違う動きをしたことを遊びへのお誘いと勘違いしたのだろう。黒毛の尻尾をちぎれそうなほどに振っている。
そんなベスを前足で押さえ、ルゥちゃんが再び立ち上がった。
『我々は新たな進化を遂げまっ……!!!』
三度目のベスタックルである。思わず良助も「ベス!」とタイミングよくベスを呼んでしまう。
これにはルゥちゃんも参ったのか、ベスから逃げるようにキャットタワーをトントンと上っていった。
ベスが遊びたい時、ルゥちゃんは一緒に遊ぶ時もあれば、こうやってキャットタワーに逃げる事もある。ベスはタワーを上ることができないため床に転がって遊んでアピールをするだけだ。
安住の地に逃げたルゥちゃんはと言えば、今度こそと言いたげにタワーの最上段ですくと立ち上がった。
『ルゥちゃんが今お話してるでしょ!!』
かなりご立腹だ。
「ル、ルゥちゃん……、そうだなごめんな。ベスがはしゃいじゃって」
『ルゥちゃんがお話するんだからベスは押さえてて!!』
「そうだな、ごめん。よし、ベスおいで」
パンと軽く手を叩きながら呼べば、タワーの下で転がっていたベスが跳ね上がるようにして良助の元まできた。
ぴょんと膝の上に乗って、はふはふと嬉しそうに鼻を寄せてくる。それを撫でて宥めれば、はしゃぎはするが根は聞き分けの良いベスは主人の意図を察して膝の上で伏せの体勢を取った。
「ルゥちゃん、ベスも落ち着かせたからさっきの続きを」
『ベスだけ抱っこしてズルイ!! ルゥちゃんも抱っこして!!』
ルゥちゃんがぴょんぴょんと華麗にキャットタワーから飛び降り、『抱っこ!』と良助に駆け寄り……、
「待ってルゥちゃ……、ベス!」
という良助の制止もむなしく、膝から軽やかに飛び降りたベスのタックルを喰らった。
◆◆◆
「それで、猫は人間との共存を望んでるのか」
『そうなの』
「でも後ろ足だけで立つなんて凄いな」
『そうでしょ』
ご満悦なルゥちゃんが良助の問いに返す。
ルゥちゃんは良助の膝の上にあおむけに抱っこされており、お腹を撫でられてご機嫌だ。
良助の足元ではボールを咥えたベスがゴロゴロと転がっており、良助がボールを手に取って軽く投げると嬉しそうにそれを追っていった。しばらくボールを転がして遊び、また投げてくれと咥えて持ってくる。
ルゥちゃんを抱っこし、ベスを遊ばせる。そんな中、良助はふと手元に置いていた携帯電話を手に取った。
「他の猫も立ちあがってるのかな」
猫を飼っている友人に連絡を取って、それとSNSをチェックしよう。きっとSNSは立ちあがって喋る猫の報告で溢れているはず。
そう思って操作するも、ふわふわの前足がぐいと携帯電話を押してきた。
『ルゥちゃんが居るでしょ!』
というお怒りの叱咤。
「そ、そうだな。ルゥちゃんがいるから他の猫を見ちゃ駄目だな。それなら、ルゥちゃんが立って喋ってるところを動画に撮ってもいいかな」
『お写真撮るの?』
「そう。家族に見せたいし、それと友達にも。SNSにも上げようかな。みんな喜ぶよ」
『それなら良いよ。ルゥちゃん、しっかり立ってお喋りできるから、ちゃんと撮ってね』
良助の膝からぴょんと飛び降り、ルゥちゃんがいそいそとカーペットの中央に向かう。
そうして一度ちょこんと座ると『撮って良いよ』と合図を出す。良助が携帯電話を構えれば、ルゥちゃんがすくと立ちあがり、得意げに喋りだそうとし……、
「『ベス!!』」
と、見事なまでにベスのタックルを喰らい、画面からフェードアウトしていった。
この動画と、それとフォローのために付けたルゥちゃんとベスが固まって眠っている仲の良い写真は、SNSで少しだけ話題になった。
次話は02:22更新予定ですが、睡魔に負けたら手動で近い時間に更新します。