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 それから今日までのことについて、最後に語る。


 エルは痕跡も残さず姿を消した。

 池田と一緒に彼女の家を訪ねてみたりもしたけれど、そこには空き家が一つあるっきりだった。


「わたしのせいかしら」


 周囲で聞き込みまがいのことまでした後にしゃがみこんだ池田がポツリと言った。


「わたしが優斗くんを取ったから……」


 その頃には僕と池田は付き合うようになっていた。

 実を言うと僕もちらりと同じようなことを思いもしたけど、でも無理矢理その考えを振り払って首を振った。


「それはないよ。エルはそんな奴じゃない」


 でも、それからもずっと行方を探し続けているけど、あれ以上の情報は得られていない。

 エルが本気で身を隠そうと思ったら、それを覆して見つけることは僕たちにはできないのかもしれなかった。


 そのまま七年の月日が過ぎた。

 僕らは二十四歳になっていた。




◇◆◇




「気を付けて帰るんだよ」


 僕が手を振ると、下校中の小学生が笑顔で手を振り返してきた。


「はーい。じゃーね、お巡りさん」


 それを見送って僕は再び自転車をこぎ始める。

 強い風で制帽が飛ばされそうになって慌てて手で押さえた。

 そう、今の僕は警察官だった。


 大学卒業後に試験を受けて警察学校に行って、今年でようやく採用から一年だ。

 大変なことも多いし正直くじけそうになったこともすでに一度や二度じゃないけれど、今まで鍛錬してきたことが役に立ったと感じる。


 地域警察というのは割合に僕に向いていた。

 地域に深くかかわりそこで生活する人たちを脅威から守り抜く。

 僕のなりたかった姿がそこにあった。


 詩織はまだ大学院にいる。

 臨床心理士の資格取得を目指して今も勉強を頑張っているのだ。

 彼女との結婚はそれを待ってからという約束だけど、頭がよくて努力家の詩織のことだ、試験に落ちるということはないだろう。


 そして、エルは。

 エルはいまだに見つかっていない。

 風の噂で東京で占い師をしているとは聞いた。

 凄腕で、抱えている客も多くて、でもひとところにとどまらない不思議な占い師なんだそうだ。


 もう地元にはいないんだろう

 エルはここを捨てたのかもしれない。

 そう思うと僕は少し寂しくなった。


「ちょっと、ここでの営業は禁止ですよ」


 夕方に商店街の見回りをしていた時、僕は隅っこの方にミニテーブルを立てて椅子に腰かけた怪しい奴がいるのを見つけた。

 黒いフードをすっぽりとかぶってやはり黒いローブという格好のひどく小柄な人影だ。

 路上の占い師かと思ったけどテーブルの上には何もなくてまっさらで、それがまた怪しかった。


「まあ座りなよ、お兄さん」


 勝手に老婆だと思っていた僕は、その若い声にハッとした。

 彼女のフードの横っちょに、装飾品のように三体のバイキンマン人形がぶら下がっていた。


 エルだ。

 僕はその瞬間に胸の奥から湧いてきたものの熱さに、思わず叫びそうになった。


「それはやめといたほうがいいよ。近所迷惑だし」

「え?」

「ずいぶん読み取りやすくなったね。確固たる自分を持ったおかげかそれとも心の壁が柔らかくなったのか。どちらにしろいいことだと思うよ」


 フードの奥でエルの口元が微笑んだ。


「久しぶり、優斗」


 そして僕を手で制した。


「おっと、事情は一つずつ説明するから騒がないでよ?」

「……わかったよ」

「よかった」


 うなずいて、エルは息をついた。


「どこから説明しようかな。うん、そうだね。なんで突然姿を消したか、だね。実を言うとあの時わたしを預かってくれてたおばあちゃんが死んじゃってさ、いろいろあった後、別の親戚に預けられることになったんだ」


 彼女はそのせいで引っ越すことになり、僕たちから離れ、その後もいろんなところを転々としていたらしい。


「でも、それなら連絡ぐらい……」


 僕はそう言ったけれど、エルは首を振った。


「まあそれはちょっとできなかったな。変に心配させたくなかったし」

「嘘言うなよ。僕が詩織と付き合ったからじゃないのか?」

「そんなわけないじゃん。偶然偶然」


 でも、不思議とその時の僕にはエルが何を考えているのか手に取るように全部分かった。

 だから怒ったんだ。


「嘘だ。エルは怖くなったんだ。あの時詩織の気持ちは読めて僕の心は読めないから。でもわかっていただろう! 僕は、僕だってエルのことが――」

「優斗。それはダメだよ。思っても言っちゃダメだ」


 僕は言葉を詰まらせた。


「それにわたしはあの時もうすでにキミの心は半分読めてた。だから、去ろうって決めたんだよ」

「……っ」


 言いたいことはいくらでもあった。

 でも、それらは頭に浮かびはしてもどうしても言葉では表現できないことばかりだったんだ。

 だから仕方ない、言葉になることを言うしかなかった。


「僕は……エルを、エルみたいな人になりたくて頑張ってきたんだ。でもそのせいでエルを一人にしちゃったんだね」

「……」


 エルは何も言わなかったけど。

 今の僕はもうすっかりアンパンマン側だった。

 正論で動く、正論でしか動けない、そういう人間になっていた。

 エルに学んだのに。エルを目指したのに。


「でも、そういう人がいないと世の中って回らないもんだよ」


 頭を抱える僕に、エルの声はどこまでも優しかった。


「会えてよかった」

「エル?」


 僕は慌てた。

 またどこかへ行ってしまうのか?

 どこへ? 今度はいつ会える?


「もう会わないよ」

「なんで」

「今日で全部確認は取れたから。やっぱり去ったのは間違いじゃなかったって思えたよ」


 エルはそう言って立ち上がった。

 さあてバイキンマンは消えましょう、負ける定めの者ならば。

 そんなことをうそぶいて。


「じゃあね。バイバイキン」

「待って……」


 その時一陣の風が吹いた。

 その風は商店街の道に溜まった埃を舞い上げて、僕の目を一瞬だけふさいだ。


「エル!」


 目を開けるとそこにはもう誰もいなかった。

 ミニテーブルも椅子も何もなくて、夜になった道は嘘みたいに静かだった。


 僕は夜空を見上げた。

 エルはこういう夜空の下、またどこかで誰かを救うのだろう。


 その隣にいることはもうできない。

 そのことは僕の胸の奥をチクリと刺したけれど、だからこそ僕はここで僕にできることをするしかないんだと、それを悟った。


 星の光が涙ににじんだ。




(終)

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