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エルが退院してからのことについて。
エルは無事学校に帰還すると、本格的に活動を再開した。
「カウンセリング」だ。
もちろんまともなカウンセリングじゃない。
彼女の特殊能力をガッツリ活かしたヤバいラインすれすれなやつだった。
相手の思考を読んで素性やら本人しか知らないことを当てて見せるのでつかみはばっちり。
なんかやっぱり占い師みたいだし本人のまとう妙な雰囲気もあって怪しさ満点だけど、そこもウケはよかったらしい。
それに彼女の不審部分は真面目な池田が真摯な対応で補った。
「大丈夫。あなたの悩みはわたしたちが必ず解決しますから」
だから、案外結成されるべくして結成されるコンビだったのかもしれない。
依頼は飼い猫探しから恋愛の悩み、イジメの仕返しまでいろいろだった。
エルたちはそのどれもに真剣に取り組んだらしい(イジメの仕返しまで真剣にやったので例の自殺騒動と同じくらい大きい騒ぎになっていた)、その噂は風に乗って他校にまで広がり、中学に入るころには遠方からわざわざ相談に来る者も珍しくなくなっていた。
さてここで僕の話をしよう。
いや、あえて取り上げるほどの話題でもないんだけど念のため。
僕は中学生になってから陸上部に入った。
なんでかを話すのはちょっと恥ずかしい。
けど、やっぱり必要なので少しだけ話すことにする。
簡単に言えば体力作りだ。でももう少し難しく言えば自分改革だ。
僕は肉体的に自分に試練を課すことで自分を変えようと思ったのだ。
僕にはエルみたいな賢さはない。
池田みたいな心の強さもない。
だから、そんな自分にでもできる単純な方法にすがったんだ。
我ながら安易な考えだったと思うけど、意外に陸上競技は性に合った。
短距離走のスタート直前、緊張と集中力により一点に収束する静寂。
弾ける号砲の音。跳ねる筋肉。
耳元でうなる風とゴールの瞬間に戻ってくる日常の時間感覚。
いや、そんなものがイジメられっ子に合ったはずがない。
だから多分、今までのエルの言葉、いや、もっと生き方とかそういうものが僕に力をくれたんだ。
エルと池田が「仕事」に力を入れている間、僕は自分を鍛錬し続けた。
まあこういうとなんか格好よく聞こえるかもしれないけど、実際は僕程度に手の届くレベルなんてたかが知れてる。
僕は最後の県大会でもしょっぱい記録しか取れずに三年間の陸上部生活を終えた。
「あーくそ……」
かなりヘコんだ帰り道、最近手に入れたスマホを見ると、エルと池田からそれぞれLINEが来ていた。
『おつかれ。残念だったね。バイバイキン』
『頑張ったね優斗くん。カッコよかったよ。高校でも陸上部続けなよ。また応援行くよ』
僕はその長くもない二つのメッセージを何度か読み返した。
「……」
なんだか意外だった。
池田が応援に来てくれていたのはわかっていたけど、エルまで来ていたのは予想外だったからだ。
いや、そう書いていたわけじゃないけれど、そもそもエルがメッセージを送ってくること自体が珍しい。
「……見られてたのかあ」
僕は顔を手で覆った。
みっともなさで消えてしまいたくなった。
僕にだけは変われる兆しはいまだ訪れない。
◇◆◇
僕たちはそれぞれ別の高校に進んだ。
エルと池田は仕事の関係でちょくちょく会っているらしいけど、僕は部活が忙しくて全然だった。
時々時間を合わせて喫茶店で落ち合うことはある。
その時にはお互いの近況を報告し合う。
さっきも言った通りエルと池田はよく顔を合わせているので、エルと池田がまず僕の最近を聞いて、その次に僕が二人の最近を聞くのがいつもの流れだった。
「最近ようやく自己ベスト更新したよ」
と、自慢すると、
「すっご! やったじゃない」
と言ってくれるのは池田で、
「ふーん」
と、聞いているのかどうかも謎なままパフェをつついているのがエルだった。
「なあ、聞いてんの?」
「聞いてる聞いてる」
「絶対聞いてないし。サクランボいじってるし……」
「まあまあ、次は私の話でも聞いてよ」
と言って池田は鞄の中から何やら証書のようなものを取り出して広げた。
「じゃーん、メンタル心理カウンセラー資格の合格認定証!」
「え、すごい。なにこれ」
池田によると、通信講座でとれるカウンセリング系の資格の一つらしい。
彼女は忙しい時間の合間を縫って勉強を続けてついにそれを取得したのだという。
「と言ってもそんなに大した資格でもないんだけどね」
「いやでもすごいよこれ。じゃあ何? 池田はカウンセラーを目指すんだ?」
「うん、エルの仕事を手伝ってみて、やっぱりわたし、そういう方向で人の役に立ちたいなって……」
池田は少し照れくさそうに笑った。
高校生になった彼女は髪を短くしてコンタクトに変えたせいか、ずいぶん大人っぽく魅力的に見えた。
「そっか……」
僕は感慨深くうなずいた。
池田はあの日の誓いを忘れずにしっかり頑張っているんだなって思って。
翻って僕はどうだろう。
ちゃんと前に進めているだろうか。少しは変われているだろうか。
「大丈夫だよ。優斗は頑張り屋だから」
「え?」
僕はびっくりしてエルを見た。
僕、今何も言わなかったはずだよな?
「ごめん、用事思い出したからわたし帰るね」
「エル?」
彼女は急に立ち上がるとカバンを持ってさっさと店を出て行ってしまった。
僕と池田はその背中を見送った。
「……なんだろ」
「さあ……?」
「ていうかパフェ代置いてってないし」
「まあエルらしいわね」
僕たちは呆れて苦笑いした。
のんきなもんだった。
その時はもうエルと会えなくなるなんて思いもしなかったんだ。
その後も僕と池田だけでだべって、いい時間になった頃に店を出た。
空はもう暗くなっていて、僕は池田に家まで送るよと言ったけどそれは断られて、
「でもちょっと頑張ったご褒美はもらおうかしら」
と言うので、
「え、何?」
と首を傾げたところにキスをされた。
僕は少し背が伸びていたので池田はちょっと背伸びする感じになった。
僕の首に彼女の手が回されていて、唇の感触が柔らかかった。
びっくりして息ができなくてその割に心臓の鼓動は速いから、ああこれは酸欠になるなとどうでもいいことを考えた。
それからエルには知られたくないな、とも。
十分すぎるほどの一瞬が過ぎて、池田は体を離した。
「ありがとう。ごめん」
そう言う彼女の目はうるんで顔は上気していて、僕はそれに見とれた。
だからアホみたいに何も言えなくてそうしているうちに池田は走って行ってしまった。
僕はその背中も見送った。
顔がほてっていて、夜風が冷たいくらいに涼しく感じた。
エルが高校をやめて引っ越したのを知ったのは、それから数日後のことだった。