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 その後の話をしよう。


 残された僕と池田は、外道教師の毒牙にかかったあの女子の飛び降りる姿だけは見ずにすんだ。

 先に飛び降りたエルのおかげだ。

 いや、これをおかげと言っていいのだろうか……僕にはわからないけれど、ただ、そのことであの女子が飛び降りることに怖気づいたのだ。


 フェンスのこちら側に戻ってきた彼女は泣いていた。

 池田は彼女を抱きしめて頭を撫でていたけど、その顔はやっぱりなんだか浮かない表情だった。


 その後もいろいろとあって目まぐるしかった。

 今回のことで件の教師はこれまでの行いが明るみに出て逮捕された。

 そのことは唯一よかったことかもしれない。

 というのも他には何もないからだ。


 あの女子はひっそりと引っ越していった。

 こんなに騒動になれば仕方のないことかもしれない。

 ただ、池田も何も知らせられなかったらしく、ひどく落ち込んでいた。

 あんなに気の強い彼女がふさぎ込んでいるのを見ると、僕もなぜだかつらかった。


 わたしがうまくやってればこんなことにならなかったのに、とエルは悔しがる。

 彼女は秘密裏にあの教師を始末するつもりだったらしい。


「もう少しだったんだ。証拠はそろったし証言も取れたし、後は煮るなり焼くなりだったのに」

「必殺仕事人?」

「いいね必殺仕事人。あのノリだよまさしく」

「いやあのノリじゃまずいでしょうよ」


 僕はため息をついて、病室のベッドに横たわるエルを見つめる。

 彼女は包帯とギプスと絆創膏だらけで、それでもピンピンしていた。

 そう、実を言うと生きていたんだ、エルは。


「できるだけ柔らかそうなところを狙ったよ。弾むかと思ったけどそれはなかったね」

「当たり前でしょ。言っても花壇だよ。弾むわけないじゃん、人体なんか」

「えー! つまんないよそれー」

「つまるかつまんないかで飛び降りないでよ」

「いやだ。断固飛ぶ。あれしか方法なかったし」


 エルと軽口をたたき合いながらも、僕は心底ほっとしていた。

 エルが死ななくて本当によかったと思った。


「でも、本当に死ぬかと思ったよね」


 エルが不意にポツリと漏らした。

 僕が言葉に詰まると、エルはどこか遠いところを眺めながら、


「見えたよ三途の川。石積みの歌も聞こえたよ。閻魔様もいたかもしんない。死んでないのが不思議だねえ」

「エル」

「いや、ごめんごめん。失言。でも結構気持ちよかったんだ。死ぬって悪くないかもって思った。これ本当」


 エルの能力とその背後にあるだろう人生を思えばもしかしたらそれは無理からぬことだったかもしれないけれど……


「……それ聞いて僕はなんて言えばいいのさ」

「そこは自分で考えてよ」


 エルには死んでほしくない。

 ずっと僕の隣にいてほしい。


 答えはすぐに思い浮かんだけれど、僕はそれを口に出すことができなかった。

 その答えが自分でもびっくりするくらい僕の中であまりに激しすぎて、言葉じゃ足りないって思ってしまったのかもしれない。


 ああ、エルが僕の心も読めたらいいのに。

 それならこの思いがそのままダイレクトに伝わるのに。

 でも、エルは僕の心が読み取れないから僕と一緒にいるのであって、そこがなんともままならない。


「……早くよくなってよ」

「うん」


 それを言うだけで精いっぱいだった。




◇◆◇




 教室の隅の席で、その日も隣のエルの帰りを待ちながら、僕はいつかと同じようにぼーっとしていた。

 時計はあの時と同じように四時を指して、五時を回った。


 どこか遠くから部活の掛け声が聞こえる。

 ひそやかに交わされる談笑の声。

 それから近づいて遠ざかる足音も。


 僕は目をつぶった。

 目の裏に飛び降りる直前のエルの笑顔が浮かんだ。

 なぜかあの時のことはそれ以外覚えていない。

 覚えていないというか色彩がない。


「ああ……でもあの子、なんて名前だったっけ」


 池田の友達の転校していった地味な子。

 なんかもうこの言い方が我ながらなんとも言えないほど関心がなさげでひどいけど、僕は不意にそれが気になって仕方なくなった。


 僕はあの中で唯一外野だった。

 何もできなかった。

 それが今さら悔しくて仕方がなかった。


 エル、僕は情けない奴の立ち位置が運命なのかもしれないけど、ずっとそのままはやっぱりやだよ……


「綾辻由紀奈」

「え?」


 僕はハッとして教室の入り口を見た。

 そこには池田が立っていて、僕の方をまっすぐ見ていた。


「綾辻由紀奈。それがあの子の名前よ」

「……」


 綾辻由紀奈……そうか、そういう名前だったんだ。


「ごめん。僕、それすら知らなくて」

「いいの。知ってても何かできるわけじゃないしね」


 そのまま聞けば僕への嫌味にも聞こえるが、それは多分、池田の自分自身へ向けての棘だった。

 池田はため息をつくと、こちらへ歩いてきた。

 そして僕の席を通り過ぎて窓際に立った。


 もう部活の掛け声は聞こえてこない。

 日の光がもうかなり弱い。季節は秋に近づいていた。


「わたしたち、なにもできなかったね」

「うん」


 池田の言葉に僕はうなずいた。

 どうしようもなく無力だったんだ、僕たちは。


「でも多分、みんなしょうがなかったって言うよ」

「もう言われた」

「本当?」

「……嘘。あのことに触れる人なんていなかった」

「そっか」


 僕はどうしようもなくやるせなくなって天井を見上げた。

 みんな目をそらしたのか。

 なら僕たちにできることだって何もない。

 何もないけど……


「でも、わたしはそれですますのは絶対に嫌」


 池田の方を見ると、彼女の背中が小さく震えていた。

 僕は何も言わなかった。

 何も言えなかったのもあるけど、何を言っても全部余計なことになると思ったからだ。


 そのまましばらく池田の嗚咽を聞いていた。

 なぜかエルのヘッドホンのことを思い出した。

 あいつはいつも一体どんな音楽を聴いていたんだろう。

 何となくだけど、聞こえていたのは今僕の耳に聞こえているものとおんなじなんじゃないかと思えた。


「決めた。わたし、強くなる」


 池田はいつの間にか泣き止んでいた。

 僕は訊ねた。


「何をするの?」

「まだわからないわ。でも、とりあえず岡崎さんのお手伝いをしようと思うの」

「それがいいよ」


 その言葉はすんなりと口をついて出てきた。


「エルも池田さんみたいな人がいると助かると思う」


 池田はちょっとびっくりしたみたいな顔で僕を見た。

 止められるかと思ったんだろうか。

 僕自身も自分は彼女を止めると思った。

 でももう一回自分の心の中を覗いてみても彼女を止める気持ちはどこにもないのだった。


「わたし、岡崎さんがなんで優斗くんと一緒にいるのかわかる気がする」


 池田はそれだけ言って、


「じゃあまた明日!」


 笑顔で教室を飛び出していった。

 僕はそれを見て、なかなかかわいい顔もするんだな、と間の抜けたことを考えていた。

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