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 彼女の名前は岡崎ガブリエルという。

 本名だ。

 僕たちは縮めてエルと呼んでいる。


 親の顔が見てみたいけど、クラスメイトの僕も彼女の両親がどんな人なのかはいまだに知らない。

 リスみたいに小柄な岡崎ガブリエルは、それこそリスみたいにいろいろなことをいろいろなところに隠すのでその素性は結構謎に包まれているのだ。


 そんな彼女のミステリアスなところにおびき寄せられて客として来る人間も多い。

 エルの商売は、彼女自身は真っ当なカウンセリングというけど実質のところは占い師の方が近いから、はったりは効果的なんだろう。


 もちろんそんなことを言えばエルは怒る。

 だから心の中で思うだけにとどめている。

 普通の人だと彼女の前ではそれすらも無駄になるんだけど……僕はセーフだ。


 そのあたりのこと――彼女の商売や彼女の前で隠し事は無駄だということ――については長くなるから後でゆっくり語ることにしよう。

 さて。


 エル、というのは、彼女が親しい知人に自分を呼ばせるときのニックネームだ。

 といっても彼女に「親しい知人」なんてほぼほぼいなくて、僕ともう一人、池田詩織という女子だけだ。

 ちなみにガブリ、ブリ、ブリエは当然ダメ。リエはセーフ。エルが一番ちょうどいい。らしい。


「リエルはダメなの?」


 と訊いたこともあるけど、


「それ、どう考えてもガブリエル臭薄まってないよね」


 と言われて、確かにそうだ、と思わず納得しかけたが、「じゃあリエでいいでしょう」という生真面目な感じの池田の言葉には、


「多少のケレン味はないと」


 と言うのでなかなかわかりにくいところがある。

 まあそういう奴だった。


 僕たちは大体いつもこの三人でいた。

 それぞれ他に行き所のないあぶれ者だった。

 だから消去法的にそこに吹き溜まっていたとも言えるかもしれないけれど、僕自身はそういう風に思いたくない。

 僕たちはエルの机の周りに、それぞれ自分の意志で集まっていたんだ、とそう思うことにしている。


「優斗」


 そういうことを考えていると決まってエルは僕を呼ぶ。


「何考えているかは読み取れないけど。あまり変に悩まない方がいいよ」


 僕はそれに小さくうなずく。

 池田が視界の隅で微笑むのが見える。

 エルの通学カバンで、バイキンマンのキーホルダーがかすかに揺れた。


 彼女は岡崎ガブリエル。

 天使の名をつけられてはいるけれどエルは聖母に受胎を告知したりはしない。

 神に仕えたりなんかしていない。

 祝福からは遥か遠いところにいて、多分むしろ悪魔に近かった彼女は、それでもだからこそ僕たちの天使だった。


 僕はこれからそのことについて語る。




◇◆◇




 エルと初めて出会ったのは小学校の入学式の日だ。

 体育館での式典が終わって教室に戻り、これから始まる学校生活に室内全体がそわそわと落ち着かない空気で包まれていた。


 みんな期待や不安ではちきれそうな顔をしていた。

 ただそんな中にあって、僕の隣の席だけはかなり事情が違った。


 その女の子は小さい頭に不釣り合いにごっついヘッドホンをして、派手にシャカシャカ音をさせていた。

 ぼさぼさの長い髪にほとんど隠れるような目は澄ましたように閉じられていて、腕組みをしながら音楽に聞き入っているところだった。


 なかなか異様な光景で、教室内のそわそわも半分くらいは彼女のせいだったと思う。


 あいつはいったい何のつもりであんな行動に出ているんだ?

 常識ないのか? 世の中に不満?

 あんな奴がいてこれからの学校生活はどうなってしまうんだろう?


 そんな奇異の視線を集めながらも、彼女自身は周りのことなど全く気にならないようだった。


 ただ、当然、やってきた先生にはこっぴどく叱られた。

 立たされヘッドホンをむしり取られ音楽プレーヤーを取り上げられ、一体何のつもりかと厳しくただされた彼女はそれでもただ一言、


「先生は知らないでしょうけど、ヘッドホンでもしないと世の中って結構うるさいんですよ」


 とクールに言った。

 意味不明だったけど。


 その時点で彼女のこのクラスでの評価は固まった。

 手に負えない芯からの不良。

 まだこの年頃の子供たちの中にはそのものずばりの言葉はなかったかもしれないけど、彼女のそういった印象は強く心に刻まれたのだった。


 でも、僕はその時も彼女の印象はそこまで悪くはなかった。

 それはおどおどと頼りない僕と違って堂々として譲らないその態度のせいだったかもしれないし、その態度のわりに小動物みたいなちっこい体つきのせいだったかもしれない。

 あるいは彼女のランドセルに山ほどぶら下がっているバイキンマングッズのせいだったのかも。

 

 何にしろ興味を惹かれたんだけど、僕なんかがこういうタイプの人と関わることなんてあるはずもない。

 だから会話なんて諦めていたんだけど。


「……」


 叱責が終わって席に戻ってきた彼女は僕を見て立ち止まった。


「な、なに?」


 じっと見つめられて困惑する僕に、彼女は「へえ」とつぶやいた。


「珍しいね、キミ。全然読み取れないや」

「な、何が?」


 なんのことかわからない僕を無視して彼女は教室を見回して、それから予言をした。


「でもキミ、多分いじめられるね。かわいそう」

「え?」


 ぽかんとする僕に、彼女は小さく微笑んで「まあ頑張って」とだけ告げた。

 僕はもっと詳しく聞きたかったけど、先生が彼女に早く座るように怒ったから会話はそこで打ち切られた。

 彼女と再び話をするのは、それから数か月たってからのことになる。


 それから自己紹介の時間があった。

 そこで僕は彼女の例の馬鹿げた名前を知ったのだった。

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