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隠れ里 第二部  作者: 葦原観月
5/11

囮ー智次の幻影

(九)


(幸せじゃ……)

地獄の後の極楽は、尚のこと心を満たし、解き放たれた体も軽い。

「せんせは、肉布団がないからの。掻い巻が隙間だらけじゃ。こりゃあいかん思うて縛ったつもりが、ちぃと度が過ぎた」

簀巻きになるはずだ。

妙に強張った体も、手の先の痺れも、緊張のせいではなかったらしい。解き放たれた体は爽快だ。

 ついでに掻いた汗も拭い、「あ~ん」で粥を滋子から食べさせてもらえれば、平佐田としては、もう、死んでもいい。

 最高の幸せを味わった平佐田に、「ほな、次は、お薬ね」と滋子が後ろを向いた。

わくわくしながら目を閉じて、ちょっと人前を気にしながらも、ついつい口が尖り、

「せんせ? なんしたはる? そない口ほな、飲みにくいでっしゃろ」

滋子の言葉に目を開けた。

「くくく」大きな背で笑う那医に、(やはり、那医さんは信用できん)と、渋々薬を口に含んだ。

「せんせ、儂がせんせを殺る思うたんか?」

 那医の言葉に、平佐田は、「ぶーっ」と、口の中身を吐き出した。




 結局。密命もへったくれもなく、平佐田は協力する羽目になった。

 胡散臭くても、信用できなくても、敵方であっても、平佐田の嫌いな、でかい顔であっても……

 那医はいい医者だ。それだけは間違いない。


 ただ、うっとりと、見ているだけで顔が火照ってくる滋子が帰った後、平佐田は再び熱を出し、翌日は一日中ずーっと寝ていたらしい。

 平佐田に殆ど記憶はないが、滋子が顔を寄せてくれたことだけは、覚えている。次に見た顔は、あまり見たくないでかい顔で、心の底から心配そうな様子に、とことん平佐田は反省した。悪い人じゃない。


「せんせ、大丈夫か? 明日には「囮」が着く。今日中に治さんと、きついぞ。野宿じゃからな。荷物は纏めておいた。結構、重いぞ。獣道を半日、着いたら罠を仕掛け直しじゃ。せんせが捕まってしもうたからの」

 好きで捕まった訳ではないが、面目ないとは思う。


「特別によう効く薬を調合した。三日分を纏めたんじゃ。少しばかり口当たりは悪かろうが……絶対に効く……と、思うんじゃ。な、頼むから、飲んでみてくれ。責任は、わしがとる。なんなら口移しで……」

 熱がある時は、まともな判断はできないと、〝運だけで医者をしているらしい〟那医に背を向けた。那医は〝いないほうがいい〟医者かもしれないと思い直す。


 たまたま偶然に熱が下がった平佐田は、

「せんせ、怪我せいでな、うち、待ってるさかい」と可愛く言った滋子に、でれでれと鼻の下を伸ばしたまま、荷の中身を探っている次第だ。


(ええっと、火打石と竹筒と、蝋燭……あ、提灯もいるね)

 大きな頭陀袋に頭を突っ込んでいると、

「おまのみぐさぁ~せっ」間延びした声が庭に響いた。

 どうやら「囮」が着いたらしい。もたもたと頭陀袋から頭を抜こうと努力する平佐田の耳に、

「ぬーが、賢坊か。石坊やちゃーさびたが」

 奥から出てきたらしい那医が琉球の言葉で「囮」に向かって言い、

「ぬーがやねーらんやっさ~ろ。石にーにーややまとぅんかい行ってからる。ぬーがかはたはたーらしい。わんが代わりやっさー、文句あんか」

 結構、生意気そうに「囮」が返す。

「わっさいびーん、頼りんかいしはるから、ちばてぃくれ」

 ようやく頭陀袋から顔を出した平佐田に、那医が肩を竦めて見せる。

「えへん」

胸を張った子供が平佐田に目を向け、顎をしゃくる態度がいかにもだ。

 多少なりとも驚いた平佐田が、「琉球の子供は皆こうなのか」と那医に耳打ちすれば、「う~ん」と間を置いた那医は、「儂の周りは」ぽそりと答えた。

「へーくさんか。ものみぐさぁ~しはると、えーてくぞ」

 実に生意気な子供だ。だが、「囮」がなくては〝密命〟には近づけない平佐田としては、四の五の言っている場合ではない。那医は既に荷を背負っていて、さっさと縁を下りた。

            

      (十)


「も~ゆたさんか、まぁ~だだしよぉ~」


 澄んだ子供の声が夕暮れに溶けていく。

(なんだかちょっと違うような……)

「こらこら。賢坊、間違ってからる。教えた通りんかい、言わんかっ。ここは琉球と違うぞ、もう一回!」

 木の上から、那医が叫ぶ。平佐田の目の前には、魚臭い網がとぐろを巻いている。

「う~」と唸る賢坊は、不満そうだ。


(気の毒に)

 どれほどの報酬を受けているかは知らぬが、まだ小さな子供だ。那医とは顔見知りのようだが、知らぬ土地へと送り込まれ、荷を背負わされて、獣道を半日も「囮」たる危険を伴う仕事をさせられれば、搖坊であれば既にへたり込んでいるはずだ。

 だが、賢坊は文句も言わず、那医の指示に従っている。教えられた言葉を馴染んだ言葉で口ずさむ訳はきっと、賢坊なりの反抗なのであろう。

 なのに、那医は賢坊に容赦ない。先ほどからもう十数回ほども繰り返す「も~い~かい」には、聞いている平佐田ですら、疲れるほどだ。


「よし。これでいい」

 するすると木から降りた那医が、

「せんせ。罠を隠すに、葉が要る。集めにゃならんから、手伝うてくれ。いいか、賢坊。戻るまでに言えるようんかいとしーけ」

 容赦ない一瞥を向ける。賢坊は黙って頷いた。

 平佐田は、なんだか可哀想になって、ほんの少し笑ってみせる。賢坊は平佐田を見て、ぷぃ、とそっぽを向いた。やはり、生意気だ。


 黴臭さと、ほんの少し漂う硫黄の生臭さに辟易としながら、平佐田と那医は落ち葉を集めて袋に詰める。罠のある林の向こうからは「も~ゆたさんか」が続いている。

(真面目だなぁ)感心する平佐田に、

「賢坊は、耳がようない」

落ち葉を掻き集めながら那医が、ぼそりと呟いた。


 顔を上げた平佐田に、那医はちら、と目を向け、再び落ち葉を掻き集めた。

「琉球国は昔から、多くの侵略に苦しんでおる。海を渡って来る者は後を絶たん。略奪と暴力の後に生まれる子供……島のもんは略奪者の子を、魔物の子として忌み嫌う。白い目で見られ、理不尽な扱いを受け、暴力などは、当たり前だ」

 では……賢坊は、略奪者の暴力によって生まれた子だと言うのか。

 何も知らない幼子を、人々が小突き回す様が脳裏に浮かんで、ぞっとする。「痛いよ、やめてよ」の子供の叫びは、人々の耳には届かない。

「そんな子供らを集めて育てたが、琉球王じゃ。肉親たる柵を持たぬは、神が琉球国に落としていった子供だと。子供らは、様々な教育を受ける。全ては王のために。王は神こそが世を統べるべきとお考えじゃ、儂らはそのために各地に散り……」

 那医はふと、そこで口を閉ざした。琉球人は信仰心が厚いと聞く。「ニライカナイ」たる海の向こうの故郷に、神様がいるという……

(海とは、不思議なものじゃな)

 海神様の禊ぎを受けた平佐田は、しみじみと思う。


「賢坊も、いずれ儂のようになる。耳がようない事実は、どうもならん。だが、悪いもんは、別のどこかで補わねばならん。話ができなくては〝密偵〟として成り立たんし、相手に不備を悟られるは、命取り。いずこの地へ行っても、土地の言葉を話せなくては、〝密偵〟は務まらん。子供の内に慣らしておかねばならんのじゃ。甘やかしては、賢坊のためにようない」

 つまりは、琉球王は子飼いの〝密偵〟を育てているわけだ。こらぁ、本物の〝密偵〟だ。平佐田は、己のいい加減さに恥ずかしくなった。

 いささか肩を落とし気味の平佐田の背を、ぽん。と大きな手で叩き、

「せんせ……おはんは、不思議なお人じゃ。何故か、せんせには余計なことまで話しちまう。結構……〝密偵〟に向いとるんかもしれんよ」

 那医は、がはがはと笑った。

         


 その晩――

 狭い穴倉に潜り込んだ三人は、酒で干し肉を腹に流し込んだ。さすがに子供である賢坊は、すぐに酔いが回って、さっさと寝てしまった。

「おやすみ」那医の教え通り、口を大きく開けて声を掛けた。ところが、賢坊は、ぷぃ、と背を向けた。余程、嫌われているらしい。

「おはんを、敵じゃと思うとるんじゃよ。琉球国に乗り込んできた薩摩の〝密偵〟じゃから。あれは、王を慕っとる。此度の囮役は、願ってもない機会だ。石坊が他へ回されて、絶対に自分が行くと、言い張ったそうじゃ。宝を持ち帰り、王に褒めて欲しいんじゃな」

 そうそう、お宝だ。随分と酔った那医に、平佐田は訊ねることにした。

 こうなれば、恥も外聞もない。病明けの体に、慣れない半日の山歩き、舐めた酒が、平佐田の思考を和らげている。聞くなら今しかない。


「何じゃ? 知らんかったんか」


 四角い顔が間抜けに広がる。かなり驚いたらしい。ふ~ん。

 しばし考えた末、那医は「まぁ、いいだろう」と話し出した。

「はぁっ? 旗? 何で大殿が、そげなもんを欲しがるんじゃろ」

「そりゃ、こっちが聞きたい。島津の大殿は、蘭癖が昂じて、そんなもんまで集め始めたか、或いは財政難に窮し、オランダと組んで海賊稼業でも始めるつもりかと……」


 琉球王が探しているオランダの旗は、海賊行為をするオランダ船から逃れるためのもので、領主が出島の商館長に依頼して手に入れたものだそうだ。

 オランダ船が海賊行為をするとは、平佐田には驚きであったが、「商売とは、そういうもんよ」那医の言葉に納得した。

 出島から次の貿易地に向かうオランダ船の荷の中は、清国の船を襲って奪った品々で溢れていると言う。

 琉球船は清国からの賜りもので、同じ形の琉球船がオランダ船に襲われる可能性は高い。よって琉球船は襲ってはいけない船の印として、オランダの旗を掲げていたそうだ。

 ところが、倭寇の手によって奪われた。

「で、倭寇が硫黄島に旗を隠した、との情報を得てな。王は、かねてから親しくしておったお館様に、話を持ちかけた。すると折も折、お館様もどうも島に良からぬ輩が入り込んで困っていると言う。そこで精鋭である儂が命を受けたと言うわけじゃ」

 豪気な精鋭が、「がははは」と笑う。気配に怯えたか、賢坊が、びくっ、と震えた。


「儂は思うんじゃが……大殿も知らんのと違うか? いくらお元気とは言え、大殿はいい加減、お年じゃ。今更、海賊稼業に乗り出す元気もなかろうし、オランダの旗なんぞ、欲しくもなかろ。もっともらしい話をでっち上げて、「お宝は手に入れられる品ではありませんでした」と、おちをつければいいんじゃ。琉球国は神の国。まさか大殿でも、神様の物を取り上げようとは思うまい」

 神様の物か――それはまた大事だ、と平佐田は思う。その一方で、確かにオランダの旗を「お宝」として持ち帰るはどうかとも思う。

 大殿が本当に「お宝が何なのか」を知らなければ、オランダの旗なんぞ持ち帰って、納得してもらえるかどうか。

 わからねばわからぬで、頭を悩ませた「お宝」は、わかったらまた、わかったで、平佐田を悩ませる。「お宝なんて要らんっ」やけ気味に平佐田は思う。


 小心者の平佐田は「いかに大殿を誤魔化すか」に日々、頭を悩ませながら、那医と賢坊たる敵と一緒に罠を仕掛ける。

 なんだか、わけがわからない。罠に掛かる獲物もなく、すっかりと上手くなった賢坊の「も~い~いかい」に感心しつつ、数日が何事もなく過ぎた。

「そろそろ一旦、引き上げるか」那医の言葉に、

(やったぁ、滋子さんに会える)平佐田が内心わくわくしながら、穴倉を出た日は、うっすらと白い硫黄が立ち込めていた。

「危険じゃなかね?」

 まだ白は薄いが、ここは、山の中だ。里であればこの程度ならば問題はないが、ただでさえ聖域は危険だと聞いている。この上、更に白が立ち込めるようになれば、一気に視界が奪われる。山は里よりもずっと、神様の力が漲っているのだ。


「心配は要らん」那医はこともなげに言い、賢坊は「ふん」と平佐田を一瞥して、元気良く走り出した。

「も~い~かい」

楽しげな声が白の中を遠ざかる。自ら望んで白に駆け込む姿を、白い靄が包み込むように迎える。

 智次と縁に座った日が蘇ってきた。真っ白な中からひょっと手が伸びてきて、智次を捕まえて、どこか遠くに連れ去ってしまうかに思えた、あの日……。

 平佐田には、小さな後姿が、智次と重なって見えた。

「智次坊!」

 平佐田は智次を追って、白の中に駆け出していた。

 


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