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隠れ里 第二部  作者: 葦原観月
3/11

島の権力者と罠

   (六)

 目を開けた平佐田は、黒く艶やかな天井に息を呑んだ。立派な梁が、竜のようにうねっている。


(何だか御殿みたいだな)

御殿を見た経験のない平佐田だが、他に感想が思いつかない。

 ふわり、と頬を風が撫で、ゆっくりと顔を向けた。開けられた障子の向こうに、花が咲いている。

鹿の子ユリ、紫陽花、折鶴蘭……他にも平佐田の知らない花が、色とりどりに咲き乱れる様は、圧巻だ。遠く鳥が鳴いている。静かな波の音が耳に心地いい。


(ここは、どこなんだろう……)


 何度目かの疑問に答は見つからない。とにかく体がだるく、頭の中もはっきりとはしなくて、考えてはいつの間にか寝ているといった状態が続いているのだ。どうやら熱があるらしい。


 最初に目が覚めた時は、死んだのかと思った。立派な御殿に横たわっている自分は想像がつかない。天井もさることながら、咽せるほどの青い匂いのする畳や、ふっくらとした布団、立派な柱は太く、つややかに磨き上げられている。 

 とても生きてお目にかかれる代物ではない。平佐田は先生たる蓑を着せられたへなちょこ薬園師見習いなのだ。

 

試しに生前の弱点を叩いてみた。

さわ……

痛くない。

(いやいや、今のは卑怯だぞ)

思い直してもう一度……布団の中で体をずらせて――

 きん――痛みを堪えて目を閉じた。全然、変わっていない。つまりはまだ、生きているわけだ。


 ほっとしたと同時に、全身のだるさが襲ってきた。

「お前、熱があるんじゃないのか」この親切な意識が、もう一歩手前で意見してくれれば、へなちょこでいなくてもいいのだと、つくづくと思う。


 ここがどこなのかは、依然わからない。だが、現にここに寝ているのだ、誰かが運んでくれたには違いない。

 ならば、どこかに人がいるはずだと、声を出してみても、小さな波の音にも敵わない。腹に力が入らないのだ。


(熱が高いんだ)

親切な意識が、諭すように言う。

 声も出なければ、体もだるい。腰は痛いし、人もいない。

(死んでるのと変わらんじゃないか)

ちょっと思うが、死んだ経験がないから良くわからない。

 堂々巡りの思いの中、意識は朦朧としたり、覚醒したりを繰り返した。どれほどの時間が経ったかもわからない。

 何度目かの覚醒に、近づいてくるものが見えた。形は見えるが、もやもやとして、はっきりしない。だが、間違いなく、意志を持って近づいてくる様子がわかる、人らしい。


「おう。みー、開いちょるね。見えるか? ぐすいぬ時間やっさ―、飲めるかねぇ。ひっちーのさいうに、ぬませてぁげようか……」

 どこかで聞いたような……

 見る間にでかい影が近づき、平佐田の本能が四角い顔を拒絶する。くすぶっていた記憶が鮮明に蘇り、

「那医さん??」

嗄れた声が、室内に響いた。


「やっとぅかっとぅ気がちちゃんか~。ぁぁゆたさん、ゆたさん」

 ぐびっ、と碗の中身を口に含み、分厚い唇が窄まって近づいてくる。平佐田はぞっとして、全身の血が引いた。

 震えながら横たわっている平佐田に、「なーんてな」ごくり、と口の中のものを飲み込んだ那医は、

「せんせ、やぁ~、意識が戻れば大丈夫。やぁ~や、ちぃと気ぬ病じゃぁ~、心配事、多すぎやせんかぁ? そこに風邪が巣ぅくったようじゃ。なぁに、うふっちゅしく寝とればようなる」


 薩摩の言葉と琉球言葉を交え、那医さんは注ぎ口のついた湯呑を平佐田の口に当てた。

 苦く甘い匂いがする。「口移し」は嫌だから、一気に飲み干した。

 耳の後ろを触ったり、喉の奥を覗いたりしていた那医さんは、ふと、にかっ、と笑顔を見せ、

「本日やまやっさー、ひっちーぬ付き添いが来てうらんから、儂が代わりんかいぐすいを飲ませんかい来ちゃやっさーけさぁ~。ま、医者やくとぅ診察やするがね」

 そういえば那医さんは医者だと、智次が言っていた。間延びした天の声は、那医さんの声だった。ということは那医さんが平佐田を「魚臭い網」から救ってくれたわけだ。


(じゃあ……子供は? あの子は、誰? 智次坊は? おいは何日ぐらい寝ていたんじゃろう? それに、ここはどこ?)


 一気に溢れ出す疑問の、どれをまず聞けばいいだろう。

 平佐田は〝親切な意識〟に問い掛けようと目を閉じる。静かだった庭から、足音が聞こえた。


「おぅ、来おった」

那医さんの言葉に、(誰が?)〝親切な意識〟が飛びつく。

目を開けた平佐田に、椿の花が見えた。

(椿? 随分と季節外れだ)

平佐田が思う間に、椿は勢いよく縁を上がって走り寄る。

「せんせっ! 気ぃついたか。うちは、心配で心配で……」

 椿の花に覆われる。柔らかくていい匂いだ。椿の背を抱きたくて、腕を上げようとして、またまた腰に邪魔をされた。

 でも、もう、痛みなんか気にならない。夢なら覚めないで欲しいと、平佐田は真剣に願った。


 滋子がぶつぶつと恨み言を言っている。潔しの椿らしからぬ態度だ。

 でも、それは段々に小さくなって、啜り上げる声に変わった。胸に広がる滋子の涙が、温かさを持って平佐田の胸に染み入る。


(おいのために泣いてくれる人がおる。なんと幸せなことじゃろう)


 平佐田がしみじみと幸せを噛みしめていると、那医さんが滋子の肩越しに、薬の碗を掲げてみせる。

(?)

 眉を寄せた平佐田に、那医さんは、にかっ、と笑い、滋子を指差して、碗を口に当て、先ほどと同じように分厚い唇を窄めて見せた。

(えっ。ひっちーのさいうにぬませ……) 

 滋子の柔らかそうな唇が、平佐田に重なる様子を想像し……

 一気に頭に血が上った平佐田は、う~ん、と唸ったのを最後に、全身の力が抜けていく様を、どうすることもできずにいた。

         

     (七)


 数日後――

 平佐田が寝かされていた部屋とは、また趣の違う、高級そうな調度品に埋め尽くされた部屋で、平佐田はお館様と対峙していた。


 熱は引いていた。だが、「大事をとらにゃあならん」と、那医が持ってきた掻い巻に簀巻き状態の平佐田は、大いに腰の据わりが悪い。

均衡を保っては、ころん、と達磨のように転がる姿に、お館様の笑った顔を初めて見た。

 非の打ちどころのない美しさだ。だが――

 目の見えないお館様が笑うとは合点がいかない、平佐田の戸惑いに……


「我の目と口は、常人とは別にあり。よって不便は感じておりません。かようなお姿では、礼儀を取るは難しかろう。どうぞ、楽になさってください」


 どきりとするような答を、お館様はすらすらと文字にして、平佐田に手渡した。茫然として文字を見つめる平佐田に、

「失礼した。耳も付け加えねばなりませぬ。常なる耳は聞こえます。が、聞こえぬ音を拾う耳も持っております。おかげで幼き頃は、随分と辛い思いもしましたが。心は丈夫になりましたな。神の悪戯とは良きものか、悪しきものか」

困った顔で付け加える。

(うわぁ。思ったことがすべて筒抜け? これはまた……)

困ったなぁ。と頭を掻く平佐田に、

(貴殿が困ることはありますまい。邪な心を持たぬ、清らかな水のようなお方である。我には良く見えます。何よりもまず、人の心配を先になさる貴殿は、多くの人が慕って集まる泉のようなもの。余所者嫌いの島人が、貴殿を慕う理由が、そこにある)

(いやぁ、そんな……褒められるってなんだか恥ずかしかね。って)


「えええっ!」


 思わず声を上げて、平佐田は慌てて口を塞ぐ。お館様は天女のように、にっこり、と笑った。

 羨ましい限りです――


お館様は綴り、だが〝聞き手〟には負担が掛かるから、書面でのやり取りをご容赦願いたいと、丁寧に頭を下げた。

 平佐田としては戸惑うばかり。だが、世話になっている御仁だ、従うは当然と居を正し、礼をとれば、

「挨拶は、ここまで。大人とは厄介ですな」

平佐田の膝に置いた紙と同じ、白い目が柔らかく笑んだ。先とは違う温かさに心が和らぐ。


促されてお館様の横に、もそもそと移動すれば、ほんのりと品のいい香りがする。何とはなしに落ち着く香りだ。が――

すらすらと綴るお館様の文字を、やっとのことで追う平佐田の胸が騒ぎ出した。


「失礼します」

声に気が付いて顔を上げ、見知らぬ女子の出現に、またまた驚いた。

(おう、失礼じゃ)

慌てて居を正したつもりの平佐田は、こてん、と転がって思わず「うぅぅっ」と唸った。

「ふふふ」楽しげに笑う女子と、平佐田を起こしてくれたお館様が目を合わせて柔らかく笑う。

「あ……」と思わず出した声を、平佐田は恥じた。


 お館家にお世話になってこのかた、平佐田が見かけた人物は那医と滋子のみだ。病人を慮っての人払いはあろうが、女子の姿がない状況には、いささか不自然さを感じていた。

「若様」ともいえるお館様の身の回りの世話をする女子は、いるはずだ。

「お初」と名乗った女子は、どこからどう見ても良家のお嬢様で、平佐田の見る限り……

 お館様ととても親しげに見えた。お館様も隅に置けない……。などと考えて、慌てて雑念を振り払った。お館様の耳は、平佐田の頭の中にも向けられている。 

 咄嗟に目を向けたお館様は、照れくさそうに微笑んだ。平佐田が初めてお館様に人を見た瞬間だ。


「腰がよろしくないそうですね」と、お初さんが置いていってくれた脇息に身を預け、簀巻きの平佐田は傍から見たら何に見えるかと、情けなく思いながら、お館様の書き上げた書面に目を走らせる。

 なかなかの達筆ではあるが、己のほうが上手いと、ちょっと得意になった平佐田は、慌てて得意を打ち消した。失礼だ。

ちら、と上目使いでお館様を見れば、白い目を見張り、おかしそうに笑った。


「此度の事故は、こちらの不始末。どうかお許し願いたい」とまずは平佐田に詫びる。平佐田としては何とも居心地が悪い。

「余所者だから関わるな」と断られた智次の捜索を勝手に行い、しかも聖域にまで踏み込んでいるのだ。平佐田としては罰が当たったとしか思いようがない。酷く叱責され、「今すぐ島を出ていただきたい」と申し渡されても無理のないところだ。

 平佐田が自身の非を詫びると、「余所者を聖域に送り込んでいる不埒者は我。罰があたるのであれば、まず我が先でしょう」と肩を竦めた。さらに、

「御子様の神隠しは、ただのでっち上げ。そもそも、我の一族が余計なことをせねば、御子様とて今頃はごゆるりとお休みになっておられたはず。よって、末裔である我が、偽の神隠しを暴き、御子様を解放して差し上げねばなりません。我は、かねてから交流のあった琉球国に助けを求め、囮を使って罠を仕掛けていたのです」と、続けた。

 神隠しは、でっち上げ? 御子様の擁護者であるお館様が語る内容じゃない。納得のいかない平佐田に、お館様は次々と紙を渡した。

 夕刻の隠れん坊に乗じて、島に入り込んだ良からぬ輩が子供を攫って、何処(いずこ)かへ売り捌いている。そもそも「黒御子様の神隠し」を謳い始めたは、黒木御所に出入りをしていた島人のようだ。

 当時のお館様が御子様の神秘性を語るために準備した話でないのかとの疑いもある。島人の誰かが賊と手を組んだのではないかとも。黒木御所を保つためには、金が掛かる。


 せっかく囮を使って罠を仕掛けている間に、子供らが「夕刻の隠れん坊」をしたのでは、意味がない。よって道場で子供らを監視したのではあるが、智次の件で、すっかり意味がなくなってしまった。

 島人の信用をなくしては、道場は保てない。また、滋子が足しげくお館様の元に通っているとの噂は、島人の心を婚儀たる「ハレ」へと向け、子供らも「ハレ」の前には「ケガレ」を避けるはずである。平佐田が屋敷に留まっているは好都合だと、付け加えられていた。


(だから、おいを屋敷に置いてくれているのか)


 島人には、平佐田は急なお呼びが懸かり、琉球国へ出向いている建前となっている。薬草の件だと伝えてあるから、島人は誰も不審には思わぬであろう――とあった。

(『質問本草』じゃな)と、平佐田も納得する。役人も平佐田の立場を承知している。

大体の事情は分かった。お館様の秘密裡の行動に偶然にも関わる事態となった平佐田が、残りわずかの間に、余計なことを漏らさぬようにとの、配慮もあるのだろう。先生たちは全員が島から撤退だ。忘れていた淋しさが蘇る。同時に焦りも。


「智次坊は?」

平佐田は一番気になる事柄を訊ねた。

「一向に。足取りすら見つかりません。捜索は続けます。新たな神隠しが謳われては、敵いません。智次坊の儀は、お任せください」

 一つ息をつきながらも、平佐田としては頷くより他はない。下手に動き回って島人に見つかりでもしたら厄介だ。本土からの迎えが来るまでは、大人しくしているよりないだろう。

(滋子さんとも……)

ふと浮かんだ考えを慌てて打ち消した。お館様に女々しい男だと思われたくはない。

(ふふふ)

突然、頭の中で含み笑いが響き、平佐田はお館様に目を向ける。

笑うなんて、あんまりだ。ちょっと、むっとした平佐田に、

「失礼。ですが、ご心配には及びません。貴殿には島に残っていただきます」

 さらさらと綴った文字を、平佐田に差し出した。首を捻っている平佐田に、お館様が顔を上げる。平佐田は息を呑んだ。

 最初に見た時と同じ。ぞっとするような青味を帯びた白い目が、平佐田を静かに見つめていた。


(ご協力願いましょう。貴殿にはまだ大事な〝密命〟が残っているはず。否とは申されますまいな。山川薬園、薬園師見習い、平佐田玄海殿……)

 頭の中に響く深く静かな声に、殴られたような衝撃を受けた。再び熱が上がったのか、くらくらと眩暈(めまい)がする。それでも。

何故に平佐田の素性を知っているのか。そもそも、協力とは、いかなることか。〝密命〟と、どう関わっておられる……口を開いた簀巻きの平佐田を、

「別嬪みーちがちゅさ~さ。病人や寝てなくちゃね」

 またもや調子の狂う間延び声が、ひょい、と担ぎ上げた。

       


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