39 王都騒乱 其の七
今まで存在を理解はしていても、直接視認することの出来なかった「精」。万物には精が宿り、エーテルを与える事でささやかな助力を得る事が出来る不可視の存在。
その「精」が見える。
正確には肉体に起因する五感を失った事による霊体の感度向上が、精をより正確に感じさせて「見えている」ように思えているのだが、アスカは目もないのに見えていると感じていた。
(師匠の言った通りだ)
ミズリは足裏から吸い上げた世界を巡る力であるエーテルを、絶えず自分の体内エーテルと混ぜて水精に与え続け、小さな助力を得ている。……恐らくはずっと。
ミズリの手によってたらいから汲まれた一口分にも満たない水は、随分長いこと手から流れ出て傷口を洗浄している。
霊体となり、精に近い状態のアスカには、水精のやっている事が感じられた。
大気中から水分を集め、ミズリの手の中に注いでいる。手の中に触媒としての水があるお陰で、「この水」を作れば良いのだと水精が理解していると感じる。
楽しそうにミズリを助ける水精を見て、いつもの精といつもの作業なのだろうなと感じていた。確かに同じ精に助力を得る事ができれば意思疎通も成熟し、得られる結果もエーテル効率も通常より良いものになるだろう。
その時、周囲がすっと暗くなる。
「……す、すみませんミズリ様。私のエーテルではここまでのようで」
「ありがとうナダール。助かった。少し休んでくれ」
「申し訳けありません」
井戸の側に立ち、光法術で周囲を照らしていたと思われる男が、グッタリとした様子でその場に座り込み、酒に酔ったかのように体を揺すっている。
(エーテル枯渇かーキツイんだよねー)
「儂は光術を使う余裕が無い。ランプか松明でもいい。誰か借りてきてくれんか!」
ミズリの苦い声が響き、幾人かが通りへと駆け出す。
(そういえば動画で見たことがある。戦地での治療に必要なのは清潔な水と清潔な布と十分な明かりだって)
その時アスカは、存在しない頭に何かが乗る感触を覚えて上を向く。
と、そこに居たのは光精だった。さっきまでこの人に助力していた精とは別の光精。……そしてこの感覚は良く覚えている。初めの洞窟に入る時に、何度も何度も何度も何度も使った光源の術に応えてくれていた光精だ。
(アプチャーじゃないか! どうしてここに!?)
喜びと驚きから、勝手に名付けていた名前を呼ぶアスカ。……すると。
「うわっ! な、なんだ!?」
「まるで……昼……」
「これは……ミズリ様が……?」
「いや、儂もこれほどの光術を見るのは初めてじゃ……」
月下の王都、その一角。
治療所に選ばれた井戸のある中庭。
その場所を昼以上の明るさが照らした。
その明るさは、宇宙と呼ばれることもある程の上空からでも、雲の隙間を抜けて視認出来る程であった。
「ちょっ! 旦那! 明るずぎて近づけないでやんす!」
あまりの明るさに目を背けながら、先程助けた少女を抱えたドローンが中庭に飛んで来る。
そして、ドローンの苦情を聞き入れたように、明るさは抑えられ、さっきまでと丁度同じくらいの明るさに落ち着く。
「い……いったい……どういう事じゃドローン?」
珍しく狼狽えるミズリを見るドローンは、抱えてきた少女をミズリに預けながら小さく囁く。
「旦那が来てるでやんすよ」
頭上に沢山のはてなを浮かべたまま、ミズリはまずは少女が危険な状態でないかを診断し、応急処置をして、何か短く祈った。
「アスカちゃんおるの? 全然見えないんじゃが?」
「死に戻りでやんすかね? 霊体でやんす」
「見えるのか?」
「意思も聞こえるでやんす。……光精でやんすか? 霊体の方がエーテル伝導はいいんで、離れてもエーテル供給は維持できると思うでやんす」
「……教会本部が破壊されて、死に戻りが滞っておるのか? にしてもドローンだけずるいのお。アスカちゃーん儂もがんばっちょるよー」
そういってあたり構わず手を振るミズリ。
ミズリの言葉で、瓦礫の中心が教会本部だとようやく気付いたアスカは、教会本部跡に目を向けると数体の霊体がふわふわと漂っているのが見え……思わずそこに飛んでしまった。
◇
(まだ制御出来てるとは言えないなー)
気になっただけで飛んできてしまう霊体の身軽さに改めて驚きながらも、アスカは勇者特性の一つである急成長を総動員して、精神体と霊体の制御を懸命に学んでいた。
その時、アスカの霊体に呼びかける思考があった。
『お、おい! お前! 自由に動けるのか!』
『こっちはやっと話せるようになっただけで……いや、それより蘇生が始まらない理由が知りたいんだが?』
漂う二つの霊体は背中を向けてゆっくりと回転しており、どんな顔をしているかも分からないが、霊体での意思疎通が出来るのをみると、相当にレベルの高い勇者だろうとアスカは思った。
周囲を漂うだけの、意思を発する感覚を掴めていない霊体は、目玉だけを動かしてこのやり取りを見つめている。
『教会本部が破壊された事で、蘇生が停滞してるんじゃないかってミズリ神官は言ってたけどねー』
『ミズリだと!? てめえあのジジイと知り合いか!?』
口の悪い霊体がゆっくりと回転してアスカを視界に収める。
『あ! テメー! その顔! 確かアスカって変な奴だな!? なんでテメーみてえな弱え奴が霊体で動き回れてんだ!?』
『何? アスカだと? ちょっと見えないんだが?』
回転が合わず視界に収める事が出来ないもう一人が、じたばたともがく。
と、その時。アスカの視界を人影が掠める。
『あ、狐の人』
ドッ!
『『ぎゃあぁぁーーーー……』』
アルゴスがそばを通過し、彼を狙った光の矢が至近距離に着弾。周囲に漂っていた勇者の霊体達は、衝撃でどこかに吹き飛ばされてしまった。
アスカは衝撃の中、飛ばされる事無くその場に踏みとどまり、狐の人ことアルゴスの様子を見る。
アルゴスは霊体の勇者達を気に留めなかった。もしかしたら気付かなかったのかも知れない。本来の狐の魔獣の姿であれば、気付いたのだろうか。
確かなのは人の姿のまま戦っているという事は、まるで本気では無いということである。
地上を逃げるアルゴス。
上空から光の矢を降らす女。
北の森地下にある巨大な球形の障壁。
少しだけ障壁が気になったその時、上空で凄まじい量のエーテルが渦を巻いて吸い上げられた。
『なんだ!?』
女の背中の羽が二対四枚から三対六枚に増えたかと思うと、新たに生えた翼が肥大化、破裂したかのように無数の羽が飛び散り、紫の羽が地上の街へと舞い降りて行く。
女は再び膨大なエーテルを取り込むと、巨大な法術陣で文管区の殆どを更地にする。
『すげ……セト様クラスかも……凄すぎて分からないけど』
超セト級と思われた女は、数秒後何を思ったか、ドローンに雷を放った。
『ドローン! 間に合っても突き飛ばす事も出来ない!』
肉体を持たぬ身でありながら、ドローンを庇って迫る雷に身を晒すアスカ。
『エーテルを集めて水と火を生み出し、水と火を均等に合わせて生み出された雷。ならば!』
術の組み立てを見ていたアスカは、逆の工程をたどれば術式をエーテルに還元出来るのではと考えた。
霊体の身とは言え、これ程のエネルギーを受けて無事かどうかは分からない。だが自分がどうにかしなければ、確実にドローンはやられる。この術はそれ程の力と密度を持ってると感じられた。
極度の緊張が集中力に変換され、勇者の能力の一つである並列処理が加速。霊体精神体双方の思考が焼き切れる程の負担を強いる。
肉体では間に合わなかっただろう。
霊体だけではなし得なかっただろう。
ズーの訓練を受けていなければ、そもそも理解に至っていなかっただろう。
アスカは、螺旋状に強く拗じられた雷に、霊体と精神体の双方からアプローチし、強烈な捻じれを解して螺旋を解除。
次いで雷を水と火に分解、その勢いのままにエーテルにまで還元して、ラドエナジーへと送り返した。
「術式を分解しただと!?」
上空の女は不可解だとばかりに声を上げた。
「「おおお!」」
「何だ……今の!?」
その後、自らの身を盾として、涙ながらにドローンの無実を訴える導師に、アスカは見覚えがあった。確か自分の担当導師だ。
ドローンを庇うミアの更に前に立つアスカは、チラリと後ろを振り返る。
たしか名前は……ミアだったか。うるさいだけの女だと思っていたが、いいヤツだったのか。
アスカは、ドローンの事を「この子」と呼ぶミアの印象を少し変えたのだった。
人命を軽視したと思ったドローンが紫の女に攻撃的になったが、先に人を逃がす法術を使っていた事をアスカから聞き、無益な衝突は一先ず避けられた。だが問題は残っている。
『出頭命令とかどうなるんだろうねー』
『もう普通に思考飛ばせるんでやんすね! 流石旦那でやんす!』
心にやましい所の無い二人は、いたってお気楽だった。
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