12 酒場にて
青白い三日月が眼下の世界を照らし、少し強い風が月に掛かる雲を次々に入れ替えて行く。
月光に照らされた青く暗い世界。その中に光の集まった場所がある。光は人工的な四角い箱の中に収まり、大気の揺らめきに瞬いていた。
見るからに酒場を表す絵が彫られた看板。
その建物の中からは、扉が開く度に適度な賑やかさが漏れて来る。
ビア王国王都アビリ。城の西口にほど近いここ【ペンとインク亭】は、文官官舎から近いため、もっぱら文官御用達の酒場として知られていた。
東口の武官酒場通りとは一味違う、知性溢れる大人の社交場。ここで盃を傾ける文官らはそう思っていた。
そのペンとインク亭のカウンター席。二人の女文官が、仕事帰りだろうか制服のままをグラス傾けていた。
グレーを基調として白のラインが特徴的な、メイドを思わせる制服。王都アビリでは知らぬ者の無い、重要な役割を背負った者がまとう制服だった。
店内のどこからでも見える位置にある2つの大ランプは、今夜の月光のような青白い光で店内を照らし、その下で愚痴をこぼす二人の女文官の話に耳を傾ける。
「アイツ、やーーっと初めのダンジョンから先に進んだんですよー」
「初めのダンジョン?なんでまだそんな所いるの?」
「これでよーやく、一日で見れる範囲に来てくれました。しんどかったですよ先輩ー、褒めて慰めて奢って下さいー」
「あーよしよし。マスター!デカイ奴で頂戴」
腕にすがって懐く後輩の茶色いショートヘアをポンポンと撫でながら、先輩は自らのグラスも空にした。
ペンとインク亭はカウンターとテーブル席合わせて30席程の中規模の酒場だが、良好な立地条件とツマミが少量で種類が豊富なのが好評で、平日でも大体八割の席が埋まる。
かく言う今夜も、これからの来客は相席を覚悟する事になるだろう繁盛ぶりだった。
「スレラまでやっと来たかと思えば、初めのダンジョンに二週間ですよ、二週間!ダンジョンと教会をひたすらマラソン」
「でも顔は良いんでしょ?その子?名前なんてったっけ?」
ショートヘアの後輩が、その言葉に納得いかんとばかりに、仏頂面を作る。
「アスカですよアースーカー。最初はイケメン担当ラッキーって思ったのに、ちーっとも先進まないしレベル上げないし、装備更新しないし。成長還元ボーナス当て込んで買い物したぶん、切り詰め生活ですよ!」
切り詰めた酒代を上手に奢らされている先輩は、勇者アスカの顔を思い出し、少しニヤける。
「あたし達【導師】は勇者が成長してこその高給取りだもんねぇ」
「先輩の勇者はいいなぁ!もう大森林抜けて、一次変化始まってるんでしょおー」
「それでも2パーティは四天王にやられて、成長鈍化してるわよ。ナッシーなんて担当12人全員鈍化してるから、まだましだけどね」
まだましとは言いながら、かくっと首を落とす先輩。
「お?噂の四天王かい?」
デカイピッチャーのお代わりを持ってきたマスターが、赤い液体を二人のジョッキに注ぎながら、軽く会話に入る。
「トラウマって誰かが名付けたらしいわね、恐怖性成長鈍化症を」
「アーミンちゃんトコの勇者って今、3パーティで14人だっけ?」
「そーなんですよ!先輩のトコは5の5の4で14人もいるんですよ!」
ずいっとマスターに寄って会話に割り込む後輩。
「ミアちゃん所って……何人だったっけ?」
「あたしの所は4の4の1で9人ですよ!9人!折角イケメン引いて、女勇者が群がるかと思ったらソロですよあのアスカの野郎!」
ミアと呼ばれたショートカットの導師は、勢いよくジョッキをカウンターに下ろす。
「ああ、ミアちゃん最初は『ハーレムパーティでボーナスガッポガポ』って浮かれたのになぁ。ソロかぁ」
「むしろどっかのパーティに入っちゃってくれれば、新しい担当パーティ回してもらえるかも知れないのにぃぃいい!」
「そこは、リーダーに目覚めてメンバー増やすように指導するのが導師のお仕事でしょ」
「ですけどぉ」
ジジッ。
その時、大ランプがその発する光を、青白い光から赤みのある黄色へと変化させた。ロウソクや松明が発するのと同じ、自然な光だ。
店内の多くの者が、2つの大ランプを見上げて目配せし、話に夢中の仲間を肘で突付いて合図を送る。
賑やかさは何も変わらない。だが確かにそこに居る者全員が、何かの意識を共有した。
カラン。
「いらっしゃい」
扉が開いて賑やかな店内にまた一人客が増える。
気付いたのは店のスタッフだけで、客は自分たちの食事と会話に夢中で、今来た客など誰も気にも止めない。
今来た客が真っ直ぐにカウンターへと歩み寄り、マスターへと声を掛ける。
「すまないマスター。導師から話しを聞きたいのだが、構わないだろうか」
柔らかい物腰で訪ねた声に、カウンター席に座る幾人かが振り返る。
黒い肌に銀の短髪。平服から覗く鍛え上げられた肉体と、腰に下げた強烈な存在感を放つ長剣。
「おお、セト様。ようこそ当酒場へ。お陰様でこの混み具合、少しだけ時間を頂けますか」
「おお!勇者セト様!」
「セト様だ!」
「セト様!一緒にいかがですか!」
ペンとインク亭は勇者セトの来店に湧いた。
勇者セト。
ビア王国随一の勇者と謳われる強者。大賢者アキニーの片腕として常に傍らにあり、女王陛下とも直接言葉を交わす事を許された特別な勇者。
勇者に携わる仕事をする者達の間では、ハラ帝国の勇者ホルスとどっちが強いかと常に噂される程の存在でもある。
王国随一の勇者の来店に気付いた者達から、歓喜と羨望の声が上がり、店内が熱を帯びる。
自らの名を呼ぶ者達に片手を上げてマアマアと応えるセトは、ポーチに手を入れると1枚のコインを取り出し、マスターに放った。
「これで皆に酒を」
コインを受け取ったマスターは、カウンターの精算機にコインを投入する。
「こ……こんなに?」
表示された金額に驚くマスターと、表示を覗き込んで歓声を上げるカウンター客。
「セト様の奢りだ!今夜は酒が無料だぞ」
「「おおお!」」
「料理は別だからな!酒だけだぞ!」
「「セート!セート!セート!」」
大いに盛り上がる店内。これでは店も導師も勇者セトに協力的にならざるを得ない。マスターに声をかけられたスタッフが、奥のテーブルの客にカウンターへの移動を頼みに行く。
「ここに居る導師は6名だな、先に帰りそうな者から頼む」
セトはマスターにそう告げると、棚から酒瓶を一本手に取って奥のテーブルへと向かった。
店内の熱気とは裏腹に、セトの背中を見るマスターの表情はうそ寒そうだった。
皆の注目を集めたのはほんの数十秒。セトはその僅かな時間で導師の数を確認したのである。
店内の導師には、制服の者も私服の者もいる。つまりこの勇者セトは全ての導師の顔と名前を記憶していると……。マスターはブルッと一度だけ震え、早くから訪れていた導師の所に、セトの伝言を伝えに行くのだった。
いつもありがとうございます!