第1章 * 壁の先へ *
君を探しに
序章
* 邂逅 *
全員が驚愕の表情で朽ち果てた摩天楼の下、立ち竦む。
雲で薄暗くなった空の下、荒廃した旧文明の都市の奥。
かなりの距離があるはず。
――なのに。
振動が、鼓動が伝わってくる。
悠然と。
その奥から、振動の正体が現れる。
――死線が、合う。
それは、燃えるような憎悪を瞳に宿す紅き龍だった。
NEXT
第1章
* 壁の先へ *
遺構が残る大平原の中、壁に囲まれた広大な国があった。
立派な城門があり、中には活気あふれたバザール、荘厳な城、兵士の訓練場などがあった。
さらに奥へ行くと巨大な土の壁が幾重にも張り巡らされ、その壁の上には対空魔術師達が構えている。
土壁と土壁の間では、魔術師たちが湧き出る魔物達と戦っている。
さらにその土壁の奥では、今までの風景とはかけ離れた鋼鉄の壁が円を作っていた。
上空には青みがかった靄がかかっており、時折鳥がぶつかると一瞬にして蒸発した。
そこには、霞みがかってはっきりしないが、巨大な物体が霞の中へ入り込んでいるように見えた。
そんな騒がしい地上と空の様子をよそに、1人地下深くで廃材を集める少年がいた。
短い赤髪、バンダナを頭に巻き、背は人より少し小さいくらい。
無骨な籠手を身につけ、片腕には妙な痕がある。
「ふう、今日もたくさん集めたなあ!」
少年は軽く伸びをして、手元に集めたものを眺めた。
旧時代の機械の部品と思われるものが、いくつも転がっている。
少年がいる場所は、旧時代に移動通路として、地中に作られた道だと考えられていた。
そういった場所には、古の大戦時に運び込まれたであろう物資が残っている。
「これであいつらにたまには贅沢なものが食べさせられるかな!」
赤毛の少年は大小様々なパーツを両腕に抱えて帰路につく。
爺ちゃん婆ちゃん弟妹たち、そして命の恩人である彼女の元へ。
「兄ちゃん!」
「兄さん!」
「兄貴!」
「「「おかえりい!」」」
家に着くと、勢いよく3人の子供達が出迎えた。
「はは、そんなに抱きついたらパーツ落としちまうだろ?」
パーツを落とさないように、3人のハグを受け入れる。
「よう。帰ったか!」
「あら、そんなにたくさん大丈夫?」
爺ちゃんと婆ちゃんも騒ぎを聞きつけて出迎えに来てくれた。
「大丈夫だよ! ほら、今回は質がいいのをたくさん見つけたぜ」
抱えたパーツ群を見せながら、自慢げに答えた。
爺ちゃんにパーツを見せていると、家の奥から声をかけられた。
「もう帰ってたんだね!」
俺の命の恩人であるフィの声だった。
「ああ、ただいま!」
「ほら、ごはんできてるよ!」
「やったあ!今日は何かなあ!」
「あっ、ラルずるい! まってよお!」
「お兄ちゃんもいこ!」
「ああ、今いく!」
3人が工房と一体化した家へ入っていく。
こうして、いつも通りのトラッシュ家の日常が過ぎていいく。
俺がこの家族と生活を共にし始めたのは、5年前。
正確に言えば、俺の記憶自体が5年前からのものしか存在していないのだが。
――5年前。
目の前が揺らぐ。
全身が軋み、所々から血が流れ出ている。
――ここで、終わりか。
何かから逃げていた俺は、掃き溜めのような場所で気を失う直前だった。
諦めかけていたその時、あの娘が俺を見つけた。
「あの、大丈夫でしょうか?」
明らかに怪しい風体の俺を親方の工房まで運んでくれた。
もっともそれに気づいたのは、親方の工房で気絶から起き上がった時だったのだが。
――おい、これは籠手に見えるが義手じゃぞ。
だ、れだ?
――えっ!? この年で義手を付けているなんて、一体どんな風に生きてきたの?
まぶし、い。
目を開くと、厳つい顔がすぐそこまで近づいていた。
「お、気がついたか?」
「うっ!?」
白ひげを生やした無骨な男が俺の顔を覗き込んでいた。
「ダメでしょ、おじさん! 起きたばかりで驚かしちゃ!」
気絶する前に俺を運んでくれた娘が奥から何かを持ってきた。
「いい……匂いだ」
その娘が持っていた物は、食料らしい。
そう言えば、ここ何年なにも食べていないような気がする。
そんなはずはないと思うが…。
そういえば、俺は何から逃げていたんだ?
記憶の迷宮に迷い込みそうになったところで、助けてくれた娘の顔がずいと覗き込んできた。
「ううっ!?」
「あっ、驚かせちゃいました?」
「いや……」
こいつらは顔を覗き込む癖があるのだろうか。
「あんなところで、寝ててびっくりしたんですよ?」
はにかみながら、出会ったときのことを話してくる。
「寝てたわけじゃ……」
ないと言いかけて、言葉に詰まる。
まただ、あの時以前の記憶が思い出せない。
「まぁた、難しい顔してますね。今はとにかくこれを食べちゃってください!」
温かいスープが目の前にずいと出された。
料理と同じような暖かい笑顔が向けられた。
俺は視線に困りながら、スープを受け取る。
初めて飲んだそのスープは、優しく包んでくれるような、そんな味だった。
その娘は優しい笑顔を見ながら、尋ねてきた。
「あなたの名前は?」
俺は散らばった己の記憶から、まだ残っていたそれを拾い上げる。
「俺の名前はーー」
――現在。
「トライ! 気をつけて行ってきてね!」
「分かったよフィ! 早めに帰るよ!」
いつもの見送りを経て、今日も旧時代の資材漁りへ出かける。
街は年に一度の探索式の準備でここ連日はお祭りのような賑やかさだ。
――探索式。
このカルメリア大陸に存在する五カ国の中心、《クレイドル》の一つである『ウォール』への探索。
《クレイドル》は旧時代から残る遺跡のようなもので、そこへ探索へ向かう際の決起集会のようなものだ。
今年はこの国で探索式が行われる。
各国の精鋭である《クラン》のメンバーが集結する。
それに伴い、人や物が大量に出入りする。
商人達にとっても売り時となり、必然住民達もこぞって買い物をしようとする。
これがこのお祭り騒ぎの原因だった。
「みんな盛り上がってるなあ!」
初めての探索式の雰囲気に圧倒される。
地下へ資源漁りへ行く道すがら、街の風景を眺める。
赤と青の太陽に照らされた街は、まさにお祭り日和といった風情だった。
「みんなが休んでる時に稼ぎますか!」
一人張り切ると、人気のない裏路地にある地下への通路をおりていく。
この地下通路は、普段は誰にも使われていない。
地下の先は、旧時代、地下に掘られた通路で物の輸送を行っていたらしい。
そのため、旧時代の物資が未だに残っている。
しかし、かなり複雑に入り組んでおり、あの『ウォール』内部へ続く道も存在するなんて噂もある。
「探検も楽しそうだけど、今日の仕事を片付けないとな!」
いつもの旧時代の廃材が山積みになっている場所へ急ぐ。
「さぁて、始めますか!」
いつもの場所に着くと、気合を入れて資材回収の準備に入る。
黙々と資材を回収していた時だった。
「ん?」
一瞬、白い影のようなものが見えた気がした。
「……気のせい、だよな?」
独り言が誰もいないはずの旧街道に反響する。
……早く帰ろう。
そう決心すると、手早く資材をまとめた。
――10分後。
旧街道から日の当たる地上へ戻ってきた。
「ふぅ、今日も大量大量!」
両手いっぱいに旧資源を抱えて家へ戻る。
前が見えづらい中、目前に大柄の男が現れた。
「おわ!」
「おう、悪りぃ悪りぃ!」
巨大な刀身の大剣を背負った男が、笑顔で手を差し出してきた。
ごつい手を掴み、立ち上がる。
「ん? 誰かと思えば、親爺さんとこの鍛治手伝いじゃあねえか!」
「手伝いじゃなくて、れっきとした鍛冶屋! ん、あんたは……」
大剣を背負った黒髪短髪の男は、工房のお得意さんのひとりだった。
バリス=ズワルト。
今回の探索式で選出された屈強な剣士だ。
小さい頃から、剣士の修行をしていたらしい。
担いでいる剣は、うちの工房で鍛え上げたものだ。
最先端の魔力浸透率の高い剣より、うちの工房の純粋な剣として威力が高い方がいいらしい。
「バリス、そんなところで立ち止まらないでよ? あら、工房の鍛治手伝い?」
同じようなことを続け様に言われる。
「だから! 手伝いじゃなくて、鍛冶屋だっつの!」
横から現れた橙色の長髪をなびかせたのは、この国の魔術師の中でトップレベルの実力のシャル=プレニオールだ。
シャルも、やはり探索式に選出された一人だった。
「何だよ二人とも、探索式が近いのに、こんなところで」
浮かび上がった疑問を口にする。
「私はこいつの付き添い」
「ああ、俺の大剣を親爺さんに最終調整してもらおうと思ってな」
確かにバリスの持つ大剣は、魔力よりも実威力を重視する構造だ。
内の工房が得意とするカテゴリだ。
「そっか! なら一緒に行こうか!」
抱えた資材を持ち直し、2人と共に工房へ向かうことにした。
「おう! 帰ったか!」
親爺さんが豪快に迎えてくれた。
「うん! 爺ちゃんにお客さん!」
バリスとシャルが工房へ入ってくる。
「親爺さん! いつもの調整を頼む」
「おう! 任せな」
大剣を受け取ると、爺ちゃんは早速作業の準備をしはじめた。
「まさかあんなにぴいぴい泣いていたおめーが、探索式のクランに参加するとはなあ。時の速さは恐ろしいぜ!」
「ガキ扱いは止してくれよ、親爺さん」
バリスは子供の頃からの顔馴染みらしい。
「おめー見てたらよ、あいつの刀を調整したのを思い出したぜ……」
「……兄貴のだな」
バリスの兄弟子である人もこの工房で刀を鍛えてもらっていたと聞いたことがある。
「兄貴は、最強の剣士だった」
バリスが遠くを見ていると、脇からばしりと頭を叩かれていた。
「てて……」
バリスは巨体を丸めながら頭を押さえていた。
「しみったれたこと言ってないで、さっさと調整してもらいなさいよ。魔道具屋にも寄りたいんだし」
頭を抑えるバリスと、鼻を鳴らすシャルが対照的で面白い。
「そんじゃ、親爺さん任せたぜ」
「私たちは探索式の準備があるので」
工房から出て行く間際、バリスが声をかけてきた。
「探索式、フィちゃんと一緒に観にこいよ!」
「おう、楽しみにしてるぞ!」
バリスはにかっと笑い、シャルと共に2人は工房から出て行った。
「そうか、探索式もあと1週間後だもんな」
俺はすぐ近くに迫った探索式を思いながら呟いた。
「そうじゃな、またあの壁の中へ探索する者たちを見届けるとはなあ」
爺ちゃんが遠い目でつぶやく。
探索式、そして壁の中の様子、未だに誰も帰還者がいない未知の領域。
どこか自分の中でも、壁の内側へ惹かれるような感情があることを確認する。
その気持ちを胸にしまい、持ち帰った資材を片付け始めた。
「一体、壁の中はどうなっているんだろう…」
「おい、トライ!お前も大剣の調整を手伝え!」
「はい! 今いくよ!」
不意に出た自分の言葉に驚きつつ、今日も工房は平和に静かに1日を終えていった。
――探索式当日。
俺が住んでいる国で、各国のクランが集い、探索への栄光を讃えた式が開かれる。
朝から国中の人が式が開かれる城の広場へと急いでいた。
俺とフィもその人混みの中にいた。
広場に着くと、すでに大勢の人が集まっていた。
「こんな時は、と!」
工房で暇な時に作っていた望遠鏡を取り出す。
「ほら、フィの分も!」
一緒に来たフィにも望遠鏡を渡す。
「ありがとう、トライ!」
2人ではるか先の謁見台とクランが集う舞台を見た。
クランの面々は既に舞台へ集っていた。
「トライ、クランって本当に少数精鋭なのね」
フィは遠くのクランを見ながら聞いてきた。
「ああ、俺も爺ちゃんから聞いたんだけど、昔大量に探索者を送り込んだ年があったみたいなんだ」
フィはうんうんと続きを促してくる。
「だがその探索者たちは誰一人帰らなかった。それ以降、国は少数精鋭を送り込むことに決めたらしい」
フィはほえーっとした顔で聞いていた。
本当に聞いていたのだろうか……。
そうこうしているうちにすべてのクランが舞台に出揃っていた。
左からホーリット国のクラン。
今回のクランの中で最強と名高い。
攻防援護全てに秀でているそうな。
「美男美女ね……」
フィが神妙な面持ちで呟いていた。
2番目にリィン国のクラン。
自然と動物を用いた魔術体系を有しているという話だ。
未だにリィンクランの国以外で自然魔術を編み出した国はない。
「あの緑の髪の人も綺麗!」
フィは審査員と化していた。
3番目にザガ国のクラン。
機械と魔法を組み合わせた次世代型の魔術を国を挙げて構築しているらしい。
それよりも、見た目とメンバーがかなり奇抜な感じだ……。
「あんな服初めて見た……。何だかお洒落!」
審査員はうきうきだった。
4番目はレイスタル国のクラン。
結晶魔術という特殊な魔術が唯一使えるクランだ。
その魔術もさることながら、この有名な「結晶三姉妹」の一番の特徴はーー
「すごい! 耳と尻尾が宝石みたい!」
……そう、結晶の獣の耳と尾を持つことだ。
結晶亜人と呼ばれる人種の特徴だ。
いつからか大陸に現れたという。
一説では人の進化の形じゃないかと言われている。
……俺も初めて見た。
5番目に我らがリンネ国のクラン。
一流の剣技、一流の魔術。
シンプルながらも強力な組み合わせだった。
メンバーが少ないのは、前回の探索にて、優秀なクランメンバーが出席していたからだ……。
クランメンバーの育成が追いついていないらしい。
「バリスさん!シャルさん!どっちもがんばれー!」
審査員は応援団になっていた。
6番目はノウ国のクラン。
はるか遠方にある国から参加しているという。
外套に包まれた3人の素性は不明。
情報が全くないのが、情報と言ったところだ。
……。
あれ?
「……フィ、どうした?」
今まではしゃいでいたフィが黙り込んでいた。
「……一瞬こっちを見ていたかも。なーんて!」
少し間を置いて、フィはいつも通りの元気な様子に戻った。
一瞬ノウクランの誰かから視線を感じた、か。
……気のせい、だよな?
そもそも、俺もフィもノウ国のクランとの面識なんてないしな。
気を取り直して舞台の方へ視線を戻す。
王様が城の奥から現れた。
歓声が湧き上がる。
王様の前へ集った6つのクランの面々が、跪く。
「今日という素晴らしき日に、よくぞ集まってくれた! ここに集ってくれたクランの諸君には『クレイドル』に眠る未知の歴史と技術を是非持ち帰るのだ! そのためにも、諸君ら全員が生きて帰るのだ!!」
拍手が周りから巻き起こる。
「皆のものよ、ここに結集した6つのクランの精鋭たちへ喝采を! そして、かの壁の中へ挑む勇者たちへ声援を! またこの地に全てのクランが帰還するよう祈りを!」
王様から直々に、今回の探索への正式な任命の意味を込めた勲章が各クランへ渡された。
その勲章は、選ばれた者への祝福なのだろうか。
それとも、未だに帰還者がいない地へ踏み出す者への餞別なのだろうか。
複雑な気持ちが胸中に流れる。
観衆がそれぞれの形で感情をクランへ届けた。
クランの面々が最後に声を揃え、覚悟の言葉を発する。
「我ら、未知なる壁の先へ!!!」
凛とした声が会場に響きわたる。
観衆も最大限の拍手をクランの面々へ送った。
こうして、探索式は無事に終わりを告げた。
いよいよ明日が突入式の日となる。
「ねぇ、トライ」
神妙な面持ちでフィは口を開いた。
「バリスさんもシャルさんも、きっと無事に帰ってくるよね?」
未だに帰還者がいないクレイドルへの探索は、同時に別れの意味も含んでいた。
数数の猛者が未だ帰らない現状で、軽はずみなことは言えない。
けれど。
「ああ、きっと大丈夫さ!」
俺は明るく言い切った。
フィも笑顔で頷いた。
これは出まかせではなく、無事に帰ってきて欲しいという俺の願いでもあったからだ。
――突入式前夜。
まだ外の祭りの音が鳴り止まない頃。
寝室で婆ちゃんが子供たちを寝かしつけるために、昔話を読んでいた。
「昔昔の出来事でね、7つの国に7体の天使様が現れたのよ。その天使様達は、人をお試しになられた。その試練の時に天使様に戦いを挑んだ騎士達が現れたのよ。その戦いは熾烈なものだったそうよ」
リルは既に寝息を立てていた。
「それでね、最後には騎士様も天使様も姿を消してしまわれた。そして大戦後の今の時代へと時は流れたのよ。ある国は空に、ある国は地下に、ある国は鋼鉄の壁の中に文明を守るために隠れたのよ。それが『クレイドル』と呼ばれる遺跡よ。……あらあら、寝てしまったわね。今度は『そして緑の世界へ』を読んであげるからね」
アルも既に眠りに落ちていた。
お婆ちゃんの昔話を聞いていた孤児達は寝てしまった。
――1人、やんちゃなラルを除いて。
「ついに明日が突入式かあ。参加クランは何を思ってんだろうな……」
それぞれのウォールへの思い、そこへ挑んだ人達との思い出。
「俺は、俺には何があるんだろう」
フィに助けてもらったあの日から、必死にこの工房の助けになればと生きてきた。
物思いに耽っていると、扉が開く音がした。
「トライ兄ちゃん!」
「おう、ラルじゃないか。まだ寝なくていいのか?」
夜更けに現れたのは、孤児の中でも一番活発なラルだった。
「兄ちゃんお願いがあって来たんだ。兄ちゃんの資材集めの手伝い、俺にも出来ないかな?」
予想外の言葉だった。
「…気持ちは嬉しいけど、危険だぞ? 旧時代に造られた道だ。どこに繋がっているかもわからな」
大体の道は覚えているが、少し大袈裟に言った。
…まあ実際に知らない道もあるだろうし。
「それでも、俺も手伝いたいんだ!」
ラルは引かなかった。
そこには純粋にこの家の一員として、みんなを助けようとする気持ちが伝ってきた。
「気持ちは分かった。けど、まだだな! もう少しでかくなってからな!」
「なんだよお! 兄ちゃんもそんなでかくないくせにい!」
「まだ成長中なんだよ!」
二人で騒いでいると、フィが現れた。
「あー! こんなところにいたのねラル、早く寝るわよ!」
フィが唸るラルを連れて行った。
俺はひらひらと手を振った。
あいつも大変だなぁ。
でも、今のやり取りで分かったことがある。
こんな日常を守るために生きていけばいいんじゃないかって。
一人、疑問が解けたことで、急に眠気が来た。
明日も早いから、俺も寝よう。
――突入式当日。
朝から工房内は、街の祭りの喧騒のように騒がしかった。
フィとラルが朝から姿を消していたのだ。
「二人ともいないって、誰か見ていないのか?」
「二人とも家を出て行く時は、伝えてくれるんだけどねえ…」
婆ちゃんが困惑顔でつぶやく。
「ラルが行きたいとことか言ってなかったか?」
爺ちゃんが冷静に尋ねる。
「……そういえば、ラルのやつ、俺の手伝いをしたいって……」
そこでどこに行ったかが思いつく。
「旧地下街道、か」
爺ちゃんも同じ結論に至ったらしい。
「恐らくフィが一緒とはいえ、あそこはまだ全ての道が明らかになっていない。危険じゃな……」
爺ちゃんは不安に顔をしかめた。
「俺が連れ帰る!」
抑えきれず、駆け出そうとするが、爺ちゃんに首根っこを掴まれる。
「落ち着け! あそこは迷いやすいだけじゃなく、危険なやつもおるかもしれん」
爺ちゃんは冷静に俺を諫めた。
だけど……!
「それなら、なおさら行かなきゃ!」
「じゃから、これをもってけ」
手渡されたのは、巨大なレンチと魔力無しで使える工房独自の道具が入った袋だった。
「あと、これもくれてやる」
「これ、俺が欲しがっていた爺ちゃんのバンダナ……」
「お前が欲しがっていたのは分かっていたが、渡すタイミングがなくてな」
爺ちゃんが神妙な面持ちで渡してくれる。
「爺ちゃん、ありがとう!!」
予想外の贈り物にお礼を言うと、爺ちゃんは最後にと話し始めた。
「トライよ、わしゃあ誰にでも才はあると考えとる」
俺は爺ちゃんの話に耳を傾けた。
「トライ、お前の才で2人を助けてこい。そしてお前自身も無事に帰ってくるんじゃぞ」
爺ちゃんは真っすぐに俺を見ながら言った。
「……ああ! 任せてくれよ、俺は爺ちゃんの一番弟子だぜ!!」
バンダナを頭に巻き、再び外への扉へ向かう。
いつのまにかアルとリルも集まっていた。
「にいちゃん、どこいくのお?」
寝ぼけ眼で訪ねてくる。
「ちょっと家族を助けに行ってくる!」
そう言うと、俺は勢い良く走り出した。
アル達はポカンとして、爺ちゃんと婆ちゃんは帰りを祈るように俺の背中を見つめていた。
――旧地下街道。
駆け足で旧地下街道を降りて行く。
まだ、二人の痕跡は見つかっていない。
もしや別の場所かとも思うが、その考えを振り払い、旧地下街道を駆ける。
等間隔で少なくはあるが、松明が焚かれている。
その間にある均等な暗闇の先に、小さく白く光るものが落ちていた。
「フィの、リボンだ……」
きっと急いでここを駆けている時に髪から外れたのだろう。
「誰かに追われているのかもしれない、急がないと!」
緊張感が増しながら、手にそのリボンを握りしめて再び駆ける。
この方向で、間違いなさそうだが、この先道が別れた時どうする?
そんなことを考えながら走っていると、ここが以前来たことがある道だと思い出す。
「あれ、俺はこんなところまで来たことあったか…?」
道を進むにつれて、記憶が蘇っていく。
「ここ、は……」
あの時の記憶が蘇る。
――ここで終わりか。
――あの、大丈夫ですか?
そうだ、ここは!
「フィと出会った場所だ! そして、俺が記憶を失って倒れていた場所…!」
走り抜けた先には、旧文明の資材が山積みになっており、上からわずかに射す光がその旧資材の一部を照らしていた。
しかし、辺りを見回しても、フィとラルの二人の姿は見当たらない。
辺りを探していると、光の射す方に壁にわずかなひびを見つけた。
壁のそばまで行くと、そこには人一人がわずかに通れそうな隙間があった。
「ここだ……。ここを通って行ったんだ!」
光が射す方向へ希望があるのを確信し、その隙間へ身を滑り込ませる。
しばらく隙間を進んでいくと、先に空間が広がっているのが見えた。
焦る気持ちをそのままに、広間へ飛び出した。
そこにはへたりこむラルがいた。
「よかった! ラル無事か?」
ラルは傷はなさそうだが、酷く怯えた様子だった。
「どうした? フィはどこにいる?」
不安が胸を覆い尽くすを感覚を遠ざけながら、聞く。
「フィお姉ちゃんは、鎧が連れ去って行っちゃった、僕何もできずに……。うわあああああん!」
泣き始めてしまったラルをあやしながら、フィが鎧に連れ去られて行ったという方向を見る。
赤。
赤赤。
赤赤赤。
そこには、赤黒い絨毯が引かれていた。
いや、それは絨毯ではなく。
血塗れの床と、そこに横たわる心臓をくり抜かれて捨てられた衛士達だった。
「うっ……!」
それを理解したとき、猛烈な吐き気に襲われる。
それを我慢しながら、視線を先に向ける。
巨大な鉄の扉と、魔術の文様が浮き上がっている結界がそこにはあった。
「フィは、この先か……!」
開かれていない扉の前でも、そう確信ができた。
なぜなら、その扉と結界は開かれることなく、無闇にくり抜かれていたからだ。
今なら、その隙間へ入ることができそうだ。
しかし、ラルはどうする?
こんな場所に1人で置いてはいけないーー
1人思考を巡らしている時だった。
「おい! どうした!」
聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
「バリス! それにシャル!」
バリスとシャル、それに2人の護衛の衛士も一緒に現れた。
「こりゃあ一体……」
「息は、ないわね」
沈痛な面持ちの2人が顔を上げる。
「もちろんお前がやったとは思ってねぇが、状況は説明できるか?」
真剣な表情でバリスは聞いた。
「いや、俺も今ここへフィとラルを追って来たばかりだ。ラルが言うにはフィが鎧を来たやつに連れ去られたらしい」
視線を結界と鉄の扉へ向ける。
そこには、未だにぽっかりと穴を開けられたウォールへの入り口があった。
「……あれ? さっきより穴が小さくなってる?」
急速にウォールへの入り口が小さくなっていくのが分かった。
「まずい、このままじゃ完全に塞がる!」
俺は焦りながら叫んだ。
「この結界を解除できる術式を扱えるのは、そこにいた衛士だけだ!」
バリスが叫ぶ。
着々と穴は小さくなり、決断を迫られる。
「くっ、この子を頼む! 俺はフィを追う!」
「あっ、おい待てよ! 衛士の兄ちゃん!この子を頼む!シャル、俺たちも行くぞ!」
「ちょっと待ちなさいよ!」
バリス達が困惑する中、俺は目の前の穴を目指して駆ける。
暗闇を抜けた先には、上から射す光へ続く階段があった。
「フィ!? どこだあ!!」
「おい、だから待てって!」
後ろからバリスとシャルが後を追ってきていた。
「バリス! シャル! ラルは?」
「衛士に任せた、まずお前は落ち着け」
バリスの言葉で我に帰る。
「ああ、すまない……。そもそも、2人はなんであそこに?」
純粋な疑問をぶつける。
「こっちのセリフだが……。あそこはウォールへの正式な突入口なんだよ。地上にある扉はフェイクだ」
「公にはされてなかったけど、そういうこと」
シャルが相槌を打つ。
「あんた達のせいで、めちゃくちゃな状態で突入しちゃったじゃないの」
不機嫌になりながらも、シャルは剣のような魔道具を地面に刺して、展開していた。
「それについてはごめん…。その魔道具は、何をしているんだ?」
「これ?時空転送の魔道具よ。何度も使える代物じゃないけどね」
「脱出時のためのものだな」
バリスが付け加える。
「そうね、それに……」
シャルが鉄の扉の方を見る。
「まずはあの結界をこの壁の中から壊さないとね」
俺たちが入ってきた入り口はすでに結界が塞いでしまっていた。
「あの結界はどんな魔術、武器を使っても未だに破壊ができていないの」
シャルが苦い表情で説明する。
「その結界を唯一この国で弱体化させられたのが、倒れていた衛士の人たちだ。その人たちも殺されてしまった。だからあの結界を自ら壊さない限り、俺たちはここから出られない」
バリスも暗い表情で現状を説明してくれた。
「そんな……」
自分の勢いでの行いが、この壁の中に閉じ込められてしまったという感覚をようやく認識する。
「まあ、そんなしょげた顔すんなよ!」
「えっ?」
驚きのあまり、情けない声を出してしまう。
「俺らもお前と一緒に行くぜ!フィちゃん助けんだろ?」
バリスは爽やかに言ってのけた。
自分たちの本来の使命があることを口に出さずに。
「すまない!バリスありがとう!!」
バリスの提案で希望が見えた気がした。
「勝手に決めないでよね。私は賛成してないからね!」
シャルの言葉に、見えた希望が小さくなった。
「けど、フィちゃんを見捨てることは私の心に反するわ」
「じゃあ……!」
「早くフィちゃんを見つけに行くわよ! 結界も壊してさっさと使命も果たすのよ!」
早口にシャルは話した。
「ああ!!」
俺は見えた希望を逃さないように走り始めた。
「ああ、衛士の人たちの仇も取ってやらねえとな…。っておい、お前はだから急に走り出すな!」
「あ、ちょっと待ちなさいよ!」
バリスとシャルが後から走ってくる。
階段を越えた先には、地上の明かりが射している。
正直にいうと、この壁の中に少しわくわくしていた。
一体どんな光景が広がっているのだろうと。
そして、階段を登り終えた先に、地上の光景が広がっていた。
――灰、だった。
一面が、空さえもが灰、その一色だった。
曇天に向けて崩れかけの摩天楼達が、突き刺さるように伸びていた。
色とりどりであったろう看板のようなもの達も、色褪せてしまっている。
車輪のついた箱のようなものが無造作に打ち捨てられている。
きっと移動用のものなのだろうが、何かから逃げていたのだろうか?
「すげえ、何なんだよここは……」
壁の外の世界では、追いつけないレベルの文明が広がっていることに言葉を失う。
摩天楼の間に続く道の先に、ぼやけながらも比較にならない程大きい塔のようなものが見えた。
――あれ?
塔が見えた瞬間に、俺の中で何かがざわめく感覚がした。
「ビビってても仕方ねぇ、フィちゃんと結界の源を探しに行こうぜ」
「それは、そうなんだけど、あの奥を見て……。何かが動いていない?」
バリスと話していたシャルが青ざめながら言う。
シャルの視線の先には、山のような大きさの何かが悠々とこちらへ向かってきていた。
「おいおい、マジかよ……」
バリスが慄きながら、声を振り絞る。
全員が驚愕の表情で、朽ち果てた摩天楼の下、立ち竦む。
雲で薄暗くなった空の下、荒廃した都市の奥。
距離はかなりあるはず。
――なのに。
振動が、鼓動が伝わってくる。
悠然と。
その奥から、振動の正体が現れる。
ーー死線が、合う。
それは、燃えるような憎悪を瞳に宿す紅き龍だった。
NEXT