運命の扉②
碧華が昼食を用意している間テマソンはリビングを眺めていた。高額そうなものは何一つなく、手作りらしきものが飾られたその部屋だったが居心地はよかった。
ふと本棚を見ると、棚の中に手作りらしき本が何冊か並べられていた。
『桜木碧華・・・これ彼女が書いた本かしら?』
テマソンは手作りらしき一冊の本を手に取ってパラパラと開いてみた。
その時ふと目に留まった詩が気になって読まずにはいられなかった。
〔 星屑のため息 〕
なんだかうまくいかない時は ため息一つついてみる
体の中のモヤモヤを追い出す為に
なんだか寂しい夜は 夜空を彩る流れ星を一つ探してみる
心のすき間を埋める希望を得るために
月夜がきれいなこんな夜は 時の神秘に思いをはせてみる
まだ見ぬ出会いに心を躍らせながら
人はこの世界で出会いと別れを繰り返し運命を探している
この世に生を受ける前に途切れた自分の絆を結ぶために
私の存在はこの星たちに比べればちっぽけだけど
確かに生きたという証を この星のどこかに残せたらいいのにな
できるなら大切な仲間達と一緒に
『何かしら、変な気分になる詩ね。こんな詩初めてだわ』
テマソンは知らず知らずのうちに手作りのその詩集本を最初から読み始めていた。
「あああ~っ!なっ何をしているんですか!」
碧華は一瞬でテマソンが自分の作った詩集を読んでいることを見て、焦った様子でたずねた。
「何って、ここにあったから、これあなたが作った詩集かしら?」
「そっそうですけど・・・おっお恥ずかしい・・・へっへたくそでしょ」
碧華は照れたような顔をみせ言った。
「そんなことはないわよ。私はまだ、日本語は詳しくないから表現方法はよくわからないけれど、これはいい詩だと思うわ。出版社に持っていけば、少し修正は必要かもしれないけれど、商品化にできそうな出来だと思うわ。私、これ気に入ったわ。これ売ってくれないかしら」
テマソンはその詩集にまだ視線をむけながら碧華にむかって言った。
碧華はテマソンの思いもよらない言葉に驚いて手と首を大きく横に振りながら答えた。
「売る?とっとんでもない、あの、あなたが気に入ってくださったのなら、それ二冊ありますから差し上げます。ちょっと修正箇所とかあったりしますけど、それでもよければ」
「えっ無料でいただけるの?」
「はい!そんなのでよければこちらこそもらってください。いい詩だなんて言ってもらったの初めて・・・。ええ~へんな気持ちです。でもなんだか嬉しいものですね」
碧華は照れくさそうにしながらも、うれしそうに言った。そんな碧華にテマソンは素直に聞き返した。
「初めてって・・・あなたの友人とかご家族とかには見せたりしないのですか?」
「家族は私の詩なんて興味ないみたいですし、私人付き合いは苦手で友人がいないんです。だから見せたことないんです。真剣に読んでくれたのはあなたが初めてですよ」
碧華は笑いながら言ったがどこか寂しそうだった。
「私と同じね。私も友人はいないわ。仕事仲間は大勢いるけれど、私、メリットのない付き合いはしない主義なの」
「テマソンさんは強いんですね。私はできる仕事もないし、毎日ため息をただつきながら一日を過ごしているだけ。唯一の救いは家族がいてくれることだけです。私はこれで十分幸せだと言いきかせている毎日ですけれど。ほら、人生には諦めと妥協も必要でしょ」
「そうね。幸せの度合いは人それぞれ違いますものね。あなたがそれで幸せならいいんじゃないかしら」
テマソンは彼女の言葉にはそれ以上は何も言わなかったが、生まれて初めてあなたとなら友人になってもいいわよっという言葉が咽喉の先まででかかったのを飲み込んだ。
『私ったら何を言おうとしたのかしら、こんな異国の初めて会ったおばさんにむかって・・・人間なんて裏切る生き物なんだから、信用しちゃだめ、ダメなのになぜかしらね。この人の空気感は・・・不思議な感じがするわ』
テマソンの心に芽生えたなんだかわからない気持ちを心に抱いたまま、二人はそれからたわいもない会話をしながら、碧華お手製のうどんを食べ、食後に紅茶を飲みながらメロンパンを半分ずつ食べた。
どちらも素朴な味にすごく感動したテマソンだった。
普段一流シェフが作る料理を食べ慣れているテマソンにとって、麺の上にわかめだけのったうどんという食べ物はかえって新鮮だった。
それにメロンパンも初めて食べる触感に大感激をした。
テマソンはそれからすぐ、中国行きの飛行機に乗るために、数時間前にきたばかりの道を別の場所で待たせていたタクシーに乗り込み空港に戻って行った。テマソンは不思議と寂しい感覚を覚えた。それは人間嫌いの彼にとっては始めての感情だった。
『また会いたい』
そう思っている自分が信じられなかった。
『私の感じた通りのセンスの持ち主だったわ。あの布を組み合わせるセンスは天性のものだわ。本人にまったく才能があるっていう自覚がないのがおしいわね』
テマソンは中国行きの飛行機に乗っている間、碧華のことを思い出していた。
テマソンは碧華が別れ際に言った言葉を思い出していた。
「不思議ですね。私、あなたとしゃべったのは今日が初めてなのに、なぜか懐かしい気持ちになりました。以前どこかであったような・・・変ですよね」
「あら、私もよ」
それを聞いた碧華は驚いた顔をしたが笑顔で軽く頭をさげた。
「お仕事頑張ってくださいね。商談うまくいくように祈ってます。仕事の件は主人に聞かないとお返事はできませんが、今夜にでも返事をするようにします。会えてよかったです。あっそうだ。写真とってもいいですか?今日の記念に」
碧華はそういうとスマホを取りに家の中に戻った。
『あの人ったら、少し変わっているのかもしれないわね。私はいいって言っていないのに、でも不思議だわ、嫌な気がしないなんて』
「あの運転手さん、申し訳ないんだけど写真撮っていただけますか?」
テマソンはキャリーケースを後ろのトランクに積み込んでいる運転手に撮影をたのんだ。運転手は心よく了承してくれた。そうして碧華はスマホを運転手に渡すと、テマソンと二人の写真を玄関で撮った。
そして、テマソンも自分のスマホにも写した。ファミリー以外の写真をそのスマホに写すのはテマソンには初めてのことだ。
後日、二人の関係はどうなったかというと、その日の夜、会社から帰宅した彼女の夫の栄治に今日のことを話すと、栄治は信じられないといった顔で碧華に言った。
「騙されているんじゃないのか?碧華さんみたいな普通の専業主婦に出来る仕事なんかあると思うか?有名なブランドなんだろ?素人の制作じゃないんだから」
栄治にいろいろとさんざんけなされて碧華は珍しく落ち込んでしまった。そんな碧華を援護してくれたのは、意外にも栞だった。
「パパ、もしかしたらママが今まで気づかなかった才能があるかもしれないでしょ。どんな仕事をするのか知らないけど、やってみたらいいと思うな。何もしなかったらチャンスなんか掴めないもん。エンリーくんも知ってる人みたいだし、詐欺とかじゃない事は確かだよ。ママと一緒に写ったテマソンさんの写真、エンリーくんに送ったら確かに本人だってメールきたよ。ママがやってみたいんだったらやってみたらいいと思うけどな。でっ駄目だったらその後で断ればいいじゃん」
栞の言った言葉に碧華は感動して、思わず栞をギュッと抱きしめた。栞の言葉で栄治もしぶしぶ了承した。碧華は早速テマソンにメールを送った。
〈主人からオッケーでましたので、日本でお待ちしています!(笑)〉
テマソンはそのメールを中国に到着してすぐに受け取った。自然と顔がほころんで、なぜかウキウキしている自分に気づいた。
『私ったらどうしちゃったのかしら』
その後、中国での新商品の商談も大成功を納めた。意外にも、一番バイヤーが食いついたのは、日本で碧華のアイデアで作った試作品のトートバッグだった。
これは試作品で同じ柄は作れないといったが、それでもいいと大絶賛だった。
テマソンは帰り際に、中国の高級名産品の数々をたくさん買い込み、日本へと向かった。
その日はちょうど土曜日の昼過ぎということもあり、碧華はもちろん、夫の栄治や娘の栞や優それに隣の栄治の母広と、碧華の家族総出で暖かく出迎えられた。
テマソンは顔をだしたらすぐ帰るつもりでいたが、その日は栄治の母の家で宿泊を進められ、仕事をするにあたってインターネット環境の強化やパソコンの設定をパソコンに詳しい栄治と共に設定をしたりして日曜日もあっという間に過ぎてしまった。
テマソンは帰国を一日ずらし、日本滞在予定ギリギリまで桜木家で過ごすことにした。
その日曜日の夜、テマソンは不思議な体験をした。それは、普通の人間なら当たり前の事なのだが、テマソンは珍しい体質で、二・三時間仮眠程度とるだけで十分で、眠らない日もあるが、いつも眠くならなかった。
その日の夜は、碧華の娘二人に苦手な英語について語ったり、ネットのテレビ電話回線で毎日英会話のレッスンをしてあげるという約束をしたりしてあげると、純粋に喜んで「ありがとうございます」といってくる碧華の二人の娘が可愛くて仕方がないという感情がわいてきたのだ。これは甥のライフに感じた感情とよく似ているのに気が付いた。
彼女たちは純粋に教えを必要としていた。
彼女たちの素直さに、テマソンの疑いや警戒感はすでに存在していなかった。
彼女達に英語を教えるということは、テマソンにとって何のメリットもない話だった。なのに、帰国してからの毎日を想像して楽しみにしている自分に気づき驚いた。
その夜テマソンは初めて夢を見た。そう初めて六時間も寝てしまっていたのだ。
翌朝、碧華の声で驚いて飛び起きた。
「おはよう。起こしちゃってごめんなさいテマソンさん。私これから栞を学校に送ってくるから留守になるけれど、お母さんに朝食頼んであるから起きたら、お母さんに言ってね」
碧華の言葉は、まだ頭の遠くの方で響いているような感覚だった。テマソンはしばらく呆然としてまた、布団の中に身を沈めた。
『おはよう・・・なんていい響きなのかしら、もし私がこんな家族の中で生まれ育っていたら、私も家族を持ちたいって思ったのかしら』
テマソンは自分の生き方をいまさら変える気はなかった。ただ、不思議と出会ったばかりの碧華とその家族は自分の中でこれからますます大きな存在になるだろうという予感を膨らませていった。