新しい仲間①
ティムはずっと眠れない日々が続いていた。突然の会社からの首通告や、盗作さわぎなど、まるで別世界で起こっていることなのかと思ってしまうことが現実に起こってしまい、毎日眠れない日々が続いていた。
マンションを引き払い故郷に戻ってからというもの、部屋にこもる生活をもう五か月近くも続けていた。新しい仕事を見つける気力も日に日に薄れていく自分に情けなさが付きまといながらも何もできずにいた。
そんなティムの背中を押したのは母のバム―サだった。
「ティム、あんたは出版の仕事に未練はもうないのかい?」
「ないよ。僕を嘘つき呼ばわりして僕を追い出した会社なんか未練なんてないよ。それにこれだけの騒ぎになったんだ、いまさら僕を雇ってくれる出版社なんかないよ」
「ティム・・・すまないねえ、私が病気なんかになったばっかりに」
「母さんのせいじゃないよ。ただ・・・」
ティムは言葉に詰まってしまった。未練がないといえばうそになる。未練だらけだ
けれど勇気が湧いてこないのだ。
『僕は結局逃げたんだ』
「ねえティム、母さんはお前のしていた仕事のことはよくわからないけど、お前が前に送ってくれたお前が担当したっていうこの作家さんにはちゃんと挨拶してきたのかい?お前すごくいい人だって言ってただろう。お前の仕事をちゃんと評価してくれたって喜んでいたじゃないか?」
バム―サはAOKA・SKYの初版本をティムに見せながら言った。
「首になった原因がその人から預かっていた原稿が盗難にあったことなんだ。もう犯人はみつかったって報道してたから、事件は解決したと思うけど、僕はもう嫌になったんだ。僕は何も悪くない。なのに会社の奴らは全員口裏を合わせて僕を陥れたんだ」
「馬鹿!」
バムーサは突然息子の頬を平手で殴りつけた。
「お前は馬鹿だよ。お前をなぐっている母さん以上に馬鹿だよ。母さんはお前に人に裏切られても人を裏切る人間になっちゃだめだってちゃんと教えただろ。今のお前はお前を裏切った会社の人達と同じじゃないか」
「母さん・・・」
「母さんはお前の仕事のことは全然わからないけどね。お前はけじめをきちんとつけて帰ってきたんだろうね」
「けじめ?」
「そうだよ、お前その作家さんの原稿を預かったんだろ、その時点でお前には責任があるんじゃないのかい?その原稿をその後誰に渡したにしてもだよ。一番迷惑をかけたその作家さんにちゃんと謝って帰ってきたのかい?」
「無理だよ、彼女アトラスに住んでいないんだ。日本人ってだけで、彼女がどこに住んでいるかなんて知らないんだから」
「でも、彼女と連絡をとれる人間を知らないわけじゃないんだろう?」
「うん」
「じゃあちゃんと謝っておいで、お前がこれからどの仕事につくかはお前の自由だけどね、自分の仕事の責任のけりは自分でつけなきゃ、一生悔いが残るよ。大丈夫お前ならやれるよ」
バム―サはそう言うと愛する息子をギュッと抱きしめた。
「母さん・・・」
ティムは母の背中で涙を流した。
ティムはその翌日一日中、母バム―サの言葉を頭の中で考えていた。そしてようやく一つの結論にいきついた。
『よし、テマソンさんにきちんと言いに行こう。碧華先生に謝罪の気持を伝えてもらえるよう頼んでみよう。テマソンさんには分ってもらえなくても真実を話してみよう』
ティムは朝になるのを待って久しぶりに背広に袖を通し、大きなリョックサックに必要な荷物を詰め込んだ。そして何日ぶりかに外にでた。外の世界は何も変わってはいなかった。変わってしまったのは自分だけだった。やけに太陽がまぶしかった。
ティムは決意がしぼまないうちに、ある場所に向かうために駅へと向かった。ティムは約五か月ぶりにもといた大都会に戻ってきていた。バスを利用し目的地までつき高いビルを見上げると、足がすくむ思いがした。
失うものはもう何もない、今更何を言われても仕方ないと諦める。そう何度も言いきかせながらオフィスの中に入り真っ直ぐに受付に向かった。
朝九時ということもあり、すぐ隣の店舗もまだ開店していない時間帯というのもあって社員らしき人が忙しそうにエレベーターに乗り込む姿があるだけでそれほど人は多くなかった。ただ会社は始まっているようだった。
「あのすみません、社長のレヴァント氏にお会いしたいのですけど」
「社長ですか?アポイントメントはお取りいただいておりますか?」
「いいえ、元サファイア出版社のティム・アークラが来たとお伝え願えませんでしょうか?」
ティムは腰をかがめ、小さい声で受付の女性に言った。その名前を聞いた受付の女性はピンときたのか、すぐに直通電話で電話をしてくれている様子だった。しばらくしてその女性はティムに頭をさげ言った。
「今はお話しすることは何もないそうです。サファイア出版社とは訴訟の準備をしている途中ですので、裁判所から出廷の通知が届きましたら出廷願いますとのことです。申し訳ございませんがお帰りください」
受付嬢にそう言われたティムだったが、はいそうですかと簡単に引き下がるわけにはいかなかった。
「わかりました。ですが僕はもうサファイア出版社とは無縁の人間ですので、どうしても社長様とお話ししなければならないことがあるんです。そこの隅ででも待たせてもらってもよろしいでしょうか?」
「あの困ります。そこにずっと立たれましたら、ご入店してくださるお客様のご迷惑になりますので、何時間待たれましても社長はここからは出入りしません」
「そうですか、気が利かずも申しわけありません。あのそれでしたらご伝言をお願いできますか?僕はどうしても話さなければならない言い訳と謝罪がありますので、会社の前の公園の前でずっと待っていますとお伝えくださいませんか?」
ティムはそれだけいうと一礼しその場をさり、会社前の公園で会社の入り口が見える場所に立ちはじめた。そんなことをしても無駄なことはわかっていた。けれど自分にはこれしか思い浮かばなかった。ティムは長期戦になる覚悟を決めた。幸い季節はもうすぐ七月だ、傘は持ってきた。二・三日ぐらいは倒れずにいられるだろうと何日でも待つ覚悟を決めた。一日目は何も起きずに終わった。一つわかったことは、公園に背広をきた男が一日中立っていても、みんな素通りするだけで関心を示さないということがわかった。二日目も何も変化はなかった。ただ、ディオレス・ルイ社の社員らしき人達は彼を横目に何かささやきながら足早に会社に出勤する姿がみられたが、一向に社長は見かけなかった。二日目の夜になるとさすがに意識が飛びそうになった。眠気が五分おきに襲ってくるのだ。そのたびに自分の頬をつねってみたり、何かを想像したりして時間が過ぎるのをただ待っていた。そして三日目のお昼前、受付の女性が駆け寄ってきた。
「ティムさんでしたわよね、社長が十分だけならお話しを聞くと言っておりますので、私についてきてくださいませんか?」
今にも意識を失いそうになっていたティムだったが、その言葉を聞いて両手をギュッと握りしめた。
「はい」そう返事するのが精一杯だった。
ティムは受付嬢の後ろをふらつきながらもついて行き、初めて通される社長室に入った。ティムは案内されるまま社長室にはいり、うながされるまま三人が座れるぐらいの横に長いソファーに腰かけた。テマソンはどこかに行っているようでいなかった。五分ほどしてテマソンが社長室に入ってきた。
「待たせてしまってごめんなさいね。会議が入っていたものだから」
「いえ、僕のほうこそ事前の連絡もせず押しかけてしまってすみません」
ティムはテマソンの姿が見えると立ち上がり頭を下げた。
「どうそ座って、でもあなたすごい根性あるわね。三日間も待つなんて」
「いえ今の僕には時間はたくさんありますから」
「でっ私周りくどい言い訳を聞いている時間はないのよね。要件を完結に言ってくれないかしら」
「はい、あっあの、本当にテマソン様と碧華先生にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。原稿の権利が無事戻ってきたことや犯人がサファイア出版社の編集室で盗んだと自供したというのもニュースで知りました。出版社は僕が机の上に大切な原稿を放置していたから盗難にあってしまったんだと言われ、発覚してすぐに僕は首になってしまい、こちらには謝罪にすらうかがっていませんでした。遅くなりましたがご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした」
「わかったわ。本来なら発覚してすぐにきてほしかったけど、遅くなってもこないままよりはましね。それで要件はそれだけかしら?」
「はい、あっいえその…サファイア出版を訴えるというのは本当なのでしょうか?僕はその・・・もう首になってしまっている人間なのですが、あの大切な原稿をお預かりしたのは僕ですから僕にも責任はありますから、法定に出廷するとなると、僕はもうアパートを引き払っていますので、今の住所とかお知らせしておいたほうがよろしいのでしょうか?」
「そうね。ああもうごちゃごちゃうるさいわね。ちょっと黙ってなさいよ」
テマソンが突然日本語でしゃべりだしたので下を向いて頭を下げていたティムは驚いて顔を上げた。
「あっごめんなさい。あなたにいったんじゃないから」
テマソンはそういいながらもまだ何か小声で誰かと話をしているようだった。ティムが不思議そうにしていると
「ああ・・・もう!わかったわよ。ティムさん、実はね、サファイア出版を訴える訴訟の件は取り止めになりましたからご安心なさい。もうあなたが心配するようなことは何もおきないわ」
「えっ?」
ティムは信じられないというかのようにテマソンをみた。テマソンは小さくため息をつくと話を続けた。
「真実を知りたいという気持ちは今も変わっていないわよ。でも、私もあの時期忙しくてあなたに預けっぱなしになっていた原稿のことをすっかり頭から抜けていたのも事実なんだから私にも落ち度があるのよね」
「いえ、大切な原稿をきちんと保管出来ていなかったサファイア出版にこそ落ち度があります。僕もパニックになっていたとはいえ、自分で保管するか、あなたにお返しにいくべきでした」
「ちょっといい加減にしなさいよ」
「すみません」
「あっあなたじゃないってば、ああもう、ティムごめんなさい、実はね碧華がどうしてもあなたに聞きたいことがあるって聞かなくてさっきからごちゃごちゃ電話でいうもんだから碧華に怒っていたのよ」
テマソンはそう言うとテマソンが座っているソファーの後ろのデスクの上に置いているモニターの向きをティムに見えるように変えると、そこには碧華ともう一人青年が映っていた。
「あっ碧華先生!」




