テマソン高熱事件④
翌朝、テマソンは久しぶりに太陽が差し込む朝の陽ざしで目が覚めた。そこにはマスク姿で毛糸のカーディガンをきたままの碧華がテマソンの手を握ったまま、ペンタを枕に座ったまま眠ってしまっていたのだ。
インフルエンザにかからなくても、風邪をひくと大変だからと碧華を起こそうと思ったのだが、テマソンはその贅沢なひと時を後もう少し味わうことにした。枕もとのリモコンで空調を一度温かくしてもう一度目を閉じた。
朝になりもう一度目が覚めると碧華はいなかったが、少し開いた扉から、野菜のスープのいい匂いがしてきた。丸二日何も口にしていないテマソンのお腹が久しぶりに「グー」と鳴り響いた。テマソンは枕元のイオン水を一口口に含むとまた目を閉じた。それから一時間後、今度はライフが部屋をのぞき込んだ。テマソンはそのタイミングで、トイレに行きたいことをいい、ライフの肩を借りてトイレに行った。
昨夜ほど足元はふらつかなかったが、かなり体力は落ちているようだった。その後すぐ、着替えを持ってきた碧華が汗をかいているテマソンの体をもう一度ふくと、新しいパジャマに着替えさせてくれた。そして、暖かいスープを運んできた。テマソンはそれをペロリと完食してしまいお代わりを言い出した。
「よかったわ、案外早く熱が下がって。それだけ食欲があれば大丈夫ね、お昼はうどんを作ってあげるわ」
「あらもっと栄養のあるお肉とか食べたいわ」
「何言ってるのよ、急に肉の塊なんか食べたらだめにきまってるでしょ。少しずつ慣らしていかないと体が驚いちゃうでしょ。でもそれだけ食欲があれば大丈夫ね」
碧華は安心したように二杯も平らげた空の容器を見て言った。それから一時間後、主治医が診察にやってくると、脅威の回復ぶりに驚いた。
医師はもしかしたら今日一日は熱が上がるかもしれないと言ったが幸いなことに熱はあがらなかった。
その日の夕方には一人でトイレにも行けるようになっていた。
それを確認した碧華がライフとエンリーに明日の朝には寮に戻るように伝えた。二人は元気になるまでいると言いはったが、最初の予定の三日で、テマソンの症状も安定してきたこともあり、一人ででも大丈夫だからと、がんとして譲らなかった。
それには二人とも根負けし、しぶしぶ、翌朝寮に戻っていった。
四日目になるとテマソンも起き上がるようになり、仕事に復帰したそうにソワソワしだしたが、医者には五日間は人にうつす恐れがあるため仕事復帰は禁じられていた。
だが、テマソンは碧華の目を盗んで、下にはおりなかったが起き上がり、自分の寝室で仕事をパソコンで始めてしまった。それを見つけた碧華が本気で怒りだし、パソコンを取り上げてしまった。
「テマソン!また熱が上がったらどうするの?私がどれだけ心配したと思ってるの?会社の人にもたくさん迷惑かけたんだから、完全に治るまでこれは取り上げよ!いいわね!」
本気でテマソンの体を心配してわざわざ日本から看病に来てくれた碧華にテマソンは大人しく従うことにした。
テマソンは『あなたもう日本に帰りなさいよ』という言葉を言いかけたがグッと飲み込んだのだ。
碧華をまだ返したくない自分がいることを知っていたからだ。
「わかったわよ、でも寝すぎて退屈なんだもの」
「じゃあ、少しだけおしゃべりしましょうか?」
碧華はそういうと、椅子に腰かけ、相変わらずマスクは外さなかったが、しばらくの間おしゃべりすることにした。
「でも、そのマスク姿をみると、私がすごい病原菌を持ってるみたいじゃない。日本人ってそんなにマスクするものなの?」
「そうね、使い捨てのマスクは日本じゃみんな普通に使うわよ。特に花粉の季節とかはね。家の娘なんかも、二月、三月は毎日マスクしていくわよ。インフルエンザが流行する時期も多いけど。日本人は予防の意味でしてることも多いんじゃないかしら。私、インフルエンザにかかりたくないし」
「そうね・・・今回はきつかったわ。このまま死んじゃうんじゃないかしらって一瞬思っちゃったわ。まだ死にたくないわね」
「そうよ、元気になって長生きしてくれなきゃ老後心配じゃない」
「何あなた、私のこと金づるとしか思っていないんじゃないの?」
「あら失礼ね。そんなこと少ししか思ってないわよ。そんなことより、あなたは私の家族でしょ。病気になったら心配するでしょ」
「やっぱり!思ってるのね。ふふっでもいいわ。それでも私は好きよ。あなたのその馬鹿正直なその性格。あなたに見捨てられないように、明日からまた休んだ分頑張って働くわ」
二人は互いに見つめ合いそして笑い合った。
碧華は心からテマソンが元気になってくれたことがうれしかった。あんなに弱っているテマソンをみると、自分の半身がもぎ取られてしまうんじゃないかというぐらい辛いことだった。
隣で笑っているテマソンを見てホッとしている自分がいた
「そういえば、あの子たちは学校に戻ったの?」
「うん、主治医の先生が帰ってからあなた少し眠ったでしょ。その間にもう大丈夫だって聞いて安心して戻っていったわよ。明後日の金曜日の夜にまた様子を見に泊まりにくるって言ってたわ。エンリーはそのまま家の方に行くっていってたけど、ライフはリリーお姉様は元気になられたって言ってたけど、ヴィクトリア様が疲労でダウンしちゃったらしいから、見舞いに行くって話してたからライフと一緒に顔をだしてくるわ。ライフは土曜日の夜もここに泊まるって言ってたから一緒に連れて帰ってくれるから心配しないで、ライフって結構頼りになるのよね。栞たちとは大違いよ。私、あの子大好き。女性の扱いが天性のものをもってるのね。それに加えてユーモアもあるし、イケメンだしね。本当にいい子よね」
「当たり前じゃない。なんたって私の甥っ子よ」
「そうね、よく似てるわよね。ちょっと頑固でわがままなとこなんかそっくり」
「まあ、どこがわがままなのよ。失礼しちゃうわ」
テマソンは怒ったふりをした。しばらくお互い何も話さなかったが沈黙を破ったのは碧華のほうだった。
「テマソン私が止めても明日からあなた仕事するつもりでしょ」
「そうね、医者の言う通り人と会うのは六日目からにするつもりだけど、パソコンを使ったりの仕事は明日からでもできそうだから無理をしない程度にしようかと思ってるんだけど・・・」
それだけ言いかけて、碧華の方をちらりと見た。また止められるのではないかと思ったからだ。だが碧華は小さくため息をついただけだった。
「仕方ないわね。今朝、エンリーに頼んで飛行機の便調べてもらったら、日曜日の夜の便に空きがあったからその便を予約してもらったの。だから木曜日と金曜日の二日間はあなたのサポートしてあげるわ。他の社員の人達にインフルエンザ菌をあなたがばらまかないように、私がいろいろと橋渡しをしてあげるわ」
「その言い方どうにかならないの。なんか自分がばい菌みたいでいやだわ」
「あら菌を持ってるじゃない」
「そうだけど・・まあいいわ。もっとこっちにいて仕事してくれればいいのに、そういうわけにはいかないんでしょ」
テマソンは少すねたように言った。
「ごめんなさいね。私の本業はまだママなのよ、もうすぐ期末テスト発表あるからそれまでに帰らなきゃ。でもまた年末くるからその時は目一杯働くわ。私にできる仕事があればの話だけど」
「あらあるわよ。あなたには才能があるんだから」
「そう、純粋に嬉しい響きね、才能があるなんて。私何のとりえもないままおばあさんになっていくのかなって内心思ってあきらめていたから、いつか子供たちが親離れしたら、思いっきり仕事できる日がくるといいなあ。それまで元気でいられるかしら」
「人生は最後までわからないものよ。ほんの一握りのチャンスと行動一つでいつでも取り巻く環境は一変するものだけど、お互い健康には気をつけましょう。今回でしみじみ思い知らされたわ」
「そうね。お互い頑張らなきゃね。テマソン!体調がおかしいと思ったら、すぐに病院にいきなさいよね。倒れるまで我慢されたら周りに迷惑をかけるんだからね」
「反省してます」
「よろしい。それと、ライフとエンリーには金曜日に来た時にでもちゃんとお礼いいなさいよね。今時、実の子でも、学校を休んでまで看病をしに来てくれる子なんか、なかなかいないわよ」
「わかってるわよ。本当に感謝してるわ。碧華あなたにも」
「あら、私はテマソンが倒れちゃうと仕事できなくなっちゃうから、自分のために好きで来たんだからお礼なんかいらないわ」
「そうだったわね。早く仕事したいわねえ。でも、インフルエンザなんて初めてなったけど、こんなにしんどいものだったなんてしらなかったわ。来年からは予防接種きちんと受けることにするわ」
そういいながらも遠く離れた日本からかけ付けてくれた碧華には一番感謝しているのも事実だった。
碧華が来てくれていると知った時の感動はきっと一生忘れないと思うテマソンだった。
翌日朝、久しぶりにたっぷりと睡眠をとることができた碧華はスッキリと目覚めることができた。朝五時、まだ誰も出社してきていない早朝の社内をマスク姿の二人の影があった。
テマソンが社長室にたまっているであろう書類に目を通したいというので、社員のいないこの時間に来て社員達が出社する前に片づけて整理して仕事の分配をしておきたいと言ってきかなかったので妥協案としてこの時間帯になったのだ。
皆が出社するのは早い人で八時過ぎ、まだ三時間あった。二人は社長室に入ると電気と暖房をつけ、碧華は椅子に座ってテマソンの仕事の様子を眺めているだけだったが、意外にも碧華にもできる仕事があることを発見したのだ。
それは普段は秘書に頼んでいるタイプ打ちであった。手書きで走り書きされた文章をタイプしていくだけなので、英語は読めなくてもそのままパソコンで打てばいいだけなので、碧華でも簡単にできた。
それに漢字に変換しなくてもいい日本語ではないので、英語打ちはテマソンも驚くほど碧華はスピードと正確さがあることに驚いていた。
「あなた、意外な才能があるわね」
「何よ、私は詩人なのよ、普段詩を書くのは私パソコンを使ってるの知っているでしょ。ゆっくり打っていたら思いうかんだいい言葉忘れちゃうじゃない。こんなの楽勝よ、でも、何を書いているのかさっぱりわからないけどね」
そんな会話しながら二人は書類を処理し、みんなが出社する三十分前までには作業を終え、それぞれのデスクの上に置き、そっと、最上階に戻って行った。
そして、昼間にはパソコンを使って、テレビ電話でいろいろと指示を出した。会社の社員たちもテマソンが元気になったのを知って純粋に喜んでいる様子だった。
テマソンは仕事がひと段落すると、病気見舞いに差し入れを持ってきてくれた社員や顧客から送られてきた大量の花やお見舞いの品の差しだし人一人一人にお礼状を書いて送付した。こういう所はマメなテマソンだと感心する碧華だった。