テマソンの戸惑い②
リリーは小走りで自分が寝ていた部屋に戻っていく碧華を見送り部屋に戻ると独り言を言った。
「さすがママンの元娘だけのことはあるわね。テマソンの事をよくわかってくれているみたいじゃない。あの子のことは心配いらないわね。栄治さんもいい人みたいだし。テマソンは本当に見つけたのね。魂の片割れを、でもまさかママンも気に入ったなんて知らなかったわ」
そういって続きの間の扉を開けて言った。
「だって私の娘よ、前世のだけどね。それに広ちゃんもすごく話しやすいし、もう昔からの親友みたいなのよ。本当にいい人ばかりね、桜木家の人たちは。私大好きになったのよね。それはあなたも同じでしょ。忙しいって口癖のあなたがここ数日ずっとここにいるじゃない。なんだかんだいって碧華さんに甘いしね、本当はもっと話したいんでしょ碧華さんと。よく我慢したわね。夜更かしのきらいなリリーちゃん」
大きなあくびをしているリリーに向かって言った。
「しかたないじゃない、ママンが言ったのよ、碧ちゃんなら目が覚めて、テマソンのことを話したらきっとすぐ会いに行くっていうはずだから、起きてなさいって。あああっ、お姉ちゃんって損な役ね」
「ふふっ、さてすぐおりてくるはずだから、もう少しの我慢よ。明日の出発は八時だから少し眠れるわよ」
「はいはい」
ヴィクトリアはそう言うと、リリーに手を振って自分の寝室へと戻って行った。リリーはもう一度大きなあくびをした。ヴィクトリアの言った通り碧華はものの5分で下におりてきた。
「あの、これヴィクトリア様に渡しておいてくださいませんか。それと、これはリリーお姉様、よかったら受け取ってくださいませんか?昨日発売した本です」
そう言ってもう一つの本を差し出した。だがリリーは一冊だけしか受け取らなかった。
「あら、私はいいわよ。私家の執事に変身させてサイン入り限定本ゲットしてるから」
「えっ?あの五百人の中のいらしたんですか執事さん。ええっ⁈ 全然気づきませんでした」
「ふふふっ、私は欲しい物は手段を選ばなのよ。そうだわ、それよかったらジャンニ・ビンセント氏にあげたら喜んでくれるんじゃないかしら?」
「えっ、エンリーのお父様にですか?変に軽蔑されたりしませんか?」
「大丈夫よ。実はね、私エンリーくんの母親と幼馴染なのよ。明日は私にまかせて。エンリーの家出の一件いらい、ジャンニ氏があなたのことが気になったみたいで、あなたの本をこっそり買ったみたいだって言っていたから。おかしいのよ、シャリーたら旦那様が夜な夜な書斎であなたの本を読みながら、もの思いにふけっている姿をみるのが最近のお気に入りなんですって」
「なんだか恥ずかしいです。でも明日渡してみます。もし、気に入ってもらえなかったら、もって帰ればいいだけですしね。リリーお姉様が一緒に行って下さるのを聞いていたから、すごく心強いです。明日よろしくお願いします」
そういいながら碧華はリリーに深々と頭をさげた。
「任せて、緊張しなくても大丈夫よ。ジャンニさって本当はいい人なのよ。今夜はテマソンをよろしくね」
「お任せください。リリーお姉様」
「表に、あなたが今夜乗ってきた車と同じ運転手が乗ってるから何も言わなくてもディオレス・ルイ社まで送るように言ってあるから大丈夫よ。これ、あの子の家の合鍵よ。会社の裏手に車をつけるように言ってあるから、そこの裏の玄関の鍵と暗証番号よ。入ったら、鍵は自動ロックされるからそのままでいいわよ。入ってすぐのエレベーターで二十階だから、ついたらもう一度玄関にそれをかざしてこの紙に書いてある暗証番号を押すと入れるから」
「ありがとうございます。じゃあ行ってきます」
碧華はカバンに本とテマソンの家の鍵と暗証番号の書かれた紙を大切そうに貴重品入れにしまうと、背中に背負い、駆け足で玄関にむかって駆け出した。リリーは手を振って見送った。
「あれ、碧ちゃんどこかへ行くの?」
ライフが目をこすりながら降りてきていた。
「テマソンを慰めに行ってくれたのよ」
「えっ?叔父さんどうかしたの?」
「ライフ・・・鈍いっていいわね。余計な気苦労をしなくていいものね」
息子にため息をつきながらまた大きなあくびをしながらリリーは自分の寝室に戻って行った。
ディオレス・ルイ社についたのは午前二時を過ぎていた。さすがにこの時間帯は誰も歩いてはいなかった。
碧華は玄関の鍵を開け、中にはいった。運転手はそれを見届けると、車を走らせて城に戻って行った。
碧華はエレベーターの中でなんて話かけようかといろいろ考えていた。もし、本当に仕事だったらどうしようとか。いなかったらどうしようとか、いろいろ考えあぐねていたものだから、二十階についていることに気がつかなった。
「ええい!なるようになるか?私の取り越し苦労だったらごめんって言って、部屋の隅っこででも朝まで寝かせてもらおう」
碧華は独り言をいいながらそっと家の鍵を開け中に入った。
「おじゃまします」
そう言って中に入った碧華は足元に転がった無数の瓶やビールの缶につまずきそうになりながらテマソンの寝室に向かった。なんとなくあの部屋にいるような気がしたからだ。
その頃テマソンは寝室の隅でペンタを抱きながら天井を仰いでいた。久し振りにビールやワインを十本以上飲み干したにもかかわらず、一向に眠気が襲ってこなかったのだ。
それどころか、自分を責めるもう一人の自分が今日の自分の無能さをあざ笑い続けていたのだ。何度振り払ってもそれは消え去ってはくれなかった。
意識がぼう―っとし始めたと思った時、目の前に碧華が立っていた。
「ああ・・・とうとう碧華の幻まで現れたのね・・・わかってるわよ。あなたも私を攻めにきたんでしょ。碧華は面とむかって私を攻めたりしないから。私はダメな人間なのよ。だから、あなたを守れなかった・・・私は」
その時、碧華の幻は腰をかがめてパチンッと両手でテマソンの両頬をたたいた。
「痛っ⁈ 」
碧華の幻はそういいながら左腕を右手でさすっている。
『いたいのはこっちじゃない』
テマソンは両手で頬をさすりながらまだボーっと思っていた。
すると碧華の幻は目の前にしゃがみ込むと、今度は両頬を手でつまんでおもいっきり引っ張った。
「お酒の飲み過ぎよ。テマソン、お酒に逃げたって何も解決しないでしょ」
テマソンは頬の痛みが次第にきつくなるにつれて、意識がはっきりしてきた。そして目の前にいるのは幻ではなく本物だと気が付いた。
「碧華? ええっ⁈ 本物? ええっ⁈ どうやってはいったの? 」
ようやく目が覚めた様子のテマソンをみて両手を放し笑顔で言った。
「ここの鍵はリリーお姉様に借りたのよ」
「リリー?あの女狐、よけいなことを・・・何しにきたの?私は仕事だって言ったでしょ」
「ええ聞いたわ。だから邪魔しにきたのよ。もう運転手の人も帰っちゃったし、あなたはお酒を飲んでるから運転できないみたいだから、今夜はここに泊めてね」
「私なら大丈夫よ。二十四時間営業のタクシーを呼んであげるから城に戻りなさい」
ようやく意識がはっきりしてきたのか、テマソンはフラフラと立ち上がりながら言った。
「酷いこというのね。また一時間も車に乗れっていうの?答えはノーよ」
「相変わらずわがままね。あなたは」
「テマソン、私のケガのこと気にしているんだったら、大丈夫だから」
髪の毛は乱れ少し、ひげがのびてきているテマソンの姿は初めてだった。無造作に髪をかき上げながら扉の所まで行こうとしているテマソンに向かって碧華が立ち上がって言った。
「何が大丈夫なのよ。あなたおかしいわよ。ケガをさせられた相手も簡単に許しちゃうし。あなたばっかり損しているじゃない。あなたケガをしていいことあったっていうの?ケガをして、しなくてもいい握手会を何時間もして、何が大丈夫なのよ! 」
テマソンは碧華の方に振り振り返りながら挑むような目で碧華に言った。すると碧華はテマソンに向かって笑顔を見せて言った。
「いい事はあったわよ。腕をケガしたからこそ、握手会でたくさんの人からやさしい言葉をかけてもらえたもの。私、今日は今までの人生の中で一番嬉しかったかもしれない。だって、私の詩で元気になったって言ってくれる人があんなにたくさんいたのを知ることができたのよ。私ずっと思ってた。私は何のために生きてるんだろう、このままただのおばあちゃんになって死んでいくのかなって。でもあなたにであってただの何も取り柄のないおばさんの人生が動きだしたの。あなたには感謝してもしきれない。あなたがもし、今日のことで自分を攻めているのだとしたら、それは間違いよ。このケガは私が今まで、何もしてこなかったことへの罰だから、そして多分、未来できっといい事がある印だから、このケガもきっとあの時ケガしたからだって喜び合える日がくるって信じてる。ちょっと痛いけど、このくらい平気よ」
碧華はその後くるりをむきを変えて、壁に向かって言った。
「一度しか言わないから、ちゃんと聞きなさいよ」
碧華は少し間をおいて静かに言った。
「アトラスにきて三日間あなたと共に過ごしてわかったわ。私はあなたが好きよ。でも私は欲張りなの。あなたも家族も、今あるもの全部手放したくない。テマソン・レヴァント。こんなつまらないケガで私の相棒をやめようなんて思っているんだったら来世でも許さないから」
テマソンは何も言わず碧華に近づくと、後ろから碧華を抱きしめた。涙がとめどなくあふれてくるのをぬぐおうともしないでただ泣き続けた。
テマソンを抑え込んでいた何かがとめどなく流れでた瞬間だった。
テマソンはその後、倒れこむようにベッドで深い眠りについた。ただ、碧華の手ははなさなかった。やっと見つけた。自分の弱さも包み込んでくれる唯一の存在を。今度こそ放さないように。
碧華はしばらくじっとテマソンの寝息を聞いていた。
「ああ、いっちゃいけない言葉いっちゃったかな」
けれど、碧華の本心では後悔していない自分がいた。これからも何も変わらない。
ようやくみつけた魂の半身を簡単には手放したくはなかった。
そして、今まで掴んでいた愛も
碧華はそれから少しして、そっと手をほどき、携帯の目覚まし機能をセットし、リビングのソファーの上で短い仮眠を取った。




