ディオレス・ルイ新作発表会二日目②
「Excuse me. Is that backpack unsold?」
店の様子を眺めながら歩いていた碧華に、突然背後から肩を掴まれた。碧華は驚いて振り向くと、そこには白髪交じりの背の高い高級スーツをきた紳士が立っていた。その紳士はかろうじて英語で話しかけてきているのだろうと分かるぐらいに早口で碧華にしきりに話しかけてきた。
「I will be with you in a moment.」
と碧華は覚えたての英語で言うと、テマソンかアドルフを探しに慌てて、会場の裏側に向かった。アドルフがすぐに見つかった。
「アドルフ、テマソンは?」
「社長は別のお客様を接待してますが」
「そう、じゃああなたきて」
「えっ?」
碧華はアドルフにお客様が何を言っているのか通訳してほしいとアドルフを伴てさっきの客の所まで戻った。
アドルフはその客が昨日も来ていたお得意様もビンス・ボン氏だと気づく、慌てて一礼し、英語で彼に向かって改めてたずねる彼はアドルフに説明をしたが、アドルフは首を横にふり、説明していう様子だった。
碧華は何を言っているのか理解できていなかったが、ひどくがっかりしている紳士の様子を感じとった。
「ねえ、アドルフ、お客様なんて?」
「はい、碧華さんのリュックがほしいとおっしゃっているのですが」
「私のリュック?ねえ、どうしてこのリュックが欲しいのか聞いてもらえないかしら」
「ですが、お聞きしましても、今回の新作にはリュックはありませんよ」
「そうだけど、お願い」
アドルフはしぶしぶ聞き返した。
「ボンス様、一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか?どうしてリュックをご入りようなのでしょうか?」
アドルフが聞くとボンス氏はアドルフを押しのけて、碧華に向かって碧華が驚く言葉を発した。
「私、日本語少し話せます」
「あら、そうでしたの?嬉しいですわ。アトラスにきて日本語でお話しできるなんて」
「あなた、昨日テマソン氏の隣にいた女性ですよね。今日は少し雰囲気が違うようですが、私もあそこにいました。声しゃべれるようになったのですか?」
「あっ、すみません。私実はお気づきかと思いますが英語が全くしゃべれませんの。ですから昨日は嘘をついてしまいましたの。昨日ご挨拶させていただいた方の顔は疲労と緊張で全く覚えていないんです。申し訳ありません」
碧華は正直にそういうと頭を下げた。すると、その男性は急に笑い出した。
「あははは、あなたは正直者ですね。お時間よろしいでしょうか。昨日もう少しあなたとお話ししたいと思っていたのですが、すぐ他に行かれてしまったので残念に思っていたんです」
「重ね重ねすみません。私はディオレス・ルイの商品のことはあまり詳しくありませんので、彼の方が詳しくご説明できると思いますが」
「いえ、新商品の注文はもう済ませました。私が興味があるのはあなたなんです。あの堅物のテマソンが公の場に初めて女性をともなって姿をみせたので、あなたは何者かと、我々の間で昨日から噂の的なんですよ」
「あら、では、ボロが出ないようにしないといけませんわね。テマソンから叱られてしまいそうですわ」
碧華はアドルフにここはいいわと手で合図してそのボンス氏を店内の隅に置かれている休憩スペースのテラス席に案内した。
「私は、ロードル・ビンブ商会の会長をしておりますビンス・ボンと申します。主に女性の服を専門に扱っておりまして。専門誌も発行しております。商品を紹介する際、ここのディオレス・ルイのバッグはよく使わせてもらっているんです」
「あっ私は碧華桜木と申します。ここだけの話、私は今回の新作のデザインの一部をお手伝いをさせて頂いただけのただの素人なんですのよ」
「このリュックも今回のイギリス行きにあわせて私が個人的に作ったオリジナルのものなんです。とてもディオレス・ルイの新作のようなものとは比べ物にならない代物ですわ」
「そんなことはありません。そのリュックを見て初めて胸が高まりました。私の探し求めていたものを見つけた!って胸が高鳴ったのです。今でもそうです。実は私は個人的に使うリュック型をずっと探していたんですがなかなかいいのがなくて・・・、この通り私はいろいろとカバンの中に入れて持ち歩いているのですが、買い付けに行くときなどは、片手では邪魔になる時があるんですよ。けれど、あなたが背負っているような大きさで、そのデザインセンスのいいリュックは今まで見たことがなかったものですから、思わず声をかけてしまったんです」
「あっわかる気がしますわ。私も買い物ではリュック派ですの。リュックだと両手が空きますから。ですが、今も言いましたが、これは私の趣味で作ったただのリュックなんです。売り物になるような完成度のものではありませんので、お売りできないんですの。ビンス・ボン様のご要望は社長に必ず伝えておきますので」
「そうですか・・・残念です。明日、ある作家さんのサイン会にそのリュックで行ければいいなって思ったのですが・・・」
「サイン会ですか?」
碧華は一瞬ドキッとした。
「変ですか?こんなおじさんがサイン会にいくなど」
「いえ、あなたのような紳士の方が自らサイン会などにも参加なされるのかと思ったものですから」
「ははっ、実は私も初めてですよ。けれど、孫娘が言うんですよ。サイン会は自分で行って並んでサインをもらうから嬉しいものだと、この歳になって行列に並ぶのは少し緊張しているのですが、そうそうないサイン会のようですので」
「あら、奇遇ですわね。私も明日初めてサイン会に行くんですよ」
「へえ、どなたのサイン会なのですか?」
「実はお恥ずかしいのですけれど自分のサイン会らしいんですよ」
「えっ?」
「あっ、御存じありませんよね。実は、ええっと確か持ってたはず・・・」
そういうと後ろに背負っていたリュックの中から何かを探しながら言った。そして取り出したのは、AOKA・SKY作の(As it is.)の詩集だった。それをみたビンズ氏の表情が一変した。
「Oh my God! YouがAOKA・SKY?ほっ本当ですか?私は夢をみているのではないのか?lncredible!」
碧華はわけがわからないと言った表情で首をかしげていた。ものすごく興奮して叫んでいるビンス氏に、どうしていいのか戸惑っていると、テマソンが二人の側にやってきた。
「碧華、あんた姿が見えないと思ったら何やってるのよ」
「ビンスさんが私のリュックを気に入っていただけたみたいなんだけど、売り物じゃないって話したのよ。そしたら日本語が話せるっていうからお話ししてたのよ。そしたら、サイン会の話になって、私もサイン会あるって話したらこのありさま。私何かまずいこと言っちゃったかしら」
「言ったかもね。ビンズ氏にあなたの詩集進めたの私なのよね」
「why did not you tell me?」
テマソンが側にきたのに気付いたビンス氏が言った。テマソンは英語で何かを話していたが碧華にはさっぱりわからなかった。わからなかったが、ビンス氏に上機嫌で握手を求められた。
「私、あなたの大ファンなんです。今日、もう一度来てラッキーでした。マイワイフに自慢できます。あの・・・サインいただけませんか?」
「サインですか?実は私まだサインはしたことがないんです。うまくかけるかわからないですけど、どこがよろしいかしら?」
碧華は笑顔で快諾すると、ビンス氏は考えあぐねて、カバンの底に入れていた新品のブックカバーを差し出した。
「これ、あなたの本を明日もう一冊買ったらカバーに使おうと思って買ったものなんです。これにしていただいてもよろしいですか?」
「まあ、素敵なブックカバーなんですね。こんないいものに私のサインなんか書いてもいいんですか?」
「ぜひお願いします」
ビンス氏はそういうと、ブックカバーの包装紙を破りマジックを碧華に手渡した。碧華はそれに久しぶりにサインをした。ビンス氏は感激のあまりしばらく興奮して碧華に話ていたが、それから上機嫌で店を後にしていった。
明日必ずもう一度サイン会に行くことを約束して
「ビンス氏ってとてもフレンドリーな方ね。会社経営してるみたいなこと言っていたけど、すごい人なんでしょ」
「ええ、大会社の会長さんよ。でもとても変わっていてね。やりたいことは自分でなんでもやっちゃう人みたいで、おつきの人が大変そうだったわよ。今日も、出口で待ちぼうけしてたみたいよ」
「そうなんだ。じゃあ私が引き留めたのね。悪いことをしちゃったわ。あっそうだわ。ビンス氏ね私のこのリュック型が欲しいんですって、どこかに要望書みたいなのないのかしら」
「ああ、あるわよ、アンケート用紙の一番下がそうよ」
「そうなんだ、じゃあ後でテマソン書いといてよ」
「いいわよ。私もあなたのその新作、いいなって思っていたのよ。今度企画出しておくわ。その形」
「ありがとう」
その後も碧華は何度か会場の中を歩くたびに呼び止められたために、昼過ぎにはリュックを背負って会場を歩くことを禁止されてしまった。
しかし、不思議なことに、それでも碧華が会場を歩くと、いろいろ碧華にたずねる客が絶えず、午後からはアドルフが後ろについて歩く羽目になってしまった。
だが、碧華に質問してきた客はすべて、新作を買って帰って行った。
二日目の販売会が大盛況のうちに終わり、結果、展示品の販売の品は完売し、最終的に新作の注文も五百個を超えていた。
スタッフも驚いたが一番驚いたのは碧華だった。一番商品を売り上げたのも碧華だったからだ。夕方会場の後片付けをしながら碧華はアドルフに礼を言った。
「アドルフありがとう。通訳してくれて、素敵な経験ができたわ」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。自分は接客は苦手ですが、碧華さんの接客はすごくお上手でした」
「あら、驚いたわ。そんなこと言われたの初めて。私も接客は苦手よ。でもあなたのサポートがよかったのよ。本当にありがとう」
最初は突然会社に現れた碧華を煙たそうにしていたスタッフも、碧華の人柄や本物のデザインセンスと、何よりその笑顔にみな一日が終わるころには碧華のファンになっていた。
碧華には信じられないことだった。日本では近所付き合いでさえ苦手な自分が嘘のようだった。




