ディオレス・ルイ新作発表会一日目①
程なくして碧華は空港から三十分の場所にあるディオレス・ルイの会社に到着した。キャリーバッグを車から取り出すと、目の前の高いビルを見上げた。
想像していた以上の規模だった。
「こっこんな大きなビルだったなんて…」
「そうですね。ディオレス・ルイはここ数年でこのアトラスで有名ブランドの仲間入りした優良企業ですからね。新作発表会は一年に一度開催される催しみたいですよ。本来なら、九月に行われるのを、碧華さんに合わせて一ケ月前倒しで行われるみたいですね」
「え~、だからこの一ケ月めちゃめちゃ忙しかったのね。テマソンって何も言わないから。なんか余計気分が滅入ってきちゃった。なんかうまくいかなかったら全部私の責任にされそうじゃない?はあ・・・」
「大丈夫ですよ。碧華ママなら」
「今は何言われてもそうかあって気分になれない。ああなんか胃がいたくなってきちゃった。ねえ、エンリーお願~い私もみんなの所に行きたいんだけど~」
先を歩いて建物の中に入ろうとしているエンリーの後ろの服を引っ張って言った。エンリーはふと立ち止まると、突然振り向いて不気味な笑顔を見せた。
「なっ何?」
その瞬間、エンリーは右手を上げてパチンと指を鳴らした。その瞬間入り口付近に立っていた二人の女性が近づいてきたと思った瞬間。碧華の両側に立つと両腕を掴まれた。
「何?何?」
女性たちにエンリーは英語で何か話しているようだった。そして、笑顔で言った
「じゃあ僕はこれで、ご家族のことはお任せください、健闘を祈ります」
それだけいうとエンリーも碧華をおいて乗ってきた車に戻って走り去ってしまった。
「うっそー。えっえっ私どうなるのよ。もう何言ってるのかわからないわよ。こら~エンリー私をおいてかないでえ~!」
二人が碧華に何か話かけてくるのだが何を言っているのか全く言葉がわからなかった。碧華はされるがままにビルの中に引っ張って行かれた。
一時間後、碧華の姿はキャリアウーマンのように激変していた。
髪はきれいにウエーブがかけられ、前髪も少しカットされていた。顔は染みを隠し、別人のように化粧が施され、使い捨てコンタクトレンズもすでに用意されていた。どこで碧華の視力を調べたのかはなぞだが、鏡越しにみる姿はまさに別人だった。
「え~。なんでこんなかっこになってんのよ・・・もうわけわかんない」
碧華は一人ブツブツ言っていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「準備ができたって聞いたんだけど」
倉庫みたいなその部屋に入ってきたのはテマソンだった。
「あら、完璧じゃない。みんなご苦労様でした。後は私が連れていくからセレモニーの準備の方の手伝いに行ってちょうだい」
テマソンは英語でそう女性社員達に指示を出すと二人を見送った。
「ちょっと!これどういう事、私こんな格好させられるなんて聞いてないわよ」
碧華は頬を膨らませてテマソンを睨んだ。
「あらちゃんと言ったじゃない。仕事を手伝ってほしいって。仕事よ。今日は一年に一度、わが社のお得意様を集めて新作発表会があるのよ。今回の新作の配色には全部あなたもかかわっているんだから、あなたにも出席する義務があるのよ。わざわざあなたの都合にあわせて一か月も前倒ししたんだから」
「ちょっと待って!」
碧華は混乱している頭の中を必死に整理しようとしていた。
「もう時間がないのよ。その少ない脳みそで考えたってわからないでしょうから、何も考えなくていいわ」
「なんかムカつく!それに、そう、私英語わかんないし、イライラするし!それに人前にでるなんて日本でだって大の苦手なんだから。絶対無理!絶対嫌、そんな仕事受けてない!詐欺よ!」
「はあ、私無理って言葉大っ嫌い!いい、あなたならできるわ。私はあなたと今回の発表会を開きたかったの、我がディオレス・ルイの新作は今までにないコンセプトなんだから、そのために私までこんなかっこしてるんだから」
こんなかっことは、碧華の淡い黄緑色を基調としたエレガントなドレスに対して、テマソンは真っ白なオーダースーツを着こなしていた。テマソンの白い肌と後ろに束ねられた金の髪によく映えていた。
「何よ、別に普通によく似合っているじゃない」
「あらどうも。でも私は本当の男のかっこをするのは好きじゃないのよ」
テマソンの言葉にいつもの画面越しの姿を思い出していた。確かに、スカートは履いてはいなかったがすそが広がった中性的なかっこが多かった気がした。
「あなたをエスコートするためにこんなかっこしてるんでしょ。碧華も素敵よ、化粧で染みを隠せばしわもまだないし、四十歳をとっくに過ぎたおばさんには見えないわよ」
「本当?」
「さあ、もう覚悟を決めなさい。大丈夫よ。このアトラスにはあなたの知り合いなんていないわよ。失敗してもいいから。きっと栄治さんもビックリするわよ。後で写真送ってあげなきゃ。あなた本当にいい旦那様をもったわね。うらやましいわ」
「えっ、普通でしょ」
「あなたはわかっていないのよ、どんなに幸運なことなのか」
「そうなの?」
「そうよ。ちゃんと栄治さんの許可はとったわ。だからあなたは今日と明日の二日間は私のパートナーよ」
「でも・・写真とか撮られて雑誌とかに載っていろいろ書かれたらあなたが困らない?」
「困るような後ろめたい関係じゃないでしょ。私とあなたは仕事上のパートナーってだけなんだから、それ以上でもそれ以下でもない。違う?マスコミもあれは誰だってうわさになるだろうけれど、あなたの素性は絶対にバレないわよ。それにさっきまでのあなたとは別人だから大丈夫よ」
「うん、そうなんだけど、でも・・・」
「本当に心配症ね。あなたが引っかかっているのは栄治さんのことかしら?こんなイケメンと一緒に写真に写ったりしたら変に誤解されるんじゃないかって心配してるの?ほらこれを見なさい」
そういうとポケットからスマホを取り出すと、碧華に見せた。そこには栄治と娘二人の姿があった
〈碧華さん、いつも家のことをありがとう。テマソンさんと出会って、毎日すごく生き生きと仕事している姿をみてほっとしていたんだ。一年前まではこのままだったらボケるんじゃないかって本気で心配してたからさ。今回のアトラス旅行は碧華さんが輝けるチャンスだと思う。楽しんで仕事をしたらいいよ。テマソンさん。碧華さんはすごく心配性でたよりない所があるので碧華さんのサポートよろしくお願いします〉
〈ママ、アトラス旅行ありがとう。すごく来たかったんだ。ママが変身する姿楽しみにしてるね。ママ、いつも栞のことサポートしてくれてありがとう。今度はママが輝く番だよ〉
〈ママ、いつもいろいろありがとう。大好きだよ。ママがテマソン先生と仕事の打ち合わせしてる姿みてて、カッコいいっていつも思ってた。頑張ってね。いつもママ言ってるでしょ。やればできる。なんとかなるよ。じゃあ頑張ってね〉
碧華はその動画をみて涙があふれてきた。
「あ~泣いちゃだめ!厚化粧が崩れちゃうわ」
テマソンはあわてて横にあったティシュで碧華の目頭を押さえた。
「いつこんなの撮ったのよ~」
「私を誰だと思っているの?今まで先が読めなかったのはあなたが送ってくる配色のデザインチョイスだけよ」
「褒め言葉として受け取っておくわ。でも、そのかっこう本当によく似あってて格好いいよ。テマソンモデルさんみたい。ドキドキしてくるわ」
「あらありがとう。二日間だけよ。私に惚れていいのは?」
「了解しました。ああ~もう仕方ないわね。失敗して困るのはテマソンだけだし、なるようになれだ。で、相棒、私は何をすればいいの?」
「そうこなきゃ。まずこれをみて、この写真を今すぐ頭に入れて」
「そっそんな急に無理に決まってるでしょ。知ってるでしょ。記憶力悪いの」
そういいながらも手渡された写真を必死で眺めながら言った。
「なんとなくでいいわ。それは顧客リストの中でもお得意様の写真よ。毎回たくさん注文してくださるの。世界中からきてくださっているから、会場でもいろんな言語が飛び交うわ。もちろんあなたには理解できないだろうし、いろいろ質問されてもわからないだろうから、最初にあなたは咽喉を傷めていてしゃべることはドクターストップかかっていると説明してあげるから、これを耳につけて、イヤリング型イヤフォンとネックレス型マイクよ。これで、裏方のスタッフが相手があなたに話しかけてきた言葉を日本語に訳してくれるから、どう対処していいかをスタッフが頷く・笑顔・首を振る・握手の、四つのキーワードを言って指示してくれるからこれで乗り切って。基本私の側で笑顔でいてくれればいいけど、何が起きるかわからないから。万一の時は、会場からそっと出口に出て、ここにいていいわ」
碧華はテマソンから受け取ったイヤホン型イヤリングとネックレスを身に着けてみた。テマソンは碧華の周りをぐるっと回り、何かを思い出したのか、部屋の角に積まれた段ボールの中からショールを取り出すと碧華の首に二回巻き、左肩にかかるようにリボン結びをした。そして一歩後ろにさがると大きく頷いた。
「これで完璧ね。アドルフ聞こえる?」
テマソンがそういうと、碧華の耳につけたイヤフォンから男性の声が聞こえてきた。
「バッチリです社長」
「碧華、彼は会場が見える監視室から、あなたを常に監視しながら、目の前にいる人物の解説をしたりアドバイスをしたりしてくれるから彼の支持通りすればいいから」
「アドルフさんというのね、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
碧華は彼の流ちょうに話す日本語を聞いて少しほっとした。
「社長そろそろ時間です」
スタッフの1人がドアをノックして入ってきた。
テマソンは碧華の右腕を掴むと自分の左腕に絡ませてから言った。
「さあ、行くわよ」
「オッケー、相棒」
テマソンはその言葉に口元をほころばせ、小さく頷いた。
テマソンと碧華は部屋を出ると、エレベーターの前に立った。二人の後ろには黒のスーツ姿にイヤフォンを耳に着けたスタッフがすぐ後ろに立っていた。
碧華は大きく深呼吸をしてみせた。
「こんなに緊張したのって初めて、一日もつかなあ」
「おしっこちびんないでよ」
「赤ちゃんじゃあるまいし、けど、ちびったらごめん」
二人はくすっと笑いながらエレベーターの中に入って行った。
二人を乗せたエレベーターが一階に到着し、エレベーターの扉が開くと、いっせいに音楽が流れだし、大勢の人々の視線が二人に集中した。大きな拍手が巻き起こった。テマソンが大きく一礼するのをみて碧華も一礼し顔を上げた。
碧華の目にはまばゆい世界が広がっていた。テレビでみたような豪華なドレスや高級スーツに身を包んだ上流階級の人々が百人以上はいるのではないかというほど人であふれていた。
テマソンは碧華の顔をチラッとみると、ゆっくり歩きだした。そしてエレベーターの横にセットされていた舞台の中央に足を進めた。
〈碧華さん、ボスが中央で一礼した後、一緒に一礼して、その後ボスから手を放して、一歩後ろに下がってください〉
碧華はこけまいと足元に気をつけながら、指示通りに振る舞った。碧華の心臓は人生でマックスというぐらい大きな音が鳴り響いていた。今にも倒れそうになっていた。
「皆様、今日はお忙しいところわが社の新作発表会にお越しいただきましてありがとうございます」
テマソンはそういうと一礼した。碧華もほぼ同時に一礼した。
「例年でしたら秋に発表させて頂いておりましたが、今年は趣向を大幅に改革いたしまして、八月にリニューアルオープンさせていただきました。皆様のお眼鏡に止まります作品がございますかどうか、本日はごゆっくりご観覧いただきすよう、よろしくお願いいたします。さて、皆様の視線が注がれています、わたくしの隣にいる女性でありますが、彼女が今回から開発に参加しております、わたくしの新しいパートナーの碧華桜木です」
テマソンはそういうと碧華の方を向いて、左手をそっと碧華の腰にそえると、一歩前に促し、テマソンの横に立った。碧華は笑顔で大きく一礼した。そしてそれと同時にテマソンが言った。テマソンの英語のスピーチをアドルフが同時通訳して碧華の耳に入ってきた。
「本来でしたら、ここで碧華からも一言皆様にご挨拶させていただきたい所でありますが、数日前から咽喉を傷めておりまして、しゃべることを医師の方からドクターストップがかかっておりますので、しゃべることができません。彼女にかわりましてわたくしから皆様にお詫び申し上げます」
二人が一緒に頭を下げた。すると、一同から大きな拍手が巻き起こった。拍手が静まるのを待って、テマソンはまたしゃべりだした。
だが、テマソンは碧華の腰に添えた手を引っ込めることはしなかった。それは碧華にとっては唯一の支えとなっていた。緊張とフライトの疲労で立っているのが不思議なぐらいだったからだ。
碧華は消えそうになる意識の中で笑顔を保っているのが精一杯だった。
長い三時間がようやく過ぎ、大勢いたお客もほとんどいなくなった。テマソンは最初から最後まで碧華を左手一本で支え続けた。碧華も倒れそうになりそうな自分を必死で耐え、耳から聞こえる指示通り、フロアーの客の間をあちこち歩き、挨拶替わりの一礼と笑顔と握手をこなした。
そして最後の客が出て行った瞬間、碧華の視界が真っ暗になり、その場に倒れこんでしまった。
 




