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エンリーの失踪⑤




その頃日本では、碧華はテマソンやライフからその後の詳細をメールで詳しく聞いていたが、エンリーには伝えていなかった。


その日の夕方、栄治は今日まで休日出勤の仕事のためまだ帰ってきていなくて、栞と優は宿題に追われ珍しく自分の部屋にこもっていた為、リビングには碧華とエンリーの二人だけだった。


碧華は突然訪ねてきて、一通りの詳細を聞いた後はエンリーを問い詰めて聞かなかった。エンリーも詳しいいきさつは話そうとしなかった。ただ、その日の夕方、碧華はテレビをみてくつろいでいたエンリーに一言だけ言った。


「エンリー、あなたが話たくないっていうならもう何も聞かないけど、これだけは覚えておいて、あなたには宝物がたくさんあるってこと、この日本にも、そしてアトラスにもね。あなたはかけがえのない存在なのよ。忘れないで、私はあなたが大好きよ。だから、早く元気を取り戻してね。あなたには心からの笑顔がよく似合うから。あなたも娘たち同様に私の大切な宝物なんだから、あまり思いつめないでね」


エンリーはその言葉で、疲れた心が洗い流されたような気がした。自分をこの世で必要としてくれ、宝物だと言ってくれる人がいる。エンリーはその言葉だけで救われた気がした。

そしてここに来てよかったと心底思えた。ただ、父親とのことはうまく説明できず、まだ心の整理がついていなかった。


だから碧華のその言葉はありがたかった。すぐ帰れといわれる覚悟をしていただけに、内心驚きとともに嬉しい気持ちとが入り乱れ複雑な心境だった。


「すみません。もう少しだけここにいさせてください。必ず帰りますから」


「わかったわ。あなたはまだ未成年。テマソンからあなたのお母様からここにいる許可は得てくれているらしいから、安心していいわよ」


「母から?」


「ええ、気になるならあなたのスマホをみてごらんなさい。あなたは一人じゃないわよ。あなたにはあなたを愛している人がたくさんいるのよ。そうそう、結局、あなたはただの体調不良の為に一週間休学すると学校には届られて学校側も了承されたらしいわ」


エンリーはどう返事を返せばいいのか返答に迷っていた。すると碧華が突然エンリーの頭を撫でた。


「もう、可愛いわね。私も息子がいたらこんな感じなのかなあ。さあ、この話はこれでおしまい。私ももう忘れるわ、だから日本にいる間は思いっきり楽しんでね」


「はい、お世話になります」


「じゃあエンリー、あなたは今この瞬間からここにいる間は我が家の家族になったんだから、あなたは私の息子。私のことはママと呼んでね」


「はいママ」


「いい子ねえ、エンリーは。もう嬉しい。テマソンに自慢しちゃおっと、ふふっ念願の息子ができちゃった」


碧華はエンリーにウインクすると、鼻歌混じりに台所へと歩いていき、夕飯の用意を始めた。


その日の夜、七時過ぎにようやく全員がそろい今はもう夜の八時になろうとしていた。


「栞ちゃん、夕飯ができたよ」


エンリーは二階の自分の部屋にいる栞の部屋の扉をノックした。


「わかった。でももう少しなんだけど・・・」

「栞ちゃんどうかしたの、勉強?」


「エンリー、ここわからない?ママに旅行までに宿題すませるように言われたんだけど、やり残してたの忘れてて、いくらやっても答えが合わないんだ。英語も残ってるのにどうしよう・・・徹夜しても終わる気しない。せっかくエンリーがきてるのに・・・」


栞はイライラしながら机の上の宿題と格闘している最中だった。エンリーはクスッと小さく笑うと部屋の中に入り、栞に向かってその難問の宿題を覗き込んだ。


「そこは、この公式を使うといいんだよ」


そういって、横の白い紙に公式を書きこんだ。


「あっそうか、だから何回やってもあわなかったのか」


「ねえ栞ちゃん、僕でよかったら夕飯が終わったら教えてあげようか?英語は本当だったら自分でした方がいいんだけど、せっかくの旅行だから。間に合わなかったら楽しくないから手伝ってあげるよ。碧華ママには内緒だよ」


「本当?やったあー!お願いします先生」

「了解しました。じゃあ下へ行こう。まずは食べなきゃ」


「うん、あっそうだ、これ今度手紙と一緒に送ろうと思ってたんだけど。忘れないうちに渡しておくね」


そう言って栞は机の引き出しに入れてあった小さな紙袋をエンリーに差し出した。


「これは?僕にくれるの?」


「うん、あのね、それお守りなの。外国の人って信仰している宗教の神様って一人でしょうけれど、日本には色んな神様がいるの。でっ、日本中にはいろんな神様を祀った神社があって、そこで御利益が得られるお守りが売ってるの。それをまねしてママに教わって作ってみたんだ。ご利益は期待できないんだけど、もしエンリーがアトラスで辛いこととかあったら、このお守りであなたの心に笑顔が戻りますようにって願いを込めたんだ」


「栞ちゃんありがとう」


エンリーは座っている栞にそっと抱きしめた。


「大切にするよ。こんな心のこもったプレゼントは初めてだよ」


栞はエンリーの背中が少し震えているような気がしてそっと自分の右手で背中をさすった。


「ねえエンリー、私は頭もよくないし、美人でもないから、あなたの彼女だって自信をもって周りの人に自慢できる自信まったくないんだけど、あなたが辛いことを抱えているんだったらいつでも話してね。いいアドバイスもあなたの苦しみも取り除いては上げられないかもしれないけれど、愚痴ぐらいだったら聞けるから。私もよくママやテマソン先生に聞いてもらうの。そしたら、スッキリするから。だから」


「栞ちゃん!」


突然、エンリーは栞を放し、栞の顔を覗き込んだ。


「テマソン先生って、クリスマスの時も言ってたけど何か教えてもらってるの?」


「あれ?言ってなかったっけ。私毎日、テマソン先生に英会話教わっているの。私リスニングもさっぱりだから、ママの仕事のテレビ電話で毎日三十分会話してるの。すごく教えるの上手で、勉強のわからない所もすごくわかりやすく教えてくれるの。最近は聞き取れるようになってきたんだけど、文法がまだまだでエンリーどうしたの?」


「栞ちゃん、テマソンさんのこと・・・いや、なんでもない」


くちごもったエンリーに栞は後ろからそっと抱きしめた。


「エンリー、もしかしてテマソン先生にやきもち焼いてるの?」

「そっそんなもち焼いてないよ」


「クスッ、テマソン先生は確かに素敵な人だけど、あのお姉口調じゃときめかないから安心して。歳も離れすぎてるし、なんていうかテマソン先生は、歳の離れたお兄さんみたいなお姉さんって感じかな」


「はあ…」


エンリーは突然その場にしゃがみ込んだ。


「どっどうしたの?」


栞も慌ててその場にしゃがみ込んだ。その時エンリーが栞をギュッと抱きしめ返した。


「栞ちゃん、僕は本気だから、本気で君のことを愛してるんだよ。信じて、君に関しては僕はまった

く自信がないんだ。日本にもいい男はたくさんいるだろうし、心配なんだ。君の側にいつもいられない分」


「私も・・・ずっとそばにいたい」

「栞ちゃん」


二人はしばらくそのままじっとしていた。そしてエンリーがぽつりと話始めた。


「僕はまだ十七歳で無力だ。情けない話、今だってアトラスから逃げてきたんだ。この先どうなるのか自分でもわからないんだ。一年前までは死に場所ばかり探してた気がする。生きたいと思えなかったんだ。だけど、君にであって、君の家族に温かく接してもらえて、僕は初めて生きたいと思ったんだ。君のいる場所で・・・でも自信はまったくないんだ。僕は自分がこんなに嫉妬深い人間だなんて知らなかった」


エンリーの言葉を聞いた栞は何だかホッとしている自分に気が付いておかしくなった。


『なんだ、私と同じなんだ。よかった』


栞は心の中でそう呟くとエンリーの方を真剣な顔で見つめ言った。


「ねえエンリー、私、あなたがいるお金持ちの世界のことは正直全然わからないから、うまく言えないんだけど、無理して頑張りすぎないでね。心が折れちゃったら大変だもの。あなたには私がいるんだから忘れないで。一人であの世になんか行かないでね。そうだ。アトラスが辛いなら、あなたも高校を卒業したら、日本の大学にはいればいいのに、エンリーだったら、東大とか京大でも余裕なんじゃないかな。あっレベルが低すぎるか。エンリーが目指してるのは世界レベルでもトップだもんね。あははっ。今のは忘れて」

「ありがとう。栞ちゃん」


そう答えたエンリーだったが、この時エンリーの心の中である決意が生まれていた。

日本の大学に入る。逃げる必要もなく堂々と僕のいたい居場所にいられる。

エンリーの心にほんの少し光が差し込んだ瞬間だった。


「よし、食べよう。その後、徹夜付き合うよ。明日から旅行だ」


エンリーの顔には笑顔が戻っていた。その時下から碧華の声が響いた。


「コラーッ、二人とも!いちゃついてないで早くおりてきなさいよ。冷めちゃうでしょ」

「ママったらデリカシーないんだから」

「いこっ、今日はカレーだよ。碧華ママのカレーは絶品なんだ」


そう言ってエンリーは栞の手を取って二人で一階におりて行った。     

エンリーは心の底から思った。


『この愛すべき人と共に、将来この家族の一員に自分もなりたい』


そのためにはアトラスに戻って、対決しなくてはならない大きな壁が待ち受けていることを実感していた。


『もうさじは投げた。僕はようやくみつけた。

僕の生きたい居場所を。

もう手放したり、あきらめたりしない。いやしたくない。

もう一度、話しあおう。それがだめなら、僕はアトラスを出よう。

遠回りしても、君は僕を見捨てたりしないでいてくれるだろうか・・・』


エンリーはその後、桜木家と共に九州旅行を満喫し、一週間、のんびり桜木家の一員となり休暇を満喫し、笑顔でアトラスに戻る日がきた。


心配そうな顔で見送ってくれた栞や碧華に笑顔で言った。


「お世話になりました」

「エンリー、本当にもう大丈夫なの?」


「はい、御迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。でももう大丈夫です。父には帰ったらきちんと僕の意見をぶつけてみるつもりです。それでもだめで、勘当されてしまったら、またここに戻って来てもいいですか?」


「だめっていわなきゃいけない所だけど、私、子どもには甘いのよね。あなたも私の大切な息子。辛くなったらいつでもいらっしゃい。でも、私はできるなら、あなたをこの世に送り出してくださったご両親とは仲直りしてからまた来てほしいわ。あなたという素敵な宝物を誕生させてくれた国だもの。大好きなままでいてほしいから」


碧華はそういうと、エンリーに栞がくれたお守りとは色が違うお守りを手渡した。


「ああっ~ママ!もう何してるのよ?それは私がもう渡したんだから、ママは渡しちゃだめ~!」


「ええ~。栞の意地悪るう~。ママだってエンリーに渡したっていいじゃん」

「だめ!ご利益が半減しちゃうでしょ!」


「大丈夫よ。ママのお守りは勇気がわくお守りなんだから。あなたのは確か笑顔のお守りだったでしょ。ダブってないから大丈夫よ」


二人が言い争いをしていると、後ろから優が顔をだした。


「エンリーさん。これ、ママが大好きな鳥なんだけど、フクロウっていうの。エンリーさんが苦労しないで済みますように。お土産です。それと、これライフさんに渡してくれませんか?」


優はそういって別の包みもエンリーに手渡した。


「ああ~!優、いつの間にそんなの買ったの?抜け駆けはずるいわよ」


優がエンリーに包みを渡している様子を見た碧華と栞が同時に叫んだ。


「えへっ、だって私もエンリーさん大好きなんだもん。エンリーさんがママの息子になったんだったら、私にとったらお兄ちゃんでしょ。私お兄ちゃんってほしかったんだ」


エンリーは目頭が熱くなった。この愛すべき人達がいるこの日本にいつか本当に戻って来たいと、改めて決意するのだった。エンリーはもう逃げるのを止めた。


エンリーは桜木家のみんなと別れて、一人出発ロビーで飛行機を待つ間、アトラスをでてから久しぶりにスマホに電源をいれた。すると、驚いたことに未着信のメールが百件も受信されていた。

半分以上はライフからだったが、多くのクラスメートからもきていた。


その最後に家族からの温かいメッセージ付きの動画が添付されていた。その最後にぶっつきらぼうに「殴って悪かった」という父親のコメントも映し出されていた。

エンリーはその動画をみて初めて、頬を伝う涙に気が付いた。


『僕は一人じゃなかったんだな・・・』


エンリーはすがすがしい気持ちで日本を後に故郷アトラスに戻って行った。



家に戻ると、母親が目に涙をいっぱいためてお帰りと言って僕を抱きしめてきた。

僕の縁談は破棄したと後から聞いた。父親は相変わらずだったが、ただ一言「お帰り」という言葉だけは聞いた。そして、母親とは初めて長い話をした。そして自分は愛されていたのだと知った。


二年後の四月、エンリーはあの時の栞の言葉通り、京都の大学に合格し、日本にやってきた。

その話しはまた別の機会にお話しできれば幸いです。








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