エンリーの失踪④
テマソンは数時間前、ライフがエンリーからの預かりものを事務局に提出し忘れていたことが分かった後、ライフを連れて、大広間に戻るなり、屋敷中に響くかのような大きな声で左手をライフの頭にのせ一緒に頭をさげながら叫んだ。
「申し訳ございません」
その場にいた一同が一斉にテマソンの方に視線が集中した。
「どうかしましたか?レヴァントさん」
中央のソファの上で一人別の仕事をしていたビンセント家当主が答えた。
「実はこの子が、お宅のご子息から金曜日にお預かりしていた書類を学校に提出するのを忘れていたようなんです」
「はっ?」
「ですからご子息は誘拐でも失踪でもなく、ただの病気療養のために学校を休学して旅行に出られただけみたいですね」
「なんだと、何の病だというのかね?」
「これをどうぞ」
「なんだこれは!こっこんなものを提出しようとしていたのか!あのバカ者はふざけたことを、あの出来損ないが!親にどれだけ迷惑をかけたら気がすむと思っているんだ。あいつは勘当だ。シャリー、あいつが戻ってきてもこの屋敷には入れさせるな。学校もすぐ退学手続きを取れ!どこで野垂れ死にしようが関係ない!もう捜索は中止だ!」
ビンセント家当主はテマソンが差し出した書類を丸めて床に投げ捨て立ち上がった。
その書類をすぐに拾い上げたのはシャリーだった。シャリーは震えながらその丸められた書類を広げて目を通した。その様子をテマソンは何も言わずにただだまって見守っていた。その間にもビンセント家当主は部屋をおおまたで出て行こうとしていた。その時、シャリーが声を発した。
「あなた!わっ私は何も致しませんわ。あっあの子は出来損ないではありませんわ。私の宝物です。あっあなたがあの子を勘当なさるのなら私はあなたとりっ離婚いたしますわ」
「お前ごときが何を血迷ったことを言っているんだ。先生方ももうお帰りになるようだからお見送りしなさい。ライフくんといったかね。エンリーからは何も受け取らなかったことにしておいてくれたまえ、どうせ辞めることになる学校だ。先生方、そういうわけですので、この書類はばか息子が勝手に作成した偽書類ですので、後日正式に退学させていただく手続きにまいりますので今日の所はお引き取りください」
そういうだけいうと、部屋を先に出て行こうとするビンセント家当主にライフが言った。
「おじさん。学校を辞めるか辞めないかは本人が決めることですよ。申し訳ありませんが、再度本人には確認してからですが、エンリーが本当にその書類を提出してほしいと自分に託したいと言ったら
僕は迷うことなく学校に提出しますよ」
ライフは面と向かってビンセント家当主に言い切った。その瞬間、ものすごい形相でライフを睨みつけた。テマソンが何か言おうとした瞬間、部屋の外から拍手が聞こえて、別の人間の声が聞こえてきた。
「さすがはレヴァント家の次期当主ですね。エンリーもいい友達をもっているじゃないか」
「フレッド、お前がなぜここにいるんだ。お前はフランスにいるはずではないのか?」
二人の会話にテマソンは小声でライフにたずねた。
「あの人誰なの?すごいイケメンじゃない」
「エンリーの一番上の兄貴だよ。今フランス支社に行ってるって聞いてたけど」
「へえ・・・」
そんな会話を小声でしていると、長男のフレッドが答えた。
「母さんから連絡がきたからですよ。ちょうど、本社に用事があって最終便でアトラスに戻っていたものですが、ようやく仕事のめどがたったので到着が今になってしまったんですよ」
「シャリー、お前はそんなつまらんことでフレッドにも連絡を入れたのか?つくづく役に立たない女だな」
シャリーは下を向いたまま何も言えずただ震えているだけだった。
「父さん、お言葉を返すようですが、もしエンリーが自殺でもするような事態になればつまらないではすみませんよ」
「ふん、あんな出来損ない死にたけりゃ死ねばいい。親に迷惑をかけおって、お前もこんなことでいちいち戻ってくるな。なんの為にフランスに行かせていると思っているんだ。商談の方は終わっているのか?」
「父さん、僕がフランスに行っているのは会社のためですよ。しいては自分のためですけど。ですが、さっきから話を聞ていて考えが変わりました。僕はビンセント家の長男である前に父さんと母さんの子供なんです。母さんが父さんと離婚するというのであれば、どちらかを選ばなければなりませんね。会社は自分にも責任がありますので続けさせていただきますが」
「何がいいたい」
「父さんが母さんを離縁するというのであれば、自分は母さんともにビンセント家を出ますよ。もちろん、エンリーの学費ぐらい僕が出してやりますよ」
「兄貴がそうなら俺も母さんにつくよ」
もう一人の青年がまた現れた。二人は涙ぐんで今にも倒れそうな母親に近づいて支えるように母親の肩に手を当てていた。
「ふん!どいつもこいつも、役立たずばかりだ。ああっすきにするんだな。後で後悔しても知らないからな」
そういい捨てて出て行こうとした瞬間、テマソンが急に動き、ビンセント家当主の前に立ちはだかった。
「じゃまをしないでいただきたい」
「はあ・・・頑固おやじはこれだから嫌なのよね。話の途中割り込んでごめんなさいね。私ね、本当は他人が離婚しようがしまいがどうでもいいんだけど、私の相棒がよく私にいうのよ。人に悪いことをしてしまったら、きちんとその場で謝りなさいってね。悪いことは悪いとその場で謝らないと、先に延ばしてあやふやにしてしまうと、その人の心の神様を傷つけてしまうってね。いったん傷ついた心は簡単には癒せないけど。ごめんなさいには癒しの魔法があるっていうのよ。話を聞いているとあなたはシャリーさんだけじゃなく、エンリーくんにもずいぶん傷をつけてきたようですね。言葉の暴力は人の心に一生の傷を負わせるものなんですよ。それに加えて暴力を揮うなんて感心しないわね。息子さんを勘当するかしないかはあなたのご自由ですけど、勘当する前に一人の人間として彼に謝ったらいかがかしら」
「どこにいるっていうんだ」
「日本ですよ。今の世の中便利になっていますからね。電話で話そうと思えば簡単に話せる時代ですのよ、あなたが彼に勘当を言い渡すのなら、人として最後に暴力を揮ったことをあやまってはどうですか?彼にコンタクトして差し上げますわよ」
「なんだと!日本、我々が空港に問い合わせてもまだわからなかった息子の出国先をあなたはずいぶん前から知っていたというような口ぶりですな。もしかしたらあなたは最初からエンリーとグルだったのですかな?息子の居場所をご連絡いただいていたならこんなさわぎにはならなかったのですよ。息子を家出するようにそそのかしたのなら訴えますぞ」
「はあ・・・」
テマソンは大きく肩でため息をついてから言った。
「どうぞ、あなたがそう思われるのならそうしてください。私は弁護士資格を持っていますからいつでも受けて立ちますよ。そうなれば、あの書類はエンリーくんがライフに手渡したものですのでまだ、ライフの持ち物ということになりますから。きっちり裏どりをとって法廷に提出させていただきますよ。そこに書かれている医師の方はどうやら、ビンセント家系列の医師の方ではないようですし、お願いすれば証言していただけると思いますし」
「あっ、叔父さん、エンリーのやつ毎日こまめに日記を書いてたから、きっと暴力を受けた日付とかきちんと書いてるはずだよ」
ライフがそういうと、ビンセント家当主は歯ぎしりをして黙り込んでしまった。
「そっその必要はありませんわ。あの子が中学生のころから時々週末に帰ってくるたびにあの子に手を挙げていた証拠映像なら私が毎回録画してます。あなたがレヴァントさんを訴えるというなら私があなたを訴えます」
「母さん・・・もしかして僕らのもあったりするの?」
シャリーは次男の問に無言で頷いた。
「まいったな、母さんにそんな趣味があったとは」
「ふん!勝手にしろ!用が済んだら速く帰ってくれ!」
ビンセント家当主はそういうとテマソンの静止を振り切って自分の書斎へ歩いて行ってしまった。
テマソンは首を横に振って、その場から去ろうとした時、テマソンの携帯にメールの着信音がなった。
それをみたテマソンは苦笑いをした。
「まったく、こっちは大変だっていうのに碧華ったら、ライフみてごらんなさいよ。エンリーくんたら楽しそうに笑って服を選んでるじゃない。もう、あほらしくなってきたわね」
そこに写っている写真にはエンリーに無理やりかわいいキャラクターの服を進めている栞とのツーショットの写真が写し出されていた。
その二人の顔は笑顔でいっぱいだった。
「あっあの・・・」
テマソンがライフに画像を見せていると、シャリーが近づいてきた。テマソンは画像から視線をシャリーに向けて軽く頭をさげた。
「あっごめんなさいね。よけいなこと言っちゃって、すぐ帰りますわ。その前にエンリーくんに聞かなきゃいけないわね。どうしたいのか?ちょっと本人と話せないか碧華に聞いてみますわ。私もまだまだ修行が足りないみたいね。相手を説得できず余計怒らせちゃうなんて、ああ嫌ねえ。自分が情けないわ」
「あっ、いえ、こちらこそ主人があなたにまで失礼なことを言ってしまって、あの人も普段はあんな人ではないんです。不器用なだけで、つい手がでちゃうんです。でもその夜はいつも一人で夜中まで落ち込んでいる人なんです。冷静になれば自分が悪いと気づいてくれると思いますので、どうか裁判は許してあげてくださいませんか?」
「ああ、私は別に裁判を起こしたいわけじゃないし、あなたやエンリーくんがいいなら別になんとも思っていないわ。ただ、今回のことで、エンリーくんがむかった桜木家に迷惑が及ぶようでしたら私は黙っていませんけど」
「あっあの・・・もしかしたらと思うのですが、その碧華様というのは、エンリーが好きな方だという栞さんのお母さまではありませんか?」
「あら、あなた栞ちゃんの存在知っていたの?」
「あっすみません。私、あの子とはうまく話しができなくていつも家に帰ってくると影から見てるだけなんだけど、時々ライフくんがたずねてきて話している話を立ち聞きしていまして、よく栞さんって名前が出てくるので、もしかしたらと」
「あははは!息子さんにストーカーみたいなことをしていたんですか?」
シャリーは真っ赤になって下を向いてしまった。そんなシャリーにテマソンは言った。
「いつだったか碧華が言ってたわ。母親っていう生き物は自分の産んだ子供ものこの世で一番のファンになるんですってね。母は偉大よね。いくつになっても子供はかわいいんですって。でもあなたにたりなかったのは息子さんとのコミュニケーションね。私は子どもをもったことがないからわからないけれど、碧華と栞ちゃんの話を聞いてると、あの子たちよく喧嘩するみたいだけど、すごく仲がいいのよ。それはね、碧華が言ってたんだけど、親も人間なんだから、間違う時もあるから、間違っていた時はきちんと謝るんだって言ってたわよ。そうすることで信頼関係も築けていくんじゃないかしら、血のつながりは生涯きれることはないわ。親子といえども一人の人間同士なんだもの。喧嘩してもいいんじゃないかしら、いくつになっても男って母親は大好きなものよ。辛い時はギュッって抱きしめてもらいたいものよ。そして頑張った時はほめてもらうとうれしいものよ」
「抱きしめる・・・私がしても嫌がらないかしら」
「シャリーおばさん、家のママみたいにいつもされるとうざくなるけど、嫌じゃないと思うよ、照れ臭いだけだよ。誰だって褒められるのはきらいじゃないしね。でもエンリーのやつ、どうして急に家出なんかしたんだろうなあ・・・親父さんに怒られるなんて毎度のことだっていつもけろっとしてるのに」
ライフの言葉を聞いたシャリーは少し考えてから、シャリーは話しだした。
「実は、あの子に縁談の話が来ていますの」
「はっ?まだ高校生ですよ」
「それが、取引先のお嬢様がエンリーのことを好きになられたとかで、どうしても彼がいいと、父親にねだったらしいのです。結婚は先でも婚約だけでもしておきたいって、それを聞いた主人が、いい話だってすごく乗り気で、木曜の夜にエンリーに話したみたいなんです。あのような調子で、相手の方は確かにすごくきれいで頭のいい子みたいなんですが、あの子、いつもは父親に何を言われても何も言い返さないのですが、あの時だけははっきり言い返したんです。将来結婚したい相手がいると、その言葉を聞いて主人があの子を殴ったんですの」
「そんなことをされたらさすがのあいつもきれるな。あいつああ見えて、栞ちゃん一筋だからな」
「そう、そんな事情ならエンリーくんも今連絡しても簡単には引き下がらないわね。さてどうしたものかしらね。まさかその書類を出すわけにもいかないし」
その時執事がはいってきた。
「あの奥様、エンリーおぼっちゃまの休学届の件でございますが、実は、もう一通ございまして、わたくしがお預かりしておりましたので、そちらの方をさきほど先生にお渡しいたしました」
「えっ?それどういうこと?どうしてあなたが持っていたの?」
「あっ、あの・・・申し訳ございません。実は、エンリーおぼっちゃまに口止めされておりまして、もし万が一、ライフ様が学校に別の休学届を出し忘れていて、騒ぎが大きくなってしまわれたら代わりに学校の方に提出してほしいとお預かりしておりました。まさかこのようにさわぎが大きくなるとは思いませんでして、どのようにすればよいかお出しするタイミングを逃しておりました」
一同は執事の告白に唖然としたが、ライフの一言でどっと笑いが起きた。
「ナイスタイミングだよ執事さん」
「あはっははは!まったくその通りね」
「エンリーのやつ戻ってきたら、休学理由が父親のせいになっていなかったら悔しがるかなあ」
ライフは何だかうれしそうだった。
「あいつにメールしといてやろう!」
「あらライフ、エンリーくんと連絡ついたの?」
「いや、あいつスマホの電源切ってるみたいでさっぱりだよ。けど、つけた時読むだろうと思って、さっきから実況中継のメール流してやってるんだ」
「あっそう。ならもう大丈夫ね。後は、彼が戻ってきて彼自身がどう生きたいのかはっきり父親と話合うだけね。今度は家族できちんと話し合いができればいいんだけれど」
「レヴァント様、この度は本当にお忙しい中ご迷惑をおかけしまして申し訳ありませんでした。主人とは今度こそきちんと話合います。どんな結果になりましても、けっして桜木様にはご迷惑のかからないようにいたします。桜木様に、息子をよろしくお願いいたしますとお伝えくださいませ」
シャリーはテマソンとライフとリリーに深々と頭を下げた。三人は頷くと家路に帰ることを告げた。
外はこの時期には珍しく満天の星が広がっていた。