夏本番、アトラス滞在記④
蘭はその日いつもより早く目が覚めた。
深夜の二時半過ぎに寝たにもかかわらず、起き出したのは朝の七時だった。
お手伝いさんのマリさんは既に旦那様と子供達に朝食をだして、みな食べ終わろうとしている所だった。
「みんなおはよう」
蘭はそういうと自分の椅子に座り、出された朝食のコーヒーを一口口に含んだ。
「母さん、昨日遅かったんじゃなかったの。起きてこないんじゃないかと思っていたのに」
「あら音也こそ、よく起きれたわね。夏休みに入ってからいつも昼過ぎまで眠っているあなたが、珍しいじゃない」
「今日は忙しいからね。旅行用の服を買いにエンリーと行く約束してるんだ。あいつも京都の土産を買うから、栞ちゃんと京都に遊びにくるっていうから案内してやろうと思ってね」
「あらそうなの、妹さんはこないの?」
「優ちゃんはまだ学校があるんだってさ」
「あらそうなの、大変ね。唯は部活?」
「うん、お昼はコンビニでパン買っていくから大丈夫よ」
「そう」
「あっそうだ。悟さん、昨夜碧ちゃんにライフくんのおばあ様のお城へのご招待をお受けしてもいいのか聞いたら、大丈夫っておっしゃっていたわ。碧ちゃんの娘さんたちも招待させているんですって。心配いらないみたいでしたわ」
「そうか、ならいいが、音也くれぐれも失礼のないようにな。お前がへまをやると、迷惑がかかるのはエンリーくんなんだからな」
「わかってるよ。だからあいつに失礼のないような服を選んでもらおうと思って今日買いに行くんだよ」
「そうか。だが蘭、碧華さんとはいつ話したんだ?」
「夜中の二時よ。あっ電話があったわけじゃなくてラインが届いたのよ。都合のいい時間になったら教えてってだからすぐ電話しちゃったの。碧ちゃん今アトラスに行ってるんですって」
「そういやエンリーが言っていたな。仕事で一か月近くアトラスに滞在予定だっていってたよ。その間、エンリーの奴が主婦業頼まれているんだってなんだか楽しそうだったぜ」
「主婦業?」
「うん、碧華先生家、お手伝いさんいないから主婦の碧華先生が仕事に行くと家事をする人間がいなくなるだろう。あの家の中で一番料理がうまいのがあいつなんだってさ。あいつパパさんと優ちゃんのお弁当も作ってるってなんか嬉しそうに言ってたぜ」
「あら、何でもできる子なのね。あなたとは大違いね。すごい財閥のご子息なんでしょ?」
「らしいな。あっでもどうしてアトラスにいる碧華先生から母さんに連絡きたの?」
「うん、私にぬいぐるみを作ってほしいって依頼がきたのよ」
「何?おまえのぬいぐるみなどどうするんだ?」
「私も詳しくしらないけれど、ディオレス・ルイ社の新作発表会で展示するバッグの備品にするんですって」
「ママ? ディオレス・ルイ社って言った?」
「ええ、それがどうしたの。碧ちゃんの本を出版してる会社よ。本業はバッグを販売しているんですって」
蘭の言葉に驚きの顔をしている唯を蘭は不思議そうにみた。
「ママ知らないの?私もあの詩集の出版社がディオレス・ルイ社って書いていたからもしかしてって思っていたけど、あのディオレス・ルイ社ってテマソン・レヴァントの会社?えええええ~ママすごい有名なバッグメーカーよ、そんなすごい会社の新作発表会にママのぬいぐるみを使うの?大丈夫なの?」
「そんなにすごいの? でもバッグの真ん中の透明のポッケの中に入れる用なんですって、着物柄だから珍しいんじゃないかしら、お兄様の会社の生地は本物だもの」
「そうだけど、それならどうせなら少し大きめのぬいぐるみを作って、凛おば様のお雛様に着せる着物を着せたら何とか品が出てきそうだけど。ママのぬいぐるみだけなら貧相に見えない?」
「まっ失礼ね、でも言われてみればそうね…いいアイデアかもしれないわね。あの子今月は暇だって言っていたし、そうだわ、早速聞いてみよう。忙しくなってきたわ」
蘭はそういうとトーストを急いで口に入れ、
手早く朝食を済ませると一番早く席を立ちあがり、いそいそと作業室に戻って行った。
その後ろ姿をみた音也が言った。
「母さん昨日まで死んだ魚みたいに暗かったけど、生き生きしてたな」
「そうだな。ぬいぐるみなどと思っていたが、あいつが楽しければまあ好きにさせておくさっ、それより、音也、今日の小遣いは大丈夫なのか?」
「うん大丈夫だよ。服って言っても正装じゃなくてもいいんだってさ」
「そうか、ならいいが、まっあまり写楽家の品位を落とさない服を選べよ」
「俺そんなに趣味が悪くないですよ父さん」
「お兄ちゃん自覚ないの? 変よお兄ちゃんの趣味、今日はエンリーさんに選んでもらった方がいいわよ。日本人がみんなお兄ちゃんみたいな服センスだって思われるの侵害だから」
「なんだと、失礼だぞ」
音也は妹を睨みながら野菜ジュースを飲み干した。
蘭は早々に朝食を切り上げ自分の作業部屋の布を片づけている段ボールの中をあさりながら楽しそうに突然ひらめいたぬいぐるみ用の生地を選んでいた。
そして、携帯で妹の凛に電話を入れると今起きたばかりのようだった。
〈おはよう~、お姉ちゃんどうしたの?こんなに早くに〉
「凛、あなた今暇だって言っていたわよね」
〈ええ、美耶も雅も大学のサークルの合宿だっていって昨日からいないし、旦那も出張中だから、家は朝から私一人よ、一人だと何もする気しないのよね〉
「じゃあ、私のお願い聞いてくれる?」
〈何?〉
「あなたにぬいぐるみ用の着物を作ってもらいたいのよ。そうねえ、二十センチぐらいの大きさなんだけど」
〈ぬいぐるみ用の着物?人形じゃなくて?〉
「ええそうよ、ペンギンと梟のぬいぐるみに着せる着物よ」
〈いいけど、そんなものどうするの?〉
「実はね、聞いてよ、あの碧華さんから依頼がきたのよ」
〈えっ?碧華さんってAOKA・SKYの?〉
「そうよ、ほら音也の学校のお友達の彼の婚約者のお母さんが碧華先生さんだったって教えてあげたでしょ。あなたが私の宝物を奪っていってまだ返してくれていないけど」
〈あれ、まってよ、だってやっぱり日本語で書いてあるのを読むのって感動して素敵なんだもの。ねえ…お姉ちゃんお願いよ~あれ譲って!〉
「嫌よ、あれは非売品なのよ、それに誰にも秘密だって言われててあなたにばれちゃたから私、碧ちゃんに何なんて謝罪すればいいのかって悩んで、睡眠不足だったんだからね。あなたおしゃべりだもの。もし他の人にしゃべって碧華さんの素性がばれちゃったら、もう二度とおしゃべりしてもらえないんじゃないかって」
〈大丈夫よ、私言っちゃだめっていうことは言わないわ。それにこんなすごいもの誰にも言いたくないもの。そのうち日本発売になったら、実はって自慢するかもしれないけど、だいたい私、お姉ちゃんから彼女がどこに住んでいるのかって聞いてないわよ。音也君もきっとしゃべらないでしょ。大丈夫よ、彼女の本は日本未発売なんだもの、ほとんどの日本人はしらないわ。でも日本でも発売されたらきっと売れると思うんだけどなあ…どれも素敵だもの。アーメルナなんか私何度読んでも感動しちゃって…あっでもどうしてその碧華先生から お姉ちゃんにぬいぐるみの依頼なんかくるの?〉
「うん、碧華さんね、ディオレス・ルイ社って会社のバッグの制作の仕事もしてるんですって、でっ八月の十九日に新作発表会があるらしいだけど、そこで展示する新作のバッグの透明なポッケに入る着物柄のぬいぐるみを作ってくれないかって頼まれたのよ、この前碧ちゃんにプレゼントした梟のぬいぐるみすごく気にいってくれたみたいでね。でっひらめいのよ、バッグを展示するなら、少し大きめのぬいぐるみを作ってあなたの日本人形に着せる着物を着せたら可愛くなるんじゃないかって、あなたのミニチュア着物本物みたいでセンスいいから」
〈あら当然よ、でもディオレス・ルイ社のバッグってすごく高いブランドでしょ。ネットでみたけど高級感半端ないじゃない〉
「だからよ、私のぬいぐるみ生地もお兄様に作ってもらった日本がほこる着物の最高級品の生地でしょ。だからその生地を使って着物も着せてあげれば更にいい感じになるんじゃないかって思うのよ。大きいぬいぐるみの方は依頼されていないから使ってくれるか分かんないからあなたに着物を作ってもらっても、展示してもらえる確証はないんだけど」
〈あら、いいわよ、そんな大それたこと期待してないわ。でも、そのぬいぐるみは確実に碧華先生の元に届くのよね?〉
「ええ、実は家の音也が十日からアトラスに行くことになってるのよ。その同じ便に音也の友達と碧ちゃんの娘さんたちも偶然乗ってアトラスに行くらしいのよ。だから、先に行っている碧ちゃんが娘さんたちを空港まで迎えにきてくれるんですって、だから直接手渡せるってわけ」
〈お姉ちゃんすごいじゃない。私それだけでも十分よ。わかった!引き受けるわ。なんだったらその小さなぬいぐるみ用にも着物作ってあげるわ。碧華先生に直接私の傑作作品をみてもらえるなんて感激だわ。今から来れる?早速始めなきゃ間に合わなかったら大変じゃない!〉
「本当にいいの?いくらか手間賃渡そうか?私、碧ちゃんからお金支払うって言われたけど、受け取れないって断ったから、作ってもお金はいらないし」
〈あら何言ってるの。碧華先生の日本語版の詩集、すごく感動したもの碧華先生のプレゼントつくるのにお金なんか普通請求しないわよ〉
「凛ありがとう。じゃあ今からいくわね。着物の生地はある?ペンギン用が男の子仕様にしようと思っているから生地がないならお兄ちゃんの所によってもらってくるけど」
〈大丈夫よこの間お兄ちゃんからゲットしたばかりだから、最高の生地はそろってるわ。あっでもぬいぐるみのだいたいの大きさが知りたいから粘土あったら持ってきてくれると助かる〉
「わかったじゃあ準備してすぐいくわ」
蘭は嬉しそうに電話を切った。
「ふふっ、久しぶりにワクワクしてきたわ。そうだわ、あれも作ってもらわなきゃ」
蘭は鼻歌まじりに大きなバッグに材料を積め始めた。




