夏本番・アトラス滞在記①
「テマソン、私明日は一日お出かけするから仕事お休みするわね」
六月初めのことだった。いつものようにテレビ電話で話しをしていた碧華が突然テマソンにそう告げた。
〈あらどこかへ行くの?〉
「うん、浴衣を買いにいくのよ」
〈浴衣?〉
「そうよ、八月にそっちに行く時、カリーナのパーティーに招待されているでしょう」
〈カリーナ? ああそういえばそうね。ビモンド家のパーティーの招待状きてたわね。ちょうど土曜日だから行くことになってたわね〉
「でね、カリーナから昨日電話があってね。あのパーティーって民族衣装でくるか、仮装してくるかなんですって」
〈そんなこと書いていたかしら…〉
テマソンはそう言いながら机の引き出しから招待状を取り出してみた。
〈あら書いているわね。大変、服を用意しなきゃ〉
「それでね、カリーナがアトラス人以外の友達には民族衣装で来るように頼んでいるんですって、だから私たちにも民族衣装をきてほしいって頼まれたのよ」
〈日本の民族衣装って言ったら着物かしら?〉
「そうなるわよね。最初はことわったんだけど、どうしてもってたのまれちゃって、まあ夏だからきちんとした着物じゃなくても浴衣でもいいかなって思って、あれだったら着付けは簡単だしね」
〈あら、肝心の浴衣はあるの?〉
「ええ、それは大丈夫なのよ。普段は全く着ないけど、浴衣はたくさん持っているのよ。でもね、栞と優が浴衣で参加するってエンリーに話したら自分も和装したいっていいだしてね。男物の浴衣は家にはないから、エンリーと買いに行くことにしたのよ。どうせライフも着たいっていうに決まってるからあの子の分も含めて買いに行ってくるわ」
〈ちょっと待って、あなたも浴衣き着るんでしょ?〉
「ええ」
〈だったらパートナーの私ももちろん浴衣じゃなきゃだめじゃない〉
「ええ~。テマソンは仮装でいいじゃない」
〈あらライフとずいぶん扱いが違うじゃない。エンリーは自分で買いにいくからいいとして、ライフは頼まれてもいないのに買ってあげるつもりなんでしょ〉
「だってテマソン身長高すぎるじゃない絶対サイズないよ」
〈あら、だったら新しいのを新調するから作ってもらってちょうだいよ〉
「時間的に無理よ」
〈碧華! 私の着物を用意してくれないならパーティ―には参加させないわよ。パーティーへはパートナーがいないと参加できないんでしょ〉
「ああ~ひっど~い! いいわよ。シャリー誘うから。シャリーはジャンニさんがいけなくなったから参加しないっていってたから。確かカリーナは男女ペアじゃなくてもいいっていってたし」
〈まあ~!ひどい女ね、私をのけ者にする気!〉
「あら、のけ者っていっても、栄治さんも参加しないわよ〉
テマソンはあからさまに膨れてみせた。
〈あら、エンリーやライフは参加するんでしょ。何よ、忙しい時間を割いてあなたの詩集の絵を書いてあげてる私にこんな仕打ちをするのね〉
「ああああ~もうわかったわよ。でも一応探してあげるけど、なかったら諦めなさいよ」
〈わかればいいのよ。あまりケチらないでいいものを選んでよね〉
「はいはい」
全く言い出したらきかないんだから、碧華はため息をついて電話を切った。
七月二十五日、碧華は予定通りにアトラスに一人到着していた。
今年の夏は優の受験サポートに専念する為にアトラス滞在を短くする予定だったのだが、
心配していた優の成績も上位をキープできていたのと、
苦手な数学もエンリーの猛特訓でなんとか標準まで引き上げに成功したのもあり、
エンリーが夏休みに入ったのを見届けて、家の事は栞とエンリーに任せることにした。
娘達も短い期間ではあるが三人は優の学校が夏休みになる八月十日から、
栄治は今回は十三日からくることになっていた。
当初は一緒に十三日にくる予定にしていたが、
何でも栄治はビルとジャンニが休暇を栄治の休暇にあわせて取得したために、
ヨーロッパを三人で周遊するのだとかで、
フランスに集合することになったらしく別行動することになったのだ。
ヒロはこの夏はずっと妹の家に滞在していて留守だった。
そして今回の娘達の旅行にはもう一人同行者がいた。
それは五月に桜木家にきてからすっかり碧華とも親しくなっていた音也も同行することになっていた。
ディオレス・ルイに到着した碧華は大きく深呼吸するとリュックから社員証をだすと扉の横の画面にかざし、扉を勢いよく開いた。
「おはよう!」
碧華はいつもの明るい口調でいいながら中に入ると
「おはようございます」
と大勢の声が返ってきた。
「ごめんなさい、遅刻しちゃったあ」
碧華は頭をかきながらいうと、どっと笑いが起きた。
そしてあっという間に碧華の周りに人だかりができた。
みんな口々に片言の日本語で話かけてきた。
「碧華さん心配してたんですよ。飛行機の到着時刻は七時の予定だって聞いていましたから。社長なんかさっきから碧華さんの携帯に電話かけまくっているのに繋がらないってイライラでしたよ」
「えっそうなの?そういえば携帯ずっと電源切ったままだ」
その様子を社長室から見つけたテマソンがすごい速さで碧華の所までやってきた。
「碧華、あなた電話もよこさないで心配するでしょ!いったい今まで何やってたの?一人で大丈夫っていうから迎えに行かなかったのに」
「いやあ~まいっちゃったわよ。飛行機は予定通りに到着したはいいんだけど、キャリーバッグが出てこなくて、ずっと待ってたのよ。でもいっこうにこないからどうしようかって思って困っていたら、偶然フランスから戻ったカリーナにばったりあったのよ。それで彼女に空港の人に私の荷物どうしたのか問い合わせてもらったのよ。いやあ彼女すごいわね。私が片言の英語でどんだけ説明しても全く取り合ってくれなかったのに、彼女の名前を言った途端すぐ対応してくれたのよ」
「で、荷物はどうしたの?」
「それが…どうやら手違いでアメリカに行っちゃったんだって、もうすごい剣幕で怒っちゃって」
「誰が?」
「カリーナがよ、責任者呼びなさい!ってもうすごい騒ぎになっちゃって、私、カリーナに入ってるのたいしたものじゃないから大丈夫よっていったんだけど、聞く耳もってくれなくて、なだめるのに大変だったんだから」
「それは大変だったわね。でも荷物は戻ってくるの?」
「うん、なんかよくわからないけど、カリーナが荷物がアメリカから戻ってきたら、ディオレス・ルイ社宛に宅配してくれるように手配してくれたから」
「そう、カリーナにお礼言っとかないといけないわね」
「そうなの。よろしくね」
「まったく、あなたアトラスにくると何かしらのトラブルを起こすわね」
「何よ、今回は私のせいじゃないでしょ」
「でも本当に大丈夫なのキャリーバッグなしで」
「うん大丈夫、あの中身、ほとんど日本のお土産用のお菓子だから、着替えのほとんどはこの間きた時に持って帰らなかったから、それで代用するわ。仕事用はずっと置きっぱなしだから問題ないわ」
「なら大丈夫ね。でもあなたお菓子ならアトラスでも買えるでしょ」
「あら、私のお気に入りの抹茶風味のお菓子はあまり売ってないのよ。一か月もこっちにいるんだから、お菓子がないと創作意欲がわかないじゃない」
「はいはい」
「あっでも、みんな用のお菓子のお土産は空港で買ったからはい、みんなで食べてね」
碧華はそう言うと、肩にかけてあったトートバッグの中から空港で買ったお菓子の箱を一箱取り出すとすぐ横にいたライに手渡した。
「ありがとうございます」
碧華はライに笑顔を向けたあとテマソンの顔をみて言った。
「あっテマソン、私先に編集部に顔をだしてくる。お土産も渡したいし、その後上に行って仕事用に着替えてくるわ」
「そうわかったわ。はい!みんな仕事に戻りなさい。新作発表会はもうすぐよ」
そう言ってテマソンは社長室に戻ろうとした時、
「あっそうだわ碧華」
そう言って振り返ると、碧華は既に後ろを向いて扉に手をかけようとしていた。
「碧華!ちょっと待ちなさい!」
突然の怒鳴り声にビクッとなった碧華は驚いて振り向いた。
するとまたすごい速さでテマソンが近づいてきていて、
碧華の扉を掴んでいた右手を掴んで引き戻した。
「テマソン、ビックリするじゃない、何よ?」
「ちょっときなさい」
「えええ~私、先に編集部へ行きたいのに、着替えなきゃいけないし」
「そんなの後でいいわよ。いいから来なさい!」
テマソンはそういうと碧華に右手を掴んだまま社長室に向かい、勢いよく社長室の扉を閉めた。
「社長どうしたの急に」
「ねえねえ、二人で何をするのかしら?」
ライとキムは興奮した様子で社長室を見ながら言った。
「何もあるわけないだろ、碧華さんはもうずっとこっちにいる時は社長の所に泊まってるじゃないか、あれは多分リュックだな」
バンがいうとアドルフも頷いて言った。
「だろうな、また新作ぽかったもんな」
「そうだな、忙しくなりそうだな」
「えっよくみてなかったわ」
「でも、なんか真ん中に可愛いフクロウのマスコットみたいなの入ってたわよ。あんなリュック始めてよ、あれはきっと新作コレクション入り確定ね。私もあんなの欲しいもの」
「碧華さんてすごいよなあ。毎回すごい発想だよな」
「本当だよな。ひらめきだけであんなヒット商品を作りだせるんだもんな」
社員達は興味深々で社長室の外から二人の様子をしばらく眺めながら、また仕事に戻った。
「碧華、あなたにいつも言っているでしょ」
テマソンは社長室に入るなり碧華の手を離すと、
デスクの上のスケッチブックを手に持つと碧華の後ろに回ってスケッチし始めた。
「何を?」
「新作を作ったら私に報告しなさいって、新作発表会にあなたの名前のブランド商品必要だっていってたでしょ。あなたこの間浴衣を縫うからできないって言っていたじゃない」
「ああその事? あなたの浴衣自分で縫うつもりだったんだけど、音也君のお母様蘭ちゃんていうんだけど彼女のお兄様が着物を作っている会社の社長様なんですって、それで浴衣作らなきゃいけないって愚痴っていたら、全部作ってくれるってことになったのよ、だからお願いしたの。しかも格安で作ってくれたのよ。追加でフレッドの分もお願いしたのに一週間で全て仕上がってきたの。もうびっくりよ。だから、このかわいい福ちゃんを入れるリュック作ろうかなって思いついて、出発前日に完成したばかりなのよ」
そういって背負っていたリュックを背中から動かそうとするとテマソンの声が飛んだ。
「動かないで、今描いているんだから」
「何よ、リュックをみてひらめくんだったら机の上に置いてスケッチすればいいじゃない、ここにリュック置いておくから」
「だめよ、ひらめいた時に描かないと忘れちゃうから、じっとしてなさい」
そういったテマソンは描き終わるまでが長いのである。
碧華はやれやれとため息をつきながら、ポケットにしまっていたスマホを取り出すと電源を入れ、
不在着信を調べ始め、そろそろ家で夕飯の支度をしてくれているであろうエンリーに無事着いたラインを送信した。
たくさん来ているメールの中にフレッドからのもあった。
浴衣が届いたという連絡だった。




