ペンタの抱き枕
ある日、碧華から新品の巨大なペンギンの抱き枕が届いた。名前はペンタと書いていた。高級素材でできた製品ではなかったが、確かにいいさわり心地とクッション性は悪くはなかった。何より、ペンタの眠そうに半分閉じかけているとぼけた目がよかった。
テマソンはそのペンタを普段はほとんど入らない寝室のベッドの枕元に置くことにした。
テマソンは実は不眠症であった。これは誰も知らないこと、なぜなら、彼がいつ寝て、いつ起きているのかは誰も知らないことだからだ。なぜ知らないか、それは、彼の寝室は会社の最上階にあるからだ。
独身の彼が自分の会社で仕事をし、睡眠をとるためだけの最上階の広いフロアにいつ上がっていつおりてくるのかは社員の誰も知らない。なぜなら彼はほとんど眠らないからだ。
いつからだろうか、自分でもベッドで寝た記憶があまりない。
毎日仕事が忙しいわけでもない。暇な時期もある。体が疲れてくると、社長室のソファーに横になって一時間ほど目をつむっていると元に戻る。常に意識はある気がしていた。
他の者たちが話しているように熟睡というものをほとんどしたことがない。むろん、夢もほとんどみない。いっそ睡眠薬でも飲んでみようかとも思う時もあるが、この体質で体調が壊れたこともないのでそのままにしていた。
だが、最近しつこくテマソンの体調の心配をする人物が現れた。
嬉しい反面少しめんどくさくもあった。テマソンがあやふやな返事をすると決まってこういうのだ。
「まあ、いつ寝るのかは人それぞれだから、他人がどうこういえることじゃないけど。私は寝るの大好きなんだけどな。それに夢の中でいいアイデアが浮かぶ時もあるのよ。もう一人の自分が私に教えてくれるチャンスを逃せないわ。唯一もう一人の自分と会話できる場所なのよ夢って、ああもったいない」
「そんなもの必要ないわ。才能なら自分が一番よく知っているもの。寝るなんて時間の無駄にしかならないわ」
こうしていつも睡眠に対しては二人の意見は平行線のままだった。
そう、あのペンタが届くまでは。テマソンはその日もいつものように、少し横になって済まそうとしていたのだが、碧華の言葉に一度は試してみようという気になり、届いたペンギンを手に夜中の一時過ぎに最上階へあがり、シャワーを浴び、自分の寝室に潜り込んだ。
『それにしても、なぜこんな大きいのを送ってきたのかしら?じゃまにならないかとか思わなかったのかしら?でも、なんだか誰かと寝ているみたいだわ。不思議ね』
いつもの朝がきた。けれど一つだけ違うことがあった。それは、仕事をしながら迎える朝ではなかった。
ペンギンを抱きかかえてベッドの中で目をつむったまでは記憶にあった。けれど、それ以降の記憶がなかった。気が付くと、まぶしい光で目が覚めたのだ。テマソンはしばらく呆然と目を開けていた。
『私、寝ちゃってたのね。なにかしら、変な感じだわ。でも気持ちがいいわ。何、まさかこんなクッションで熟睡できたっていうの?』
テマソンは自分が抱いているペンギンに視線を移した。とぼけた顔をしているその顔が妙に可愛く見えてきた。テマソンは勢いよく起き上がると。鼻歌混じりにシャワー室に向かった。
その日の朝、テマソンは碧華に抱き枕のお礼のメールをいれた。
〈一応横において眠ってみたけれど、いつもと変わらなかったかったわよ。だけどせっかくだからペンギンはもらっておいてあげるわ〉
というそっけない内容だったが、テマソンのお気に入りリストにペンタが仲間入りしたのは言うまでもなかった。
それからテレビ電話画面で目にするテマソンの顔色が少し生気が戻っている気がして安堵のため息をついたのだった。
テマソンはペンタが来て以来、夜中の一時から五時までキチンと自室のベッドで寝るように心がけた。以前は全然眠らなくても平気だったが、やはり体調は完全ではなかったようだ。なぜなら、睡眠をとるようになってから低血圧で不機嫌になることがなくなったからだ。
いつも、眠る時に大きなペンタにおやすみ・おはようを言うのが日課になっていた。