碧華の災難⑤
碧華は地下におりるエレベーターの中でお昼過ぎからのことを思い出していた。
社員達がお昼休憩が終わり仕事を始めた一時過ぎ、碧華はというと、かなり落ち込んでいた。
「あああっ、みんなに好かれてるなんて思っていたのはやっぱり錯覚だったかぁ」
碧華は大きなため息をつきながら目をつむって上を向いた。下を向くと涙がこぼれそうだったからだ。
「はあ・・・日本に帰ろうかな・・・」
碧華はぽつりとそういうと、ずぶ濡れになった靴を脱ぐと、その靴をもって、重い足取りでエレベーターに向かった。碧華は最上階につくと、首にかけている鍵で玄関の鍵を開けると中に入り、濡れた服を脱ぎ捨てると、大きなだぶっとした服に着替えるとリビングのソファに横になった。しばらく顔をうずめてから、碧華は携帯電話を取り出した。しばらくコール音がして、少し声を低くした懐かしい声が聞こえてきた。
<はい、碧華ママ?どうしたんですか?今日はテレビ電話なかったですね。栞ちゃんや優ちゃんが心配してましたよ>
いつもと変わらないやさしい声だった。碧華はその声を聞くうち涙がまた溢れてきた。
「ちょっと忙しかったのよ。こんな時間にごめんなさいね。みんなもう寝たの?」
<はい、昨日は遅かったので、今日は早く寝ると言って。僕は昼寝を少ししたので、もう少し起きているつもりでしたけど>
「そう・・・みんな元気にしてる?エンリーに任せっきりでごめんね」
<碧華ママ?何かあったんですか?>
「あらどうして?」
<いつものママらしくないですから>
「そんなことないわよ。少し疲れているのかもしれないわね。この歳で毎日神経使う仕事始めちゃったから・・・言葉も通じないし・・・」
<ママ?>
「あっなんでもないわ。私は元気よ」
<僕は日本で生活して思ったんですけど、日本人はすごく相手のことを思って生活している人が多いんですね。中には自分中心で平気で悪口をいう人もいますけど、アトラス人は自分中心の考え方の人達ばかりだから、碧華ママ疲れるんじゃないですか?特に仕事となると英語が通じないというだけで気に食わないと馬鹿にする人間も多いと思いますし・・・>
「エンリー・・・独り言言ってもいい?」
<僕でよければ聞きますよ。ママは僕の独り言をよく聞いてくれたじゃないですか?>
「やさしいわねエンリーは。はあ・・・私ね、最近何となく話している言葉が分かるようになってきたのよ。正確にはわかんないんだけど、なんとなくね。そしたら、みんな私にニコニコ対処してくれるけど、最近同じような言葉をよく去り際に耳にするのよ」
<どんな言葉なのですか?>
「前後の言葉はわからないけど、Fuck you! とか Moron とか idiotって馬鹿にする単語でしょ?」
<誰にそんな事を言われたのですか?テマソンさんは知ってるんですか?>
「一部の人よ、忙しい時に私が日本語しか話さないでいろいろ質問したりするから、つい出ちゃったのかもしれないけど、意味がわからないで聞いている時は何とも思わなかったけど、今日はちょっと心が折れちゃった・・・もう日本に帰ろうかな・・・」
<会社でそんなことを碧華さんにいう人がいるなんて・・・テマソンさんには相談したんですか?>
「そんなこと言えないわよ。テマソンに言ったら私をかばってその人を首にしちゃうかもしれないでしょ、そしたらその人可哀そうじゃない」
<ママ!そんな奴の心配してどうするんですか?あなたは自分がどれだけ傷ついたら目が覚めるんですか?相手を馬鹿にする人種に情けをかけたって相手は何とも思ってませんよ。傷つくのはママなんだから、碧華ママを侮辱するような人達となんか一緒に仕事なんかしなくても、日本でだってママの詩の才能は本物なんだから、出版社に持っていけば採してくれますよ。日本に戻ってくればいいじゃないですか。僕はまだ子供だからママを守れない未熟者だけど、後六年ぐらい待ってくれれば、ママも守れる人間になりますから、仕事なんかしなくても楽に生活させてあげられる経済力をつけますから。ママの好きなことをして過ぎせばいいじゃありませんか?>
「エンリー~大好きよ、あなた本当にいい子ね。栄治さんにこんな愚痴いえないし、私は幸せ者ね、こんなおばさんの愚痴を真剣に聞いてくれる息子がいるんだもの」
<碧華ママ、僕は本気ですよ。栞ちゃんもよく落ち込むけど、ママの遺伝だったんですね。僕が全部受けとめますよ。僕は桜木家の人間になるって決めたんですから>
「ありがとう・・・なんだかスッキリしたわ。もうちょっと頑張ってみることにするわ。なんだか悔しいし、最近ようやく英語も少しは聞き取れるようになってきたからこのまま逃げ帰るのもつまんないしね。待っていてくれる家族がいるって私は幸せ者だ。エンリー私の家族の事、これからもお願いね」
<僕のできることならなんでもやりますよ。僕はあなたに救われたんですから。碧華ママ、くれぐれも無理しちゃだめですよ。僕でよかったら愚痴でもなんでも聞きますから。どうしても無理ならいつでも帰ってきてくださいね。みんな口では何も言わないけど、寂しがってるみたいですから。ママはいるだけで偉大な存在なんだから、ママの価値が分からない奴はきっと人生を損してますよ>
「ふふっ、そうよね。私を嫌うなんてもったいないわよね。はああああっ、スッとした。よし、ふて寝しよ!エンリー独り言聞いてくれてありがとう。愛してるわよ」
<僕もですよ。じゃあお休みなさい。疲れている時は寝るのが一番の休養になりますからね。思いっきり休んでください。家のことは僕に任せてください〉
「ありがとう。エンリーも無理しちゃだめよ。大変になったら言ってね、すぐ帰るから。あなたも大学の準備とかあるでしょ。あなたは私の大切な宝物なんだからね。あなたも早く寝なさいよ。朝早いんだからね」
〈はい〉
「おやすみ」
碧華はそう言って電話を切った。切った電話の待ち受け画面を見ながら笑顔を取り戻している自分に気が付いた。
『私は幸せ者だなあ・・・栄治さんにこんなこと話したら機嫌が悪くなるに決まってるもの。かといって娘達に話せないもんね。はあ、何はともあれ、やると決めた仕事は最後までこなさなきゃね。辞めるか続けるかは区切りをつけてからだ。よし、少しだけ休憩したらまた仕事に戻ろっと』
碧華は心の中でそう呟くと大きなため息をはきだし、携帯の電源を切りポケットに突っ込むと、何かをひらめいたのか、物置部屋に行き扉を開くと、たくさんの袋の中に入れられているペンギンのぬいぐるみを両手に持ちながら出てきた。そしてそれをリビングのエル字型になっている二つのソファーとその壁の間にある少し床より高くなっている大理石でできたテーブルのような場所にある縦が二メートル横が五十センチぐらいの長方形の空間のすき間にその大量のぬいぐるみを放り込むと、寝室から毛布を持ってくると、その中に入った。
こうすると、ちょうど目の前に防護ガラスの分厚くて頑丈なガラスから外の景色が目の前に迫ってきていい眺めなのだ、この大理石の台座はガラスより二十センチほど低くなっているため横になっていても真向かいのビルからは見えないようになっていた。だが頭の位置を少し高くすると視線が外の絶景がみえるのだ。碧華はこの場所が気に入っていた。この場所に寝そべると、リビングに入ってきても姿を探すのは困難なことから絶好の隠れ空間なのだ。碧華はしばらく景色を眺めていつの間にか本当に寝入ってしまっていた。




