清掃員:碧華
翌年の三月、エンリーと栞は共に志望大学に合格したのを見届け、優の学年末テストが終わると同時に碧華は再び半月間の期間アトラスへと仕事に向かった。今回も最強の主婦代行がいるので安心して行けるのだ。
「さーて、今日も元気に働きますか!ああーなんて気持ちがいいのかしら。働けるって最高ね!」
碧華はまだ薄暗い部屋の中で大きく伸びをしながら叫んだ。周囲にはまだ誰もいず静まり返っていた。碧華は薄い水色の上下の作業服に身を包み、頭にも同じ水色の帽子をかぶり、左手には大きなごみ袋をさげていた。碧華はまず三階フロアーの一番端の部屋からマスターキーをかざしながら一室に入って行った。そして、一つ一つのテーブルの下に置かれていたゴミ箱の中からゴミをゴミ袋の中に入れていく作業をしながら全ての部屋をまわった。このフロアーのすべてのゴミを回収するだけで、三十分もかかってしまった。
「それにしても何、この分別されていないゴミの量は、ゴミや缶の分別はしない、飲んだコップはそのまま机の上に置きっぱなし、下にはゴミなのか必要な書類なのかわからないほど、散らかしている人もいるなんて、どうして最低限のごみ処理ぐらいできないのかしら?」
「あら、あなたゴミに関してはやけに辛口ね」
「私だってここは日本じゃないてわかっているわよ。だけど、ゴミの分別の習慣が当たり前の生活に慣れている私にはゴミも人任せっていう姿勢が許せないのよね。自分が飲んだコップぐらい自分で洗いなさいよ。缶やビンの分別ぐらいしなさいよって思うのよね。日本じゃ各家庭でゴミは分別して出すのが当たり前よ。一緒にだしちゃったりしたら収集してもらえないんだから」
「あら、それは面倒ね。いちいち分別なんて、でも確かに、飲みかけのコップまでそのままにほったらかしっていうのはいい気分じゃないわね。帰る時ぐらいきちんと机の整理をしてから帰るべきね」
「でしょ。こんなに散乱してたら掃除しにくくて仕方ないわ。よく文句が出ないわね」
「清掃する職種の人たちの立場は弱いから、言えないのかもしれないわね」
碧華と一緒にゴミを集めていたテマソンはそういいながら、この部屋の中で一番机の上も足元にも荷物が散乱している場所に立ちながらいった。
「確かにこれはひどすぎるわね」
テマソンは険しい顔でその机の惨状を眺めながら呟いた。
その日の昼過ぎ、テマソンは数人の社員を緊急に社長室に呼びつけた。普段社長室には呼ばれたこともない社員達が三名とその部署の上司三名の計六人が呼びだされていた。
テマソンがまだ社長室に戻っていない状況でこれから何が言い渡されるのかまったくわかっていない六人はヒソヒソと囁きあった。
「お前何かやらかしたのか?」
上司のイントールが頭をかいていたタムに向かって言った。
「いいえ、何も心当たりありませんよ。僕はまだ社長と話したこともないんですから」
無精ひげをはやし、よれよれのワイシャツに曲がったネクタイをしたタムが言った。他の二名も同じような者たちだった。
六人が社長室に通されて五分ぐらいがたった頃、ようやく社長が入ってきた。
「待たせてしまってごめんなさいね。会議が長引いちゃって」
テマソンはそう言うと、自分の椅子に座り足を組むと、六人の顔を一人一人眺めてから言った。
「あなたたち、今日どうして私に呼ばれたか心当たりあるっていう人はいるかしら?」
テマソンの質問に六人全員が首を横にふった。
「あの社長、この六名全員共通していることでしょうか?」
イントールが代表でたずねた。
「そうね、厳密にはあなたたち三人が共通することね」
そう言って、タムを含む三人を指で指しながら言った。当の三人はまったく心あたりがないと言った感じで、テマソンを前に完全に固まってしまっていた。
「社長、申し訳ありませんがコイツが何をやらかしたのでしょうか。私には見当もつきません。社長の手を煩わせるような重要な仕事もまださせていませんし」
タムの上司のイントールがいうと、他の二人の上司も同様な反応をみせた。
テマソンはその反応に大きなため息をついた。
「あなたたち、この部屋の企画室をみて何も感じないかしら?」
テマソンの言葉にも相変わらず首をかしげている六人にテマソンは大きなため息をついた。
「ここはね、碧華がアトラスに来た時に仕事をする場所だから彼女専用の机が置いてあるの、だからあの子自分が仕事しやすいように来るたびにいろいろあの子が気になる箇所を指摘するもんだからその都度改善を繰り返して今の形になっているのよ、スッキリしているでしょ」
テマソンはブラインドがあげられて丸見えの企画室に視線を向けながら言った。テマソンに言われた六人は企画室だからだろう思ったが何も言わなかった。しかし確かに今はいろんな商品や書類が山澄されているが、散らかっているという印象にはみえなかった。
「確かに、清潔感がありますね。消臭剤がおかれている様子も見受けられないのに入った瞬間空気が澄んでいるように感じましたけど」
「そこよ、ここではね、おやつタイムが決まっているのよ、十時と三時以外は飲み物も禁止になっているのよ」
「えっ咽喉が渇いても飲めないんですか?仕事の効率が下がりませんか?僕なら耐えられません。考え事を
している時はガムを噛んでいないとイライラがおさまらないですし」
驚いた様子でタムが口走った。
「そうね、確かに当初は反発はあったわよ。でもね、ダラダラ昼休憩まで何かを食べながら飲みながら仕事をしているよりも、お昼休憩までの中間に十分の休憩を入れて仕事を中断する方が効率が上がったのよ。小さな虫もわかなくなったしね。あなたたちの部署でもしなさいとは強要はしないけれどね」
「あの今日の要件というのはその事でしょうか?」
イントールがテマソンにたずねると、テマソンが向きを変えて、椅子に腰をおろすとまた話始めた。
「実はね、昨日からこのフロアーの掃除を担当している人がけがをして一週間仕事にこれないって連絡を受けたのよ、だから別の人を雇おうとしたら、碧華が首はかわいそうだから自分が代わりに掃除をするっていいだしちゃって、昨日から早朝掃除を始めたのよ」
「えっ!もしかして昨日、就業開始時間になっても掃除機をかけていたおばさんって・・・」
声をだしたのはタムだった。
「お前、碧華さんに何か言ったのか?」
「えっあの、トロトロ掃除していたから、何やってるんだみたいなことを・・・」
昨日の掃除おばさんが碧華だったと聞かされたタムは急に青い顔をしてしどろもどろの言い訳を始めた。
「そのことはいいのよ。確かに軽く引き受けた碧華がきちんと時間内に仕事できなかったのが悪いんだから、だから、今日は終わるようにって朝四時に起きて掃除を始めるっていいだしたもんだから、今日は私もゴミ集めを手伝ったのよ」
「社長がゴミを集めてくださったのですか?」
「そうよ、碧華ったら人使い荒いのよね」
「申し訳ありません。そんな事情があるなら、言ってくだされば我々でゴミ回収ぐらい致しますのに」
「そこなのよ、今朝ね、あなたたち三人のデスク周りのゴミ回収をして掃除機をかけていたら床に飲みかけのジュースをこぼしちゃって、そしたらその中からいろんな変な虫がたくさんでてきて大騒ぎよ。他にも飲みかけのジュースを流しに捨てていたらいろんな虫が中からでてきて朝から碧華ったら不機嫌になっちゃってなだめるの大変だったのよ。あんな不衛生な環境の職場では絶対仕事は無理ってわがままいいだしちゃって、あなたたち三人のデスクの散乱状況がひど過ぎるから改善されないかぎり、配色の仕事はしないってストライキに入っちゃって困ってるのよ」
「虫ですか?普通にいる時ありますよ。夏場なんか特に、まったく掃除担当者がきちんと清掃していないからですよ。我々の責任ではありませんよ」
タムの言葉に他も五人も頷くのをみてテマソンの顔が一変した。
「あなたたち、うちで仕事しているって自覚をもっともちなさい!うちの会社は最高級のバッグを制作販売しているのよ、清潔第一なのよ!それなのにあれは何?書類の山の上に食べかけのパンや飲みかけのジュースの缶が平然と置きっぱなしになってるわよね。他の社員の机にも飲みかけのカップなんかもそのままだし、あなたたちはゴミ回収は別の人間の仕事だって自分が飲んだものの後片付けもまったくしないのが当たり前の習慣になってしまっているみたいだけどね、汚らしいわよ。せめて机の上ぐらいはきちんと片づけて、飲みかけのコップや缶は給湯室に持って行ってから帰る習慣をつけなさい」
「あっあの・・・それで碧華さんは今どこにいらっしゃるんでしょうか?」
「あああの子なら今日は、地下のゴミ清掃室の整頓するって言っていたわね。私は止めときなさいっていったんだけど、物がごちゃごちゃしていて許せないって言ってね。あの子ね、基調面な性格じゃないんだけど、効率よく整頓できてないと嫌らしいわよ。アトラス人はそういう繊細さに欠けるのかもしれないわね」
「申し訳ありません。至急こいつにはデスクの片づけをさせますので」
「あっそのことなんだけど、片づけをする時は声をかけろって言っていたわよ」
「えっ!碧華さん自ら片づけを手伝ってくださるんですか?」
「そうみたいね。というより、あなたに片づけろっていっても片づけ方がわからなくて、積み上げて終わりだろうからって言ってたわよ」
図星を指摘されたのか、言葉をなくしていたタムに上司のイントールが言った。
「お忙しい碧華さんにそんなことまでしていただくわけにはいきません。私が責任を持って今日中に片づけさせますので」
「あら実はね、碧華ったら自分で片付けたくてうずうずしてるみたいなのよ。でも勝手にさわるのはいけないだろうからって我慢してるみたいなのよね。だからうっとうしいだろうけど、させてあげてくれないかしら。本人はやりたくて仕方ないみたいなのよね。片づけに必要な棚や書類ケースなんかの買い出しも会社の車を特別に使用許可を出してあげるわ。経理課に言ってお金をもらって買い出しに行ってから片づけを始めなさい。通訳にアドルフを今日一日碧華に同行させるから二人に指示に従ってちょうだい」
「了解しました」
「じゃあ、これからすぐに取りかかればよろしいでしょうか?」
「そうしてくれる、碧華には連絡しておくわ」
社長室を出た六人はそれぞれの部署に戻ると、気になって待ち構えていた同僚たちに事の詳細を話して聞かせ、驚きが各部署内にとどろいたが社長命令なら仕方ないとしぶしぶ了承する社員も中にはいたようだったが、いろんな棚や種類ケースが揃えられ、いざ片づけが開始されると、段ボールに必要なもの必要でない物、判断に迷う物の三つに仕分けられていく片づけ方法に関心したように見入る社員達もいた。そして山澄に散らかっていたタム達の机周辺がスッキリなくなり、書類もきちんと分類処理され見違えるように変化した。それを見ていたタムの同じ部署の社員達もぜひ片づけの方法を教えてほしいと言い出し、碧華も快く引き受け、イントールを含め、二日後の土曜には休みにも関わらず、自分の机の周りを整理したいという社員数人が会社に出勤し、机の移動や配置換えを率先して行い、汚らしかった部署も劇的にきれいに変化した。翌週、何もしなかった社員達が出社した時の驚き用はすごかった。
それから数日後、会社全体に社長命令が言い渡され、ジュースなどの缶や瓶類は各部署に分別して入れられる蓋つきのゴミ箱が設置されそこに各自入れることが徹底された。
そして帰宅時にデスクの上に食べかけの食べ物やコップや飲み物をそのまま置いて帰ることを禁止する通達がなされた。違反した部署にはペナルティーが科されるという厳しいものだった。
しばらくは社内でも反発が起こったが、一週間もすると、朝独特の異臭も消え、フロアーから虫をみかけなくなったという知らせが届くようになった。
そして、碧華が机の配置や、デスクの上に整理整頓された棚をそれぞれ配置し、資料ごとに色分けされたファイルに整理したことにより、仕事の効率も上がり仕事がスムーズのなったと好評で、他の部署からも碧華に片づけの依頼が殺到することになった。
碧華自身は了承したのだが、テマソンがこれ以上仕事が滞るのは無理だと突っぱねたため、他の部署の模様替えは何と、碧華から直々に片づけのやり方を教わったタムが指導することになった。
最初は誰もが無理だと思っていたがタムは碧華の片づけの鉄則を忠実に守り、一か月後には会社中が見違えるように、整頓され効率よく仕事ができる環境に変わっていた。
掃除のスタッフからも掃除がやりやすくなったと好評だったのは言うまでもなかった。