キロス②
「碧華さん、テマソンさん、俺はその言葉だけで十分です。今日は本当は謝りにきたんです。過去のことも含めて、俺の人生いいことなんて少しもなかった。自業自得なんだけどさ、出版社から損害賠償請求もきちまって何もかもなくして、これだけマスコミにさらされちまったら仕事を探そうにもできやしねえし、もういいかなって、死のうと思ったらあんたのことが浮かんできて、前世でもあやまれなかったから、せめてあんたにあやまってから死んでも遅くないかなって思っていたら、俺を探しているって聞いて恥を忍んできたんだ。今日あえてよかった。もう思い残すことはない」
そういって、ビロームは碧華に頭を下げてその場を立ち去ろうとした。その時とっさに碧華は立ち上がって机を回りこむと、彼の腕を掴んだ。
「待って!また勝手に死なれちゃこまるわ」
碧華は日本語で叫んでいた。その言葉をテマソンが通訳すると彼が絞りだすような声で言った。
「俺に何ができるっていうんだ、何にもないんだ、明日食べるものない。詩なんて考える余裕も気力もないんだ!」
「でも・・・」
その時、碧華の隣に座っていたカリーナがバッグから携帯電話を取り出してどこかに電話をしているようだった。それを聞いたテマソンが驚いた顔をした。
「ビモンド夫人何を?」
碧華はわけが分からなかったが、ビロームの腕は離さなかった。それから十分後、部屋の扉をノックする音がして、秘書らしき人物が小切手を持ってきてペンと小切手をカリーナに手渡すと出て行ってしまった。
「あなたラッキーだったわね。わたくしね、この間、夫から誕生日プレゼントに好きな金額を書いていいって小切手をプレゼントされたばかりでしたのよ。明日ブルーダイヤを買おうかと思っていたんですけれど、ビロームさん、あなた死ぬ気があるなら、あなたの命を私に売る気ないかしら?そうね・・・」
「!」
カリーナはそういうと、金額を書き込んでビロームに差し出した。
その金額をみてビロームは驚きのあまり固まってしまった。テマソンもその金額をみて驚いた顔をしていた。碧華はテマソンの通訳で日本円で一億円の金額が描かれていることを知り驚いてカリーナに言った。
「カリーナ様、なっなに言っているの?いっ一億円ってそっそんな大金・・一生かかっても返せるわけないじゃない。それに命を売るってどういうことですか?」
碧華が目の前に置かれた一億円に驚きながら叫んだ。ビローム本人も驚きでその場で動けなくなっていた。そんな二人を見てカリーナが笑いながら英語で言った。
「あら、わかりませんわよ。本が売れれば可能ですわよ。まっ駄目でもこんなはした金わたくしにはたいした金額ではないわ。でもこのお金があればビロームさん、あなたは死ななくてもよくなるのでしょう。そうしたら、あなたは碧華様のご提案通りにキロス制作ができるじゃありませんか。なんだったら、今すぐジーラス出版社の社長を呼んで差し上げましてよ。わたくしの弁護士同席の元あなたにおこしている訴訟を取り下げて差し上げましてよ。但し、キロスが完成するまで、あなたはわたくしの部下の監視下で執筆作業をしていただきますわよ。どう?」
「俺は・・・」
「すごい!ビロームさんチャンスじゃないですか!」
カリーナの言葉をテマソンから聞いた碧華が目をキラキラ輝かせながらビロームの腕を離し下から見上げるように顔をのぞき込みながら叫んだ。
「そっ、そんなこと言われても俺にはそんな詩は書けそうにないし・・・」
明らかに戸惑ってどうしていいのかわからなくなっているビロームに話しかけたのはさっきから黙って様子をうかがっていたフレッドだった。
「大丈夫ですよ!あなたはこれから死ぬつもりだったのでしょう。人間死ぬ気になったらたいがいのことはできるものですよ。できなければその時に死ねばいいじゃありませんか。チャンスなんてものはそうそうめぐってはきませんよ。僕があなたなら一発逆転のチャンスを生かしてチャレンジしてみますけどね」
「フレッドの言う通りよ。それに死ぬのなら死ぬ前にアーメルナのお墓に花の一つでも備えてあげてくれないかしら、一月にようやくレイモンドの側に行けたばかりなのよね。それに森の昔の共同墓地の中にキロスのお墓も残っていたわよ。死ぬのならそこに行ってからでも遅くはないんじゃないかしら」
フレッドとテマソンの言葉を聞いたビロームは震える手をギュッとにぎりしめると扉に向いていた体の向きを変え、その場に土下座した。
「ビモンド夫人、俺の命と損害賠償金にかかる金額を俺に貸してください」
「そうこなくっちゃ!いいわよ、貸してあげるわ。じゃあテマソン様、私の秘書を呼びますから、契約の話と行きましょうか?わたくしがビロームさんの権利を全権もつのですから、新作キロスに関してはわたくしも意見させていただきたいんですけれど、それに、もしよろしけえば印刷の方もわが社に任せていただけないかしら?」
「あら、あなたの会社の印刷所なら洩れる心配はなさそうね。いいわ、じゃあ契約の後でジーラス出版社の社長を呼びだして、スッキリさせましょうか。実を言うと訴訟を取り下げはしたけれどモヤモヤしていたのよね。あの社長の驚く顔を見られるなんて最高の気分よ。でも、もう一度確認しておきますけれど、本当にこの人の肩代わり後悔はなくて?」
「あらテマソン様、誰に向かって聞いていらっしゃるおつもり、後悔なんてしませんわ。ブルーダイヤを買うよりワクワクしてますわ。もちろん企画会議にはわたくしも同行してもよろしいわよね」
「ええもちろんよ、あなたにはその権利がありますもの。わが社の編集部の特別顧問社員証を発行いたしますわ」
そう言ってテマソンとカリーナは握手した。テマソンはフレッドを交渉の証人として、テマソンとカリーナはその後カリーナの秘書とビロームを交えて、様々な契約書にサインをしていた。暇になった碧華は一人続きの間のソファーに移動し、持ってきていた小さなノートパソコンを開くと、耳にイヤフォンをして音楽を聴きながら詩の創作を始めた。夢中でパソコンに向かっていた為に、実際どれだけの時間そうしていたのか、周りの状況がどんな様子なのか気付きもせず没頭していた。そしてテマソンが碧華の肩を揺さぶって初めて顔を上げて驚いた。窓から見える景色がすっかり変わっていたのだ。
「えっ、今何時?」
「もう夜の八時よ」
「え~!私そんなに長い間パソコンに向かっていたの?うそ~、もう話し終わったの?」
本当に驚いた顔をしている碧華にテマソンは小さく笑っただけで、隣に座ると碧華のパソコンをのぞき込んだ。
「あなたがここで執筆を始めたようだったから、何も言わなかったけど、全て契約も済んだわよ、あなたジーラス出版社の社長がきたことも気付かなかったんでしょう」
「えっジーラス出版社の社長も今日来たの?でっどうなったの?」
「すごい見ものだったわよ。あの驚いた顔ったら、私噴出しそうになっちゃったわよ。カリーナ様が呼び出したらすぐに飛んできたわよ。こんなにスッキリしたのは久々よ。あの社長も被害額を上回る金額を突き付けられて、ものすごい形相になっていたわよ。本来なら回収できない金額が手に入るんだものね、態度を豹変して、あなたにはご迷惑をかけたとお伝えくださいって頭をさげたのよ。その上、ぜひわが社で契約をなんて態度を変えたりして、もちろんきっぱり断ってやったけどね。きちんとビロームを自由にしてあげたわよ。あっでも今度はビモンド夫人に身柄を拘束されたけどね、でも結果的にはこっちの方が恐ろしいかもしれないわね」
そう話したテマソンだったが、どこか嬉しそうな様子が碧華には伝わってきた。
「テマソン嬉しそうね」
「あらもちろんじゃない。私はやられたらやり返すタイプなのよ、あなたのせいでそれができないからモヤモヤしていたんだから」
「あらそれはごめんなさいね」
碧華は小さく舌を出して言った。
「でもね、あなたのおかげで一人の人間の命が伸びたのよ。ビロームもあなたによろしくと言っていたわよ」
「えっどこへ行ったの?カリーナ様は?」
「まったくあなたは集中しだすと周りが見えなくなるんだから、ビロームはこのホテルの自分の部屋に戻ったわ。しばらくはフランスでいろいろ手続きとかあるけど、落ち着いたらアトラスのビモンド夫人の経営するホテルに移動するって言っていたわ。あなたが帰る日までには間に合いそうにないみたいだけどね。彼女今夜はパーティーがあったんですって、今日はこの部屋で一泊していいって言ってたわよ。その条件として明日の朝、朝食を一緒にとりましょうですって、出来上がった詩をアトラスに戻る前に読ませてほしいらしいわよ。ビモンド夫人はあなたの大ファンだから」
「えっ明日の朝?でも・・・まだそんな見せられる状態じゃないし・・・」
「編集手伝いましょうか?そのパソコンとプリンターは自由に使っていいって運び込んでくれているから」
そう言っていつの間に運びこんだのかパソコンとプリンターが机の上に置かれていた。
「じゃあ頑張るか!でもお腹すいちゃった。それに化粧落としたいし、コンタクトも外したいし、ヒールも脱ぎたいなあ・・・泊まるんだったら私服持ってくればよかった」
そう言いながら履いていたヒールを脱ぎだし、足を直接床につけ両手を伸ばし伸びをし出した。そんな碧華をみてテマソンは立ち上がると、隣に置いてあった碧華の小さいキャリーケースを持って戻ってきた。
「私のキャリーケースどうしてここにあるの?」
「あなたが没頭している間にフレッドの家の召使の人が持ってきてくれたのよ。フレッドは明日出張があるからって自分の家に戻って行ったわ。あなたに面白いものをみせてもらった礼を言っといてくれって言っていたわよ」
「あら、フレッド帰っちゃったの?お礼を言わなきゃいけないのは私の方なのに、いろいろ手伝ってもらっちゃったし」
「大丈夫よ、お礼は新作がでたら真っ先に送ってくれたらいいって言っていたわ。私も大満足よ、あ~スッキリしたわ」
「ジーラス出版社の社長との会話の瞬間を見逃したのはおしいけど、結果的にはよかったかもしれないわね。見ていたらジーラス出版社の社長の驚いた顔が頭にこびりつきそうだもの」
満足そうに話すテマソンに対してそういうと、碧華は自分のキャリーケースを広げルームウェアを取り出すとベッドルームに歩いて行こうとした碧華にテマソンが引き留めた。
「碧華、お腹すいたんでしょ、着替えちゃうと行けないわよ」
「あっそうか・・・お腹はすいたけどめんどくさいわね。ねえテマソン、パンか何か買ってきてよ。カップラーメンでもいいから」
「何言ってるのよ。この近くにそんなの売ってるスーパーなんてないわよ」
「はあ…仕方ないじゃあ行くとしますか」
二人はその後、ホテルの最上階で食事をとると、部屋に戻り、碧華が創作したキロス版AOKA・SKY用の詩集をプリントアウトすると、テマソンに見せた。テマソンはそれを読み終わると、パソコンに碧華の文章を編集しながら英訳文を打ち込んでいき、紙に印刷を終えると、そこに直にペンでさし絵を描き始めた。
碧華はその様子を感心した様子で眺めていた。
「テマソンはやっぱり天才ね」
「あら当然じゃない。天才詩人の相棒よ私は」
「そうよね、私達天才かも。すごく素敵な詩集になりそうね。テマソン、私のわがままを聞いてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「でも・・・この詩もまだ少し手直しの必要があるし、ビロームさんが描き上げる詩とクロスする詩もあると面白いわよね。なんだかワクワクしてきちゃった。こんなに次々と浮かんでくるのは久しぶりだわ。アーメルナの時もそうだけど、彼女達はやっぱり書いて欲しがっているのね。楽しかったメモリアルを」
「そうかもしれないわね。私達しかできないことだものね、頑張りましょう。まっ詩集はあまり多すぎてもバランスが悪くなるから、ビロームさんの詩がどのぐらいの詩ができてくるのかにもよるけど、アトラスに戻ったらビンズ編集長にアドバイスしてもらいましょう」
「そうね、それはそうと、ビロームさんってグラニエ城を見たことがあるのかしら?」
「ないって言っていたわよ。はっきりした記憶があったわけじゃないみたいよ。でも見ると思い出すんじゃないかしら、ママンに連絡入れたら、ビロームさんを招待するって言っていたわ。彼もあそこに行けば何か詩のヒントがひらめくかもしれないしね。ついでにキロスの墓にも立ち寄って森や湖も案内しとくわ」
「いいなあ~私も行きたいなあ・・・」
「何言ってるのよ、一か月もこっちにきているんだから、あなたは日本の家族の所に戻りなさい。あんまり留守にしてると、忘れられちゃうわよ」
「大丈夫よ。毎日テレビ電話してるもん。多分・・・」
「あら自信ないの?」
「テマソンが変なこというから」
碧華はすねてしまった。テマソンんはそんな碧華の様子を横目でチラッと見ながら、テマソンは手慣れた様子で次々と走り書きの絵を描き続けた。