蛇足の話:飲み会編 07 「宴」
氷の種族の二人に会えて、感激するマスター。
引き合わせたキキさんも嬉しいのですが、本来の目的はルサとゲーエルーの仲を近めることだったのですが、それは……。
とにもかくにも。
飲み会自体は楽しく進んでいきます。
01.成長と変化
“望楼”の名を聞き、ルサがその酒が持つ意味に気がついた。
「望楼……? ああ、あの魔王ミティシェーリが好んだという……」
「そうだ。詳しいな。お嬢さんもなかなか飲める口か?」
「好きは好きですが、この銘柄は自分たちのリーダーが飲みたがっていたので覚えていました」
「ほう……? そういえば前にキキさんに売った時、似たような事を話していたな」
「あ! これ!」
ルサとマスターの会話にハクが口を挟む。
「キキさんから初めて頂いたのが確か、このお酒でした!」
ハクの言葉を聞いて、ルサが目を丸くした。
「へぇ。そりゃあキキ、思い切ったな。……リーダーが居た頃に探したが、入手できなかった酒だ。私が館を出た後に購入したんだろうが、以前のお前ならリーダーが帰るまで絶対に手を付けなかっただろうに」
「……ええまあ……。リーダーのためにと思って購入しましたし、そのつもりでしたが……」
「が? ……何かあったのか?」
「まあ、酒には飲むべき時がある……ということですよ。ねえ、マスター」
「ああ。それはオレの信念でもある。そして、飲むべき時に飲まれなかった酒は不幸だ。キキさんは正しい判断をしたのだろう」
「ここに来るたびに言われてましたからね、その言葉」
苦笑いしながら、キキさんは言った。
キキさんとマスターが話す中、ハクが言いづらそうにルサに説明した。
「えっと……その時、私がわがままを言ってキキさんとケンカをしてしまったんです。他人とぶつかること自体が初めてだったので、私もどうして良いのかわからず泣いていたら、キキさんが持ってきてくれて……」
「……なるほど。確かに仲直りには良いやり方かもしれん」
「はい。それ以来、キキさんとは家政婦と雇い主の関係だけではなく、年下の友人と呼んでもらえるようになりました」
嬉しそうにハクが笑う。
ルサは手を伸ばしてハクの頭をなでながら、ニヤニヤ笑いを浮かべてキキさんを見た。
キキさんが仲間たちとケンカをした時の仲直りの方法は、大体の場合が「趣味の裁縫で作ったアイテムを贈る」か「酒を酌み交わす」の二つだった。
(相変わらず対人スキルの幅が狭いな)と、ルサは目で言っていた。
ルサの視線を受けて、キキさんは肩をすくめた。
「まあ、間違った判断ではなかったと思っていますよ。リーダーには申し訳ないですけど」
「いい。いい。それでいい。アイツ、必ず戻るなんて適当ぬかしたが、それが何時になるかなんてわからん。アイツにそこまで義理立てしてやる必要はない」
ルサは笑った。
キキさんがハクの成長を喜ぶように、ルサはキキさんの変化を喜んでいた。
有能だが頑なで、リーダーと仲間たち以外をあまり信用せず、排他的ですらあった後輩が、知らぬ間に自ら人の輪を広げていた。それを先輩として嬉しいと思ったのである。
「それにしてもマスター。戦前の“望楼”なんてよく持っていましたね」
キキさんが話を酒に戻す。
「前にキキさんに一本譲ったが、あの時、何本か手に入れていたんだ」
「そう言えば、わたくしが購入したものは一番若いボトルだと……」
「ああ。そしてこれが最も古いヤツだ。あの美しいミティシェーリも、同じロットのものを口にしているはずだ」
マスターは感慨深げに呟いた。
「今日こそ、この酒を開ける日。オレの店に、ミティシェーリの娘と、護衛官ゲーエルーが来た日だ。この酒は、今日のために、今日飲まれるために生まれてきたのだよ」
02.望楼
「“望楼”か……。確かに見覚えがある。まだ戦争が始まる前。オレたちもあの頃にはまだ下の大地の酒蔵に出入り出来た。当時は普通に買えたと思うが……そんなに貴重なのか?」
「これを造っていたのはもともと名の知られた酒蔵でな。ここからそう遠くない場所にあった。北で育つ良いライ麦と、北の地に源流を持つ伏流水を使って作られたのがこの“望楼”だ」
マスターは愛おしげにラベルを見る。
「だが、ミティシェーリが好んだという話が一人歩きして、戦時中に売れ行きが落ち込んだ。それでもなんとか命脈を保ったが、勇者後援会から名を変えた国教会が、酒に対して出来る限り禁欲するよう訴えてな。それがトドメになってついに廃業してしまった。その後にプレミアがついたのさ」
「なるほど。……オレたちはその酒蔵にとっても疫病神だったんだな」
「……そう言うな。さすがにこれは予想できんだろう。ミティシェーリは美味いと思ってこの酒を飲んでいたはずだ」
「ああ。確かに姐御はこの酒が好きだった」
「ならばいい。飲まれた酒は幸せだったはずだ」
マスターの価値観は、とにかく酒が幸せかどうかに基準が置かれるらしい。
それにしても。……と、キキさんは思う。
マスターは国教会に対して批判的だ。決して細くない繋がりがあると思われるのだが。
まさかとは思うが、禁酒を進める教義への反感からだったりするんじゃ……。
「そう言えば、砦跡に来ていたスヴェシというラビリンリェス地区の主教から聞いたことがあるんですけど……」
ふと疑問を持ったキキさんが、マスターに質問した。
「国教会は公にしていないけれど、勇者はお酒が好きだったとか。なのになんで国教会は禁酒を進めたんでしょうね?」
それに対して、マスターがバツの悪そうな顔をした。
「マスター……?」
「ああ。いや、それに関してはな。……まぁ簡単に言うと、その……勇者は酒が好きだったが、流石に戦場に出る前は自粛していた。それを見ていた国教会の初代総主教が、教義としてデッチあげたんだ」
「ああ……そういう……」
「勇者が酒を好んでいた事は当時はまだ良く知られていたから、完全な禁酒法へ発展するには至らなかったがな。だが信者、つまりは国民の努力義務として禁酒を進め始めたんだ、あいつらは」
苦虫を噛み殺したような顔で、マスターが言う。キキさんは、マスターがまるで「自分のせい」みたいに言うな、と思った。
酒好きのマスターの事だ。恐らくは当時の国教会に対して物を言える人間だったのに、止めることが出来ず、歯がゆい想いをしたのかも知れない。
「まあ、そんな事は今は関係ない。国教会も殆ど力を失ったしな」
一年前に起きたクーデターも、今だ覇権は定まっていないとは言え、だいぶ落ち着いて趨勢が定まってきた。
国教会に関しては、中央の総主教府は完全に権威が失墜してしまいほぼ壊滅状態。地方の教区は、総主教に味方した地域は巻き添えで力を失い、その土地土地で群雄割拠する軍閥に吸収されている事が多い。
クーデター後の最大勢力は発端となった中央軍。しかし付随して決起した国教会総主教府が事実上消え去ったため、統治や政治の専門家がおらず軍事政権化してしまい反発も強い。
最大の地方軍閥で「山河の義勇軍」とも協力体制にあるオブラスト地方軍を筆頭とした第二、第三勢力が重しとなって軍事政権の独裁や暴走を防いでおり、全体としては小康状態を保っている。
「せっかくの望楼だ。酒が不味くなるような話はよそう」
マスターが神妙な顔をして言った。
「よく言うだろう。まず乾杯から始めよ、だ」
キキさんでも聞いたことのない成語を持ち出して、マスターは“望楼”のコルクにワインオープナーのスクリューを刺した。
03.乾杯
並べられたグラスに氷が入り、マスターが慣れた手つきで“望楼”を注ぐ。
全員に行き渡ると、自然と話し声が止み、それぞれが酒の満たされたグラスを手に取った。
マスターが、感慨深げに……いや、それどころか眼に薄く涙を浮かべて言った。
「ミティシェーリが好んだ戦前の“望楼”をだ。ハク・プリームラが作った氷を入れ、ゲーエルーのグラスに注ぐ日が来るとは夢にも思わなかった。……永い時を生きてきた甲斐があった」
しんみりとした空気が場を包む。
自然と、全員がグラスを片手に立ち上がった。
そして誰からともなく、乾杯の前の一言を添えた。
ハクとゲーエルーが杯を掲げる。
「姐御に」
「母に。そして母と運命を共にした同胞に」
キキさんとルサが目をつむる。
「出会いに」
「時の流れに」
そしてマスターが締めた。
「あの美しい魔王と、そして全ての敵と味方の魂に」
全員の声が、静かに揃った。
「乾杯」
04.宴
“望楼”を全員で飲み干した後。少ししんみりとした空気が流れたが、ワインクーラーに挿していた別の酒も開けられ、宴は段々と盛り上がっていった。
どれもマスターが選んだだけの事がある、本当に美味い酒ばかりだった。
最初は緊張感が残っていたマスターとゲーエルーだったが、酒が進むと共に段々と打ち解けていき、やがて過去の話に花を咲かせ始めた。
誰それを斬ったの、どこの戦場で誰が何をしたのと、物騒な単語も飛び交ってはいたが、二人の口調は概して明るくカラッとしていた。
勝者サイドのマスターも、ゲーエルーや他の氷の種族たちに掛け替えのない仲間を少なからず討ち取られていたようだったが、その事に対するわだかまりは感じられず、ミティシェーリを失ったゲーエルーも、マスターに対する恨みは無いように聞こえた。
ハクもその輪に溶け込んでいる。
もちろん暗い思いが無いわけではないのだろうが、双方とも過去の事として消化しているらしい。
しかし、かつての戦争の話で場が盛り上がってしまい、キキさんとルサは話の輪から少し外れてしまった。
キキさんはマスターに、カウンターから少し酒肴を失敬していいかと聞いた。
マスターは、
「今日この日をもたらしてくれたキキさんには感謝している。何を持っていってもいい」
と、酒に少しだけ顔を赤らませ、上機嫌で答えた。
「ルサ先輩……」
キキさんはルサを誘い、ソファ席を離れてカウンターに座った。
「乾杯です」
「ああ、乾杯」
二人は、はるか東にある異国から伝わった「ぐい呑み」と呼ばれる小さな錫製の盃を軽く打ち交わした。
目の前には、米から作られる異国の酒が置かれ、栓が開けられている。
キキさんがバックヤードからくすねてきたものだが、何気にかなりの高級酒である。
サシで飲むのは久しぶりだった。
キキさんは、
「楽しい席になったようで何よりです」
と、盛り上がるソファ席の三人を遠目に見ながら言った。
その頬には赤みが差しており、場の雰囲気に当てられて、それなりの量を飲んだことが伺われる。
対するルサは、量はキキさん以上に飲んではいたが、普段とはあまり変わらない口調で答えた。
「私も、ゲーエルーさんの事を少し知れた。マスターが戦争でどんな役割を果たした人なのかはよくわからないが、それでも歴史的な瞬間に立ち会えたのかもしれない。誘ってくれて感謝するよキキ」
キキさんは、少しフワフワした口調で言う。
「あの二人とマスターは、いつか顔合わせをさせたいとは思っていたんです」
ソファ席で盛り上がっている三人に視線を向けて続ける。
「アルバイト時代に飲みに来ていた頃、マスターはハクにもゲーエルーさんにも好意的な感じだったし、あの二人の側に忌避感がないのであれば、きっといい再会になると」
ふと、キキさんは苦笑いの表情を浮かべた。
「マスターとゲーエルーさんが戦場で出会っているのは、実は以前に聞いていたんです。本当は隠しておかなければいけなかったゲーエルーさんの存在を、ついうっかり漏らしてしまった時に、マスターがそう言っていて……」
ルサはキキさんの杯に酒を注ぎながら笑った。
「そりゃ、お前らしくもないミスだったな。まあ、それだけあのマスターに心を許しているんだろう。確かに好人物だ。ゲーエルーさんと先に出会っていなければ、私もクラっと来たかもな」
そんなルサの返答を聞いて、キキさんは眼を伏せて、ため息をついてから言葉をつなげた。
「……今日の本当の目的は“望楼”じゃなかったんですけどね。……あちらが、まさかあんなに盛り上がるとは思っていませんでした……」
「……本当の目的ね……。まあ、何となく察してはいるが……」
「何だと思います?」
いたずらっぽく笑うキキさんに、ルサは苦笑いを返す。
「お前、今日は本当に酔い始めたな。普段だったら、多少酒が入ったって、そんな手の内をバラすような話はしないだろう? 楽しんでいるようで何よりだが」
言われたキキさんが、上目遣いでジッとルサを見る。
ルサは両手を上げて答えた。
「どうせ、私とゲーエルーさんの距離を縮めるためとか、そういう事だったのだろう? モコも一枚噛んでいそうだが」
ルサの答えに、キキさんはフフっと笑って盃に継がれた酒を一息に飲み干した。
「今のルサ先輩は、ルサ先輩っぽくありません」
「……それは自覚している……」
「即断即決。当たって砕けろこそルサ先輩らしさでしょうに」
「……今回ばかりは、砕けたくないんだよ。分かれよ」
絡み酒の酔っ払いめ……と、ルサは肩をすくめた。
だが同時に、こうも思った。
(確かに私らしくはない。まあせっかくこいつらもお膳立てをしてくれていることだ。もう少し素直に、私らしく攻めてみるか……)
ふと、ソファ席に眼をやる。
すると、ゲーエルーと目があった。笑って会釈したゲーエルーに、ルサは赤面して目をそらした。
そして。
ゲーエルーは、ルサとの目線を外して、表面的には笑顔を保ったまま、カウンターには聞こえない程度の小声で言った。
「で、お前はここで何をしているんだ?」
先程までの明るい口調とは違う、恫喝するようなドスの聞いた声。
ハクが思わず腰を引いてゲーエルーを見た。
彼のその眼は、笑ってはいなかった。
マスターもまた、表情は笑顔のまま答える。
「俺の存在が必要だった戦後処理は全て終わらせた。クークラをプリームラに預けたのも含めてな。余生くらい、好きに過ごしてもいいだろう?」
「だからと言って、まさか小さなBARのマスターに納まっているとは思わなかったぞ」
ゲーエルーは呆れたような、やさぐれたような笑いを浮かべた。
「勇者よ」
次回 蛇足の話:飲み会編 08「火花」
更新は2023年6月29日(木)を予定しています。




