蛇足の話:飲み会編 06 「BAR・ブレイブハート」
やっと始まった飲み会。
まさかの出会いに、ハクとゲーエルー、そしてマスターは驚きを隠せず。
しかし、キキさんはマスターの正体に気がつくことはありません。そういう世界です。
次回、皆で酒を飲みます。
01.邂逅
「こんばんわ。今日は友人を連れてきましたわ」
キキさんの言葉に、ほう? と、マスターは店の奥で軽い驚きの表情を見せた。長くブレイブハートに通っているが、キキさんが他人と来るのは初めてだったのである。
マスターはカウンターでグラスを磨いていた。
その見た目はアルバイトを紹介してくれたときから全く変わらない。白シャツに黒いカマーベスト、下は黒のパンツの上から同色のロングエプロンという、典型的なバーテンダー服を着込んでいるが、その上からでも分かる盛り上がった筋肉や、丁寧に手入れされた濃い髭など、何度見てもやはり熊を思わせた。その巨体とごつい手で、しかし器用にグラスを磨く姿に、キキさんは親愛の情を持っている。
キキさんの後に続くように、ハクとゲーエルーが入ってきた。
そして。
キキさんの背後で、その二人が驚愕の表情を浮かべた。
驚きのあまり目を見開き、言葉もない。
ハクはともかく、普段何事にも動じないゲーエルーですら、顔を引きつらせ身体をこわばらせる。それどころではなく、彼は思わず腰を落とした戦闘態勢に入っていた。
マスターと挨拶を交わしていたキキさんは、それに気づいていない。
氷の種族二人の顔を見たマスターもまた、強い驚きを表した。
磨きかけのグラスをカウンターに置くと、わずかの間も我慢できないという感じで、彼はいそいそとホールに出てきた。
そして、普段は見せないような感激を目に浮かべてゲーエルーとハクに近寄った。
「マスターには、もしかしたら懐かしい人かもしれません」
キキさんが紹介しようとするが、三人の耳には入っていなかった。
言葉を失う二人に対し、マスターはいたずらっぽくウィンクをして、唇に軽く人差し指を当てた。
それは、自分が何者であるか、キキさんには秘密にしておいてくれ、という合図。
熊のような見た目のマスターだが、その仕草には例えようもない愛嬌があり、気を飲まれてしまったハクとゲーエルーは、ただうなずくしか無かった。
少し遅れて入ってきたルサが最初に見たのは、ハクとゲーエルーに握手を求め「今日はなんと言う日だろう」と感激も顕にする「バーテンダーの格好をした熊」にも似た男性の姿だった。
02.BARブレイブハート
氷の種族二人に対し、心からの親愛を込めた丁寧さで握手を求めたマスターは、落ち着かない様子でキキさんに声をかけた。
「スマンがキキさん、二人と、そしてそちらのお嬢さん(ルサ)を奥のソファ席に案内しておいてくれないか」
キキさんが、驚きながらも了承する。
「わ……わかりました。……けど、どうしました? そんなにソワソワしているマスターを見るのなんて初めてです」
「いや、この二人を連れてきてくれるとは……。オレは看板を下げてくる。ちょっと待っててくれ」
「え? いや、貸し切りとか、そこまでは……」
愕然とするキキさんに、マスターはすがるように言った。
「いいや。今日は商売抜きで飲み明かしたい。お願いだ。是非、そうさせてくれ」
マスターは、昔の宿敵を懐かしむ気持ちを持っている。だから二人と会えば喜ぶだろうと、キキさんは思っていた。
だが、予想よりもずっと大きな反応を示され、キキさんは面食らった。
とはいえ基本的に優秀な彼女のこと。
驚きを押し隠して、ソツなく全員をソファ席に導いた。
キキさんは、壁側一番奥の上座にゲーエルーを、そしてその隣にルサを座らせた。
ホール側の奥にハクを、自分はルサの正面にあたる下座に腰を下ろした。
ルサはキキさんの隣と思っていたのだが、キキさんが先にハクを通したためになし崩し的にゲーエルーの隣になった。
予想していなかった席次であり、緊張が顔に出ていた。
全員が席に着いたが、氷の種族の二人もルサも口をつぐんでしまったため、場は不自然な沈黙が支配した。
その中で、少し緊張していたルサが、意を決したように隣に座るゲーエルーに話しかけた。
「ゲーエルーさんは知っていたんですか、ここのマスターの事? 戦争に参加していた方とはキキから聞いていましたが」
「……ああ。知っているどころじゃない。剣を交わした事がある。忘れられない相手だ……」
ゲーエルーには普段の陽気さが無い。声に緊張がある。
「私も……確かに砦跡で会っています……」
ハクもまた、先程までの酒を楽しみにしていた感じが失せて、少し青ざめた表情で言った。
キキさんは、マスターの反応以上に、二人が緊張しているのに驚いた。ゲーエルーなど何万もの相手と戦ってきたはずだ。マスターがそこまで印象に残る相手だったとまでは、流石に思っていなかった。
軽い沈黙に包まれた席に、看板をしまい込んだマスターが戻って来た。
相変わらずソワソワしながら、すまないがちょっとだけ待っていてくれ、と言って転進する。
「なにか手伝いましょうか?」
とキキさんが声をかけると、マスターは、
「助かる。カウンターに酒肴が用意してある。それを……ああ、それと氷を持っていってくれ」
と、答えてバックヤードに消えた。
03.準備中
キキさんはカウンターへと入り、チーズや寒干しした鱈などの酒肴が用意された皿と、ガラス製のワインクーラーを持ってきた。
ワインクーラーは馬蹄形のやや大型のものである。
「……なんと言うか、我が物顔だな。キキお前、どれだけ通ってたんだ……?」
「流石にこんな客としての分を越える事、普段はしませんけどね。今日はマスターが……いつもと違うので」
ルサの少し呆れたように問いかけに、キキさんが返事を返す。そして一度頭を振って、ハクに言った。
「悪いけれどハク、氷を作ってくれるかしら」
ここに至って、キキさんも案内役モードからプライベートモードに心を切り替えた。
二人やマスターの反応は予想外だったが、まあ、あとはお酒の力も借りて、成るように成れ、だ。
「貴女の作る氷は、混じり物がなくて美味しいし、何よりも凄く綺麗だから……」
「あ……はい!」
頼られたハクは、少し嬉しそうに指先に冷気を集中させた。
冷気はワインクーラーの中で渦を巻き、見る見るうちにロックアイスが幾つも生成されていった。
それらは、純粋な水晶のように美しかった。
「大丈夫ですか?」
と、まだ緊張が解けない表情のゲーエルーに、ルサが声をかけた。
ゲーエルーは、少し首を振って「大丈夫だ」と答える。
「思っても居ない相手だったので、少し面食らっただけだ」
「私もビックリしました」
氷を作ったことで少し緊張が解けたのか、会話に参加してきたハクの声は、さっきよりも少し明るい。
「確かにあの方……マスターなら、カニエーツの戦いにも、そして魔王砦の戦いにも参加されているはずです」
「それはまた、歴史の生き証人みたいな人だな」
ルサが肩をすくめて続ける。
「だたの一兵卒では無かったということか。確かにあの物腰は只者ではなさそうでしたが」
「見ただけでそれが分かるルサさんも、大したものだとオレは思うぞ。流石に高レベルの冒険者だ」
ゲーエルーに褒められたルサは、一瞬だけ驚いたような顔をし、そして少し頬を赤らめて、笑った。
それにしても……と、キキさんが言う。
「戦争時代の英傑と、魔王の娘。それに戦史書にも名が載る魔王の護衛官。更には戦後世界で名を馳せた山河の義勇軍リーダー……」
キキさんが指を折る。そんな少し演技じみた仕草をし、ニヤリと笑った。
「今回の飲み会。意外と歴史的な場なのかもしれませんね」
「魔王の娘の家政婦にして、魔王の孫に魔術を教えた師匠も居ますよ」
ハクが笑う。
その笑顔を見て、ゲーエルーもやっと緊張を解いたようだった。
ハクとゲーエルーの頭にはマスターの「唇に人差し指を当てる」というジェスチャーがあった。
マスターの「正体」に言及しないという共通認識を、暗黙のものとして持っている。
だから、マスターが数本の酒瓶を抱えてバックヤードから戻ってきた時にも、自然に彼のことを「マスター」と呼ぶことが出来た。
04.その酒
戻ってきたマスターは、ハクの更に向こう側の席、ハクの隣でゲーエルーの斜め正面に座った。
座る際に言った、
「失礼するよ」
の声にはいつもの落ち着きが戻っており、その一言で彼の物静かな人格が伺える。
ゲーエルーとハクは、また少し緊張してしまったようだが、さっきほどのピリピリとした感じはない。
マスターは持ってきた数本の酒瓶を一本だけ除いて氷の用意されたボトルクーラーに入れると、挨拶もそこそこにまた一言呟いた。
「まさか……二人に再び会うことがあるとは思っていなかった」
その声には、心から二人を歓迎し、感慨に浸っている彼の心境がよく現れていた。
「プリームラに関してはキキさんから色々と聞いていたが……」
彼は、ゲーエルーの情報をキキさんが漏らしてしまったことには触れないように言った。その配慮にキキさんは気づき、内心で感謝した。
ゲーエルーよりも先に、ハクが頭を下げた。
「私も、マスターのことに関しては少しだけですが聞いていました。魔王砦にキキさんを送り出してくださった事も……。それがなかったら、私は今も泣きながら暮らしていたかもしれません」
その声には、感謝と信頼が感じられる。ゲーエルーも、それを聞いて一つため息をついてから口を開いた。
「オレも、流石にこんな所であんたと会うとは思わなかった。そう言えば人間たちの兵が噂していたな。ゆうs……あんた……いや、マスターと呼ばせてもらうが、マスターは戦時中から酒が好きで、国中の酒を利き分けたとか……」
それを聞いたマスターは、嬉しそうに笑った。
「いや、私……フフ、こちらも今回は仕事ではなく、旧い宿敵と出会った一人の兵として話させてもらうかな。……俺も、まさかあのゲーエルーと飲み交わせる日が来るとは思っていなかった」
少しだけぞんざいな口調。少しだけ不敵な表情でマスターは言った。
いつものマスターとは、やはり違う……と、キキさんは思う。
「二人からは恨まれているかもしれない。だが、今日は俺にとっては記念すべき日になった」
言いながら、マスターは一本だけボトルクーラーに入れなかった酒瓶を目の前に置いた。
そのラベルを見て、キキさんが目を丸くした。
ゲーエルーも気がついたらしい、少し驚いた表情をする。
それは、古い酒だった。
そのラベルに刻まれている日付は、氷の種族と人間の戦争が始まる前のもの。
「マスター……これ……」
キキさんが唇を震わせた。
マスターは、なんとも言えない愛嬌のある笑顔で言った。
「“望楼”。それも現存する中でも最も古いボトルの一本だ」
次回 蛇足の話:飲み会編 07「宴」
更新は2023年6月25日(日)を予定しています。




