その後の話 その2 「旅の途中、モコとの出会い」
国教会の拘束が終わり、自由を得たハク。
世界を見るために、ゲーエルーの先導のもと、クークラと一緒に旅に出ます。
行き先は、キキさんの館がある「最果ての森」。
その道行きは遠く、旅の途中に立ち寄った山奥の村で、赤毛の女性「モコ」と出会います。
モコは「放浪の産婦人科医」。
病弱な少女「ディアバチカ」を診るために村に滞在していました。
しかし、ディエバチカの余命はもう幾ばくもなく、医師としての無力感に苛まれています。
そんなモコに対し、状況を聞いたクークラが、アニメートの魔術を邪法として使えば、ディエバチカを助けられるのではないかと提案するのですが……。
01.
クーデターの影響で、各地で小競り合いの起きている下の大地を、ハクとクークラ、そして先導役兼護衛のゲーエルーが旅をしていた。
行先は最果ての森。
ハクの唯一の友人、キキさんの館を訪ねる旅になる。
迷いの森から最果ての森への道は遠い。旅の間、これまで砦跡に閉じ込められていた分、ゆっくりと世界を見て回るのも目的である。
一行はキナ臭い世情の面倒を避けるため、主要道路や市街地を避けて山道を行くことにした。切り開かれた林道を歩いていると、見晴らしのいい丘の上に出た。眼下には、山に囲まれた農村が見える。
「今日はあそこで宿をとるか」
ゲーエルーが言った。
「賛成!」
クークラが元気に手を挙げる。
少女人形の身体。しかしサスペンダー付きのニッカーボッカーズにブーツ、長袖のシャツの上から黒っぽいベストを着て、ハンチング帽をかぶった姿は男の子のようだ。
「まあ、それしか選択肢はありませんよね」
二人に比べれば体力の低いハクは、小休止の間、ずっと切り株に座っていた。
「早く、休めるところに行きたい……」
普段着の短いタンクトップにスキニーパンツと、その上に旅用のローブを着込んだハクは、フードを脱ぎながら言った。
「まあ嬢ちゃん、もう少しの辛抱だ。そんな遠くじゃないさ。夕方には村に着く」
ゲーエルーはやけににこやかだった。身体を動かしているとテンションが上がるタイプなのである。
「うん。ハクはやっぱり少し運動不足だったと思うんだ。キキさんに比べて、脇腹がプニプニしていたし」
クークラも頷いた。
人形の体だと努力しないでも常に完璧なプロポーションだよね。
ああ羨ましい、とハクは思いながらも、反論せず無言で立ち上がり、ゆっくりと歩き始めた。脇腹がちょっとだらしないのは、本人も気にしていたのである。
道が下りになってしばらく歩いた。
鬱蒼とした森が、少し表情を変える。
原生林の中で萌える植物に侵食されかかっていた細い道から、きちんと人の手が入った林道に出た。前方に看板が見えた。村の名前が記されたそれの下には、集落の境界によくある石像が置かれていた。
そこは村の入口だった。
その境界に、一人の女性が立っていた。
真っ赤な髪が、薄暗い緑の林道に映えていた。
その赤毛を薄いヴェールで包んだ美しい女性で、見た目は人間とほぼ同じ。しかし、発する雰囲気は人間のそれではなく、氷の種族や、あるいはキキさんと同じような、大気に満ちる魂が現世の物品に宿って姿をなした存在だと、一行にははっきりと分かった。
キキさんよりは年下、ハクよりは少し年上だろうか。境界の石像に向かい、赤毛の女性はなにやら深刻な表情をしながら話しかけている。
村に向かっていく三人に気づくと、女性はしかし表情を一変させて笑顔を見せた。
「あら? 旅の方です?」
「ええ。まぁ怪しいものではありません」
ローブのフードを目深に被っていたゲーエルーが答える。三人は歩みを止めた。一番後ろに居たハクがフードを項におろし、額の汗を拭ってホッとした表情になる。ゲーエルーは旅慣れた感じで女性と話しだした。
「旅の途中ですが、最近、世情が不安で。一般的なルートだと危険かと思い、山道を行くことにしたのです」
「あら、それじゃわたしと同じようなものですねぇ」
「おや、ではお嬢さんも旅の途中で?」
「……? でもその割に、荷物を持っていないね?」
クークラが素直な疑問を口にすると、赤毛の女性はニコニコしながら答えた。
「流しの産婦人科医、モコと申します。数週間前にここを通ったのですが、村で病人を診ることになりまして、長逗留しておりますの」
柔らかい、どことなく儚げな声が特徴的な女性だった。
「さっき、なにか話していましたけど……?」
ハクがモコに聞く。
するとモコの表情が曇った。
「……実は、ちょっと独り言……といいますか、その、愚痴をこぼしていまして……あの、失礼ですが、少しだけ聞いていただいてもよろしいです? 落ち込むことがありまして、誰かに話したかったんです」
三人は顔を見合わせたが、これも乗りかかった船である。
ハクが、モコを促した。
02.
モコの話は、こういうものだった。
モコは、逗留したこの村で病弱な少女の両親に請われ、その娘の容体を看た。
昔から身体が弱かったというその少女は、専門外のモコが診ても、もう長くはないということがわかった。持っている薬と医療技術を尽くしてみたが、痛みや怠さを緩和するのが精一杯で、その寿命を伸ばすことは出来なさそうだった。
モコは、先ほどそれを両親と、病床の少女に告げた。
もとより自分に責任がある話ではない。
しかしそれでもやはり気が重く、ここで一人、道祖神に対してため息をついていたのだ。
愚痴を言い終わると、モコは「村に泊まるのであれば付いてきてください、案内できます」と言った。
しかしそれを遮って、クークラがモコに話しかけた。
「あの。ボクならばもしかしたら、その少女を救えるかもしれません」
「クークラ?」
ハクが嫌な予感を覚え不安そうに名を呼ぶ。しかしクークラはそれを無視して話を続けた。
「アニメートという術があるんです」
「アニメート? 器物に一時的に魂を宿し操る術ですねぇ?」
モコが訝しむように聞き返した。
「それでどのように死が間近に迫った病人を救うのです?」
クークラは、まずモコがアニメートを知っているということに驚いた。それを伝えると、モコは「知り合いにその術の使い手がいたので……」と曖昧に答え、改めて病人を救う方法を聞く。
「魂が身体から離れた瞬間、大気に満ちる魂に同化する前に、アニメートで操って身体に戻すんです。正確には生き返るわけではないんだけど……」
「クークラ、それは禁術だってキキさんが……」
ハクが口をはさむが、クークラはあっさりと言った。
「でも、それで人が救われるかもしれない」
無邪気に、しかし真剣に話すクークラに対し、モコは顔をしかめて言った。
「……わたしも……ええとこの方……」
「ハクです」
「ハクさんの意見に同意です」
モコは表情を険しくする。
「生命の維持と出産の補助を業とする者として見逃すことは出来ません。それは邪法です」
「でも、人を死から回避させる方法になり得ます。お医者さんなのに、人が死なない方法を否定するの?」
クークラは、純粋に疑問を口にしている。モコを詰問しているわけではない。
モコは真剣な顔をして子供の疑問に答えた。
「医者は生死と向き合う職業ですが、決して死を否定的に捉えるものではありませんよ。貴女は死を悪いものと決めてかかっているけれど、人は死ぬからこそ大気に満ちる魂と同一のものになるんです。そしてそれは私達のような存在へと生まれ変わるきっかけにもなります。個人の小さな魂を、外部の力を持ってそのサイクルから切り離すのは、魂を孤独のまま据え置く事にほかならず、決して良いことではないのです」
「でも、その子の両親は、生きていて欲しいと願っているんでしょう?」
「それは、魂の輪廻を知らずに生きている者のエゴです。そもそもそのやり方は、生き返るわけではありません。死んでいないように見せかけるだけです……ところで貴女……」
「クークラです」
「クークラさん。貴女の身体って……?」
「……分かりますか……。お察しの通り、身体は人形なんです。ボクは……」
クークラは、特に隠すこともなく自分たちの来歴と、自分の体質のことをモコに話した。
クークラがなんにでも乗り移ることが出来ると聞き、モコはしばらく考えた。
「……ディエバチカの……身体だけならば死なないようにはできるかも……」
「どうやって?」
「とりあえず、その娘に会ってもらってもいいですか? 彼女と話をして。その上で身体を救うかどうかを決めてほしいです。本当に助けたいと思ったら、その方法を教えます」
儚げな口調でそう言った後、モコはクークラに対して少し厳しい顔を見せた。
「ただし、人を助けたいと言う想いは、必ずしも良いことだとは言えません。少なくとも、相応の覚悟を持って望まなければ、関係する人々を不幸にします。それは忘れないでおいてね。……ところで」
「?? はい」
「アニメートを死んだ人にかけるというのは、さっきハクさんが口にしたキキ先輩という人に聞いたの?」
「はい。ボクにアニメートを教えてくれた人です。実際に、死んだ人を自我を保ったまま復活させることに成功しました」
「……実行した……?」
「あの……? モコ……先生?」
「……。とりあえず、ハクさんも……それからええと……」
「ゲーエルーだ」
「ゲーエルーさんも付いて来てください。その娘の親はこの付近の旧家だから家も大きく部屋もいっぱいあるし、私が口を聞いたら泊めてくれると思います」
「うむ……その病の娘に関してはオレは口をだす気は無いが、宿泊させてくれるというのであればありがたい。ああ、相応の礼金も払う用意はある」
「ええ。それでは……」
流れの産婦人科医モコについて、一行は再び歩き始めた。
03.
ディエヴァチカは、身体の小さな15~6歳の少女で、顔色には生気が薄く、上体をベッドに起こすだけでも苦労するほど体力は衰えていた。
モコならずとも、その死が間近に迫っているのが見て取れる。しかし少女はほほ笑みを浮かべ、クークラたちを受け入れた。
少女の両親に、モコはアニメートのことなどは話さず、ただ同年代の子供との交流はディエヴァチカの精神に安らぎと安定を与える可能性があると説明し、彼女の部屋へクークラたちを入れる許可をもらった。
旅人でもあるので、しばらく泊めてあげて欲しいとモコが頼むと、両親は快くハク一行を受け入れた。
両親も、ディエヴァチカも、モコを深く信頼しているようである。
大人たちは、少女に挨拶をすると早々に病床を出て、クークラがディエヴァチカと二人きりになった。
クークラが持ち前の積極性で物怖じせずに話しかけると、ディエヴァチカもモコの紹介ということでクークラに気を許し、二人はすぐに打ち解けた。
ディエヴァチカは、クークラにどこから来たのか、旅の話を聞かせて欲しいとせがんだ。
か細い声だった。
「私は、昔から身体が弱くて。どこにも行けなかったから旅人さんのお話を聞くのが大好きなの」
クークラもまた、自分たちは幽閉されていたので、外の世界が珍しいと言い、二人は笑いあった。
クークラは自分たちの来歴を話した。
自分は身体を持たない魔導生物で、水晶の中で眠っていたところを、勇者がハクに渡した。最初は小さな人形に宿っていたが、ある時、今の身体である少女人形をもらい、ボクは話せるようになった。
ディエヴァチカは、土気色の顔をほころばせて、クークラの話を聞いていた。
スヴェシという嫌なやつがいて、自分の母であるハクに酷いことをしていた。キキさんという家政婦が来るようになり、その人に色々なことを教わった。
アニメートの事。
棒術の事。
やがてクーデターが起こってそれまでの日常が終わった。スヴェシが死んで、アニメートで復活した。
そして、旅立つ時が来た。
少女は生気のない眼をキラキラさせて、クークラの話に耳を傾けていた。
04.
クークラが話し終わった後。ディエヴァチカは言った。
今まで、旅人さんから聞いた話の中で、一番おもしろかった。
私の話も聞いてほしい。
クークラが頷くと、ディエヴァチカは滔々と自分の考えた話を語りだした。
彼女の話は、元気だった自分が、色々な旅や様々な経験をし、恋をするというものだった。よくあるストーリーだが、話は細かい部分までよく考えられ、聞き手のクークラを飽きさせなかった。ベッドに居るしか無かった彼女の心が、その空想世界を旅し、練り上げていったのがよく分かる。
しかし、話の途中で、ディエヴァチカの声が止まった。
聞き入っていたクークラは、どうしたのか聞いた。体調が悪くなった?
ううん。この先はまだ出来てないの。
ディエヴァチカは悲しそうに言った。
多分、私はこの旅を最後まで続けられないの。
小さく咳をしながら、彼女は枕元から数冊のノートを取り出した。中にはびっしりと文字や図が書かれていた。
「これ、クークラにあげる」
「これは?」
「今の話のノート」
「大切な物じゃないか。もらえないよ」
「いいの。もう私は、これを使えなくなるから」
「……ディエヴァチカは、死ぬのが怖い?」
「怖いよ。でも……」
「でも?」
「モコ先生は、死んだら魂が自分の体から離れて、大気に満ちる大いなる魂の中に取り込まれるって」
「うん。それは本当。ボクもアニメートを使うからよく分かる」
「先生は、その大いなる魂を分けてもらって生まれたって言っていたの。赤い月の光を身体に、魂を分け与えられて生まれたって。もし今の身体で無理に生き続けることが出来たとしても、それは新しい生命として生まれ出る機会を放棄することになるし、なにより不自然なことだって」
ディエバチカの眼に、恐怖はなかった。自らの死期を悟り、それを受け入れているようだった。
でも……。
と、彼女は言った。
「私は良いの。死んでも、大いなる魂と一つになるから。でも、お母様とお父様を悲しませるのが、やっぱり辛い……」
それを聞いた、クークラが答えた。
「ディエバチカ。ボクがさっき話したことは、作り話じゃなくて、本当にあった事……スヴェシの復活も、空想ではなく現実にあった事なんだ……」
次回更新は2019/08/16の予定になります。




