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その後の話 その1 「アルバイトを終えて」

クーデターにより国と国教会が力を失い、幽閉されていたハクが自由の身に。

それにともない、キキさんのアルバイトも終了。


長く努めていたアルバイトが終わったことにより、キキさんは再び一人暮らしに戻りますが、しかし喪失感、寂寥感が募ります。


キキさんが寂しさに耐えかねていた時、彼女の住む館のドアノッカーが打ち鳴らされて……。

◇ その後の話 その1:仕事を終えて ◇




01.


 ハクとクークラが、ゲーエルーに連れられて旅立った後、キキさんはスヴェシにハウスキーピングにおける具体的な作業方法の引き継ぎをした。


 それが、キキさんのアルバイト最後の仕事となった。


 館へ帰ると、キキさんは円卓の間に入り、ため息を付きながら自分の席に座った。

 リーダーと、自分を含めて五人の仲間が居た頃、この部屋はいつも騒々しい活気に満ちていた。


 思い出す。

 キキさんの正面の席にリーダーが、それ以外の席には仲間たちが座り。

 次のクエストの計画を立てることもあれば、ただ駄弁っているだけのこともあった。

 みんなそれぞれの自室があるのに、普段はこの部屋に集まっていた。

 仲間たちとは、共に仕事をし、冒険をし、あるいは喧嘩も、そして仲直りもした。時には鬱陶しいとすら思えるほどの深い絆が、そこにはあった。

 自分の家族と言えるのは、あの子達以外には考えられない。


 今は、誰もいない、静かな広間。

 キキさんは、寂しいと思った。


 髪と同色の、黒にも灰色にも見える羽毛に覆われた長い耳が、我知らず力なく垂れ下がっている。

 前はこんな気持ちになることはなかった。一人でリーダーの帰りを待つ生活に、不満を感じることも、不安を覚えることもなかった。

 それは、リーダーと仲間たち以外に家族は居なかったため。自分の居場所が、ここにしかないと信じていたため。この場所を守る事が、自分が唯一できる事だと、確信していたためだ。


 しかし、アルバイトを通じて、友を得、慕ってくれる弟子を得、かつての仲間たち以外にも大切に思える人たちと出会えるということを知った。

 誰かのために働く喜びも思い出した。

 それはもう忘れられない。

 以前のような静かな生活に、また慣れては行くだろう。しかし、それでもこの寂しさが消えることはもう無いのではないだろうかと、キキさんは思った。


 静寂の中で一人でボーっとしながら、キキさんはアルバイトの日々を思い出していた。


 今思えば、最初はただの職場としか考えていなかった。

 ハクとクークラには、出会った時から好意を持つことは出来たが、しかしそれほど特別な存在だったわけではない。

 想いを寄せるようになったのはいつからか。


 クークラにアニメートを教えるようになった、その頃からだったような気がする。





02.


 クークラにアニメートを教えようと思った最初のきっかけはなんだったろう。


 思い出すと、クークラが円形モップを色水に付けてその軌道を可視化した時だったように思う。

 それ以前にも「術を教えてみましょうか」とハクと話したことがあったが、本当に教えようと、いや、むしろ教えたいと思ったのは、部屋が絵の具に染まり、それをなんとかしようと思案するクークラを見た時だった。


 それでも、残業をしてまで業務以外の事をするのは、自分の「仕事の美学」に反する。

 魔術に関する本を持って行った時には、もうすでに教える気にはなっていたが、どのような形で時間を捻出するか悩んでいた。今更だが、我ながら面倒な性格だと、キキさんは苦笑した。


 ハクに、クークラに仕事を手伝わせて、その分で浮いた時間を魔術の学習のために使って欲しいと提案された時には「なるほど」と思った。


 スヴェシが初めて来た時、彼はキキさんの仕事を褒めてくれた。あの意志の強さ、精神の強靭さは、自分としても特別な印象がある。ハクの敵としてではなく、ただの男女として出会っていたならば、どのような関係を築けていただろう。


 その後に見せてもらった創りかけの氷結晶は衝撃的な美しさだった。

 クークラと一緒に「聖務」の盗み聞きをし、ハクが心を折られ続けている事を知った。そんな彼女を元気づけるために、あの時は大げさに褒めたが、しかし嘘を言っていたわけではない。

「こんな綺麗なものは見たことがない」

 その言葉は心からのものだ。


 以来、ハクの氷結晶作成への熱情は加熱していった。それはハクが成長するきっかけにもなった。あの時、ワガママを言って見せてもらってよかった。


 クークラが初めてアニメートを成功させた時の事もはっきりと覚えている。

 どんなに早くても二十年(キキさんたちの時間感覚を人間のそれに直しても約二年)はかかると思っていたのが、その半分以下の期間であっさりと身に付けてしまった。大気に満ちる魂を本能的に感じ取れる体質とはいえ、それにしても早い。


 自分が強い絆を持つのは、マスターと仲間たちだけだという確信が薄れ、新たな環境を離れがたいものとして認識するようになったのもこの頃からだったように思う。


 だからこそ、あの時、ハクと喧嘩をしてしまった。


 自分がカチンと来たのは、ハクの「キキさんなんて部外者ではないか」という言葉だった。

 部外者という響きに、受け入れられたと感じていた自分は過剰に反応してしまった。

 クークラが初めてアニメートを成功させたことを報告したかったのに、工房から出てこなかったハクに対してイライラし、それをぶつけてしまって。

 ハクはハクで、自尊心が回復していく途中だったこともあり、そこから売り言葉に買い言葉。

 結局は、人と喧嘩し慣れていないハクが、泣きながら部屋を飛び出していった。


 あの時はさすがに焦った。

 しかし、あれが酒を持ってハクの部屋に行くきっかけになった。


 初めてのケンカは、ハクと友としての関係を結ぶ最初のステップになった。あの日、二日酔いするまで飲んだのも、今となっては懐かしい思い出だ。


 クークラのアニメートの腕は日に日に向上していったが、未熟さ故の失敗も多かった。

 中でもひどかったのは、本の読み上げをラッパで増幅しようとした事件だった。ラッパが音量を調節できずに、音の衝撃で弾け飛び、少女人形の耳を傷つけた。

 あの人形は高度な技術で制作されており、自分の裁縫技術では傷口を見えなく縫合することすら出来なかった。耳ですんだのは不幸中の幸いで、あれがもし眼や顔に当たっていたらと思うと、今でもゾっとする。


 ハクが、精神的に大人になったと思ったのは、ミティシェーリの「墓参り」を企画した時だった。

 そういえば、あれ以来ミティシェーリの魂は日を追うごとに薄くなっていった。ハクの成長を知り、安心して大いなる魂へ回帰していくようになったのだろう。


 ハクは、国教会の方針だった「心を折り、無為の存在にする」というやり方に負けなくなっていった。

 そこに至るには、ハクの成長が必要だった。

 ハクの心を強くした要素は様々で、それは氷結晶創造によって培った自尊心だったり、あるいはクークラを育てるという愛情と責任感などだった。それらが絡み合い、ハクの精神を強靭にした。

 そして。

 自分の存在も、少なからずハクの応援になったのではないかと思うと、それは誇らしいことだと感じた。





03.


 勤め始めた頃に比べて、自分も変わった。


 最初は、ハクもクークラも、勤め先の主人とその家族としか思っていなかった。しかし彼女たちへの思い入れは強くなり、その成長を見ているだけで楽しくなった。彼女たちに関わる事ができたのは、自分にとっても喜びになった。

 仲間たちと冒険に行っていた頃のような目まぐるしさはなかったが、静かに成長していく喜びを感じられる、そんな日々だった。


 国教会と軍のクーデターによって、その日常は終わった。


 もう戻っては来ない。


 想いがそこに集約していき、キキさんは再び悲しくなった。

 一人っきりの円卓の間で。それでもキキさんはキョロキョロと周りを見回した。


 誰も見ていない。

 そう自分に言い聞かせて。


 キキさんは顔を手で覆って泣き出した。


 泣けば多少はすっきりするはず。そう自分に言い訳をして。

 溢れる涙を、その手のひらで受けた。

 一度流れだした涙は、なかなか止まらなかった。

 嗚咽が、部屋の静寂のなかに溶け出していった。


 少しだけ時間が過ぎ。

 キキさんは顔をハンカチで拭いながら考えた。

 とりあえずは一仕事終えたのだし、いっそのこと一時的にここを投げうって、温泉巡りでもしようかしら。金はかなり溜まったのだ。多少の贅沢は許されるだろう。


 ただ、やはりリーダーがいつ帰ってくるのかわからないのが心に残る。

 リーダーが帰ってくるときは、完全な体制を整えて、自分が出迎えたい。

 その想いは変わらない。


 しかし、旅立ってからもう百年。全く音沙汰が無い。もし自分が居ないタイミングでリーダーが帰ってきたとしても、書き置きを置いておけばそこまで問題はないような気もする。

 アルバイトを始める前は、こんなこと考えもしなかっただろう。あの頃の自分ならば、今の自分を堕落したと叱るかもしれない。

 やはり、私は変わったのだ。

 堕落だとは思わない。ただ自分が自分で大切な場を再び作ることが出来ると知り、その分、館に固執しなければならないという確信は薄れてしまったように思う。


 そう考えた時。

 正面玄関のノッカーが打ち鳴らされる音が聞こえた。




04.


 一瞬、リーダーが帰ってきたのかと思った。

 しかし、それならば館の奥の「ゲート」から来るはずだ。


 誰だろう?

 キキさんは玄関へと急いだ。


 ドアを開けると、そこには褐色の肌に金色の髪と瞳を持つ、水の精霊が立っていた。

「ルサ先輩……」

「よう、久しぶりだな」

 ルサは屈託のない笑顔を見せた。

「元気でやってたか?」

 キキさんは、最初は驚き、次に胸にこみ上げて来るものを感じた。さっきまで流していた涙が、再び溢れ始める。

 感情の押さえが効かなくなって、キキさんは無言でルサに駆け寄り、その胸に顔を埋めた。


 ルサは少し驚いた表情を見せた。

(あれ? まさかこいつまで告白してくるってことは無いよな?)


 だが、キキさんが涙を流し、身体を震わせているのに気づくと、ルサは慈しむような笑顔を見せて、しがみついてくる後輩の頭を撫でた。

「よしよし。一人でよく頑張ってた。寂しかったか。悪いな、放っておいて」

 しばらくそうしてから、キキさんはルサから離れてハンカチで涙を拭った。そして言った。

「お……おかえりなさい……。今まで何をしていたんです?」

 感情を露わにしてしまったのが恥ずかしく、キキさんは必要以上にムッツリとした表情を作る。

「色々と、手の離せない仕事をな。ちょっと人間たちの開拓事業に抵抗してた。森や山河の住人達を率いて反抗したり、とか。でも後進も育ったし、ほらこの間、国教会と軍がクーデターを起こしただろ。それを機に退職して帰ってきた」

 ニヤリと笑いながら、ルサは続ける。

「なんせカワイイカワイイ妹分が、泣くほど寂しがっていたからな」

「な……泣いてなんかいません」

「相変わらず意地っ張りだなお前は。じゃあなんでハンカチが濡れているんだよ」

「……放っておいてください」

 キキさんは少し顔を赤らめた。

「とにかく、おかえりなさい。ルサ先輩も忙しかったようで、お疲れ様です。……多少寂しかったのは事実ですので、この時期に帰ってきてくれたのはありがたいです」

 ルサは、ほう? という表情をして、顎を触りながらキキさんを見た。

「少し、丸くなったな。今思えば、無理矢理にでもお前を呼び寄せればよかった。そうすりゃ私の負担も大分減ってたのに」

 そして、キキさんの肩を軽く叩いて、玄関の中へと入っていった。

「どうせお前のことだから、部屋の準備とかは整っているんだろう? 疲れたから、とりあえず中に入れてくれ」

 懐かしい我が家~♪ と鼻歌を歌い、奥へと入っていくルサの後ろについて、キキさんはその袖を引いた。

「どうした? ちょっと離れるのも耐え切れないくらいに寂しかったのか?」

「……その……さっきのことは……他の子たちには内緒にしておいてください」

 目を伏せながら言うキキさんを見て、ルサは真顔になる。

「それはお前の態度次第だな。とにかく疲れたから風呂に入りたい。腹も減ったから、その間になにか作っておいてくれ」

 キキさんは、ヤレヤレという顔をしながら、食べながらでいいので、何をしていたのか教えて下さいね、と言った。

「私も、話したいことがたくさんあります。アルバイトをしていたんです」

「お前が? 人嫌いで、リーダーにべったりだったお前が? 成長するもんだな」

「面白い職場でしたよ。ま、その話も後で……」

 キキさんは、玄関のドアが開けっ放しになっているのに気づき、戻ってそれを閉めた。


 春の日差しに照らされている館の前庭に、再び静けさが戻ってきた。


次回更新は2019/08/09日の予定になります。

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