◇ 番外編 往きて還りしルサの物語 その四 「往きて還りしルサの物語」 ◇
人間たちとの攻防が絶えた山河の義勇軍。
小康状態の中、突如、人間たちの国が大混乱の内戦状態に。その状況の中、山河の義勇軍はどう動くべきか。様々な思惑が飛び交います。
政争の果て。
ルサにも大きな転機が訪れて……。
最終話:往きて還りしルサの物語
ルサ達の森と人間の戦争が終わって100年近く(ルサ達の時間感覚からしても10年近く)が経った。
かつては氷の種族を打ち払い、戦捷に沸き立った人間たちだったが、その勢いも落ち着いて既に久しい。新たな土地の開拓も行われなくなり、山河の義勇軍との戦闘も絶えた。
ルサたちの森も回復し、状況も小康状態を保っていたが、それ故に戦時指導者として有能だったルサの立場は揺らぎ始める。
山河の義勇軍も新しい時代に向けて変わっていかなければならないと、誰もが薄々感じ始めた頃。
人間たちの国が、突如、大波乱を迎えた。
政治的腐敗の是正、宗教的堕落の一掃を大義名分に、国教会の中央組織である総主教府が、軍の中核であった第一、第二師団と共に決起。
クーデターを起こし、一夜にして政府中枢を軍事的に占拠したのである。
しかし、実力行使に踏み切った若く狂信的な総主教の思惑とは違い、地域ごとに独立している各主教区の多くはクーデターに反発。
それぞれが独自の主張を持ち出し、国教会は完全に分裂してしまう。
地方に置かれた軍隊もまた中央には追随せず、国は内乱状態に陥った。
分裂により力を失った国教会を置き去りにする形で、クーデターは第一、第二師団が強力に主導し押し進めた。
腐敗した政治家の処刑、王族たちの拘束も厭わず、必要に応じて国民にも剣を向けた。
政治の腐敗を一掃するために蜂起した彼らは、例えクーデターが成功しようが失敗しようが、最後まで走り切るつもりだった。
この事態に、森に住む者達も無関心ではいられない。
今後の方針を決めるため、即時、各山河の有力者たちが集められた。
各地の有力者たちは、ルサ達の森の中にある「講堂」に集う。
その建物は、三角屋根の木造建築で、森を護り切った記念に作られたものだった。
森の攻防戦において、戦況を一変させたベレギーニャ発案の水攻め。ルサたちが人間を追い返すきっかけにもなった戦術だが、しかし森もまたダメージを負い、地形破壊と濁流により多くの樹々が失われた。
その際に犠牲になった樹を製材し、講堂を作ったのである。
内部は部屋で区切られていない大きな広間になっており、中央に置かれた長机は、失われた樹々の中でも、最も大きく、崇められていたクリの樹で作られていた。
その講堂で。
急報により各地の山河から駆けつけた有力者達を前にして、総指導者であるルサが熱弁を振るっていた。
「我々は、かつて弱い存在だった。人間の都合で住処を追われかけ、それに唯々諾々と従おうとすらしていた。しかし、我々は反攻した。森を護る戦いに勝ち、山河防衛の戦を重ね、犠牲も払った。その過程で強さを得た。その強さによって、同じく弱い存在だった同胞たちを守り、育てた」
ルサは続ける。
「我々はこの強さを、同胞を守るために振るってきた。だが。ただ同胞だから守ったわけではない。弱い者だったから守ったのだ。生まれ育った土地を奪われる弱い者を守るために、力を養い、使ったのだ」
声に熱がこもる。
「人間たちが内乱状態に陥るのはもはや明らかだ。戦争によって泣くのは、常に弱き存在である。それは、同胞たちであっても、そして人間たちであっても同じだ」
しかし、ルサが期待したような反応が、居並ぶ面々から感じられない。どこか白けた空気が流れ始めている。
「我々は、内戦のために泣く者があれば、人間であっても受け入れ、守る。そして戦乱に乗じて不義を成す者があれば、これを討つ。それをこれからの行動方針とする」
賛成の拍手はなかった。
ルサは挑戦的な笑みを浮かべた。
「なんだ? 反応が薄いな? 人間を助けるのには反対か? しかし、これはただの正義感で言っているわけではないぞ。人間を助けておくことは、内戦が終わった後、我々の立場にも有利に働くはずだ」
ルサがそこまで言ったところで、彼女の参謀にして腹心、護岸の精であるベレギーニャが鋭く指摘した。
「私達が黙っているのは、人間を守る守らないのような問題が理由ではありません」
「ほう? では何が問題なんだベレギーニャ」
「このような重要な方針転換を、貴女はなぜ独断でなさろうとする。私達はそれに戸惑い……いいえ、反感を感じているのです」
「しかしベレギーニャ。状況は急変した。今までと同じ方針でいいはずが無いだろう。確かに性急かも知れないが、皆に諮る時間もなかった」
「貴女の言っていることは、方向性としては正しい。内戦で泣く立場の人間を助ける。私達はそれを否とは言わない。内戦後の政治的発言力の確立に考えを及ばせる必要性も、確かにある」
「ならば……!」
「ですが! その方法が問題なのです」
「……お前ならばどうする。聞かせろ」
「人間の内乱に交わり、我々の影響力を強めるのには賛成。しかし単なる自由独立の第三勢力になってしまっては、いたずらに状況を引っ掻き回し、内戦を長引かせるばかりになります。また、弱い立場の者を助けるだけでは、最終的に覇権を握る勢力に対する発言権など得られない。むしろ戦中戦後に敵対する可能性すらある」
冷静な口調のベレギーニャの語り口は、情熱的なルサとは対象的である。
「まずは内戦を勝ち抜くであろう集団を選定し、それに手を貸す事を表明する。そしてその集団に出来るだけ早く覇権を握らせるよう協力し、最短時間で内戦を終結させるのです。それで初めて私達は政治的発言力を得ることが出来、また未来における、弱く泣く者の発生を防ぐのです」
「だが! そのやり方では今現在泣いている弱い者たちを守ることは出来ない!」
「貴女のやり方は、目の前にある千の悲劇を救うでしょう。しかし、結果的に内戦を長引かせ、将来的には万の悲劇を生み出すのです」
ルサは深くため息を付き、少し考えた。
もともとルサほどに弁が立つわけではないベレギーニャは、緊張した面持ちでルサを見つめた。
「どうやら、今回は私とお前で考え方が違うようだ」
「私の意見を採択するつもりは、ないと?」
「今現在、山河の義勇軍のリーダーは私だ。最終的な決定権は私にある。そして、今は納得行くまで話し合う時間はない。目の前に。千の悲劇が生まれ始めているのだ」
「……いいえ。貴女は既にリーダーではない」
「ほう?」
「確かに貴女は私達の英雄だ。貴女が居なければ、私達は百年前にこの森を失い、その後、人間たちのフロンティアが各地の山河を蹂躙したでしょう」
言いながら、ベレギーニャは居並ぶ面々を見回した。その中には、ベレギーニャと共に最も早い時期からルサを支持した盟友、レーシイ、ボジャノーイ、そしてマーフカも居た。
「しかし。私達はもはやあの頃とは違う。ただ抗うしか無かった、あの頃とは違うのです」
ルサは渋面を作りながらも、ベレギーニャの話を遮らなかった。
「貴女は解放者であり反抗者だ。我々に戦う力を与え、無法の侵略に反抗し、私達を解放した。だがもはや状況は変わった。私達は、実力を伴った一個の勢力として独り立ちする時期が来たのです。自らの解放は既に終えた。私達がこれからやることは、自律なのです」
「簡単なことを難しく表現するのはお前の悪癖だベレ。つまりアレだ。親元を離れて独り立ちする時期が来たと、そう言いたいのだろう?」
ルサは、声を厳しくして言った。
「だがお前がどう言おうと、現在のリーダーは私だ! 誰からも辞めろと言われたことがないからな。そして親とは、子供がいくつになっても、その行動を気にする存在だ」
「子は、親の知らぬ間に大人になるもの。……皆に問う! ルサを今後ともリーダーとして認める者は起立せよ!」
講堂に響くベレギーニャの声。
だが、それに応えて立ち上がったのは少数だった。
起立してルサを支持した少数派の中には、山河の義勇軍の中核でもあるマーフカが居たが、その同志であるボジャノーイとレーシイは、下を向いたまま座っていた。
マーフカは、アレ? アレレ? と言いながら、キョトキョトと周りを見回し、不思議そうな顔をして首を傾げた。
「ベレ……お前、この僅かな期間でどれだけのネマワシを……」
「……根回しは、短期間では出来ませんよ。かつて貴女を排除しようとした長老たちは、我々に植林の業を伝える際にこう言いました。能く枝葉を伸ばす樹は能く根を張っている、と」
尊敬する者への反抗を成功させたベレギーニャは、しかし虚脱したように話しだした。
「樹を移植する際、広がった根は根元を中心に残して切り、細根の発生を促します。そうすることによって、植え付け後の活着を促進し、結果としてより大きな樹に育つ……」
「だから言ったろう。お前は小難しく言い過ぎるんだ。例え話はほどほどにしろ。リーダーってのは、果断に、瞬間的に、一発でわかりやすい言葉で話せ」
ルサの言葉には、棘はない。
むしろ明るさがあった。
「なるほど、気づかないうちに、私はすでに根の中心から外れてしまっていたようだ。新たな発根を阻害する徒長した根に、知らずなっていた。なるほど、そんなリーダーに、これからの山河の民を任せる訳にはいかん」
「ルサ……私は……」
「胸を張れベレギーニャ。誇るんだ。お前は英雄に勝った」
人間との攻防戦でも、ルサは勝ち負けには拘ったが、負けた際には周囲が驚くほどあっさりとそれを認めていた。
それでもこんなにも朗らかに負けを宣言したことはなかった。
「……私の負けだ。リーダーの座を辞し、引退する」
……
…………
数日後。
ルサは密かに旅装を整え、森の外れまで歩いていた。
森の出口に、百年前に見出した、弟子であり仲間であり、家族に並ぶ存在となっていたレーシイ、ボジャノーイ、マーフカ、そしてベレギーニャが待ち受けていた。
「黙って出ていこうと思っていたが……バレバレだったか」
頭をかくルサに対し、ルサと同じ褐色の肌に金色の瞳を持つマーフカが言った。
「ルサ。そりゃバレバレですよ。せめて挨拶くらいさせてください」
魚の尾を持ち、動物を従える能力を使うレーシイが聞く。
「本当に行くんですか?」
魚のような顔立ちをし、獣の四肢を持つボジャノーイが呟いた。異形のため、表情がよくわからない。
「……寂しい……」
「悪いが、私の役目は終わった。立ち止まってみると……疲れがどっと出た。家に帰って、少し休むよ」
ため息をつくルサの前に、フードを目深にかぶったベレギーニャが立った。
「私たちに……いえ、私には貴女のようなカリスマ性と実戦指揮能力はない。そもそもこれからは再び戦時となります。最有力の将が居なくなるのは大きな痛手なのですが」
「よく言うよ、ベレ。利用できるものはとことん利用しようというその性根は認めるが……。言っただろ。私は家に帰る」
「では……」
…………
「……どうした。何を言いよどむ? どんな苦言でも躊躇わなかったお前らしくもない」
「……ルサ……あなたには私の妻として、側に居てほしい」
「……ベレ……そこまでして私を……いや、このテの話に手管を絡められるお前じゃなかったな」
「是非……是非!」
フードを脱ぎ、顔を晒したベレギーニャが、必死の表情でルサに詰め寄る。
だが、ルサは肩をすくめて首を振った。
「……悪い」
ルサは、美しい女性の姿をしたベレギーニャに対して言った。
「私に百合趣味はないんだ。私の好みは、渋いナイスミドルだ」
「…………」
「黙るなよ」
「…………グス…………」
「泣くなよ!」
「だって……」
「だってじゃない! ……まったく……仕方ないな」
ルサは俯くベレギーニャに近寄り、その顎に人差し指をかけて上を向かせた。
そして、その唇を奪った。
「うわ。さすがルサ」
マーフカがなぜだか嬉しそうに言った。
「オレたちには出来ないことだな……」
レーシイが肩をすくめた。
「……ズキュウウン……」
ボジャノーイは表情を変えず、言葉だけで驚きを表していた。
「n……ちょ……ちょっと……」
ベレギーニャがルサを押しのけるようにして身を引く。
「置き土産だ」
ルサは冷静な口調で言って、もう一度ベレギーニャを抱き寄せ、今度はさっきよりもずっと濃厚なキスをした。
ベレギーニャはもう、ルサのなすがままだった。
しばらくして。
ルサが唇を離すと、ベレギーニャは頬を上気させたまま、呟いた。
「……ズルい……」
「褒め言葉として受け取るよベレ。ああ、どうせなら私も何か餞別がほしいな。いや、退職金か?」
「あ。だったらこれをあげます」
マーフカが、呆然としているベレギーニャを押しのけてルサの前に立ち、付けていた深い緑色のイヤリングを外した。
「魔の翠玉!? 神々の時代から受け継がれる宝玉じゃないか。これは……さすがに受け取れん」
「いいんです。ルサが居なかったら、この運命石も人間の手に落ちていただろうし。国教会が資金調達に使っていたっていう、魔王の娘の氷結晶以上の値段がつくと思うよ」
「むしろ換金なんて出来なさそうだな」
「売ってくれたほうがいいんだけど。縁があったらまた私の手に戻ってくる可能性が高くなるからね」
「お前らしい答えだ。では、受け取らせてもらおう。家で……ただ百年、家の維持を……意地でやっているだろうアホな後輩が居るんだ。私が家を出てから随分経ったし、いくらなんでも手持ちの資産は半減しているだろうから、その維持費に当てさせてもらう」
「うん」
「さて、それじゃ本当に行くぞ」
「わかった! じゃぁね!」
「オレたちも頑張る。貴女のことは忘れない」
「……本当に寂しくなる……」
「……あの……もう一回……」
「欲張るなベレ。……じゃあ」
ルサは手を振って、森の外に駆け出していった。
「またな!」
帰りの旅路。
ルサは一人、呟いた。
「それにしても。なんで私は女にばかりモテるんだろう? 今までにも言い寄られたことはあったけど、八割方女からだったぞ?」
ルサはため息を付いた。
「ああどっかに、フリーで、男らしくて、ダンディで、朗らかなナイスミドルは居ないものかな」
後輩の待つ最果ての森の館に。
こうしてルサは還って行った。
引き続き、第四話第四章「ハクの旅立ち」をお楽しみください。




